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6:恋する乙女は夢を見る

 コンコン、というノックの音とともに「失礼します」と文官がやってくる。

 思わず顔をあげて、マティアスは文官と目が合った。途端に、文官は困ったように固まる。

「どうした」

「え、いえ……こちらが提出された報告書です」

「ああ、そこに置いておけ」

 マティアスは再び、確認していた書類に目線を戻す。文官は指示したとおりのところに報告書を置くと、静かに退室した。

「もしかして、なんか待ってる?」

 部屋の隅に控えていたヘンリックが、マティアスを見ながら問いかけてきた。

「……いや、別に」

「だっておまえ、普段は報告書だの届けられてもいちいち顔を上げたりしないじゃん。さっきから誰かくるたびに顔上げてるけど」

 おかげで来た人たちが困惑してるよ、とヘンリックが笑う。よほど待ちに待ったものがあるんだろうか、と思わざるを得ない。

 ああなるほど、彼らのあの反応はそういうことかとマティアスは納得した。

「あ、そういえば恒例の手紙が今日はまだ届いてないか」

 にやにやと笑うヘンリックに、マティアスは無表情で「そうだったか」と答える。ヘンリックはその様子に笑いをこらえるのでたいへんだった。平静を装っているが、あまりにも無表情すぎてかえって意識していることがバレバレだ。

「いつもならとっくに届いてるもんな? 今日は遅いなぁ」

 エミーリアからの手紙はだいたい夕刻には届く。そのためマティアスは日が暮れてから最初にとる休憩時間でそれを読むのが日課になっていた。

 しかし今日はその時間を過ぎて、既に日はとっぷり暮れている。

「……そういうこともあるだろう」

 むしろ、今まで毎日欠かすことなく手紙が届いていたことのほうが驚きなのだ。エミーリアとてそんなに暇なわけではないだろうに。

 しかしそれは、裏を返せばそれだけ忙しい中でも欠かされず送られてきた手紙が途絶えたということになる。何かあったのだろうか、という気持ちが浮かぶのはごく普通の心理だろう。

「気になるなら公爵家に使いを出すけど?」

「……必要ない。どうせ明日には顔を合わせる」

 明日はエミーリアとの約束が入っている。

 そういえば、結局それ以外の日に彼女はやって来なかった。もしかしたら来るかもしれないと思っていたから意外だ。

「それとも今からでもおまえが手紙を書けばいいんじゃね? 届けてやるよ?」

「だから、別にそこまでする必要はないだろう」

 あと半日もすれば顔を合わせるのだから、手紙が届かない程度で騒ぎ立てるのもバカバカしい。

「そんなこと言ってるわりに、気になってるみたいだからさ?」

 にやにやと笑うヘンリックに、マティアスは苛立ちを募らせた。

 気にはなる。それはもちろん、当然だろう。

 だがそこまでだ。気になったところで、今すぐに行動する理由はマティアスにはまだない。



 お父様は、蜜のような金の髪。お母様は、さらさらと綺麗な白銀の髪。

 お父様に似たお兄様は金の髪、お母様に似たお姉様は白銀の髪。


 きらきら、きらきら。それはとてもうつくしく、宝石のように輝いている。


 ならわたくしは?

 わたくしの髪は?


「エミーリアはひいお祖母様に似たのね。やさしい色の髪だわ」

 お母様はいつもそう言って褒めてくださる。

「かわいいエミーリア、お人形さんみたいに大きくて丸い瞳ね」

 お姉様はいつもそう言って撫でてくださる。

 けれど、わたくしは知っていたの。家族以外の誰もがわたくしのことを見るとがっかりするってことを。

 シュタルク公爵家の次女は、期待したほど美人ではない、と。幼い頃からそう思われていることに気づいていたし、社交界にデビューしてもそれははっきりと肌で感じた。

 だからわたくしは努力した。

 容姿はどうにもならなくても、せめて中身だけは公爵家にふさわしい娘であろうと。

 努力の甲斐あって、一人前の淑女として認められた。

 けれどときどき、卑屈な思いは胸の底から浮かび上がってくる。

 ねぇ、わたくしが綺麗だったら、陛下もわたくしを一目で好きになってくださったかしら?


