9話 現実世界描写改変型システム:シェイクスピア
「本当にいいの? アオイ」
「ああ、構わない。彼らに会い、一応話し合ってみよう」
廊下で私の隣を歩くカルナ殿に、私はなるべく目を合わせないようにしながら返事をする。
彼女は私の言葉と態度に、「そっか」と小さく笑みを浮かべながら答えてくれた。
あの後、私とカルナ殿はヨアン殿を置いて、一度通された部屋を出ることにした。
理由としては二つあり、一つは“めいど”の彼女が言っていた専属の医師とやらが部屋にやって来たからだ。飄々とした男性で、本当に医師なのかと疑問に思ったが、ヨアン殿を診る時のテキパキとした動きから本物なのだろう。
彼は簡単にヨアン殿を診ると、「熱中症だね〜」と言うと、部屋に“くーらー”なるものをつけるというので、寒いのが苦手な私は外に出ることを提案した。
何故その“くーらー”をつけると空気が凍えるのか原理はさっぱり分からないが、もう一つの理由を成すために私はカルナ殿も外に連れ出した。
二つ目の理由が、あの男達にもう一度会うためだ。あの、きっさてんで初めて出会い、先程私達に銃を向けてきた男達。
「でも、まさか驚いたよ。あれだけヨアンの頼みを拒否してたあなたが、あの男達から“本”を取り返そうとするなんて」
「…………」
気づかれぬように目線を彼女から逸らし、私は沈黙する。先程の、私自身の醜態を思い出してしまったからだ。
あの時の私は少し変だった。男としてありえない、女性に対して弱音を吐くなどという行為をしてしまったのだから。
何が後悔は嫌だ、だ。彼女は母上ではないのだぞ。昔のように慰めてもらうことを望んでなどいけないはず……だったのに。
私は言ってしまった。情けなくカルナ殿に向けて弱音を吐いてしまった。今思うと本当に恥ずかしくて堪らない。
……だが、あんな姿の私に助言をしてくれたカルナ殿がいるのも、また事実だ。
小さな心変わりだったが、カルナ殿曰くこれは大きな変化らしい。
私は、あの男達から本来ならばヨアン殿が持っているはずの“本”を取り返すべく、今この巨大な詮索中だ。だが一向に先程出会った男達と鉢合わせることが出来ない。
残りは“げんかんほーる”だけとなったのだが……。
「…………」
なんというか。
「WHAT!?」
こうして出会うと、どういう反応をすれば良いのか分からなくなってくるのは何故なのだろうか。
きっさてんで大柄の男を吹き飛ばし、廊下で出会い思い切り睨んだ手前、私は彼らからあまり、いや全く良い印象を抱かれていないはずだ。
それは大柄の男が私とカルナ殿を見た瞬間に発した以前よりも大きな驚愕の声と、後ろの男達の恐怖に歪んだ顔を見ればすぐに分かった。
「……カルナ殿、お願い出来るか?」
「あはは、まあ出来る限り頑張ってみるね」
彼女はそう言うと、たじろぐ彼らに笑顔で近づいていく。男達はそんな彼女に猜疑心の含んだ視線を送りながらも、何とか会話を始めた。
私はその間何もしないということを示すために刀からは手を離し、少し離れた位置に佇む。
彼女には、彼らの説得を頼んでいる。一筋縄ではいかなそうな相手ではあるが、ヨアン殿が本を取り返すために作戦なし勝負を挑んで敗北するよりも、こうして私という脅し材料を付けて話し合いをする方が懸命だと思ったのだ。
カルナ殿が言うには、原則この屋敷内では争いごとが禁止されているらしい。もし争いごとをしてしまった場合、大会の出場権並びに観戦権が一生剥奪されてしまうらしいのだ。
ならば威嚇とはいえ銃を向けてきた彼らは違反ギリギリの行為をしたことになるが、ギリギリまでは大丈夫だという。何とも変な決まり事だった。
カルナ殿は今私には分からない外国語で彼らと話をしている。だが、何となく結果は目に見えていた。
男達の表情から、これっぽっちも反省の色も和解の色も見えなかったからだ。
こちらが下手に出た故だろうか。彼らは私達をまるで嘲るような表情で見下してきている。
「アオイー!」
