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24:唯一無二の星

 シュタルク公爵邸に帰ってきたエミーリアはすっかり落ち込んでいた。どうにもうまくいかない。最近は不用意な失敗だらけだ。

 言葉は時に人の最も弱いところを傷つける見えない武器になる。本人はそんなつもりがなくても、心ないたった一言で人の心に消えない傷がつく。それをエミーリアは誰よりも知っているつもりだった。


(あんなことを言うタイミングではなかったかも……)

 もっと慎重に考え抜いた場面でしっかりと話し合うべき内容だった。もうすぐ結婚式だという時に、その相手に側室について話し始めるなんて最悪だ。

(けれど、いざその時になって話し合っていては遅いわよね? わたくしと陛下の間に子どもができなかったとして、そのために側室が必要になったら……)

 起こりうるとしても少なくとも数年後の話だ。しかしそれからマティアスを説得し、側室を選び迎え入れるとなれば急がなくてはならない。せめて側室を迎える可能性の話をエミーリアとマティアスはしておくべきだったのではないか。

 必要に迫られたときに揉めていては時間の無駄になる。これが国王夫妻という立場でなければ、子どもは授かりものだから生まれなくてもしかたないと割り切れたかもしれないが。


「……今のアイゼンシュタットでは無理じゃないかしら」

 じりじりと王族の数を減らしているこの国で、国王夫妻のもとに子が授からなかったら。貴族たちからの反発は大きいだろう。

 万が一マティアスとエミーリアの間に子どもが出来ず、マティアスが側室を持つことを拒んだ場合に考えられる手段としては縁戚からの養子縁組だ。

 アイゼンシュタット王国には四つの公爵家がある。シュタルク公爵家は先々代に姫の降嫁があった家だ。ベアトリクスが嫁いだリンハルト公爵家が最も王室に近しい血筋となるだろう。年齢から考えればベアトリクスの息子の子どもを養子とすることになる。マティアスからすれば従兄弟の子どもだ。

 血の濃さを考えればレオノーラが国内の貴族に嫁いでいればその子どもが養子になるのが一番理想的なのだが、他国に嫁いでしまった。他国の姫や王子を養子にするのは難しい。


 年齢や王家の血の濃さ――やはりいろいろと考えてみても養子縁組はあまり現実的ではない。

 エミーリアは待望の跡継ぎを生むことを求められている。

(……わかっていたつもり、だけど)

 それでも重い。考えれば考えるほど胃が重たくなって呼吸すら苦しくなる。

 エミーリアは十八歳だ。妊娠出産をすることを前提に結婚するとすれば年齢としては理想的な年齢だろう。当然、それを考慮して選ばれたのだ。

(もしわたくしが子どもを産めなかったら……そのときは)


『俺に、君以外の女を愛せと?』


 さまざまな可能性を考えていくなかで、マティアスの声が甦る。怒りと悲しみを混ぜ込んだ、冷たい声だった。

 きゅ、とエミーリアは唇を噛み締める。

 あの瞬間、自分の告げた言葉の残酷さを思い知らされた。そして同時に、エミーリアの胸の奥底で仄暗い喜びも確かに滲んでいた。

(陛下が……マティアス様が、怒っていらっしゃった。嫌だと、そう、思ってくださった)


 ――うれしい。

 うれしいと、思ってしまうのだ。ただのエミーリアは。


(でもダメよ、わたくしは王妃になるのだから。陛下が間違えたときには諌めなければならない。国にとって必要なことなら、説得しなければならないんだから……)

 わたくし以外の女性と子を生してください、と。

 そういう可能性がある。ただそれだけの話なのに、想像しただけで胸がざわめく。喉の奥から苦い味が滲んでくるような気がした。吐き出してしまいたいのに吐き出せない。


(……嫌。わたくしだって嫌)


 自分以外の誰かがマティアスの隣にいる。それを考えただけで気が狂ってしまいそうになる。

 完璧な令嬢でいなければ。理想的な王妃にならなければ。何度も言い聞かせても醜い感情は消えない。本当はいつだってマティアスという人を独占したいのに。

 気がつければ涙で顔はぐちゃぐちゃになっていた。涙を止めたくてもぽろぽろとこぼれ落ちていく。こんな姿、誰にも見せられない。


 涙を拭かないと。目が腫れたら明日困る。そう思ってエミーリアが顔を上げたときだった。

 コン、と窓ガラスを叩く音がした。


(……空耳?)

 いいや、確かに聞こえた。風の音などではない、明らかに窓を叩く――あるいはぶつかる音だ。夜目のきかない鳥が不注意でぶつかったのならいい。

(もしかして、侵入者? 警護は何をしているの? でも人だとするなら、続いてなんの反応がないのは変だわ……)


 そこはバルコニーに続く窓だ。人が隠れ潜むことは可能だが、一度目のアクションのあとに何もないのはおかしい。エミーリアを――次期王妃を狙っているのなら、警戒を強められる前に窓を破り部屋に侵入するだろう。

(何か武器になるようなものはあったかしら……花瓶じゃ重いし……ペーパーナイフくらいしかないわ)

 それでも万が一のときには敵を刺すことも自害に使うこともできるだろう。エミーリアはすっと冴えた頭で状況を整理すると、片手にペーパーナイフを握り窓に歩み寄った。


(空耳ならいい。鳥でもかまわないわ。でももし人がいたなら、即座に悲鳴をあげる)

 自分で確認しなくても、人を呼んで確かめさせればいい。いつものエミーリアならそうする。しかし今は、ひどい顔をしているので可能なら自力で済ませたいのだ。ただの空耳だったとき、こんな情けない顔を見せることになるのはつらい。


 心臓がどくどくと跳ねている。

 窓の向こうからはなんの反応もない。十中八九、空耳だったのだろう。そう思いながらエミーリアはカーテンに触れた。


 一度深く深呼吸をする。

(一、二、三……!)

 心の中で数字を数えると、エミーリアは勢いよくカーテンをあけた。


 窓の向こうに見えるのは夜闇ばかり。しかしそこに、輝く金色の星がひとつ、目の前にあった。

 ここにいるはずのない、この国で唯一の星。エミーリアのいとおしい人である。


「陛下……!?」


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