6話 私の嘆きを許してくれ
【2069年 アメリカ:とある平原】
心地の良い風が、少し前の乾いた風と違い頬を優しく撫でていく。辺りの景色は先程歩いていた荒野とは打って変わり、草々が一面に生えている平原となっている。
照りつける陽光は変わりはしない。しかし果てしない荒野の道を見せつけられただ歩くよりは、こうして緑溢れる道を歩く方が幾分か精神的に良かった。
疲弊速度は特に変わりないのだが。
「カ、カルナさン……!目的地はマダなのデすか……!?」
「あと少しだよ、頑張れ二人とも〜!!」
もはや数えるのをやめた彼女の幾度目かの声援に、私と青年は情けない顔を浮かべる他なかった。
私はもう棒のようになってしまっている両足を何とか気合いで突き動かし続け、前へ前へと歩いている。青年に至ってはその歩く姿が魑魅魍魎の類だと言っていいほどにフラついている。まるで数時間前の餓死寸前だった私並に生気がなかった。
「……大丈夫か、ヨアン殿」
「ダ、大丈夫、デ、す。大丈夫で、す。大丈……夫……。大……」
決して大丈夫ではない声を出しながら彼は歩き続ける。私も体力は元々ない方でこの頃は衰えも感じてきていたのだが、それ以上に青年は体力というものがなかった。
病的に白い肌が太陽に照らされて悲鳴を上げているようにさえ思える今の彼は、なんというか今にも倒れてしまいそうだった。
そしてそんな状態になっていながら、何故か彼は私達の助太刀を拒否してくる。まず初めにカルナ殿が彼に「肩、貸そうか?」と声をかけこれを断り、流石に見かねた私も彼に肩を貸そうかと声をかけたのだが、これもまた同じように断られてしまった。
何故そこまで頑なに断り続けるのか、私は少し気になっていて、カルナ殿も気になっていそうな顔をしているものの、今の彼はそれさえも満足に聞ける状態ではなく諦める形になっている。
全く彼という人間は本当に……。
「頑固なものだな」
「それアオイが言う?」
突如放たれた言葉の矢に私は驚きながら辺りを見渡すと、先程まで前方を歩いていたカルナ殿がいつの間にか私のすぐ隣に移動していた。
私が思考を別の方向へと働かせていたせいもあるが、彼女の素早すぎる動きに仰天していると、カルナ殿は私とヨアン殿を交互に見て、そして小さく笑い始めた。
「ど、どうしたカルナ殿……?」
「いやぁ、さっきはあなた達のこと見た目は正反対って言ったけど、なんか性格は似てるなあって思って」
……ん?
「似てる? 私と…………彼がか!?」
「わっ! そんなに驚く!?」
私は彼女の、あまりの突拍子もない言葉に柄にもなく大声を出してしまった。それ程までに彼女の言葉は意味が分からなかったのだ。
似てる? 私とヨアン殿が?
似てる? ……そんな馬鹿な。
「アオーイ、どうしたの顔が放心してるよ〜」
しばしの間脳が機能を停止したように動かなくなった気がした。頭が真っ白になるという感覚を久しぶりに味わった気がする。
馬鹿な。似てるはずがない。何が似てるんだ。私は侍で、彼は痩せ細の、男子とさえ言えない人間だぞ。
……ここはカルナ殿の見解が間違っている。私は急いでそう結論づけた。
「……似ているはずがない。カルナ殿君は鋭い女性だが、その見解だけは間違っている。私と彼が似ているはずが、ない」
キッパリと。私は彼女の目を見て宣言する。すると彼女は短い時間目を見開いたまま硬直した後、目を細め口角を優しく上げながら、笑い始めた。
「……はは、そうだね〜ごめんごめん。なんでもないよ、忘れて忘れて」
そう言って、また元気に飛び跳ねながら私達の前方へと躍り出て、歩き始める。
