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5:ティータイムは作戦会議


 エミーリアは悩んでいた。


 今日は友人のデリア・リーグルの屋敷にやって来たところだった。リーグル伯爵家の庭はいつ来ても素晴らしく、今日もあちこちで綺麗な花が咲き誇っている。

 そんなうつくしい庭で二人だけのお茶会をするのがエミーリアとデリアの楽しみだった。

 そう、これは腹の探り合いなんかない、ただ楽しく時間を過ごすためのお茶会だ。


「なんだか浮かない顔ね、エミーリア」

 開口一番にデリアがそういうので、エミーリアは思わず自分の顔に触る。用意されたテーブルにはたくさんのお菓子と紅茶が並んでいるが、エミーリアの心はちっとも浮かび上がってこない。

「そんなに顔に出ているかしら」

 ふにふにと自分の頬を触りながらエミーリアが呟くとデリアは呆れたように目を細めた。

「いいえ。いつもどおり、完璧な淑女っぷりよ。でも友人の目は誤魔化せないわ」

「……さすがデリアね。その、ちょっとだけ悩みがあって」

 それでつい考え事をしてしまうの、とエミーリアは零した。

「悩み?」

 話してみなさいよ、とデリアの目が語っている。それはもちろん、エミーリアも長いことデリアの友人をやっているので手に取るようにわかった。

「その……陛下と婚約してもう一ヶ月以上経つんだけど、まだあまり親しくなれていないというか……会っていてもお話するのはヘンリック様とばかりだし。いえ、ヘンリック様とお話しているとさりげなく陛下のことを教えてくださるからうれしいのだけど」

(うれしいけれど、でもやっぱりもう少し陛下とお話したいというか……陛下が会話にまじるのは勉強の話のときか甘いものの話題のときだけだものね)

 エミーリアが自身のことを話しているときのマティアスは甘いものを食べているばかりで、会話に参加することはない。

 まるでエミーリアには興味が無いと言っているようだ。

「はいはい、ヘンリック・アドラーのことはいいから。それで? 具体的にはどう悩んでいるのよ?」

 脱線しかかったところでデリアがすかさず話を戻してくれた。

 悩み。

 エミーリアはこのところずっと悩んでいた。

「……ロマンス小説ならそろそろ名前で呼び合ったりとか、手に触れて見つめ合ったりとか、そういうのあるでしょう……? でもないの。いつもお茶をしてお話しておしまいなの……!」

 エミーリアの知る限り、物語などではそろそろ二人の仲が進展するはずなのだ。名前で呼んでみて互いに照れたり、別れを惜しんで見つめ合ったり。

 ところがエミーリアとマティアスの間にはそんな空気はさっぱりない。

 なさすぎるのだ。

 うう、と俯くエミーリアに、デリアは同情しながら苦笑する。

「……健全なお付き合いでいいんじゃないかしら」

「健全なお付き合いは確かに素晴らしいけど、恋のときめきも甘酸っぱさもないのよ……」

 政略結婚なのだからそんなものを求めているほうが間違いだ、と多くの人は言うだろう。実際デリアもしかたないのではと思っている。

 けれどエミーリアには大事なことなのだ。このままでは恋愛結婚の未来が危ういのだから。

「やっぱり、わたくしがデリアやお姉様みたいに綺麗じゃないのがいけないのかしら……男の人は綺麗な人の方がいいわよね」

 しゅん、とエミーリアはますます落ち込んだ。

 エミーリアの姉のコリンナは、社交界の花と呼ばれるほどうつくしいと有名で、実際妹の目から見てもたいそううつくしい人だ。

 デリアは艶やかな黒い巻き毛の美人だ。少しつり目がちな青い瞳も、自信に満ち溢れていて魅力的だと思う。

「なに馬鹿なことを言っているの。あなたは充分可愛いわよ、エミーリア」

 きっぱりと言い切ってくれる友人に、エミーリアは笑う。

(皆そう言ってくれるけれど……)

 慰めや社交辞令がわからないほどエミーリアも愚かではない。兄や姉は身内の欲目もあるだろうし、家の使用人は口が裂けてもエミーリアは不美人だ、なんて言えないだろう。

「ありがとう。でも、陛下の好みではないのでしょうね……陛下に好きになっていただきたいのに」

 好きになってもらえなければ、恋愛結婚にならない。

 些細な願いだと思ったのに、現状はまったく上手くいかない。

 はぁ、と物憂げにエミーリアがため息を吐いた。

「そんなに悩むほどうまくいっていないの?」

 頬杖をつきながらデリアは問いかけてきた。そんなマナー違反も、気の知れた友人同士なので目を瞑っている。

「……そうでもないのかしら? この間、王城に行ったときは約束がなくても会いに来てもいいとおっしゃってくださったし」

 デリアもエミーリアがよく王立図書館に行くことは知っている。そのついでに会えるとなれば、週に二、三回は会えるはずだ。王城に来たのなら会いに来てもかまわない、と多忙なマティアスから言われたのは進展と言ってもいいはず。

「それで、それは実行したの?」

 紅茶を飲みながらデリアが聞いた。途端に、エミーリアが肩を落とす。

「……恐れ多くて出来なかったわ」

 いくら許可があるとはいえ、やはり執務中のマティアスの邪魔になるのではないかと思うと会いに行けるはずもなかった。

 これが、相思相愛の恋人同士ならもっと気軽に会いに行けたのかもしれない。

「あなたにも問題あるんじゃないかしら……」

 そう言われるとエミーリアとしても反論しにくい。

 どんなに褒め称えられようとも、エミーリアの自分自身に対する評価は低かった。だからこそ大胆な行動に移るには勇気がいる。

(学んだ範囲のことなら、自信をもってできるけれど)

