表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/5

第二話 『ヨアケ』

 翌朝、なんと俺は寝坊した。部屋の小窓から、中庭の美しい新緑の芝生に囲まれた日時計を眠い目で見る。

  

「まずい、もう9時半だ!」


 居間にいくと、ナーシャはもう支度を完了していた。


「姉ちゃん! 早く起きてるなら起こしてよ!」

「行かないのかなって思って」

「そんな訳ないだろ……」


 いじわるな姉に苛立ちながら、俺は急いで支度し、兵役の制服である濃紺のローブに身を包み、パンをくわえながら、いじわる姉さんとともに孤児院を出た。


 集合場所である広場に行くと、芋を洗うようにたくさんの人が集まっていた。まず、俺とナーシャは受付の小さなテントへ行った。先に、男が一人並んでいた。その男はすっとした細身で背が高く、目鼻立ちのいい青年だった。深い赤の髪、茶色い瞳で派手派手しい装いに感じる。俺の嫌いなタイプだ。


 その男は俺たちに気が付き、声をかけてきた。


「やあ、君たちも兵役かい?」 

「そうだ」


 俺は素っ気なく答えた。


「名前を名乗っていなかったね。僕はルスラーン・アドリアーノヴィチ・スチェパノフ。気軽にラーナって呼んでくれ。そちらは?」


 驚いた。見た目とは裏腹な上品な声だ。


「俺はエドアルト・ローベルトヴィチ・ラーピン、エドって呼んでくれ。そんでこっちが俺の姉で――」

「アナスタシヤ・ローベルトヴナ・ラーピナです。ナーシャって呼んでください」

「エドにナーシャか、二人とも、よろしくね」

「ああ、よろしくな」


 俺たちは軽い自己紹介を終え、受付に名前を書くと、受付にいた女が満面の笑みで3枚の紙をそっと渡してきた。


「これを持っていってください。何なのかはのちのち分かりますよ」


 そこには、大きく黒い文字で「アルセーニー」と書かれていた。


「なんだ、これ」


 皆が口をあわせて言う。俺たちは何なのか見当もつかず、頭にクエスチョンマークを浮かばせたまま広場の中の方へゆっくりと歩いていった。


 石畳の殺風景なこの広場には、中央に真四角の大きな木の台が用意されているだけで、他には何も無い。にもかかわらず、大勢の人がいる。皆兵役の人だ。色々な人がいる。ラーナのように赤い髪の人や、青い髪の人もいる。背が飛び抜けて高い人や、人混みに埋もれてしまっている小さい人もいる。


 辺りを観察して時間を潰していると、中央の台に人が立った。10時だ。


「えー、皆さん、よくお集まり頂きました。今回司会を務めます、コズーヴァ大公補佐、アドリアン・アレクセーエヴィチ・ラズドゥホフでございます」


 甲高い声が広場に響く。取り囲んだ群衆からまばらな拍手が起こる。大公ってのが、この国で一番偉いのだろう。その補佐ならかなり位が高い。それなのに平民の俺たちに対しても丁寧な言葉遣いだ。だが、その冷酷な声色や目付きからか、あまり人気はなさそうだ。


「まずはじめに、コズーヴァ大公、ディミトロフ・イヴァノーヴィチ様よりお言葉を頂戴します」


 そう言われて大公補佐と入れ替わるように台に上ったのは、がっしりとした体型の、20代くらいの若者だった。背も高く、軍人のお手本のような男だ。群衆からは割れんばかりの拍手喝采が起こる。驚いた。俺はこの国の偉いさんなんててっきり白ひげを生やした老いぼれなのかと思っていた。


 数多の国民に囲まれた若者は、がっちりとした左手を、自分の口を塞ぐようにあてた。あれでは声が聞こえないじゃないか。そう思ったとき、手で覆われた口が赤く光り、大きい、地鳴りのような声が聞こえてきた。


