2話 逃走劇
「どくたー、れたー……?」
「そう。Dr.はお医者さん、Letterは文字。つまり、あたしは文字のお医者さんってこと」
彼女は私が理解出来ていなかった外国人達の言葉を、懇切丁寧に教えてくれる。
それで納得した。
文字の医者、言うならば小説の医者。彼女は文書き達の心強い味方というわけか。
「貴方、ここ一週間ぐらい何も食べてないでしょ? 私が初めて見かけた時はまだ今日みたいにフラフラではなかったけど、手当り次第色んな人に話しかけて撃沈して」
「……見てたのか」
彼女のその言葉に、少し気恥ずかしくなってしまう。あの醜態をずっと見られていたとは思ってもいなかった。
今まで話しかけた外国人達は、少し気に留めるくらいでずっとは見ていなかった。思い返せば私の行動は、話しかけられていた彼らからしてみれば不審な行動以外の何物でもない。さっさと厄介事からは逃げたかったのだろう。
だが、彼女から話を聞くうちに一つの疑問を覚えた。
「最後には助けてくれたのだから何も文句は言えんと思うが、一つだけ聞きたい。何故もっと早く話しかけてくれなかった。君は日の本言葉が分かるのだろう?」
「それについてはごめん。あたしの方も仕事が入っててさ、納期迫ってたし声かけれなくて。今日仕事全部終わって見に来たら、まだこの場所付近にいてびっくりしたよ」
なるほど。それで今にも死にそうだった私に拳……パンを分け与えてくれたのか。
「そうだったのか……。いやすまない、文句を垂れてしまったな。忘れてくれ」
無礼な態度を取ってしまったことを彼女に頭を下げて謝罪する。彼女のおかげで助かったのだ、愚痴など本来ならば慎まなければならなかった。
そんな私を見て、彼女は手をあちらこちらに動かして困惑し始める。
「はわわいいよいいよ! 頭下げないで! 私こそもっと早く声かければよかったなあって思ってたし」
「だからほら」と、彼女は立っている状態から私に右手を差し出してくる。私はその手を掴むかどうか一瞬迷うが、掴まないことこそ不躾だなと思い同じく右手で手を握る。
彼女は手を握った私を見て、笑顔を満開に咲かせ微笑み、「よっ!」と声を出して私を引っ張り立たせる。
急に手を引っ張られ、体重が前のめりになりながらもなんとか立ち上がると「わ! 貴方結構背大きいのね」と、自分と私の頭の上に手のひらを交互に浮かせていた。私の頭の上には届いていなかったが。
だが、何をやっていても楽しそうな彼女を見ていると、自然にこちらの緊張も解けてしまう。
「あ、初めて笑った」
「ん?」
私が安心しきっていると、彼女は目にも止まらぬ早さで私の目の前へと躍り出て、私の顔を覗き込んでくる。
私はあまりに一瞬の出来事に反射で手を刀にかけてしまうが、彼女がただ何もせず私を凝視するものだから、瞬きを繰り返すだけとなってしまう。
「な、なんだ?」
「……笑ってない」
「は?」
「さっき一瞬笑ったのに、また眉間に皺が寄ってる顔になっちゃった! さっきの顔にもう一度してよ〜!」
そう言って彼女は両手を私の顔面へと向けてくる。そして、私の口角を無理やり上げたりしてくるのだ。
流石に口元が痛かったので止めさせようと片手を刀から離し手を退けようとする。するとまるで私の手に対抗するように彼女もまた手に力を込めるものだから、私達のやり取りはやがてどちらが先に降参するかという勝負に入っていた。
「やかや、いひゃいといっていふはほう!」
「さっきの顔もう一度見せてくださいよ〜!」
通行人は少ないとはいえ外国人達が歩いているこの道で、少なくない視線を感じながら私達は子どもの喧嘩に似た勝負をする。
最初は女子が男子に勝てるわけがないと、すぐに終わる勝負だと思っていたが、思っていたよりも彼女は力が強くそして体力も備わっていたので少し驚く。私も女子相手と最初は手加減していたが、次第に大人気なく力を込めてしまった。
彼女は「ぬー!」と歯を食いしばりながら抵抗すると、男女の差というのはやはり存在し、数分後には私が有利になっていく。
勝負が今まさにつく! そんな時に、思わぬ横槍が入った。
「Hey!」
私達二人が取っ組み合いをしている真横から、大きな声で声をかけられたのだ。
私と女性は同時に顔を向け、その声をかけてきた人物を見る。
「What are you doing?」
見ればそこには大柄な、今まで見てきた外国人達の服装とはまた違う服を着ている男性が二人、私達を睨んでいた。
私はそんな彼らを見て苦い顔をする。というのも、私は彼らを見たことがある。いや、話しかけられたこともある。
私がこの国に突然やってきて、一日目の事だった。
私は訳が分からず、とりあえず現状を整理しようと様々な外国人達に声をかけている時だ。言葉が通じず会話を諦めかけている私に、初めて外国人の方から声をかけてきたのだ。
それが今私の目の前にいる男性二人と同じ服を着た別の外国人男性であり、その時は一人だったが彼は私に外国語で色々と聞いてきた。
私はそれに答えることが出来ず日の本言葉で返すも、彼は呆れた様子で顔をしかめるばかり。すると、私の帯刀している刀を指さし、珍しそうに見るものだから、私は彼に刀を抜いて見せた。
