第三話 『ケンとマホウ』
「まずは今渡した木剣を振ってもらう。まずは何も指示をださないから自由に振ってみろ」
皆、思い思いに渡された木剣を振る。両手で重そうに抱えたり、片手で思い切り地面に叩きつけたり、ベルに至っては持ち上がってもいなかった。俺は、前世でケンドウなるものをやっていた記憶がある。確かそれも剣術だった。俺は記憶の片隅にある剣の振り方を思い出す。
こんな感じだったかな。両手で剣を持ち、頭の上から軽く剣を振り下ろした。前世で振っていた物よりはるかに重い。一度振るのが精一杯だ。もう一度剣を振り上げたその時、こちらを見ていたアルセーニーの目の色が変わった。俺はそれを見逃さなかった。勝った。これは褒められるに違いない。まさかここで前世の技能が役に立つとは思わなかった。よくやったぞ、前世の俺。
コホン、と一つ咳払いをし、アルセーニーが素振りをやめさせた。
「一度止めてくれ。お前たちに剣の正しい振り方を見せる」
そう言ってアルセーニーは木剣を左手だけで持ち、右肩の方に振り上げ、目にも止まらぬ速さで斜めに振り下ろした。俺のやり方は間違っていた。じゃあなぜアルセーニーは目の色を変えたのだろうか。そう思ったとき、アルセーニーが俺に向かって言った。
「お前だけはさっきのままの振り方でいい。続けてくれ」
俺がキョトンとしていると、アルセーニーが俺の耳元で囁いた。
「訓練が終わったら話がある」
その後半時間くらい木剣を振り続けた俺たちはさすがにヘトヘトだった。だがアルセーニーは厳しかった。
「これから魔法について教える。とりあえず座れ」
疲労困憊の俺たちはどことなく適当に草原に座り込んだ。まだやるのか。空気を読まず、腹がぐう、と鳴った。束の間の休息と共に、身体が欲望に素直に反応してしまった。太陽はとっくにてっぺんだというのにまだ昼飯も食っていないもの、当然だ。
「腹が減ったか、では手っ取り早く済ませて昼飯としよう」
みんなが笑うがアルセーニーは間髪入れずに続けた。
「まず、魔法というのは知っての通り物や人の体などを自由に操れるものだ。まあそれ以外の用途もあるが。魔法は色によって使える対象が違う。赤色の光を出す魔法なら生物に、青色の光なら無生物に使える。間違えるなよ、木や草は生物だ。黄色ってのもあるが、それは自然的なものを操ることが出来る魔法だ。水魔法、炎魔法、風魔法、闇魔法、光魔法の5種類に分けられる」
アルセーニーは一気に説明した。とても複雑だ。俺はもう音を上げそうだった。だが、アルセーニーはお構い無しに進める。
「次に魔法の使い方だ。これも色によって違う。まず、赤色の光、赤色魔法だ。赤色魔法は、自分の体の、相手に魔法を当てたい部分に左手で触れる。そして右手を相手の方に出し、狙いを定めて出したい魔法を強く念じる」
アルセーニーが右手を突き出す。俺は真似てみる。まったく念じていないので、もちろん魔法など出るわけもないが。
「ここでなぜ左手で剣を持つか勘のいいやつは分かっただろう」
「自分の左腕には自分の左手で触れることができないので魔法が効かないからです」
挙手しながら食い気味にリサが言った。こう言うと失礼だがリサは意外と頭がいいらしい。
「その通りだ。リサが言った通り左手には魔法が効かない。だから剣士は左手で剣を持つんだ。聞いているのか、そこの3人」
アルセーニーはさっきの木剣で打ち合っていた例の3人組を全く口調を変えずに叱った。だが彼らはまったく気づいていなかった。諦めたのか、一つため息をつき、アルセーニーは話を続ける。
「なんでもできる。動かしたり、動けなくしたりはもちろん、引きちぎったり繋げたりもできる。話を聞いてないものに無理やり聞かせることもできる」
そういうと、アルセーニーは自分の耳に左手で触れ、いじわる3人組の方に右手を向けた。
「「「イタタタタタタ!」」」
普段いじめる側の3人が珍しく声を揃えて狼狽した。みんながまたどっと笑う。そんなことはお構い無しに、アルセーニーは顔色一つ変えずに説明を再開した。
「戦争で真っ先に狙われるのは脚だ。脚がなけりゃ動けないからな。挙句の果てには殺すなんてこともできるが並大抵の魔力じゃあできない。口頭では分かりにくいだろう。試しにやってみようか。エド! 前へ」
突然呼ばれ、体が跳ね上がる。アルセーニーはニヤリと笑い、俺を自分の正面に立たせた。