「私はコズーヴァ大公、ディミトロフ・イヴァノーヴィチだ! 君たちにはこの、コズーヴァ大公国を守るため、厳しい兵役を果たしてもらう!」


 また割れんばかりの拍手が鳴る。驚いた。口を塞いだのに声が大きくなるなんて。さっきから驚きの連続だ。


 俺は大公が話している途中にも関わらず、赤く光る手のことが気になり、ラーナに尋ねようとしてそちらを向いた。すると彼はなぜか涙を流しながら、熱心に大公の話を聞いていた。俺は気を確かめるように尋ねる。


「なあ、ラー……ナ……? どこか具合でも悪いのか……?」

「なんだいエド、こんないい話の途中に話しかけてくるなんて君はなんて無礼なんだ」


 ラーナが涙ながらに応える。彼は大公の話で涙していた。お世辞にもいい話とは言えない大公の話でなぜ泣けるんだろうか。俺は不思議ときまりが悪くなって、尋ねるのをやめた。彼は愛国主義者かなんかなのだろう。


「あ、あとでいいよ」

「そうか、じゃあ大公様のいい話を聞こう。ああ、大公様!」


 少し気味が悪いな。そう思った俺は、ラーナから目を離し、周りを見渡していた。かわいい子はいないかな、と。


 大公の長い長い「泣ける」話が終わり、次に訓練所に向かうことになった。そこでさっき貰った紙が必要になるらしい。


「書いてある名前の教官がいる訓練所を探し出し、11時までにそこへ集合してください」


 大公の家来らしき人たちがさっきから何度も叫んでいる。俺たちには受付で貰った紙以外に、この辺りの地図が配られた。俺たちがよく行く商店街から、名前すら知らないような建物まで載っている。この中から訓練所を探せってことか。


 これは一種の課題だな。受けて立とう。これでも前世は働いていたんだ。それなりにできるやつだったんだ。……たぶん。


 案の定、俺は1人で解決できず、ナーシャとラーナを頼ることにした。


「お前達、この教官どこにいるか分かったか?」

「さっぱり分からないわ」


 やはりナーシャはナーシャだ。いくら街に詳しいとはいえ、俺と同じような環境で生きてきたんだもの。頭がいいわけがない。では頼みの綱はラーナだ。


「ラーナ、お前は分かったのか?」

「いや、僕も分からない」


 詰んだ。出鼻をくじかれるとはこういうことか。誰か頼りになりそうなやつはいないのか。


 俺は先程と同様に辺りを見渡すと、人の少なくなった広場の隅の方で、いかにも性格の悪そうな男3人が、気の弱そうな女をいじめている。そこに気の強そうな別の女が割って入り、やめさせようとしているのが見えた。周りの人からは、関わらないでおこうといったように避けられている。


 人のいいラーナの意見で、俺たちはそこへ駆け寄り、間に入ってやめさせた。


「「「な、何すんだよ! てかお前ら誰だよ!」」」


 いじめていた3人が口を揃えて言う。


「何するとはこっちのセリフだ! か弱い女子をいじめるとは何事だ!」


 ラーナが3人を一喝した。俺はピリピリした空気をほぐすように、そっと自己紹介をする。


「俺はエド。こっちは俺の姉のナーシャ。そんでこの怖そうなのがラーナだ」

「怖そうなとはなんだ!」

「俺はボリース・ヴォイコフ、これがグリゴリー・ゴーゴリ、そんでこっちがイーゴリ・ハリロフだ」

「おいらはグリゴリー・ゴーゴリ、これがボリ――」

「1回で分かるよ」

    

 なるほど、ボリース、グリゴリー、イーゴリの順で大、中、小か。ボリースはかなりのデカブツだ。グリゴリーは俺と同じくらいの中肉中背、イーゴリはかなり小さい。3人とも黒髪で黒い瞳だが、体の大きさで見分けられる。


「なるほど、ボリース、グリゴリー、イーゴリの順で大、中、小か」


 ラーナが俺の心の中を読むように言った。やはりこいつは気持ち悪い。


「私はレナータ・イオーノヴァっていいます……」

  

 気の弱そうな方の女子が弱々しく言った。茶色の長い髪に、青い瞳。俺より頭一つ分小さいその少女の、守ってやりたくなるようなかわいさに俺は目を奪われた。


「ウチはアリーサ・ツィガネンコよ。ああえっと、リサって呼んで。ねえ、ちょっと、聞いてるの?」

    