すると彼は血相を変えて腰元に手を伸ばすものだから、私は何か嫌な予感を覚え、咄嗟に逃げた。
幸いにもすぐ近くにいくつもの道角があったために逃げ切ることは出来たのだが、以降私は彼と同じ服を着ている外国人を避けるようになった。
まさかこんな所で鉢合わせるとは……
そうして、私が彼女を連れてまた逃げようかと考えていると、彼女は小さく「ちょっとここで待ってて」と言って彼らに近づく。
止めようかと思ったが、ここは彼女に任せようと思い待つことにする。
だが彼女がいくら彼らに言葉を投げかけても、彼らの瞳にこもった猜疑心は消えない。私は何も出来ず、先程まで彼女に無理やり上げられていた口元を擦りながら彼女らの様子を見ていた。
すると、彼女は私へと困った目をしながら戻ってくる。
「どうしたんだ?」
「いやあ……貴方、身分証とかって持ってる?」
「みぶんしょう? なんだそれは」
「だよねえ……」
彼女は私のその言葉を聞くと明らかに落ち込んだ様子を見せ、頭を抱え出す。
「…………」
彼女と今まで話していた男性二人の表情も、先ほど以上に険しくなっていた。
以前の男性と同じように腰元に手をかけながら、ゆっくりと私達に近づいてくる。
……私はそんな彼らと、彼女を見て決意した。
「……カルナ殿」
「ん? どしたの? やっぱ身分証――」
「――逃げよう」
「……え?」
彼女の手を持ち身を翻して走り出す。次は彼女が突然の重心変化に驚きながら、転ぶのをなんとか避けて私の後ろについてくる。
「えーーーーーー!?」
彼女の叫び声が響く。先程まで彼女と話していた男性二人も驚いたような声を上げ、ピーー! と笛のようなものを鳴らしながら私達を追いかけてくる。
以前と同じように何度も角を曲がりながら、追っ手を撒こうとするも今回の男性達はなかなか足が速くて逃げ切ることが出来ない。
「わー!? やばいよ警察官さん達銃構えてるよ!!」
後ろの彼女からまた悲鳴に似た叫び声が耳に届く。顔を少し後ろに向けてみれば、あの“けいさつかん”という男性二人は確かに両手で銃を持ち、それをこちらに向けて構えていた。
そこまで確認して私は再度前を向き直し、どうするか思案する。
そうして考えながら一つの角を曲がると、目の前にたくさんの外国人達が歩いている道へと出た。
そこで一瞬私達は立ち止まり、後ろを振り返って迫ってくる追っ手を確認しまた前を向く。
「……行くぞ」
「ほ、ほえーーー!!」
ただの叫びような返事をして彼女は私についてくる。
人混みの中に突入し、私達は手を繋ぎ何とか互いを見失わないように前進する。追っ手である二人の男性もこの中に入ったようで、後ろの方から大きな声が聞こえてくる。
周りからも悲鳴が聞こえ、私達を中心に混乱が拡大するように人々は慌て始めていた。
だが、やがてその人混みを抜け開けた道に出ると、私達は一気に走る速度を加速させる。
「あっち! あっち方面に電車あるから、あっち行こう!!」
いつの間にか私の真横まで来ていた彼女が叫ぶ。指さす方向は二手に分かれた道の左側であり、そちらに進行方向を変えただ走る。
しかし。
「Stop!」
二手に分かれた左側の道のすぐ手前までやってきた時、その左側の道から一人の男性が行く手を阻む。
追っ手の男性二人と同じ服装、手に持った小さな――銃。
真横を走る彼女の顔が真っ青になる。私も、目を細めて敵を見定める。
「さき行っててくれ」
「へ?」
疑問の声を出す彼女と繋いでいた手を離し、私は帯刀している二本の刀のうち一本に手を添える。
「Freeze!!」
敵も、今まさにその得物を撃たんとばかりに顔を緊張に歪める。
私は――
「ッ!?」
私は、足に力を込めて走る速度を加速させ、まだ幾分か離れていた敵の足元に一瞬で潜り込み、
真上に一閃。
円を描くように、敵が構えていた銃の口元部分のみを縦に真っ二つに、斬る。
斬った時の力の反動で敵の持っていた銃は更に真上の空中へと飛び、私達の真後ろへと転がり落ちた。
その瞬間に、ここの場まで追いついた女性が真横を通り過ぎ、私は驚いている敵に向け、しゃがんだままの体勢で弁慶の泣き所めがけて真横から蹴りを叩き込む。
そうして蹴りを入れられた敵は、一瞬だけ、宙を飛んだ。
彼が次に味わったのは硬い地面へと顔面を叩きつけられる感覚だが、私は即座に立ち上がりその場から去る。
私は先に前を走っていたカルナ殿へと追いつき共に走る。彼女は私のことを、目を見開いて凝視しており、次の瞬間には腹から声を出して笑い始めた。
「はははっ! 貴方、強いのねえ!」
「そんなことより、次はどっちの道だ? また分かれ道だ」
「こっちだよ! わあ、あたし、すごく楽しい人に出会っちゃった!!」
彼女は走りながら笑い続ける。私は何かそんなに笑えるようなことをしただろうかとただ疑問に思うばかりだったが、彼女は存分に笑い続け、私に問いかけてくる。
「ねえ貴方、名前は?」
「名前? ……ああそういえば、言ってなかったな。すまない」
失礼なことをしていた、と私は少し反省して彼女を見る。
「私の名は彼岸 蒼だ。よろしく頼む」