そんな中、カルナ殿に大声で呼ばれることになる。私は少し諦めつつ彼女らに近づき、話を聞く。
「……どうだった」
「返してくれる気はさっぱり無いみたい。というか自分達は盗ってないって言い張ってるよ」
……そんな事だろうとは思っていたが、これ程明確に言われるとは思っていなかった。
外道に何を頼もうが変わらないか。
「ああでもね」
「ん?」
ゆっくりと、男達に悟られぬように刀に手をかけた私に、カルナ殿が急いで付け足すように言葉を投げかけてきた。
「自分達と“シェイクスピア”で勝負して、もし勝つことが勝つことが出来たら渡してやってもいいってさ」
「以前も聞いたなその“しぇいくすぴあ”とやら。“現実世界描写改へ”……なんだったか」
「“現実世界描写改変型システム:シェイクスピア”、近年開発されたVRゲームだよ。彼らはそれを使って、仮想現実世界であなたと戦おうって言ってるの」
また訳の分からない単語が沢山出てきたが……そうか、彼らは私と戦おうと言っているのか。
改めて私は男達を見る。下卑た、気持ちの悪い笑みを浮かべながら私達を見る彼らの表情に、私は見覚えがあった。
「…………」
先程部屋の中で感じていた殺意がまた湧き出てくる。
本当に、今ここで皆殺しにしてやろうかとさえ思ったが、それではカルナ殿にまで迷惑をかけてしまう。それはダメだ。彼女には世話になりっぱなしになっている。これ以上迷惑をかけるのは、ダメだ。
彼らを強く睨みつける。すると、笑みを浮かべていた男達は一瞬で顔を青く染め、冷や汗のようなものを流し始める。
「……はあ、分かった。彼らの提案を受けたい。それでも良いか、カルナ殿」
「あたしは大丈夫だけど……アオイこそ大丈夫?」
「私は大丈夫だ。気にするな」
「……そっか」
カルナ殿は私の顔を伺うように眺めるが、私がそう言うと彼女も納得したように口元を緩める。
そして、もう一度彼らに近づき、何事かを話し始める。
すると男達は少し驚いたような顔を見せるが、すぐに表情を戻し、青い顔を下品な笑みで上書きする。
彼らは私を一瞥すると踵を返してどこかへと歩いていってしまう。
「ついてこいだって」
カルナ殿は彼らの言葉を翻訳して私へと伝えてくれる。
ついてこい、か……。あの男達がどこに向かおうとしているのかは分からないが、私は何となく、嫌な予感を心の中で覚えていた。
***
男達についていき、辿り着いた場所は屋敷の客室がある廊下のさらに奥、とある部屋の前だった。
仰々しい鉄扉と、またもや近未来的な台座がその扉の前で、私達を監視しているよう存在している。
それと、“めいど”服姿の女性が一人、台座の隣に姿勢正しく佇んでいた。私達を案内してくれた女性とは違い、彼女は明らかに外国人である見た目をしている。
男達の一人、大柄の男はその女性に話しかけている。すると彼は懐から出した銃を彼女へと渡し、彼女は隣の台座を指で数度撫でたかと思うと、重々しく扉が開いた。
男達は戸惑うことなくその扉から中へと入っていく。
「……私達も入った方がいいのか?」
「そうだね、多分ここは“シェイクスピア”を使用する機械が置いてある部屋なんだよ」
カルナ殿はそう言って台座隣の女性へと声をかける。数回会話をし、カルナ殿は私にも声をかける。
「アオイアオイ、その刀彼女に預けて」
「何?」
「荷物検査なんだよ。多分金属探知機とかあるだろうけど、ここで出さないと後々怪しまれ続けることになるよ。まあと言ってもアオイの刀は隠すの無理そうだけどね」
笑顔で言う彼女とは裏腹に、“めいど”の女性の方は強い目付きで私を凝視してくる。おそらく大っぴらに刀を下げている私に警戒しているのだとは思うが、そうか……刀はお預けしなくてはならないのか。
少し残念に思ったが、私は二本の刀を女性へと渡すことにする。カルナ殿も懐から小さな包丁のような刃を取り出して女性へと渡している。
「護身用で一つナイフ持ってるんだよね〜」と彼女は気軽に言っているが、私は小さく驚いていた。この外国では女性が刃物を携帯していてもよいのか……。
