第二章 6話 森の老人
「はぁ……はぁ……」
あれから僕は走り続けていた。
すでにフォスターを飛び出してから何日も経過しており、いったいどこを走っているのかも分からない。
それでも僕は走り続けた。
「痛っ!」
不意に足に衝撃を受けると、浮遊感の後、顔や胸に激しい痛みを覚える。
どうやら木の根に足を引っかけて転んだようだ。
一度は起き上がろうとしたけれど、もう身体に力が入る気がせず、僕は地面に身体を預けた。
「もう……このまま眠っていれば死ねるかな……?」
僕なんて生きてたって仕方がない。
何も出来なかった、大事な人を助けられなかった自分なんて死んだ方がいい……。
そう思い、目を閉じようとすると……。
ガサガサと草と何かの触れ合う音。
音のした方を見れば、倒れた僕の元へ松明を持った誰かが歩いてくるのが見えた。
「なんじゃい、こんな所でまさか人に会うとは思わんかったわ」
顔は視界がぼやけて良く見えないけれど、しわがれた声で老人ということは分かった。
その人が左手に松明を持ち替えて僕を担ぎ上げたところで……僕は気を失った……。
▽
突然、美味しそうな匂いが鼻に入ってくる。
それと同時に耳元へグツグツと何かが煮える音が聞こえてきた。
「ここは……?」
目を開けてみると、目の前にはピンと張られた大きな布が一枚。
その端には縄が伸びており、それを辿れば縄で木と地面に固定しているようだ。
多分、野宿用の雨よけかな?
「少年、どうやら起きたようじゃの」
左の方から声がした。
体を起こして声の方を見ると、薄い青色の見たことのない胸元が開いた1枚布の服を着た老人が、にこやかに笑って片膝を立てて座りながらこっちを見ている。
腹には服を留めるためであろう、古ぼけた黒く太いヒモが正面で結ばれていた。
老人の右手にはこれまた見たことのない微妙に反りのある長い剣が黒い鞘に納められて地面に置かれている。
左手でたき火にかけられた鍋をかき混ぜながら、老人は笑顔を崩さない。
「こんな夜中にいきなり何かが倒れた音がするから近寄ってみたらお主が倒れてたからな……まぁ放っとくのもなんじゃしここまで連れてきたわい。ほれ、お腹が空いただろう。これでも食え」
そう言って老人は横にあった木のお椀に鍋の具を入れると、座っていた僕にスプーンと一緒に手渡してくれた。
中には森で採れるキノコや野菜がゴロゴロ入っており、塩加減もいい塩梅で一口入れるだけで胃の中に美味しさが染みわたる。
「美味しい……」
虚飾もなく純粋に美味しさを伝えると、老人が笑い出す。
「遠慮せず食え食え! どうせわしみたいな老人にはちと多く作りすぎたからな」
空腹を大きな音で訴えた腹が、早くそのスープを飲み干せと頭が、両方から盛んに喚きたてる。
森の中で倒れるまでは死んでもいいと思っていたのに、そんなことも忘れてすごい速度でお椀の中のスープを一気にかきこんだ。
よくよく考えれば老人の食事であったはずなのに、それを気にする様子はなく、僕は卑しくもおかわりを何度も要求してしまったけど、老人は気にすることもなく何度もお椀に注ぎなおして渡してくれた。
「子供が飯を食うところを見るのは久しぶりじゃ。たんと食えよ」
そうして鍋にあったスープが残り1人分というところで僕は我に返り、慌ててお礼を言った。
「あっ……ありがとうございました!」
その言葉にも老人は笑顔で答え、鍋に残っていた残りのスープを全部自分のお椀に入れて吸い始める。
ふと身体を見ると、僕の傷にはキュリア草の軟膏が塗られており、皮のめくれた足裏にも軟膏がたっぷり塗られて包帯が巻かれている。
この老人が処置してくれたのだと察した僕は、改めて深々とお辞儀をした。
