7話 本当に残念だ
カルナ殿が言うには、私達を現在先導して西欧風の長い廊下を歩いているのは“めいど”という役職の女性であるという。日ノ本にいる女中と役割的にはあまり大差ないとの事で、服装などの見た目が似ていることから納得はしている。
だが……これは失礼な考えだと承知はしているが、目の前を歩く彼女は異様な程に表情の変化を見せなかった。鉄仮面・無表情、それらの言葉が的を得ている彼女は、私達を屋敷の前で迎えこうして屋敷内を案内してくれている中でも、全く表情を変化させない。
それが、私には少し不気味だった。先程感じていた、久しく出会えていなかった同郷の者と巡り会えたことの嬉しさよりも、今はその気持ちの方が勝っている。
ヨアン殿を安静にした後、彼女と少し会話をしたかったのだが、こんな気持ちのままに対面するのも不躾な気がして、私は小さくため息を吐く他なかった。
「なんというか、彼女すごくクールな人だね」
故にだろうか。私の小さなため息に気づいたのか、カルナ殿が小声で私に話しかけてきた。
「くーる?」
「冷静な人とか、カッコイイ人とかに使う言葉だよ。彼女、私達が突然屋敷にやってきた時も冷静に対応してたし、凄いよね」
カルナ殿は私の隣で、とても感心しているような表情で目の前の女性を見やる。
なるほど、物は言いようだな。私は彼女のことを不気味な女性と感じたが、カルナ殿にとっては彼女は“くーる”な女性なのだろう。
私はその考えで納得を、しようとした。
だが、
「……それにしてもだ、少しぐらいは感情を表に出したって良いのではないか?」
私のその言葉に、カルナ殿は「……え?」と小さく驚く。これに関しては私自身、己の口から自然と発せられたその言葉に内心動揺してしまう。
本当に、自然と漏れた言葉だったからだ。
「あれでは他者に誤解を招きかねない。実際私は彼女に最初あまり良い印象を抱かなかった。あのままでは彼女自身が損をするではないか」
一度口を開いてしまえば、疑問の言葉は次々と流れ出てきてしまう。
私は全て言い終えると、少しの後悔に襲われた。何故私は突然こんな、解決もしないことをカルナ殿に言ってしまったのか。同意が欲しかったのか? むしろ否定して欲しかったのか?
どちらにせよこの言葉は本来カルナ殿ではなく目の前の彼女に言わなければ何の意味も成さない。
事実隣にいたカルナ殿は呆然として私を見ている。小声での会話だったために前方を歩く彼女には聞こえていないと思うが、カルナ殿には突然の事で驚かせてしまった。
故に、早く謝ろうと思い立った。
「ねえアオイ、あなた」
その時だった。カルナ殿が呆然とした顔から、まるで目の前の彼女のように表情を削ぎ落とした顔になっていて、私を見ていた。
あの表情豊かだったカルナ殿を知っている私からすれば彼女のその表情は、とても――
「怖いの?」
――とても、不気味なものに感じてしまったのだ。
「……は?」
今日、幾度目かの驚き。私は突然意味の分からないことを言ってきたカルナ殿を、眉をひそめて怪訝な表情で見つめてしまう。しかし彼女はそんな私を見てなお、無表情のままに口を動かし続けた。
「怖いんでしょ、何も表情を出さない人のことが。今だって私の事怖がってるし。きっとあなたは、無自覚に“無表情”の人を怖がってるんだね」
彼女から放たれたその言葉の数々は、私にとってとても衝撃的なものだった。
私が、怖がっている?
……心当たりがないわけでもないが、何故か今の私にとって彼女の一言一言は、とても耐え難いものだった。
彼女は鋭い。だが、時たま見当違いのことも言ってくる。私とヨアン殿が似ているだとか、私が今怖がっている、だとか……。
「……カルナ殿、私は」
だから反論したかった。『怖がってなどいない』ということを、彼女に直に言ってしまいたかった。
「……ん?」
その時だった。私の肩に向けて、何かが強く当たってきたのだ。
改めて前を向けば、ちょうど廊下の角を曲がる時だった。それで向こうの道からやってきた人間と肩をぶつけてしまったらしい。
こちらの不注意だったので、私は即座に謝ろうとした。
したのだが……。
「あ」
口から出たのは、そんな一言だけ。
「あ」
隣のカルナ殿からも、同じような声が聞こえてくる。
「What!?」
角を曲がってきて、私と肩をぶつけた、“きっさてんで私が吹き飛ばした大柄の男”。彼は背後に数名の男達を引き連れて、私に向けて驚愕の叫び声を上げたのだった。
***
まさかこんなところで鉢合わせするとは思ってもいなかった。その考えはあちら側も同じようで大柄の男と、彼の仲間である男達も何が起こったのか分からないというような表情をしている。
そして彼らは一瞬硬直したかと思うと、すぐさま何か外国語で私に向け大声を上げてきた。私には彼らが何を言っているのかさっぱり分からなかったが、雰囲気から驚きや罵倒の類であることは察せられる。
「うわあ、変なところで会っちゃったね……」
カルナ殿は彼らを見て、あからさまに肩を落としていた。彼女は彼らが何を言っているのか分かるだろうから、余計に面倒臭い状況なのだろう。
