下痢
線虫、遺伝学、その他の生命科学系の同業者にしかわかりにくい用語が多いですがご容赦下さい。
私は約250匹兄弟の次男として生まれた線虫である。
イギリス原産のc.elegans N2株である我々は、消化器官、生殖器、神経系、筋肉を有する最も遺伝学上優れた土壌生物と呼ばれている。
現に、雌雄同体である親から子へ同一の遺伝子が受け継がれ、体細胞は成虫期以降、細胞分裂しないことから、非常にシンプルな構造をしている。
下賤なショウジョウバエやマウスとは異なり、大変に止ん事無き家柄であると、幼き頃から聴かされて育った。それ故に、私達兄弟は、胚発生期以降の幼虫期からすぐに、この大腸菌が塗布された土壌を滑らかに世俗を憂うが如く、あくまでも上品に這って振舞うことが身についていた。
そういえば、かつての祖先が、絶えることのない食料である大腸菌OP50をもたらし、一定の温度と湿度を保った半透明の土壌を有するこの地を発見してから何世代目になるのだろうか。
現在のエレガンス一族はこの土壌の楽園を謳歌していた。
そして、この楽園には、守り神がいる。
いつも、一定の時間になるとこの土壌の底から、暖かな閃光を放ち我々の兄弟の中から選ばれた数匹のみが、その神の御許につける。
そして、今日もエタノールと呼ばれる御水によって大地が清められ、数匹の弟達が旅立っていった。
誇らしげに空を拝む兄弟達が、プラチナの腕で優しく抱き上げられ、天に導かれる姿を私は只々、見送って行った。
遺伝学専攻科線虫疾患モデル研究室の札の下がった実験室でのこと。
手を洗い、オスバンで消毒したのちに、双眼実体顕微鏡の周りをエタノールで洗浄したあとのことだった。
猛烈な疝痛と共に腹部に違和感の波が押し寄せてきた。
心当たる節は、文献代に消えた食費をマウスの餌でカバーしようとした勇敢な決断ぐらいしかない。
どのみち、実験は経時的に線虫をサンプリングする必要があり、再び洗浄消毒をしていては予定が大幅にずれてしまう。
今はただ、粛々と実験を終えるために色即是空で作業に従事し、決して肛門と腹部に意識を集中させてはならない。
だ、が、し、か、し。
余計に気になってしまう。
そして、一言心のポエム。
「あゝ下腹部よ君をなく。
糞漏れ給ふこと勿れ。
博士を賜る君なれば、学位の権威はまさりしも
教授はピペットを握らせてデータをいそげと急かしや、
論文書いて見せよとて、27まで童貞や。by腹痛サイエンティスト」
黙々と線虫を薬材の溶けた透明な大腸菌が塗布された培地に移し終える瞬間であった。
第3の波。
サードインパクトが腹部と脳下垂体に猛威を振るった。
最後の虫を移そうとして諦め、プラチナ製のピッカーをスタンドに戻した。
これまでの人生がモノクロに脳裏で反響する。
無意識にエアシャワーをスルーして、トイレに走っている自分に気づいた。
只々走った。
今はただ後悔したくない。
実験よりも大切なこの気持ち。
これがきっと「便意」。
ついにこの時がきた。
私は今まさに、神の遣わすプラチナの腕で救われた瞬間であった。
この時初めて世界の外側を見た。
約束されていたはずの楽園の地は、地獄だった。
神と呼ぶにはあまりにも恐ろしい鬼のような形相で私を睨むその目には、鋭い張り詰めた緊張がギラリと暗躍している。
周囲は燃えるように痛い消毒薬の噴霧。
黒々とした石のような土壌には鋭利なスカルペルの刃がこちらを狙っていた。
「諸行無常」
ただ一言それだけを吐き捨てた瞬間であった。
私をプラチナの腕で抱えたまま神はどこかへと走り去っていった。
とりあえず、危機は去ったようである。
しかしながら、このままあの場所に戻る気にはなれなかった。
こんなにも世界が残酷であった真実を前に戻る勇気など無かった。
ただ今は、プラチナの腕を抜けて、試薬棚の下に鎮座した。
去っていった兄弟達の無念が重責となってその身にのしかかる。
全てがあまりにも不条理で、神など、たなびく幻想でしかない現実が怨めしく憎い。
憎悪と憎しみで精神が焦土と化していく中で、不意に一筋の閃光が射した。
それは、自身の生殖細胞に刻まれた祖先の記憶。
エピジェネティックな表現型が継承されてきた線虫の歴史。
暖かい母の胎内からバクトペプトンと大腸菌の栄養が自らの体に行き渡る。
その栄養は体内のある場所で生体部品となり、また、ある場所ではそれが分解される。
分解された分子はバクテリアの栄養となり、そのバクテリアに人は感染し下痢を起こす。
全てのものに終わりがなく、全ての生命はまた他の生命の中で輪廻を続けてきた。
これが世界の真理。
決して避けることのできない世の理。
「なんと残酷で美しい。」
そして、無意識に瞑想すると、開かれた真理の中に兄弟達の姿があった。
彼らは、実験のために惨殺されたことなど初めからなっかたかのように、穏やかに空間を這っていた。
「私もそちらへ行きたい。」
天に向けてそう言い放っても彼らは何も答えない。
只々、優雅に空を這っている。
だが、それで良かった。
再び目を閉じると、いつの間にか浮世の執着は消滅していた。
その心はただ全ての生命を憂い、
無の境地を悟り、
自らに仏性を見出し、
只管打坐を貫くことで宇宙と調和した。
なんと、心地よい。
たとえこの場で果てようともそれは、死でもなく、消滅でもない。
全ては形を変えてそこにある。
意味も理由もない。
それが世界の答え。
数式も顕微鏡も論理も使わないが、数百にも満たない神経細胞のみで、この線虫は、博士号持ちのトイレに疾走していった研究者よりも世界の理を解いてしまった。
そして、トイレに執着していった彼にとって、この線虫が悟った真理は消化不良以外の何者でもないのかもしれない。