「いやいや、さすがに傷だらけの身体のままではいかんからな。慣れてはおらんが自分なりに処置はしたつもりじゃ」
向かいに座っていた老人は食事を終えると立ち上がり、僕の右側に改めて座りなおす。
「さて、お主に聞きたいのだが、なぜこんな森の奥におるんじゃ?」
聞かれるだろうと思っていた質問に、僕は言葉をためらう。
うつむいて何も答えずにいると、老人は頷いた。
「よいよい、言いたくないこともあるじゃろう。無理に聞く気はないぞ」
と言って僕の肩を叩く。
暫くはそうやって2人並んで焚火を眺めていたが、僕の心には次第にある思いが浮かんできていた。
なぜだろう。まだ会って間もない人なのに、もうすべてを話してしまいたい気がする。
この人なら話せばきっと分かってくれる。
話そう、全てを。
そう思った瞬間、僕の口からは今までの自分の身に起こった出来事がまるで滝のように溢れて出てきた。
フォスターでティアナと一緒に冒険者をしていたこと。
依頼中に人さらいの拠点を見つけてしまい、ティアナが囮になって捕まってしまったこと。
自分も傷を負い、街の人たちもティアナを助けられずにいたが、ちょうど街に来た勇者によって助け出されたこと。
その時にティアナが勇者一行に加わってしまい、僕に別れを告げたと言われた事。
そして自分は訳も分からず森の中へと駆け出して今に至るという事を一気に吐き出した。
老人は僕が話している間、何も言わずジッと聞いていただけだったけど、話し終わるとポツリと呟き左手で僕の頭を優しく撫でてくれた。
「何も出来なくて辛かっただろう……だがお前は十分頑張ったぞ」
思わずまた目頭が熱くなり、老人の胸に飛び込むと盛大に泣き始めた。
森の中で僕はずっとずっと……泣き続けた。
しばらく泣き続け、やっと心も落ち着いたので僕は泣くのを止めた。
すると同時に激しい疲れと睡魔を覚え、頭も重くなってきたようだ。
「無理をするな。ずっと走り通しだったんじゃ。今日はもうゆっくり休め」
と言って老人は毛布を僕に被せて自分は剣を脇に抱えて木に寄りかかる。
ありがとうとお礼を言いたかったけど、言葉が出ることなく僕は眠りについた。
▽
翌朝は少し肌寒く感じたが天気も良く、陽射しも明るい。確か季節はそろそろ秋に入ろうかという季節だったはずだ。
毛布から頭を出した僕は視線の先で木の棒を振っている昨日の老人を見つけた。
上半身は両袖から腕を出して裸。
昨日は夜でよく見えなかったが、細く締まった体付きが見受けられ、背は低いが明らかに人並み以上に鍛えている。
体中からは汗が湯気のように立ち上り、長い時間そうしていたのがよく分かる。
木の棒による素振りもただ勢いで振るのではなく、ゆっくりと、しかし鋭く上下に振り、綺麗な曲線を描いている。
しばらくその光景に見惚れていたが、老人は僕が起きたことに気付くと素振りをやめ近づいてきた。
「すまんのう。起こしてしまったか?」
「いえ、陽射しで目が覚めたので……それより鍛錬のお時間を邪魔してしまってすみません」
「気にすることはないわい。朝の日課はもうほぼ終わりじゃったしな」
大きな布袋から布を取り出すと老人は体を拭きだす。
間近で見ると胸板や腕の太さも明らかに老人とは思えない大きさだ。
けれど、髪はすでに白髪だらけで顔もシワが目立っており、街の長老さんと言っても差支えないだろう。
顔と体のアンバランスさに不思議な顔をしていると、老人は苦笑いをする。
「あまり人の身体はジロジロ見るもんでないぞ?」
「あっすみません……!」
「はっはっは、まぁワシは少々剣術をたしなんでいてな? 朝の日課も剣術を始めた頃からずっと続けておる」
