01.女王様と下僕
「あんたはかけがえのない存在よ。なにせ人間の言葉を理解できるサンドバッグはこの世にあんただけだからね」
そう言うと唯華はいきなり俺の横っ腹にボディブローを叩き込んだ。
「ぐふっ!」
40キロ足らずの華奢な身体からは想像できないほどの威力だ。
肋骨がヒリヒリ痛む。
毎日この暴力幼馴染、芝浜唯華から殴られ続けた脇腹はすっかり脆くなった。今じゃ俺の弱点の一つだ。
唯華はその美しく整い過ぎた相貌を歪めて、俺を睨む。
「なに? その恨めしそうな顔は? もっと強烈なのをお見舞いしてもいいんだよ。このゲス・カス・クズ・ブスがっ!」
「や、やめ……ギャッ!」
そう言うと唯華は俺の尻に思い切り中段回し蹴りを放った。
スラリと伸びた長い手足が規則的に回転し終わると、木製バットで殴られた様な衝撃が伝わる。
ケツがバチンと音を立て、赤く腫れ上がるのを感じる。
「頼むからもうやめてくれよ唯華……」
「あんた自分が何したか分かってる? 隣の席の女に色目使ってデレデレ鼻の下伸ばしたアホ面下げて性的な嫌がらせするなんて……これは飼い主の私が躾けなきゃ駄目な事案でしょ」
「そんな! ただ俺は隣の関さんと親睦を深めようとお話しただけだろ」
「その考えがそもそも間違いなのよ! あんたみたいなキモメンに臭い息を吐かれながら迫られたせいで関さんは精神的苦痛を受けたのよ! これは飼い主である私の監督不行き届だわ」
「ボソボソ……、お前は俺の飼い主じゃねえって……」
「今度はどこを痛めつけられたいの?」
「ひ、ひぃ」
ご覧のやり取りの通り俺、白井卓人は幼馴染の芝浜唯華から理不尽な仕打ちを受けている。
別に交際しているわけでもない。関係性はただの幼馴染だ。
まあ恋人同士だったとしてもこんな歪なパワーバランスのカップルは嫌だが。
彼女、芝浜唯華は地元の有力企業の令嬢で、成績優秀、質実剛健、そして絶世の美貌を持った完璧超人だった。
165センチ超のモデル体型で、芸能人の様に顔が小さく、大きな意志の強そうな瞳に、形の良い高い鼻、肌は陶器のように白くなめらかだ。背中まで届く、よく手入れされた長い黒髪が家庭環境の良さを表している。
その美しさから様々な男に言い寄られているが、返事はまるで梨のつぶてだ。
周囲からは高嶺の花として認識されており、男女ともに憧れの的といった存在だ。
だが、あくまでそれは表の顔。
俺は彼女の裏の顔である、暴力性とハラスメントの塊のような本性を知っていた。
彼女は事あるごとに俺に暴言、暴力をふるった。機嫌が悪い時だけじゃなく、単なる気晴らしだったり、挨拶代わりの時もある。平気で殴り、蹴り、暴言を吐く。彼女にとって当たり前の習慣なのだ。
どうしてこの様な関係性が生まれてしまったのかと言うと……。
「あー。そうそう。あんたの冴えない親父。まーた仕事でミスしたらしいわよ。とんでもない額の損害出したって。一体何の恨みがあってパパの会社に嫌がらせするのかしら」
「そ、そんな。親父は嫌がらせなんてしてないって。本人は一生懸命やってるんだからさ」
「成果上げなきゃやる気なんてなんの意味もないのよ。会社員は利益貢献上げて初めて一端の口をきけるのよ」
俺の親父は、唯華の父が経営する「芝浜フーズ」の社員だった。
ブラックで有名な企業で、親父は毎朝6時に家を出て、帰宅は終電間際だ。性も根も尽き果てた顔で帰ってくる父を見て、このまま過労死してしまったらどうしようと不安になる。
激務薄給でも会社にしがみつくしかない社畜の鑑の様な父を見ると、どうしても唯華に逆らう気が失せてしまう。
俺が唯華の機嫌を損ねる事によって、親父の社内での立場が悪化しないとも限らない。
彼女とは幼稚園から小中高とずっと一緒であった。悲しい事にクラスが同じになる事が多く、登下校時は必ず彼女の荷物持ちをする役目を仰せつかっていた。
十七年もこんな生活が続くと、もはやこの関係性が当たり前に思えてくる。
下僕。従者。使用人。
俺の事を嘲笑するクラスメートたちはそう言って馬鹿にした。
俺だってこんな関係望んでいない。だが、彼女にとって俺は体の良い憂さ晴らし。まさに「しゃべるサンドバッグ」だ。
「チンタラ歩いてるんじゃないわよ! さっさとついてきなさい! この田吾作!」
「くっ、分かってるよ……」
ずんずん前を進む女王様の背中を見ながら、重い荷物を背負って歩く。まるで餌を求める野良犬のような姿だ。
――この時の俺はまだ、気付きもしなかった。俺が彼女との関係性を解消する大きな事件が起こる事を。
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