「彼ら、なんで“本”を持たないあたし達が大会に出場する者達が宿泊する本館にいるのかが疑問みたい」
「本館?」
「この屋敷の奥には、もう一つ大きな建物があるんだよ。そこが観客達が宿泊する別館。あたし達はヨアンを看病する為に一時的にこっちの屋敷に入れてもらっただけで、本当ならそっちにいるはずなんだよ」
……なるほど。つまり本来ならば今“本”を持っていない私達がこの本館にいるのは、彼らからしてみれば不可思議以外の何物でもないのか。
笑える話だった。ヨアン殿の話によれば、彼らが本を奪ったことは明白であり、本当ならばこの屋敷には入る資格も彼らにはない。なのに我が物顔で廊下を歩き、私達と鉢合わせ大声を上げているのは、きっと驚きと焦りからなのだろう。
私は彼らを見る。卑怯な手を使い、ヨアン殿から出場券を無理やり奪った、まさに外道の集団。私には関係の無い事だったが、そのやり口が気に入らなかった。
自然と瞳に軽蔑の感情が浮かぶ。男達はそんな私の瞳に一瞬恐怖が入り交じった表情をして硬直すると、額に汗を浮かべ黙り込んだ。
「……行こう」
私は目の前の、先程から私達の様子をずっと伺っていた女性へと声をかけ、再び歩き出す。
彼女は少しの間だけ私達と男達を交互に見ると、小さくお辞儀をしてまた私達を先導するように歩き出した。
私とカルナ殿は男達から視線を外して廊下を歩く。ちらりと抱きかかえている状態のヨアン殿を見れば、彼はまだ起きそうになく、少し安心する。
何としてでも本を取り返すと言っていた彼が今ここで起きると、勝ち目がないのに男達に飛びかかっていきそうだと思ったからだ。
私達は歩いていく。だが、それが後方にいる男達にとっては納得がいかなかったらしい。
「――STOP!!」
また、叫び声が廊下に響く。すると、流石に“めいど”という立場から立ち止まらざるを得ないのだろう。目の前の女性は立ち止まり、小さく振り返って私達を見てくる。
次はカルナ殿が後ろを振り返ったが、「げッ」と面倒臭い状況になってしまったことを嘆くような声を漏らし、その表情を歪ませた。
私も、大きなため息を吐いた後に後ろを振り返る。すると、あろう事か男達の一人、中心人物である大柄な男が私達に銃を構えていた。
周りの男達は少し困惑しながらも誰も何も言わない。いや、言えないというのが正しいのだろう。銃を持った相手に逆らおうという方が確かに愚かだ。
「…………」
私も、何も言わない。これに関しては言えないなどという理由ではなく、言う必要がないと思ったからだ。
ここで、手っ取り早くこの状況から抜け出せる奇跡のような一手がある。しかしその手を使うには、少し抱きかかえているヨアン殿を下ろさなければならない。
「カルナ殿」
私は隣にいるカルナ殿に向けて声をかける。彼女は突然の私の声に「どうしたの?」と首を傾げるが、私の言葉に一番驚いていたのは後方の男達だった。
まさか銃を構えているにも関わらず、私がカルナ殿に悠々として声をかけていることに驚いたのだろう。
「君に一つ聞きたい、彼ら」
彼女に言葉を投げかけながら、私は男達を見て言った。
「殺していいか」
シンと、廊下全体が静まり返った気がした。何一つ、誰一人、言葉を発さない。男達は私の言葉が分かったのか分かっていないのか、その額に大量の汗を流して、私をただじっと見てくる。
カルナ殿は――
「――ダメ、って言ったら、どうする?」
驚きもせず、かといって笑顔にもならず、なんというか曖昧な表情で私の問いに答えてくれた。
私は彼女の答えがとても、残念だった。
「……あい、わかった」
私は再び前を向く。すると、後ろからカタカタと何かが震える音が聞こえてきて、その数秒後に、床に硬い何かが落ちた音も聞こえてきた。
それを見て、目の前の女性は前を向く。そして歩き出す。
私達ももう一度歩き始める。
私は、本当に残念だと思っていた。あそこでカルナ殿がもし了承してくれたのなら、あの男達には手元を震わせ銃を落とす程度の恐怖など、味あわせてやらなかったのに。
本当に残念だった。
「……ごめんね、アオイ」
私がそんな風に考えていると、カルナ殿が謝罪の言葉を口にしてきた。
まさか謝られるとは思っていなかった私は、少し驚きつつ返答をする。
「いいんだ。あの時の君の言葉は正しかった。この場で虐殺など起こしてしまえば、私達は大会を観戦するなどという悠長なことは出来なかっただろう。あの男達を殺せなかったことを、君が謝る必要は無い」
それは事実だ。だから私は残念だとは思っていつつも、カルナ殿には感謝している。謝罪されるようなことなど一切なかった。
だが、カルナ殿は私の返答に、小さく口を結んだ後、ポツリと呟くように声を出す。
「……そういう意味じゃ、ないよ」
「ん?」
彼女の言葉が、私には分からなかった。そういう意味とは、どういう意味だろうか……?
「……なんでもない。気にしないで」
カルナ殿は笑う。先程の表情を削ぎ落としたような無表情でもない、彼女らしい綺麗な笑顔。綺麗すぎる笑顔、私はそんな彼女に安心しつつも、小さな疑問は消えなかった。
そういう意味とは、本当になんなのだ……?
今の私にはその意味は一切、分からなかった。