「はあ……」
「おかげでこんな年になって、髪や顔はおじいちゃんになっても筋肉だけはなかなか衰えん」
「そこまで鍛えられているなんてすごいですね……」
僕ははしみじみと呟いた。
「なーに、朝の日課の他にもモンスターや腕っぷしに自信のあるやつにもケンカを売り続けてきたからな」
「ちーっとばっかし剣術には自信があるんじゃ」
老人は歯をだして笑顔のまま右手で力こぶを見せつける。力こぶの盛り上がりはやはり老人とは思えないほどでまるで山脈のようである。
「さて、お主も起きたことだし、朝飯にしようかの」
老人は向かいに座り込むと、既に火の消えたたき火の上に木くずや枯れ葉を被せ、火打石を使って素早く火を起こす。
ある程度火の勢いが出たところで、丸い鉄の輪っかを4つの鉄棒で支えた台をたき火の上に置き、その輪っかの中に鍋を入れ、水の入った桶から鍋に水を移し替えてお湯を沸かし始めた。
鍋の中に干し肉を削って入れ、昨日食べたキノコや野菜の残りをぶち込み、干した赤い実を入れると蓋をする。
「さーて後はしばらく煮込むだけじゃ」
しばらくすると食欲をそそる様な匂いがあたりに漂い始め、グツグツと小気味いい音が耳を刺激する。
料理が完成するまで、僕は老人の剣の手入れをじっと見つめていた。
僕が持っていた太い両刃の直剣とは違い、刃は薄く反りの入った片刃の剣、刃の表面には波のような文様が浮かび上がっており、見ているだけで吸い込まれそうなほど綺麗である。
老人は剣の柄から木槌と大きな釘で小さな釘を抜き、柄から剣を取り出す。口で挟んでいた紙で剣を拭くと、次に綿のついた小さな木の棒をパタパタと刃の表面に這わせていった後、もう一度新しい紙で刃を拭いていく。
刃を鋭い眼で眺めた後に、油を染みこませた紙でサッと拭いて柄に剣を戻し、小さな釘を穴に当て、大きな釘でもう一度小さな釘を元に戻すとゆっくりと剣を鞘に戻していった。
一連の流れの後、老人は一息つくと僕の方を見る
「初めて見たかい? 刀の手入れは」
刀?
「それは剣とは違うのですか?」
「ああ、人やモンスターを斬るという点では同じだが、こいつは斬ることに特化しておる。やろうと思えば落ちてくる葉っぱすら斬ってしまうんだが、如何せん手入れを怠るとすぐに錆びついてしまうのでな。研ぎもしっかりやらんと刃が薄いせいでポッキリ折れてしまう」
「ほれ、ついでじゃ。お前の剣もちょっと見せてみろ」
と言って老人は手を差し出す。
言われるままに手元にあった剣を老人に手渡すと、老人は鞘から剣を取り出し、色々な角度から剣を眺める。
「ふむ……古いが手入れはしっかりしておるな。これならまだ研がずに済むじゃろうて」
鞘に剣を戻し、僕に手渡してくれた。
すると突然老人がハッとした顔をする。
「あ~! そういえばお互いの名前を知らなかったな……わしの名前はトガ。お主は?」
「僕は……リューシュです」
「リューシュか。良い名じゃ」
トガは歯を見せてにっこり笑う。よく笑う人だな。
「さて、リューシュよ。これからどうする? 昨日聞いた話ではお前さんはもうフォスターに戻る気はないのか?」
「僕は……もう戻れない……戻っても悔しいだけ……その思いでずっと過ごして生きていたくないんです」
あの時の記憶がまざまざと蘇る……。
悔しい……。
僕はギュっと口を結んでうつむいた。
トガさんはその様子を見て、何かを決心したようにまた笑いながら話し始める。
「そうかそうか……じゃあ……わしの弟子にならんか?」
第二章開始です。
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