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Dr.Letter  作者: 黒駒あいぜん
序章【3人の出会い】
1/12

1話 侍、タイムスリップする

 

【2069年 ニューヨーク】



 ――腹が、減った。



 同じ文章の羅列が、先程から何度も何度も頭の中で廻り続ける。

 腹が減った。

 腹が減った。

 腹が減った……。

 腹が減った…………。


 左右に大きく揺れながら、おぼつかない足取りで何とか一歩一歩足を前に進め、炎天下を歩く。すると道行く外国人達は、私のことをまるで奇っ怪なモノノ怪を見るような目で見てくるのだ。


 なぜだ、なぜなのだ。何故(なにゆえ)私をそのような目で見る。私はただ腹が減っているだけなんだ。そんな目で見てくる前に、少しの慈悲として食べ物でも恵んでくれ。腹が減った。


 彼らは少しの時間私を見るが、すぐに視線を外して横を通り過ぎていく。それがこの場では何十回、何百回と繰り返され続けていた。


 いよいよ本格的に気が遠のいてしまいそうだ。もはやいっその事、ここで倒れてしまえば誰か食べ物を恵んできてくれるだろうか。そんな情けない考えまで浮かんできてしまう。

 いや、情けないのはいつもの事だが、今回ばかりは方向性が違う。これに関しては生命を維持する死活問題なんだ。……腹が減った。


 空腹には慣れていたつもりだったが、相手に言葉が通じないというのが、これほどまでに助けを乞うことが難しくなるとは思ってもいなかった。

 日ノ本で起きた戦、戊辰戦争で新政府側に付き戦い疲れを感じていた身としては、また何も食べれないという状況は少し辛い。


 重い顔を何とか持ち上げる。皆、私が来ている着物とは全く違う、不可思議な服装をしていた。


 当たり前だが、外国人が着ていそうな服。和服とはまた違った、()()()()()()()

 女子(おなご)が何故そのような胸元を強調するような服を着ているのだ。そして、何故周りの男共はそれらを注意しない。


 やはり外国人は分からない。


 それになんなのだあの建物は。いくらなんでも高すぎるだろう、どれだけの階層を積み重ねているのだ。城よりも高いその建物が、周りを見渡せばあちらこちらに存在している。意味が分からない。


 意味がわからないと言えば、何故文字が空中に浮きながら現れているんだ。それらを外国人達が指で撫でると、浮かんでいる文字が変化するのも訳が分からない。あちこちが見たことが無いものだらけで頭が痛かった。


 ここは、日ノ本ではない。それは目に見えている。

 ここは、外国人達が住む外国だ。それは分かっている。

 ここは、私がいた時代ではない。明治ではない。ここまで外国と感覚がズレているわけが無い。


 そしてここに、何故私は突然知らぬ間に来た?


 何故、全く違う時代の、全く違う国に私はいる。



 ああ……腹が減った。




 ***




【1869年 日本:とある居酒屋】



「侍なんてもう古い、古いんだよ」



 私が今座っている場所の少し離れた席から、軽薄そうな男の声が聞こえてきた。

 視線を相手に悟られぬように移せば、そこには感じた印象通りの見た目の男が座っている。彼は片手にぐい呑みを持って下品に酒を呷っていた。


「いいか? 今の世の中、侍なんてのは時代遅れの旧人(ふるびと)なんだよ。この明治という新時代に入ったからには、そんな旧人はいらねえんだ」


 ご機嫌そうな声色で、彼は隣に座っている子分のような男達に話している。その子分一号・二号は、男から話を聞くと、何を思ったのやら感嘆の声を漏らした。


「いやあ、流石兄貴っすね。時代を見据えてる感じが伝わってきます!」


「よっ! 流石兄貴!!」


 二人はパチパチと拍手を鳴らす。そんな小気味良い音に、男は満足気な表情を浮かべたかと思うと、またその口を熱心に動かし始めたのだった。


「そもそも侍としての矜恃とか意志とかが、昔から俺は気に食わなかったんだ。武士道とかいう意味の分からない理念を押し通してよ、堅物だらけで嫌になるね」


 今この居酒屋には私と、話している男と子分二人、そして数名の客がいる。男達は結構な大きさの声で喚いているので、嫌でも会話は届いてしまう。

 他の客達は視線をその男達へ、そして私へと、交互に動かしていた。

 まるで子どもがこっそりと様子を伺うように、気づかれまいとしながら慎重に。


 私としては、その男達の話などどうでもよかった。所詮は平民の戯言、武士としての弁えを一つも知らない、ただの嫉妬のこもった詭弁にしか聞こえない。

 そもそも、戦国の世が終わりまだ数年しか経っていないのだ。まさかここまで大っぴらに侍を否定する声があったことに少し驚いている。おそらくあの男は薩長の者だろうが、度胸があるのか、はたまたうつけなだけか……答えは明白である。

