20:兄妹なんかじゃなかった
その夜の夕食の席は実に寂しいものになった。
エミーリアとデリアはあのあとさらに何かあったのか、それぞれ夕食は部屋でとると伝言があり、そしてこの城の主であるはずの母――ナターリエは当然ながら顔を見せない。結局マティアスは一人寂しく食事をとることになってしまった。
王城では当たり前だったそれも、ここ数日は一人ではなくなっていたので、なんだか少し寂しいと感じてしまう。
「ヘンリック」
食事を終え、マティアスはずっと黙り込んだままのヘンリックに声をかける。デリアと口論したあと、ヘンリックは仏頂面で護衛を続けていたのだが、他の騎士たちが「あれはどうした」と言うほど普段と顔つきが違っていた。
マティアスがギュンターに出してもらった酒を片手にヘンリックを見ると、「ええ……」と嫌そうな顔をした。ようやく表情が崩れたな、とマティアスは笑う。
「少し付き合え」
「嫌ですよ……陛下、いくら飲んでも酔わないじゃないですか……」
こっちが酔い潰されるだけなんで、とヘンリックはマティアスからの誘いであっても遠慮なく断ってくる。さらにそもそも仕事中です、とヘンリックは正論を投げつけてきた。仕事も何も、マティアスが誘っているのだから気にすることはないだろうに。
「酔い潰れたら明日は休みにしてやる」
「それは潰すって宣言ですか?」
ヘンリックがひくりと頬を引き攣らせたので、マティアスはにやりと笑った。それだけでヘンリックは両手をあげて降参する。
「あー! もー! はいはい付き合えばいいんでしょ付き合えば!」
国王陛下には逆らえませんからね! とヘンリックは大人しく椅子に座って、マティアスが差し出したグラスを受け取った。
そして一時間ほど飲んでいると、ヘンリックはすっかり酔い潰れていた。マティアスが酒に強いということもあるが、ヘンリックは実はあまり酒に強くないのである。
だからこそ酒の席は避けているし、強制参加となっても飲みすぎないように気をつけている。だがそれをすべて知っているマティアスには通用しない。
「あー……だからへいかとはのみたくないんですよぉ……」
ぐったりとテーブルにうつ伏せになりながらヘンリックが唸る。冷たいテーブルが酒で火照った身体にはちょうどいいらしい。
テーブルの上には既に空になったワインの瓶が四本ほど転がっているが、その大半はマティアスが飲んでいる。しかし飲んだ本人はけろりとしていて、酔った雰囲気などまったくない。
「遠慮なく飲める相手がおまえくらいしかいないから仕方ない」
「しかもそーゆーこと言う……はー……やだやだ……」
国王という立場上、こんな遠慮ない酒盛りなんてことは滅多にできない。こんなことができるのはおまえだけだとしれっと言われると、ヘンリックだって悪い気はしないだろう。
「でもおまえはよわないんだからのんでも楽しくないんじゃねーの……」
酔っているせいもあって、ヘンリックの口調が崩れている。ぐてんと頭をテーブルに乗せたままマティアスを見てきた。
「楽しくなかったら誘わないだろう」
「そりゃそーだ……」
あはは、とヘンリックが笑う。
マティアスは一緒に飲みたくない相手を誘うような性格はしていないし、楽しくないのに楽しいふりをするような男でもない。
それに、とマティアスは続けた。
「今回はおまえが飲みたい気分なんじゃないかと思って誘ったんだが」
近衛騎士であるヘンリックは、そもそも非番でもない限り酒を飲むことはない。そして非番のときはたいてい育児院に顔を出しているので、一人で酒を飲みに行くこともないのだ。
「いやー今日はもうこれ以上はのめませんけど」
マティアスはさらにワインを追加しながら、そんなことを言う。油断するとヘンリックのグラスにも注いでくるのでヘンリックはそっと自分のグラスをマティアスから遠ざけた。
「まぁ、たしかに、酔いたい気分ではあったかなぁ……」
ごろん、とヘンリックは頭を転がしてマティアスの視線から逃げる。顔を見られたくないんだな、とマティアスは黙ってワインを飲んだ。
しばしの沈黙が落ちる。マティアスはこういう沈黙を特に気にしなかった。話したいときに話せばいいと思っている。
「だってさぁ……!」
ヘンリックは突然頭を上げたかと思うと、ドンッとテーブルを拳で叩きながら声をあげる。けっこう酔っているらしい。
「こっちはあいつがちっさい頃から見てきたんだっつの! そこらへんのテキトーな男に嫁にやれるかってのやれるわけねぇだろ!?」
まるで父親みたいなことを言うな、と思いながら父親はさすがに言い過ぎか、とマティアスは頭の中で訂正する。
あいつ、というのがデリア・リーグルのことであることくらい、さすがのマティアスも分かっていた。
「むかしっからあいつは何かとがまんばっかするタイプだしさぁ……ちゃんとあまえられる相手じゃないと、これからしんどいだろ……なのになんで……」
これでいいんだと、諦めてしまうのか。
そう呟いて、ヘンリックはまた黙り込んでしまった。
頭を冷やしたいのか、ヘンリックはまたテーブルに額を擦り付ける。酔っても記憶がなくならないタイプなので明日はきっと思い返して悶絶するだろう。
マティアスとしては、弱音だろうが文句だろうが、とりあえず溜め込まずに吐かせようと思っただけなのだが。
「……おまえにとっては妹みたいなものか」
ぽつりと呟いたマティアスの言葉に、ヘンリックは「あー……」と声を零した。部屋の中にその声がやけに響いて聞こえる。嘲笑うような、苦笑するような、そんな含みをもってヘンリックが笑う。
「……妹みたいに、思えたら良かったんだろうなぁ……」
それはとても小さな呟きだった。
その時ばかりは酒の酔いすら消え去ったかのように、はっきりと、しかし掻き消えそうなほどの声量で。
まるで愛しているんだと懺悔するかのような、そんな響きすらあった。