「私は今から彼の右手になんらかの魔法をかける。何の魔法だろうな、分かったものには褒美をやろう。ただし、かけられている本人は除く」
どよめきが起こる。当たり前だ。丸腰の若造が急に魔法をかけられるのだ。さっきの素振りのときの報復なのか? それならなんて大人気ないんだ。それに、報復なんてされるようなことはしていない。
俺はどうなってしまうのだろうか。右腕はどうなってしまうのだろうか。魔法がずれて死んでしまったら……
「3」
ゴクリ。俺は唾を飲む。俺はどうなってしまうのだろう。
「2」
ゴクリ。俺はまた唾を飲む。もう口の中がカラカラだ。当たり前だがビビりまくっている。
「1」
ゴクリ。来る。俺は反射的に目を瞑る。あれ、こない。俺は恐る恐る目を開ける。その瞬間、眩い赤い光線が俺の方に飛んでくるのが見えた。赤い光線は俺に思い切りぶつかった。
衝撃はなかったにもかかわらず、右腕は全く動かなくなった。動かなくなった、というよりかは動かそうとすると逆の方に押し返される感じだ。
しっかり目を開けて見てみると、アルセーニーが俺の方に右手を向けて立っている。だが、右手は何の変化もない。
「と、このように光線が出るのは最初の一瞬だけだ。だから赤色魔法攻撃をかわすのはとても難しい」
アルセーニーが右手を下げる。すると、動かなかった右腕は今まで通り動くようになった。どっと疲れが押し寄せてきて、俺はその場に座りこんだ。何事も無く終わってよかった。彼もまた、何事も無かったかのように話を続ける。
「何の魔法か分かったものはいるか」
なんと、ベルが手を挙げている。
「金縛りです……」
「私がエドにかけたのはその通り金縛りの魔法だ。見事だ。褒美としてこれをやろう」
アルセーニーは、身につけていたローブのポケットから、美しい紅の石を取り出し、魔法でベルのところへ運んだ。
「これは紅石だ。魔法を使うのにいずれ役立つだろう。大事にとっておけ」
皆が羨ましそうにベルを見る。ベルは嬉しそうに紅石を手に取り、大事にポケットの中にしまった。
「さあ、話を続けようか。魔法が上手い者になってくると、自分に魔法をかけることもできる。お前たちも見ただろう、大公様は演説なさっている時に口に左手をお当てになっていた。あれは声を大きくする魔法を自分自身にかけていたんだ。あれはかなりの高等魔法で私にもできない」
謎が解けた。あの時大公の口が赤く光っていたのは自分に魔法をかけていたのか。さすがは国の頂点に立つ者だ。魔力も段違いなのだろう。
「ただ舐められてもらっては困る。私でもこれくらいはできる」
アルセーニーは、自分の背後の草原に向かって右手を出した。ぎゅっと目を瞑り、念じる。すると、右手から黄色い光線が飛び出した。乾いていた草原から、突如として大量の水が吹き出す。天に伸びる水の柱は、見上げても上が見えないくらいになり、水しぶきを撒き散らした。教官がすっと右手を下げると、大量の水は、蜘蛛の子を散らすように姿を消した。
皆が口を開けてぽかーんとしている。
「これは自然を操る魔法、いわゆる黄色魔法だ。かなりの技術者でないと使えない。また各々に適正の魔法があり使える魔法は一種類のみだ。私の場合は今見せたように水魔法だな。誰かやってみたい者はいるか」
アルセーニーは俺たちをバカにしてるのか? 誰が手を挙げるんだよ。と思うか思わないかのうちにベルが手を挙げた。は? 訓練初日だぞ? 魔法なんかできるわけないだろ……
「ベル、やってみろ」
「はい」
ベルはすっと立ち上がり、誰もいない草原に向かって右手を突き出した。すると、辺りが真っ暗になった。昼だというのに何も見えない。だが、すぐに明るくなった。皆口をあんぐりと開けている。
「このくらいしかできないんですが……」
「素晴らしい。とても素晴らしい。珍しい闇魔法の使い手だな。いいパーティになりそうだ」
アルセーニーはべた褒めだ。それもそうだ。何も知らないはずの訓練初日に高等魔法を使ったのだ。ベルは何者なんだ? このパーティには訳の分からないやつが多い。個性出すぎじゃないか。
「他にやってみたい者はいるか? まあこの中では彼女しかできないだろうな。先程私が彼女にあげた紅石は、魔力をあげるための魔石だ。もともとそれなりに魔法が使えたベルは黄色魔法も簡単に使えたというわけだ」