 こういう輩の言葉は、いつも無視するのが一番であった。


「そうだな〜、例えば」


 だが、この時は少しいつもと違った。


「あの席につまらなそうに座っている、古くさいが代名詞のような侍のことだな」


 その男は席から降りて立ち上がり、あろう事か私の目の前にまでやってきたのだった。


「聞こえてるか侍。いや聞こえてなきゃおかしいよなあ、聞こえるように話してたしな」


 そいつは私の前に立ち、断りもなしに勝手に話しかけてくる。

 薄気味悪い笑みを顔いっぱいに浮かべ、不快極まりない表情で私を見てくる。


 素直に気持ち悪かった。


「……女将、お勘定」


 これ以上絡まれるのも不愉快だったため、彼が私の前に来た瞬間に私は席から立ち上がり、私達の様子を見て困惑していた女将のもとへと向かう。

 それが男に、男達にとっては気分を害す行動だったのだろう。


「おい! 兄貴が話しかけてるのに無視すんじゃねえよ!」


 子分一号か二号か、どちらかは忘れたが子分の片方が怒鳴り声をあげる。男は、私の様子に眉間に皺を寄せて睨んできていた。

 私はそんな奴らのことなど無視をして勘定をすませる。財布を出して中身を見るが、この店で二つの酒を頼んだ分の金銭は入っていて安心した。先程からあの男達の会話を聞いていて、気を紛らわすために二つ目の酒を無計画に頼んでしまったのだ。


 本当に害悪しかないな、と嫌気がさしてくる。


「…………」


 男は子分が声を上げた後は、何も言わず無言で私を見続けている。その視線自体が気持ち悪かったのだが、何も言わないのならば好都合だと思い、私は居酒屋を後にしようとした。



 後に、しようとしたんだ。



「……臆病者が」


「――――」


 男が一言だけ、私に向けて言葉を放った。


 臆病者。


 臆病者?


 ……私が?



 風を切った音がした。それはまさにヒュッと心地の良い音であり、私はその音が好きだった。

 しかしその音は、果たして本当に風を切った音なのかと少し、疑問に思った。


 思い返せば、今私が刀を向けている男の喉が鳴る音だったかもしれない。

 思い返せば、周りにいた男の子分や、客達の恐怖が混じった呼吸音だったかもしれない。


 男は突然目の前に現れた私に驚きを隠せていない様子だった。

 それは当たり前だ。先程まで私と男との間は幾分か離れており、一瞬で詰めよれる距離ではなかった。


「取り消せ」


 だが事実として、私は今男に刀を向けている。もう構えている状態のため、少しでも私が腕を動かせば男の首は飛ぶ。それは男自身理解出来ているようだった。彼の顔は真っ青に染まり、初めて感じているであろう『死の恐怖』というものに怯えている。