そんな動作をする途中、彼女から「こりゃ何言ってもダメだな〜」という声が聞こえてきたが、何も聞かなかったことにしようと私は思い立ち、追求はしなかった。
私はヨアン殿に悟られまいとしながら彼へと視線を動かし、未だにおぼつかない足取りで歩き続ける彼を見る。
……似ているはずがないだろう。私と、彼が。正反対そのものではないか。
外見も、性格も、生い立ちさえも。
私と彼は似ていない。何、一つとして。
「あ! アオイ! ヨアン! 屋敷が見えたよ!!」
そんな思考を巡らせている時だった。カルナ殿が私達に向かって大きな声で叫んで長い旅の終わりを伝えてきた。自然と俯けていた顔を上げれば、往く道の遥か前方に一件の屋敷が建っている。
私はほっ、と息をつく。ようやく目的地が見える所までやってくることが出来た、長かった……。
私はため息を吐きながら後方に顔を向ける。あのフラフラ状態の彼に、朗報を伝えるためだった。
しかし。
「ヨアン殿、ようやく目的地が……ん?」
後ろを振り向いても、彼がいなかった。まさか目的地が見えて嬉しすぎてもう前に行ってしまったのかと思い、前方の道を見るも彼はいない。
彼はどこに消えた? そう私が考えていると、
「アオイ! 下! 下!!」
「下?」
カルナ殿からもう一度大きな叫び声が聞こえ、私は彼女の言う通り己の真下を見る。
すると、地面にうつ伏せなった状態で、ヨアン殿が生気を消失させた顔をして気を失っていた。
「よ、ヨアン殿!?」
私は彼に駆け寄り肩を数度揺らす。だが彼はまるで魂が抜けてしまったような青白い顔色を浮かべながら、白目に近い表情をしている。
だから肩を貸すと言ったんだ……!!
私は心の中で叫びつつ彼を抱きかかえて立ち上がる。するとつい先程まで私の前にいたカルナ殿がものすごい勢いで屋敷の方向から走ってやってきた。
「か、カルナ殿! ヨアン殿が!」
「今ひとっ走りして屋敷の人に連れが気絶したこと伝えてきたから、すぐ屋敷行こ! 多分休ませてくれるはず!」
「わ、分かった!」
私は彼女の言葉を聞き、屋敷まで彼を抱えながら走り出す。カルナ殿はもっと詳細伝えてくると言って、先にとんでもない速さで屋敷へ走っていった。
「やはり」
走りながら、私はまた柄でもない大声を上げることになる。これはもはやただの苛立ちの発散でしかなかったと思うが、今だけは許してくれと、私は神に向かって叫んだ。
「やはり、私達は、似てなど、いない!!」
似ているはずがない。
私は侍で、彼は文書きなのだから。
***
「そちらの方が、屋敷に来る道中に突然倒れてしまった方ですか?」
焼き切れそうな肺で数度の呼吸を繰り返し、もはや立っているだけで小刻みに震え続ける両足に最後の力を入れる。
私はなんとか、屋敷の扉前まで走って辿り着くことが出来た。なんとかこの場所までヨアン殿を運ぶことが出来た。言い様のない達成感が溢れてくる感覚があったが、そんな感覚に浸る間もなく目の前から声をかけられる。
前を向けば、屋敷の扉前に私達を待ち構えるように立っていた一人の女性がいて、かけられた言葉は私に向けて放たれたものだったようだ。
「ああ、そうだ、彼が突然、倒れ、たんだ」
息も切れ切れに私はその女性に向けて説明をする。
その女性は、いわゆる日の本にいる女中のような服装をしていた。服の色は主に黒と白を基調としたもので、女中が着ている服よりは幾分か派手さが増していたが、表すのならばそれが最適解であろう。
それに私は、その女性にヨアン殿の倒れた状況を説明しながら一つのことが気になった。
――この女中のような服装の女性、もしかして日本人か……?