 気の強そうな方の女子が言った。心の気だけでなく語気も強い。例えが悪いが、ちょうど孤児院に送られてきた徴兵状のような緑の長い髪だ。後ろでひとつに縛っている。ニホンゴで、ぽにいてえる、だったか、そんなようなやつだ。怪訝そうに黒い瞳をこちらに向けている。


「あ、ああ、レナータに、リサ、だな」

「それより、聞きたいことがあるんだが」

  

 唐突にラーナが切り込んだ。自己紹介、もといレナータに夢中になりすっかり忘れていた。訓練所の場所を教えてもらうんだった。


「何? 手短にお願いね。ウチらも急いでいるの」


 リサが表情に出しながら不満そうに言う。


「この『アルセーニー』教官の訓練所の場所なんだが……」

「「「なんだ、お前らもアルセーニーなのか」」」


 いじわる3人組(ボリース、グリゴリー、イーゴリをそう呼ぶことにした)は毎度声を揃えて言うから騒がしいこと極まりない。


「ということは、君たちもアルセーニー教官の訓練所なんだね?」

「ええ、そうよ。でも訓練所の場所が分からないの」


 なんだ、リサも知らないのか。じゃあ他を当たろう。そう思い、引き返そうとした時、


「わたし……私、分かるかもしれません!」


 レナータが小さく手を挙げ、目を瞑りながら恥ずかしそうに言った。


「本当か! どこにあるんだ?」


 ラーナが獲物を見つけた猛獣のように詰め寄る。レナータは怯えて小さくなってしまった。ダメだな、ラーナ。これじゃまるで蛇に睨まれた蛙だ。


 俺は蛇の肩をぽんと叩き、怯える蛙に優しく言った。


「俺たちも分からなくて困ってたんだ。よかったら、教えてくれないか?」

「は、はい、お、お教えします」


 落ち着きを取り戻したレナータが、まだ少し震えた声で言った。


「アルセーニー先生は、至近距離での剣術が得意とお聞きしました。そこで、ここの剣術練習場と思われます――」


 彼女は地図上の剣のマークを指さして言った。


「――ですが、先生はとても頭が良い方です。そこで私はそんな単純ではないと考えて、とりあえず先生について調べてみました」


 すると、彼女はどこからともなく大きな紙を取り出した。そこにはびっしりとアルセーニーについて書かれていた。彼女は何者なんだ? どこでそれを調べたんだ? そんな短時間でどうやって書いたんだ? 俺はいろいろと疑問が残るまま、とりあえず話を聞いた。


「アルセーニー先生は、カル川の近くのクーリアで生まれ――」

「訓練所の場所から教えてくれ」


 ラーナがレナータの話を遮るようにきっぱりと言った。俺も早く教えてほしかったので、悪いがよくやったと思った。


「……はい……すみません。アルセーニー先生の訓練所は、この山の麓、川が流れているところです」


 レナータは、地図の端の端、山と川が描いてあるところを指さして言った。


「よし、急いで行こう」


 ラーナはそう言って、得意気に先頭に立って山の方へ歩き出した。


 道中、俺は前々から気になっていたことをラーナに聞いた。


「そういえばラーナ、俺はこの国のことを全然知らないんだ。軽く教えてくれ」


 孤児院で守られて育った俺がこの国のことなど知るはずもない。


「分かった、まずは大公様のことから話そうか」

   

 この国、コズーヴァ大公国は、昔から隣国ラトベリー大公国と、両国の共通の祖先の領地であるルージミル大公国の大公の地位を共同で担ってきた。

    

 しかし、近年両国の関係が悪化し、ルージミル大公位を争うようになった。即位当時9歳だった現コズーヴァ大公、ディミトロフ・イヴァノーヴィチは、即位直後の不安定な時期にラトベリー大公国に攻撃されたが、辛勝した。それもそのはず、当時は今の大公補佐、アドリアンの父、名将アレクセイが摂政として統治していたのだ。


