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20:王妃ならば

 コリンナとリヒャルトが去ったあとで、レオノーラがさみしげにぽつりと呟いた。


「……夫婦、仲が良いのね。うらやましい」


 それはとても小さな声で、レオノーラ自身も思わず口から出てしまっただけのような、そんな呟きだった。

(うらやましい……?)

 エミーリアの記憶ではレオノーラはフォルジェ国王から強く望まれて結婚したはずだ。国同士の婚姻関係ではあるものの、単純な政略結婚というわけではない。

 とはいえ、それも人から聞いた話であって、本当かどうかはわからない。


(……側室、というお話もされていたし、うまくいっていないのかしら)

 ざわりとエミーリアの胸のなかに不安が広がる。

 結婚するということは、ただ愛する二人が一緒になるということだけではない。子孫を残すということでもある。これまではふんわりとした夢物語のようなものだったのに、今ではとても現実味を帯びたもののように感じた。

(まだまだ自分のことで手一杯で未熟者で、そんなわたくしが子どもを生んで育てるなんてできるかしら? も、もちろん陛下との子どもは欲しいけれど、でも、ちゃんと育てられる? いいえ、そもそも妊娠しなかったら――)


『養子を考えるべきかしら……と思っていたところだし――』

『私もそろそろ側妃をすすめるべきなんでしょうね』


 たとえば、自分の子どもでなくても愛せるだろうか。マティアスが他の女性に触れることを許せるだろうか。考えてもエミーリアにはわからなかった。ただ胸の奥が黒く染まっていくような心地がして、ずしんと重くなる。

「どうかした?」

 表情に出ていたのだろうか。レオノーラが心配するようにエミーリアを見た。

「あ、その……」

 今更結婚やそのあとのことを考えて不安になっていました、なんて言えない。だってもう結婚式はすぐそこなのだ。招待状は送られているし、準備も着々と整っている。それを不安だからなんて理由で延期にはできないし、するつもりもない。

(だって、わたくしが望んだことだもの……)

 マティアスに恋をして、その恋を叶えたくて、だから王妃になりたいと思った。

「……不安なの? 心配事でもできたかしら?」

「えっ」

 まさか言い当てられると思わなくて、エミーリアは目を丸くした。その素直な反応にレオノーラは笑う。

「顔に出ているもの。あなた、そんなに素直で大丈夫なの? 淑女なら本音は表情に出さないようにしないと」

「い、いつもは気をつけています……」

 ここ数日、レオノーラと過ごしていてすっかり取り繕うことを忘れてしまったようだ。エミーリアのなかで家族やデリアのような身内にくくってしまっていたらしい。

(お義姉様になるのだから、身内といえば身内なのだけど……)

「……レオノーラ様、は」

 おずおずと、エミーリアは口を開いた。

 甘えたダメな部分がひょっこりと顔を出してしまった。コリンナとすれ違ってしまったときにも手を差し伸べてくれたから、今もいいだろうかなんて思ってしまった。


「側室を迎えることに、抵抗はないのですか?」

「ないわ」


 切り捨てるようにきっぱりと言い切られた。

 エミーリアはまるで身体の芯を刺されたような心地がした。甘えていたことを見抜かれて、それで手を振り払われたのだ。


 ――ここは甘えていいところではない、と。


「ないと答えられなければならないのよ、王妃だもの。……それも、王子を産めなかった王妃なら、なおさら」

 同時にレオノーラを傷つけたのだと思い知らされた。誰だって、好き好んで自分のことをこんな風に言いたくはないだろう。

(……恥ずかしい。わたくしは、子どもみたいに、聞けば望んだ答えが返ってくると思ってしまった)

 抵抗がないはずないでしょう。嫌に決まっているわ。

 たぶんきっと、エミーリアはレオノーラにそう言ってほしかった。そして二人で、頷き合って愚痴を零して、それならどうすればいいかしらなんて話を広げたかったのかもしれない。いつか自分にやってくるかもしれないその恐怖を、この瞬間だけでも和らげたくて。

「王妃、なら……」


 それなら、王妃じゃなければいいんだろうか。

 たとえば、子どもを生めなくてもいいんだろうか。他の女性のことなんて絶対に気にしないでと、自分以外には触れないでと、特別なのは自分だけにしてと、そう泣き喚いても許されるんだろうか。

 王妃でないのなら、そんな醜い独占欲をさらけ出してもいいんだろうか。


(……でも、わたくしが好きになったのは陛下だから)


 王妃になるしかなかった。それ以外に道はなかった。

 国王にとって国は、民は、この土地は、等しく愛すべきもので、等しく守るべきもので、それゆえに特別になんてなれなくてもしかたないと。ただ隣に並んで歩むことができるのならそれでいいと、そう思っていたはずだ。

 隣に並んで歩む、そのことの意味を、エミーリアは本当に理解していたんだろうか。


「……もしも、無理かもしれない、自分では務まらないかもしれない、そんなことを考えてうじうじするくらいなら、今からでもやめてしまいなさい。それがあなたの為よ」

 そして国民の為でもあるわ、とレオノーラは言い切った。そんな人間は王妃に相応しくないと。

 ぎくりとエミーリアの身体が強張る。ほんの少し、本当にほんの少しだけ、頭をよぎった。ただのエミーリアは夢見る女の子で、当然誰かひとりの特別になりたがるような子で、だからこそ、王妃なんてもしかしたら無理なのかもしれない、と。

 だってエミーリアは、マティアスという男の人を独占したい。そういう欲が、いつだって胸の奥で燻っている。それを上手に隠して誤魔化していい子でいるだけだ。


「それ、は」

 やめてしまえと言われるとは思わなかった。それもこんな直前で。

 震えるエミーリアの声に気づかなかったかのように、レオノーラは続ける。

「そうでないのなら、虚勢でもいいから胸をはりなさい。王妃に相応しいのは私以外にはいないのだと堂々としていなさい」


 以前のエミーリアなら簡単にできた。

 エミーリア・シュタルクは完璧な淑女だったから。

 でも今は、どうしてか、胸を張ることもできず途方に暮れるしかなかった。




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