そう感じた要因としては、彼女の顔立ちと纏う雰囲気からだった。
西欧人ほど彫りが深いわけでもない顔立ちと、少しの懐かしさを思い出してしまう流暢な日本語。それらの要因により、私は彼女を日本人だと思った。
「アオイ、このメイドさんと知り合い?」
そんな私を見ていたからだろうか、カルナ殿が女性に向けて説明をする私に小さく声をかけてきた。今は短く「いや、知り合いではない」とだけ返しておくが、おそらく彼女も目の前の女性が日本人なのではないかと気づいているはずだ。
女性は私の説明を全て聞くと、少し考える素振りを見せ振り返ったかと思うと、すぐ後ろの扉の取っ手へと手を伸ばす。そして「こちらへどうぞ」と、私達を中へ案内してくれるようだった。
カルナ殿は「良かった〜!」と言って意気揚々と中へと入っていき、私も中に入るように急かしてくる。私は両腕の中でカルナ殿を抱えながら、もう一度やって来たこの屋敷全体を外から見渡す。
遠くから見ていた時はとても小さく見えた屋敷が、今では圧倒的な存在感を放って私の前に建てられている。日の本でもこれほど大きな屋敷を見たことがなく、広すぎるこの外国という土地には似合いすぎる建物だった。
「アオイ〜! 早く早く〜!」
中からまた急かす声が聞こえ、今度こそ私は屋敷の中へと足を踏み入れる。
一歩足を踏み入れ、後ろで扉が閉まる音を聞きながら私は改めて実感した。させられてしまった。
ここは、私の知る時代ではないのだ、と。
私達を出迎えてくれたのは広すぎる西洋風の玄関。扉から入り真っ直ぐ赤い絨毯を進むと2階に上るための階段が設置されており、左右に進むと別の部屋へと行くための扉のない入口が数個見受けられる。
ここまでなら私もなんとか知っている範疇だ。日の本で、街中を歩いている最中にあちらこちらに貼られていた紙にこの空間と同じようなものが映っていた。そこには西洋の玄関、所謂“げんかんほーる”なるものがここの名称らしい。
真っ直ぐ進むと設置されている大きな階段も、左右に進むとある扉のない入口も、その貼り紙に映っていた絵と大差なかった。
だが、私の知らないものもある。
それは、私がこの外国に突然やってきた時にいたあの外国人だらけの街中でも、たまに見つけることが出来たものだ。
細い手足のようなものが生えている箱が飛んでいる。それも何台も。人が歩く分には邪魔にならないように箱自体から避けてくれるのだが、そもそも何故箱が意志を持ったように空中を飛び回っているんだ。
私がその箱を意味不明といった顔で見ていると、横にいたカルナ殿があれが何かを説明するように私に声をかけてきた。
「あれはドローンっていうんだよ。監視カメラの役割と、人間の荷物運びのお手伝い、あとは緊急用救急セットに使えたり、色々と便利な機械なんだ。こんなに音が煩くないドローンが沢山いるなんて、本当にこの家の持ち主のアイザックさんはお金持ちなんだね」
どろーん……? それがあの、あちこち飛び回っている箱の正体なのか……?
ここ数時間は感じなくなりつつあった私の脳内常識と時代錯誤すぎる発明品達にまた頭が痛くなってきた。
今はヨアン殿を抱えているために頭を押さえることも眉間を指で押さえることも出来ない。私はただ目を細め、今まで必死に抑え込んでいた疲労感と戦うしかなかった。
そんな中私は空中を見るのも疲れてきて、先程私達を屋敷の中に案内してくれた女性が何かをしていることに気づきそちらを向いたわけだが、彼女は手元に映し出された文字達を高速で打ちながら、一人で何か外国語を喋っていた。
「ふふーん。あの人は今ね、どこかにメールをしながら誰かと電話してるんだよ。最近はスマホじゃなくて【空間指認証ネットワークシステム:通称“SFVNS”】が流行してきたから、お金持ちアイザックさんのメイドさん達はもう本格的に導入してるんだね」
すると何故かカルナ殿が自慢げに鼻下を擦りながら説明口調で私に彼女の今している言動を事細かに説明してくれる。
私として何一つ分からなかったその説明も、もう脳内では“まあいっか”の段階まで昇華されてしまっている。
自分でもこれはもう脳内働いてないなということがすぐ分かった。いや働くわけもない。
そうして私達がそれぞれ、脳内動かさないでいたり自慢げに色々と説明していたり気絶していたりしていると、誰かと話していたらしい女性がその会話をやめて私達を再度見てくる。
「アイザック様からのご命令です。皆さん、今から私についてきてください」
彼女は私達にそう伝えると、すぐさま振り返り別の部屋へと移動する入口へと歩いていった。
「あ、待って待って!」
カルナ殿は彼女について行こうと歩き出す。そしてその場で呆然と立ち尽くす私を見かねて、着物の袖を引っ張って連れていこうとする。
私としては、思い浮かぶ言葉は一つ。
――もう、どうにでもなれ……。
と、私は神に嘆いた。