14:愛の大きさ
どちらか一方しか選べないとしたら、どちらを選ぶ?
それはとりとめもない会話のなかでは稀にあがる話題かもしれない。もっと気楽で、もっと簡単な選択肢であればエミーリアもお茶会などで聞いたことがある。
このアイゼンシュタットの全ての国民と。
エミーリアただ一人。
ここで自分を選ばれたとしても喜べるような感性をエミーリアは持っていない。
「それは――」
「まぁ、お姉様ったら」
マティアスが口を開くのと同時に、エミーリアがそれを遮る。
ふわりとその場に花が咲くような明るい声なのに、どこか拒絶を滲ませていて、周囲の誰もが国王の言葉を遮ったことにたいして何も言わなかった。
にこりとエミーリアが微笑む。いつもと変わらない、愛らしく穏やかな微笑みだ。
「そんなもの、決まっておりますわお姉様。陛下が決断されるまでもなく、そんな状況になればわたくしは自ら命を断ちますもの」
きっぱりと、穏やかに言い切る。
しかしその答えはエミーリアを愛するものにとっては衝撃的だった。コリンナは青ざめ言葉をなくし、マティアスは強く拳を握りしめた。
エミーリアだって自分の命が惜しくないわけじゃない。
ただ王の伴侶として、自分と国民全ての命を天秤にかけるなど許されないと思っているだけだ。
民あってこその王だ。失うわけにはいかない。しかし王妃はいなくなっても、替えがきくものだ。
王妃がいなくとも誰かがその仕事を肩代わりすることができると、既にナターリエのために証明されている。重要な後継者問題があるが、子どもがいないうちにエミーリアが死ねばマティアスも再婚するだろう。
(……だってわたくしも、もともとは周囲に選ばれて婚約者になったんですもの)
必要だから婚約する。それがマティアスにはできたのだから、今後も王として『しなければならない』のなら決断できるはずだ。
(……あら?)
未来の王妃としては正しい答えだと思う。しかし依然としてコリンナは声もなく青ざめ、マティアスも沈黙している。唯一表情に変化がないリヒャルトはエミーリアと目が合うと苦笑した。
「もちろん、そもそもそんな状況にならないよう最善を尽くしますけど――」
しんと静まるその場を和ませようとエミーリアが付け加えようとすると、隣からぐっと引き寄せられた。
引き寄せてきたたくましい腕とあたたかな体温に、マティアスの腕の中にいるのだと気づく。
「……あまり物騒なことを言わないでくれ。城に閉じ込めて、外に出したくなくなる」
低い声で何かを耐えるように懇願され、エミーリアは「まぁ」と目を丸くした。なんだかマティアスが大きな子どもに見える。
彼個人が、エミーリアを失うことを想像して、それを厭うてくれる。それだけでエミーリアは嬉しかった。
(……それだけで、わたくしは報われている)
マティアスを宥めるように、エミーリアは自分を抱きしめる腕に触れた。
「城に閉じ込められるのは嫌ですけど、陛下の腕の中でしたらいくらでも」
大歓迎ですよ、と小さく笑った。もちろん、実際にはそんなことできるはずもないとわかっているからこそ言えるのだ。
マティアスの答えを聞くのは少し怖かった。エミーリアを選ばなくても、選んでも、エミーリアはきっとほんの少しだけ、マティアスに失望する。
だからこうして、エミーリアの答えを否定も肯定もせず、ただエミーリアを大事だと伝えてくれるだけで嬉しい。
「……君たちっていつもこんな感じなの? 周りの目をもう少し気にしなさいね?」
苦笑まじりの呆れているような声にエミーリアはハッとした。ここにはコリンナやリヒャルトがいるのだ。ヘンリックだけならまだしも、姉と義兄に見られてしまったのは恥ずかしい。
「い、いつもではありませんよ!?」
「まぁほぼほぼこんな感じな気がしますけどねぇ」
「ヘンリック様!」
否定するエミーリアをさらにやんわりと否定してきたヘンリックに、真っ赤になりながら抗議の声をあげる。
「……ねぇ、エミーリア」
くだけた空気になりかけたところで、コリンナは静かに口を開いた。
「あなた、無理をしていない?」
無理。
無理をしているのだろうか。
エミーリアは目を瞬かせた。エミーリアは人からすればいつも無理も無茶もしているようなものだ。しかしそれはエミーリアが望んでやっていることでもある。
(そうね、たぶん無理はしている)
結婚を間近に控えた今、エミーリアはいつも気を張りつめている。
未来の王妃として相応しくなければならない。そうでなければ、エミーリアは婚約者として選ばれた意味がなくなってしまう。
婚約してからも、そしてきっと結婚してからも、エミーリアは自分の価値を証明し続けなければならない。
「あなたは陛下を支えているかもしれないけど、陛下はあなたを支えてくださるの?」
コリンナの言葉にエミーリアはぎょっとした。マティアス本人がいるところで口にするのは不敬ではないか。
しかしコリンナは言葉を止めなかった。
「あなたがそれだけ注いでいる愛を、陛下も同じように与えてくださるの? それが同じでなかったら、あなたは辛くなったりしないの?」
エミーリアはぱちぱちと目を瞬かせた。
「愛とは量で競うものなのですか?」
考えるよりも先に言葉が出ていた。
コリンナの心配していることは、なんとなくわかってきた。しかしだからこそエミーリアは首を傾げるほかない。
「それとも、大きさで測るものなのですか?」
コリンナの目には、エミーリアばかりがマティアスを愛しているように見えるのだろう。愛して尽くして支えるエミーリアに、マティアスは何もしていないように見えるのかもしれない。
「その大きさは同じでなくてはならないのですか? ……わたくしはそう思いません。だって、手のひらに収まるほど小さくても、とても重いかもしれません。とても大きく見えても軽いものかもしれません。大きいものがいいわけでもなければ、重いものがいいわけでもありません」
エミーリアは手のひらで器を作るようにして見せた。きっとマティアスの愛は、他人から見たら小さく見えるかもしれない。
手のひらをぎゅっと握りしめて、胸元へ引き寄せる。小さく見えたとしても、マティアスの愛はあたたかくやさしいものだとエミーリアは知っているのだ。
「……伝えるべき相手はただ一人で、その一人に自分の気持ちが伝わればいいのです」
マティアスの愛は確かにエミーリアに伝わっている。愛されているし、愛している。それを二人がわかっていればそれでいい。