 恋愛に関して、これだという正解はない。

「あなたが対策するためにも、陛下の好みがどんな女性かわかればいいんだけど……陛下はそういう浮いた話は聞かないものね」

 誠実なのはいいことだけど、とデリアが困ったようにため息をついた。

 即位する前からマティアスは色恋で噂になるようなことはなかった。特定の親しい女性もいなければ、女遊びなんて噂を聞くこともない。まさに仕事が恋人というような人だ。

「好みに近づく努力くらいはしたいのだけど……」

 肝心の好みがわからなければどうしようもない。

「それこそ、ヘンリック様に聞いてみたらいいんじゃないかしら?」

 デリアの提案に、それは名案だとエミーリアは目を輝かせた。しかしすぐに問題も浮かぶ。

「いい案だけど……ヘンリック様がいるときは陛下も一緒にいらっしゃるから、うまくいくかしら」

 そもそもヘンリックはマティアスの近衛騎士だから一緒にいるわけで、エミーリア個人に会いに来ているわけではない。エミーリアにもヘンリックとわざわざ二人きりで会うような理由はなかった。

「うーん……難しいわね。でもそうだ、相手に脈があるかどうかわかる方法はあるわよ」

「そうなの? そんな魔法みたいなことできるの?」

 きらきらと目を輝かせるエミーリアに、デリアは微笑んだ。

「簡単よ、相手に触れてみればいいの。転んだふりをして抱きついてみたり」

(抱きつく……)

 頭の中で反芻したのち、エミーリアはぼんっと火がついたように真っ赤になった。

「そ、そんなことできるわけないじゃない!」

「でもわかりやすいらしいわよ? 好意を持っているなら邪険には扱われないし、相手によっては動揺するし。嫌がられたらご愁傷様でしたって話だけど」

(……陛下に嫌がられたりしたら、わたくし立ち直れないかもしれない……)

 嫌われてはいない、と思う。

 かといって、マティアスに好かれているとはとても思えなかった。

 物語に描かれているような、熱い眼差しを感じることもなければ、情熱的な言葉を聞くこともないからだ。

 ただでさえ仲が進展していないのだから、マティアスが抱いているエミーリアの印象を悪くすることだけは避けたい。

(気安く触れたりして、ふしだらな女だと思われたりしないかしら? 小説ではどうだった?)

 これは家で秘蔵のコレクションのロマンス小説を読み返して検証してみなくてはいけないかもしれない。

「とりあえず、がんばってみるわ……くしゅっ」

 気合を入れたところで、吹いてきた冷たい風にエミーリアは思わずくしゃみをする。

「あらやだ大丈夫? 今日は少し風が冷たいものね。そろそろお開きにしましょうか」

 あたたかい紅茶を飲んでいたのだが、それでも身体は冷えてしまっていた。春になったとはいえ、今日の気温は庭でティータイムといくには少し肌寒かったのかもしれない。

「そうね、陛下への手紙も書かなくちゃいけないから今日は帰るわ」

 すっかりに日課になっているマティアスへの手紙は、一日も欠かしたことがない。

 エミーリア自身も不思議になるくらいに、書く内容は尽きないのだ。庭の鳥の巣のこと、その日エミーリアが体験したこと。今日はデリアとのティータイムで食べたレモンパイについて書かなければ。ほどよく甘くてさっぱりしてとても美味しかった。

(陛下の好みではないかもしれないけれど)

 何回か会ううちに、エミーリアはすっかりマティアスが大の甘党であることを見抜いていた。いつも砂糖ひとつも入れずに紅茶を飲んでいるけれど、きっと甘いミルクティーだって平気な顔で飲むに違いない。

「エミーリア、大人しく寝なさいよ? 風邪だったらたいへんなんだから。未来の王妃に風邪ひかせたなんてなったら私が叱られちゃうわ」

 馬車に乗り込むエミーリアを見送りながら、デリアが母親のようにエミーリアに言い聞かせた。

「大丈夫よ、風邪なんてひいてられないわ。だって明日はまた陛下にお会い出来る日だもの!」

 週に一度、エミーリアが堂々とマティアスに会える日なのだ。

 そんな大事な日の前日に風邪なんてひいていられるものか。




 しかし早めに帰宅したものの、その夜エミーリアは熱を出してしまった。

 近頃よりいっそう気合を入れてレッスンや社交の予定を詰め込んで、他の時間は勉強ばかりしていたから疲れもあったのだろう。

「しっかり休めば熱は下がるとお医者様も言ってましたから、安静にしましょうね」

 ベッドに押し込まれたエミーリアは抵抗した。

「まって、ハンナ。今日の分の手紙をまだ書いてないの……!」

「寝てくださいってば! どうしてもとおっしゃるなら便箋とペンを持ってきますから」

「そんな! 陛下にお渡しする手紙なのにこんなだらしない格好で書けるわけないじゃない!」

 ベッドの上で手紙を書くなんて行儀が悪い。夜着に着替えてしまったことはともかく、髪はぼさぼさだ。これでは手紙に書く内容だってうまくまとまらない。

 エミーリアとしては最低限身なりを整えた上で、マティアスへの手紙を書きたいのに。

「手紙からは書いたときの相手の格好なんて伝わりませんよ!」

 どうしても手紙を書きたいのならベッドの上で! というハンナの剣幕にエミーリアは「うう」と口籠る。


 結局エミーリアが折れてベッドの上でペンを握ったものの、熱でくらくらとしている頭ではろくな文章も書けず力尽きるように眠ってしまったのだった。



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