アルセーニーはふっと笑った。ベルはもともと魔法が使えた? ますます何者なのか分からなくなる。それを見抜いたアルセーニーも何者なんだ……
「この辺で終わりにしようか。今日は魔法に関しては説明だけだ。ベルは別だがな。さて、お待ちかねの昼飯にしようか」
アルセーニーはそう言うと、草原にある唯一の建物に向かって足早に去っていった。俺たちもゆっくりと立ち上がり、その後を追う。
建物につくと、アルセーニーが飯を準備して待っていた。待ちに待った時間だ。目の前には鶏肉を焼いたものや野菜のスープなど、たくさんのご馳走が並んでいる。皆目を輝かせ、ボリースに至ってはヨダレをこれでもかと垂らしている。
「食べていいぞ」
アルセーニーがそういうと、皆飛びつくように飯をとった。
「いただきまーす!」
俺は隣に座ったベルにさっきの魔法について聞いた。
「なんでベルは魔法が使えるんだ?」
「私はお母はんに教えてもらったんでふ! お母はんは公国軍の参謀なのでふ!」
口をいっぱいにしてベルが言った。
「参謀!? ま、まさかクリフチェンコってあのオリガ・クリフチェンコか!? これは大変失礼しました……」
ラーナは小さくなっている。ベルの家はは英才教育だったんだな。
「でも参謀なんてほんなにすごくないってお母はんが言ってまふぃたよ」
「そんなことありますか! 公国軍の頭脳ですよ! 軍で二番目に偉いんですよ! それにオリガ様は英雄伝に名を刻む、コズーヴァ大公国随一の闇魔法の使い手です!」
レナータが異常に興奮して言った。
「英雄伝ってのはなんだ? 美味いのか?」
グリゴリーが尋ねる。食えるわけないだろ。俺でもそれくらい分かる。
「食べ物じゃないわよ。最初にこの土地を与えられた大公様の祖先が、数々の戦いで功績を収めた兵士とか将軍とかをまとめた本みたいなものよ」
リサがさらっと説明した。
「英雄伝に載るとどうなるんだ? 美味いものでも食えるのか?」
今度はボリースが尋ねる。
「国内で特権が与えられて、兵士の訓練ができるのですよ。しなくても構いませんがね」
リズ……エリカが微笑みながら言った。ということはアルセーニーは英雄伝に載っているのか……
「アルセーニーは英雄伝に載っているということになるな」
またラーナが俺の心を読むように言った。一瞬の間。
「ええっ!?」
と、ラーナとレナータ以外の皆が声を揃えて言った。
「アルセーニーが英雄ですって? 英雄というのはもっと高貴なものだと思っていました! 彼はあのものの言い草ですよ? ありえません!」
「リズカ、知らなかったのですか? アルセーニー教官は大公様が即位された直後の戦いで一つの小隊を一人で全滅なさっています。それで英雄に……」
レナータはアルセーニーのことを調べ尽くしていたみたいだ。皆熱くなって声を張り上げている。
「え、英雄か……」
イーゴリは魔法を受けたように固まっている。
「と、とりあえず英雄ってのは凄いってことは分かったよ」
俺は皆を落ち着かせるようにして熱い議論を終わらせた。
美味い飯を一通り平らげると、俺は英雄・アルセーニーに呼ばれ、小窓のある小さな部屋へ連れられた。置いてあった木の椅子に腰掛けると、アルセーニーはゆっくりと口を開いた。
「先程の剣の素振りのことだが、あれはどこで習った?」
やはり素振りの件か。ここで前世でやっていましたなどと言ったら秒殺されそうなので、俺はなんとか誤魔化そうと適当な嘘をつく。
「商店街へ買い物に行った帰りに、広場であんな振り方をしていた人がいたので真似をしてみますて……」
咄嗟に思いついたことだったので、語尾があやふやになってしまった。これではアルセーニーに気づかれるのではないかと身構えたが、彼は酷く冷静だった。
「なるほど。まあ理由はなんでも良い。お前はあの振り方を極めてもらう。明日からはさらにきつくなる、覚悟しておけ。もう行って良い」
なんと嘘はまかり通った。訓練が厳しくなるというおまけ付きで。
初日の訓練は午前中で終わり、昼からは孤児院に戻り、訓練所で生活するための引越しの準備をした。今日でここともお別れか。なんとなく悲しくなり、俺は17年間使ったベッドを優しく撫でる。明日からは厳しい訓練が始まる。今日は早く寝よう。