「取り消せ」


 居酒屋内は静寂に包まれていた。誰一人として、言葉を発さない。息さえもしていないのではと、そう思うほどだった。


「私を、私のことを、“臆病者”と言ったことを」


 私は男を見る。男は私と目が合うと、その青い顔をさらに白く変色させて、


「取り消せと言っているんだ」


 顔の色と同じように、その目を白に染めて気絶した。


「…………」


 私は床に倒れ伏した男の胸元を掴む。

 何としてでも、こいつは今言ったことを取り消さなければならなかった。気絶などという都合の良い現象で、納得など出来ない。


「……起きろ」


 私は叫んだ。


「起きろ!!」


 そうして、そのまま手首を切ってやろうかと男の腕めがけて刀を振り下ろした瞬間、だった。聞こえてきたのは悲鳴――


 ――それと女性の慌て声。



「オ、女将ー! ごめんなさイ遅刻しましたああアアアあああうわああアア!!」



 私が居酒屋の出入り口付近に立っていたことが悪かったのだろう。

 後ろからの気配を察して咄嗟に振り向いた私の目の前に、扉の段差に躓き転んだ女性の頭が突如現れた。


 良い音が響いた。この言葉の意味合いとしては、『辺りに重低音が響くように鳴った』という点での良い音という意味だ。

 一言で言えば、とんでもなく硬かった。彼女の頭が。今まで受けたどんな攻撃よりも強かったと思う。


 そこで私は恥ずかしくも気を失い、最後に耳に届いたのは、私に頭突きを食らわせた女性の「ダ、大丈夫デスかーーーーー!?」という、元気な声だった。




 ***




【再:2069年 ニューヨーク】



 ――腹が、減った。



 感想は同じ。事の顛末を思い出しても尚、私の最重要欲求は変わらない。


 あの後、気がつけば私は知らない土地の、知らない外国人達が歩く道に立っていた。随分栄えているように見える道路、眩しい陽光、奇っ怪なものを見る目。

 その全てに対して、意味が分からなかった。女性とぶつけた頭は脳みそが動いているように痛く、感覚としては真新しい。確かに私は直前まであの居酒屋であの男を切ろうとしていた。


「腹が……減った」


 歩き続けて、随分人が少ない通路までやってきた。そこで一休みするように、正しくは力尽きて、私は壁に背を預け地面に腰掛ける。


 私がこの国に突然立たされた時から、もう一週間と三日経つ。その間、一切の食物を口にしていない。日ノ本での貧乏暮らし以下の、家無し同然の環境で今まで生きてきた。

 だが、今日でそれも最後かもしれない。


「私は……死ぬのか」


 ぼんやりと、もう働いてさえいない脳みそで考える。

 何とも呆気ない終わり方だなと思った。自然と瞼は重くなり、眠りにつくように閉じられる。


 そして、私は死んだ――











 ――と思った。


「起きろーーー!!」


「ガハッ!?」


 突然みぞおちに拳を食らう。流石に死ぬ直前でも起きた。


「なに満足して死にますみたいな顔してんのさ! 死ぬな!!」


「ゲホッ! ゲホッ。な、なんだ」


「なんだって、貴方お腹空いてるんでしょ? ほら、このパンあげるから食べな」


 困惑しかない私の前に差し出される丸い食物。それは出来たてのパンであり、死に瀕している今の私にとっては救いそのものだった。

 本能的に手を伸ばそうとしてしまうが、その前に何とか留まりまず目の前の人物を直視する。


 20代前半ほどの、短髪赤毛赤眼の女性。服装は何度も見てきた外国人と大差ないが、少しだけ派手さがある気がする。

 彼女は私へと、意味の分からない外国の言葉ではなく“日ノ本の言葉”で、私に話しかけてきた。


「食べないの?」


「……いや、食べない訳では無い」


 そこまで観察した段階で、私は食欲に負けてしまう。なるべくゆっくりと努力しながら手を伸ばしパンを受け取り、一口食す。


 するともう止まらなかった。


 かぶりつき、むさぼりつき、あっという間に完食してしまう。すると女性は笑顔になって持っていた大きな鞄から数個のパンを取り出し、私に差し出してくる。


「……いいのか?」


「いいよぉ!」


 女性は満面の笑顔で言う。了承を得られた私はやはり止まらない。女性が何個も出してくれたパンを高速で完食する。久しぶりの食事に、私の胃と脳は満足したようだった。

 普段当たり前のように感じていた食事を、ここまでありがたいと思う日は今後ないだろうとさえ思った。


「ご馳走でした」


 両手を合わせて感謝を伝える。すると女性は「お粗末さまです」と、同じように両手を合わせる。


「それで」


 今度こそ話を聞こうと姿勢を正して、私は問う。


「君は誰だ?」


「あたし? あたしはしがない推敲家だよ。小説とかの文に間違った言い回しとか誤字脱字がないかを探して、あったら修正する職業!」


 彼女は「よっこいしょ」と言って座っていた状態から立ち上がり、格好つけるように大袈裟な動きで回転したあと、



「名前はカルナ・キャメロン! またの名を、“Dr.Letter”!!」



 そう、元気よく名乗ったのだった。


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[良い点] おぉ!面白いし読みやすいです! オリジナル感があって、とても斬新な設定(^^)!! それに侍がNY!ありそうでなかった! なんか響きが凄くカッコイイです! 冒頭の侍さんの腹が減った……
[良い点] 出だし。 腹が減ったと繰り返す文章。 読みやすく自然とスクロールさせる。 次に入るのが状況の説明、昔の日本人が現代だか未来だか来たと。ふむふむ。 さらに次、男の、侍の過去のワンシーン。…
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