 コズーヴァ大公18歳の時、またラトベリー大公国が攻め込んできた。しかしこれも撃退し、若くして英雄記に名を刻み、国民の支持を集めてきた。


「ということだ、質問はあるか?」

「いや、大丈夫だ。ありがとう」


 ラーナはとても物知りだ。何を聞いてもすぐ答えが返ってくる気がする。


 そうこうしているうちに、アルセーニーの訓練所らしき所に着いた。


「ここです、ここが訓練所です!」


 レナータが今までとは違い興奮した様子で、びっくりするくらい大きな声で言った。


 重い鉄製の扉を開けて中へ入ってみると、建物がひとつあるだけの開けた草原だった。そのど真ん中に、俺たちと同い年くらいの、濃紺のローブを身にまとった女子3人、そして、真っ黒な髪で、天鵞絨のローブを羽織った、いかつく、大柄な男が仁王立ちで立っていた。睨むような一重で、見られているだけで寿命が縮みそうだ。


「遅いじゃないか、1分遅刻だ」


 仁王立ちの男がねっとりした低い声で言った。たかが1分だ。それすら許さないとはかなり厳しい男だ。いや、兵役ではそれが普通なのかもしれない。


「私はアルセーニー・クライネフだ。今日から君たちの教官だ。教官と呼びたまえ。さっそく訓練を始めるぞ」


 そういうと荷物すらおろしていない俺たちに長さ、太さともに男の脚くらいある木の剣を渡した。


「これは……?」


 俺は素直に疑問を口にした。


「木剣だ。今から素振りしてもらうぞ」

「説明くらいしてください、教官。しかも僕たちまだ荷物も置いていません」


 ラーナが抵抗する。


「なに、まだ荷物も置いていないのか。遅い。それでは戦場で一番に死ぬぞ」


 俺は少しムッとしながら荷物を草原の端の方に置きにいった。


「なんだありゃ、感じ悪いな」

「アルセーニー先生は昔から厳しい方なのですよ」


 すぐ隣にレナータが荷物を置いた。

 

「いくらなんでも厳しすぎじゃないのか……」

「軍隊では命を落とすかもしれないから、厳しくしないといけないのよ」


 レナータの隣に荷物を置いたリサがそっと言う。


「やっぱ我慢なのかなあ……」


 俺は芝生にどかりと荷物を置いた。


「遅いぞ! 早く戻ってこい!」

 

 向こうでアルセーニーが怒鳴っている。とりあえず早く戻ろう。


 全員がだるそうに戻ってくると、俺たちが来る前にいた女子3人もこちらに加わった。


「私はエレオノーラ・スルツカヤ。エリカって呼んでください」

「私はエリザヴェータ・スルツカヤ。リズカって呼んでください」


 二人が軽くお辞儀をしながら自己紹介した。今までの人と同じように紹介すると、深青色の長い髪にこれまた深青色の瞳だ。


「2人はそっくりだけど、双子なの?」


 ナーシャが俺の後ろから尋ねた。


「ええ、双子です。右の頬にホクロがあるのがエリカ、ないのがリズカって覚えてください」


 エリカが自分の右の頬を指さしながら、低く落ち着いた声で答えた。男勝りな長身で、身体も大きく、ケンカしても負ける気しかしない。


「私はイザベラ・クリフチェンコ、ベルって呼んでください!」


 金髪碧眼でそばかすの少女が緊張気味に大きな声で言った。レナータといい勝負するくらいの背の低さだ。ふたつに結んだ長い髪を揺らすように、落ち着きなくぴょんぴょん跳ねている。


 ここでこのパーティーをもう一度まとめてみよう。俺とナーシャ、長身で顔立ちの良いラーナ、いじわる3人組、大きい順にボリース、グリゴリー、イーゴリだ。気の強い方の女子のリサ、気の弱い方の女子のレナータ(とてもかわいい)。さらに、後から加わった双子の青髪エリカとリズカ、おてんば娘のベル。そして、教官のアルセーニーだ。


 髪の色が多彩で覚えやすい。顔を覚えるのが苦手な俺には助かった。俺とナーシャは焦げ茶色、ラーナは赤、3人組は黒、リサは深緑、レナータは茶色、エリカとリズカは深青、そしてベルは金色。


「自己紹介もその辺で終わりだ。訓練に入るぞ」


 アルセーニーが冷たく言った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