標本
理科室の外に出る廊下は、薄暗く、一本に続く先は見通せなかった。
ふと、振り返ると、理科室の窓から夕陽が差し、廊下の窓からは月明かりが差し込んでいる。
なんとも奇妙怪奇な状況だったが、淀んだ闇の中を進んでいくと、足元に青い古びた本が落ちていた。
あの頃を思い出す。
かつて、幼少期に科学の道を志したときから、学校の勉強を放り投げ、一人学問に没頭した。小学2年時には高校化学をマスターしていたが、学校の成績は悪く、同級生には早とちりと揶揄われ、親からは勉強しろと叱責されていた。
「なぜそれが出来るのに、これは出来ないのか?」
よく教師にぶつけられた言葉だったが、理科の先生と校長先生だけは、私の味方だった。
たしか、この本は、初めて分子や原子の世界を学んだ最初の一冊で、
社会とは何か、
他人とは何か、
自分とは何か、
ヒトとは何か、
生命とは何か、
なぜ生まれては死にゆくのか、
宇宙の果てとはあるのか、
そして、宇宙空間の原子の最初の一粒をたどれば、そこに神はいるのか、
そんな漠然とした疑問を抱かせるには十分な起爆剤だったことは覚えている。
裏表紙の貸し出し記録には自分の名前しか無いが、むしろそれが誇らしかった。
図書室に戻しに行こう。
そう思い、本を拾い上げ、顔を上げたとき、目の前に人体模型が立っていた。
その人体模型のポッカリと空いた腹部から声がする。
「2頭の羊を繋ぐ2本の鎖枷を一本だけ切ってくれたのはあなた?」
壊れたラジオのノイズが走る音だった。
「それをやったのは、俺だよ。」と後ろから先輩の声がした。
しかし、振り返ってみるとそこには誰も居らず、また、人体模型も姿を消していた。
狐につままれた気がしたが、再び薄暗い中を進んでいくと、図書室の札が見えた。
幸いにも鍵はかかっておらず、簡単に中に入れた。
そして、やはりと言うべきか、案の定、自分の名前が書かれた代本板が本棚にあった。
返却手続きを自分で済ませ、本棚に戻したとき、辺りは一層静寂が深まる。
一つの役目を終えた気がした。
一度、理科室に戻ろうと、図書室を出たところで、胸部に違和感が走った。
脈拍が上昇し、心臓インパルスが洞房結節からヒス足、右脚、左脚へと放射状に広がる感覚が伝わる。
横隔膜が痙攣し、呼吸が著しく乱れていく。
酸素を求め足掻こうとするほど、感覚が交錯し、やがて視界は暗転。
意識は緩やかに虚空へと溶けていった。
身に覚えのある腹部の鈍痛と共に。
次に目を覚ました時は、何時ものコアタイム前、朝日が差し込める実験室の清々しい朝だった。
大福のようなケツをボリボリと搔きむしり、イビキをかいている先輩を起こさぬようにと、私は昨日の惨劇(角煮)を処分した。
あの夢は、自分の深層心理を反映した妄想に過ぎないのか。
それとも懐かしい記憶なのかわからないが、これまでの長い時間、溶媒に浸り色あせた理科室に残る記憶は、これからも半永久的に、保存されるのかもしれない。
昨日の後遺症(食中毒)がそれをキリキリと主張していた。