そんな私の内心の驚きをよそに、“めいど”の女性は私達から刀と刃物を預かると、まだ少しの疑いの目を向けてくるがくるりと振り返り台座に指を置く。
そうすれば先程同様重々しく扉が開き、私達に中へと入れと言わんばかりに訴えかけてくる。
「行こ行こ」
「あ、ああ」
カルナ殿に先導され私は歩を進める。最後まで女性の疑いの視線は消えなかったが、私達が中に入れば扉は閉まり、彼女の表情が変化したかどうかは分からなくなった。
中に入ると、そこは、なんというか青い空間だった。
とても広い部屋だった。外からでは分からないくらいに広く、天井も高く、そして青い。
見渡せば、あちらこちらに人が座るための椅子が鎮座しており、その前にヨアン殿を寝かしている部屋でカルナ殿が言っていた、“空中でぃすぷれい”が浮いている。
その“でぃすぷれい”内では、今まさに人が動いていた。椅子には人間が座っており、目の前の“でぃすぷれい”で、その人間と同じ姿形の者が誰かと戦っていた。
……頭が痛い。あれはなんなのだ。
「あれが“シェイクスピア”だよ。仮想現実の世界の中で彼らは今誰かと対戦してるの。ここにあるのは本番用のじゃなくて練習用っぽいのだから、一般の人達にも貸し出してるんだね。ひゅ〜お金持ち」
カルナ殿も感心したような表情で周りを見渡している。私としては訳が分からず今にも外に出たかったのだが、室内前方にあの男達を発見し、彼らが私達を待っていたようなので、私達は足を踏み出すことになる。
ここの部屋にはたくさんの人間が椅子に座って、その仮想現実とやらで戦っていた。彼らは全員頭に何かの箱を取り付けて座っており、誰一人何一つ言わず、まるで眠っているように動かない。
いや、実際彼らは今眠っているのだろう。そして、仮想現実とやらで起きているのだ。
「アオイ、これ頭に付けてここに座って」
周りを見てばかりの私に、カルナ殿が他の人間達が被っているもの同様の箱が渡された。
「こ、これを、私も付けるのか……?」
「そうだよ。ほら、さっきの大きな男の人ももう座ってるよ」
「本当だ……」
見れば確かにあの大柄な男はもう一つの椅子に座って待機しており、頭には箱を被っていた。
だが一つおかしな点があった。あの男と共にいた数名の男達がいなくなっている。
「カルナ殿、他の男達は?」
「ああ彼ら? あの人達は別部屋に移動したよ。私も今からそこ行くし」
「そ、そうなのか」
てっきりここでこれから私達が行う戦いを観戦するものだとばかり思っていた。
私は少しの間躊躇ってしまうが、決心して椅子に座り、箱を被ろうとする。
その時だ、カルナ殿が話しかけてきた。
「アオイ、少しいい?」
「なんだ?」
「……あたし、精一杯頑張るけど本職は“推敲家”ってことだけを、言い訳にさせてね」
「ん? あ、ああ分かった」
私は彼女の言っている言葉の意味が少し分からなかったが、彼女が私の返事を聞き苦笑いを浮かべながらどこかに移動してしまったので、詳しく聞くことが出来なかった。
……私は箱を胸の前で持ちながら、考える。
果たして、私のこの行動は正しかったのだろうか。ここまで来て遅い考えではあるが、本当にこの選択が間違っていないのか不安になった。
後悔はしないだろうか。
いや少し違う。後悔はするだろう。彼女が言っていた通りに、私はきっと後悔する。
だが、
――後悔に後悔をしないこと。
彼女の言葉を思い出す。私はこれから感じる後悔を、後悔はしたくない。
私は箱を頭にゆっくりと被る。すると、目の前は真っ暗になり、次第に眠気のようなものを感じてきた。
最後に聞こえたのは、見知らぬ誰かの声だった。
――『一名様、現実世界描写改変型システム:シェイクスピアへの接続を確認しました』
――『男性、1830年生まれ39歳、彼岸 蒼……年代の不一致が確認されましたが、接続を続行します』
――『ようこそ蒼様、こちらは仮想現実世界、名をシェイクスピアです』
――『これより、ログインを、開始します』