その夜だった。俺はベッドに潜ると、すぐに目を閉じた。しばらくすると、カンカンと、鐘の音が聞こえてきた。うるさい夢だ。最後の夜くらい静かに寝させてくれ。その思いとは逆に、鐘の音はますます大きくなる。カンカンカンカン、と。うるさい。俺はベッドから起き上がる。だが、鐘の音は鳴り止まない。なんだ、夢じゃないのか。ぼうっと、窓の外を見た。すると、誰かが大きな声で叫んでいた。
「夜襲だ! 敵襲だ! 逃げろ!」
俺は寝ぼけた目で外を見つめる。すると、暗闇に、女が連れ去られ、男が切られるのが見えた。その衝撃的な光景に、俺は瞬間的に目が冴えた。俺は一目散にラーピンの部屋へ行った。しかし、そこにはラーピンの姿はなかった。くそ、なぜ肝心な時にいないんだ。
俺は訳も分からず、無我夢中でナーシャの部屋へ行った。叩くこともなく、勢いよく戸を開け、俺は叫んだ。
「ナーシャ! 逃げよう! 早く! アルセーニーのところへ!」
「だめ……もう遅いわ……」
そう言いながらナーシャは震える指で窓の外をさした。俺は目を疑った。その指の先には、赤い炎に包まれた街があった。あんなに美しかった街が一瞬で灰の山と化していく。絶望した。ショックで何も出来なかった。
さらに、ショックで動けない俺たちを追い込むように、孤児院に敵が乗り込んできた。居間で叫び声が聞こえる。俺たちは恐怖で震えていた。
「女と子供は捕まえろ! 男は皆殺しだ!」
間もなく、俺たちのいるナーシャの部屋にも敵が乗り込んできた。剣を持った大柄な男が二人もだ。俺は恐れ戦きながらも、ナーシャを守るため、近くにあった木の棒で立ち向かった。
「この子は渡さない! 今すぐここを去れ!」
「あぁ? 殺されてえのか? 雑魚は黙って死ね!」
男の一人がそう言い、高笑いすると持っていた剣を振りかぶり、襲いかかってきた。俺はこれでも前世で剣術を習っていた身だ。俺は男二人を相手にしても屈せず、やられるどころか有利に戦った。男たちは、身体のあちこちにアザをつくっていた。
「くそ、このガキ強いですよ、どうしますか、アニキ!」
「つべこべ言わず戦え! 殺せ殺せ!」
すると、居間の方から叫び声が聞こえた。
「おい! 援軍が来た! ずらかるぞ!」
公国軍が援軍に来たらしい。助かった。そう思ったのもつかの間だった。
「くそっ! 覚えてやがれ!」
男の一人はそう言い捨てると、俺と戦うのを諦め、俺の隙をつき、ナーシャを片手で掴んで連れ去ろうとした。抱えられたナーシャの、絶望した顔が見える。咄嗟のことで、俺は何も出来ず、少しの間動けなかった。追いかけなければ。はっと気づいた頃には男たちは部屋にはいなかった。
俺は部屋を飛び出し、孤児院の外へ敵を追った。孤児院の扉を開け、逃げようとする敵の姿が見える。
「その子を離せ! その子を返せ!」
俺は怒りに満ちた叫び声を男たちにぶつけた。だが、声は敵を倒す武器にはならなかった。男たちはナーシャを抱えたまま走り逃げた。
ナーシャが連れ去られる。逃がさない。逃がすものか。俺は怒りに任せ、焼けた火で真っ赤な街に男たちを追った。
燃え上がる通りの奥に、二つの人影を見つけた。あいつらだ。二人の走る先には彼らの仲間らしき連中がいた。俺は怒りなのか憤りなのか、はたまた憎悪なのか、言葉に言い表せぬ気持ちのままに、走った。
「待て! その子を返せ! 姉さんを返せ! ナーシャを返せ!!」
すると、金縛りのごとく急に体が動かなくなった。誰かが俺の体を掴んで止めたのだ。アルセーニーだ。
「離せ! 離せ! 姉さんを! ナーシャを! 追いかけなきゃだめなんだ!」
「もう無理だ! 諦めろ! お前まで死なせたくない!」
俺は力の限りに引き剥がそうとしたが、アルセーニーは俺を強引に止め、俺の脚に右手を突きつけた。力が抜けていくのが分かった。魔法だ。俺に魔法を使っている暇があったらナーシャを助けてくれ。
男たちが遠くなる。そのとき、俺はナーシャが兵役に行く前の夜に話していたことを思い出した。
「兵役に行くと必ず戦争に連れてかれて、生きて帰ってこれるか分からないんだって」
戦争に行くどころか、訓練もしないままナーシャは連れ去られてしまうじゃないか。生きて帰ってこれるか分からない? もう殺されることは目に見えている。
ナーシャ、俺の姉さん。行かせない。絶対に連れていかせるものか。絶対に取り戻すんだ。絶対だ。
俺はその場に倒れ込んだ。石畳の通りに突っ伏した。一晩中泣き叫び、もがき、苦しんだ。