「君の髪は、やさしいミルクティー色をしている」


 声がしてわたくしは振り返った。

 金の髪の少年が、庭園の中に立っていた。年頃はちょうどわたくしと同じくらい。

「わたくし、あなたにそう言っていただけてから、ミルクティーがすごく好きになりました」

 それまでも嫌いではなかったけれど、特別な飲み物になった。大好きなミルクティーと同じ色の自分の髪も、好きになれた。

 話しかけたところで少年は答えない。

 夢なのだとわかっていた。気持ちが沈んでどうしようもないとき、わたくしはよくこの夢を見る。

 こんなに地味な薄茶の髪でもいいんだと教えてくれた少年に、いつだって救いを求めていた。何度も何度も、あのときわたくしを救ってくださった言葉を言ってほしくて。


 けれどそうよね。

 あなたはこの髪を褒めてくださったけど、ミルクティー色の髪が好きだとは言っていなかったものね。




 ふ、とエミーリアが目を開けると柔らかな朝日が飛び込んでくる。

(……ゆめ)

 夢の中でああこれは夢なんだとわかっていても、目を覚ましてみると夢を見ていたのだと再確認する。

 日頃は前向きに明るくと心がけているエミーリアも、常にそうあれるわけではない。落ち込むことも不安になることもある。

 マティアスとの婚約が決まって一ヶ月半ほど経つだろうか、結局エミーリアは「恋愛結婚がしたいんです」と宣言をしただけで、目標である恋人にはなれていない。

(……でも、最初に比べれば陛下と親しくなれた気がするし)

 まったく前進していないわけではない。

 とはいえ婚約期間はおよそ一年。結婚式が近づけば近づくほどエミーリアもマティアスも忙しくなるし、このままでは結婚式までにマティアスと恋人になるのは難しそうだ。

 なかなかうまく進まないものだ。

 ふぅ、とため息を零してベッドの上で立てた膝に額を擦りつける。深く息を吐き出して、気持ちを切り替えるようにエミーリアは顔を上げた。

 ちょうど寝室のドアが開いて、ハンナが顔を出す。

「あら。おはようございます、お嬢様。もう起きていらっしゃったんですね」

「おはよう、ハンナ」

 ベッドの端に腰掛けて、エミーリアはいつもと変わらぬ笑顔で朝の挨拶をする。

「体調はどうですか? 顔色よくなりましたね」

「もう平気そうよ。熱も下がったみたいだわ」

 心配性なハンナに半ば強制的にベッドに押し込まれたおかげで、熱っぽさはまったくない。しっかり睡眠をとったのがよかったのだろう。

「王城に行くのは午後よね? それなら、今日はチョコレートを買ってから行きたいのだけど」

 結局最初にチョコレートを持って行ったきりで、再び買いに行く暇はなかった。

 今度はミルクチョコレートを少し多めに。できればマティアスが執務の合間に食べることができるようにとエミーリアは考えていた。

 しかしハンナは怖い顔をして、エミーリアのお願いに頷いてはくれない。

「ダメですよお嬢様、病み上がりなんですから寄り道せずに行って帰ってきてください」

「でも……」

「でもじゃありません。今日はお城へ行くまではゆっくり休んでいてください。もしもタチの悪い風邪だったらどうするんです」

(でも、陛下に喜んでもらえることなんて甘いお菓子くらいしか……)

 エミーリアが知っているマティアスの喜ぶことは、まだまだ少ない。マティアス自身のことすら、ヘンリックとの会話から少しずつ知っているような有様なのだ。

 会うのも面倒だと思われているに違いないのに、これも婚約者としての義務だからと時間を作ってもらっている。それならば、せめて無駄な時間だったと思われないようにしたい。

「本当は今日お会いするのは遠慮したほうがいいんですよ? 陛下に風邪をうつしたら大変ですもの」

「か、風邪じゃないから! ちょっと体調を崩しただけでもう元気だから!」

 せっかくマティアスに会える貴重な時間なのに、自己管理ができていなかったなんて理由でキャンセルにしたくない。

 必死でもう大丈夫だとアピールするエミーリアに、ハンナは姉のように微笑みかける。

「そうですね、もう平気そうですけど、念の為まだ安静にしていましょうね」

「……はい」

 マティアスのことを引き合いに出されると弱い。エミーリアは大人しくハンナに従うことにした。

(今日はあまり陛下のそばには行かないようにしないと)

 そんなこと気をつけなくても、いつもエミーリアとマティアスの間にはテーブルという壁がある。

(……つまり、デリアの言っていたことを試すのは今日じゃなくてもいいわよね?)

 風邪ではないけれど、もしうつったりしたら大変だから。

 だから、抱きついてみるという作戦はまた今度でいいだろう。



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