14:嵐のあとの訪問者
嵐の夜から三日。
エミーリアたちは相変わらずフェルザー城に滞在しているし、未だ王太后ナターリエには会えずにいる。マティアスは災害対応に追われ、そちらをフォローする暇が今のところない。
街道を塞いでいた倒木などはどうにか撤去され、小規模な土砂崩れも既に対応している。しかし流された橋はすぐにどうにかできるものでもなく、利用者は仕方なく遠回りをしているようだ。
どうにか一段落したら母であるナターリエに会って説得したいところなのだが、橋をどうするかという話し合いが進まず難航している。
どうしたものかと頭を悩ませていたところだった。騎士の一人が部屋にやってくる。
「陛下、城に滞在している女性に会いたいという者が来ておりますが」
その報告に、マティアスは思わず眉間に皺を寄せた。
城に滞在している女性というと、エミーリアかデリアしかいない。エミーリアに会いに来た者だとしたら誰だろうか。少なくとも騎士が記憶している人間ではないのだから、エミーリアの父や兄などではないのだろう。
「……その者の名前は?」
「オリヴァー・ゼクレスです」
その名前にマティアスは「ああ」と警戒心をといた。つい先日聞いた名前だった。
「デリア・リーグルの婚約者……いや正確にはまだ婚約者ではなかったか? ともかく、きっと彼女に会いに来たんだろう」
マティアスの返答に騎士は「なるほど、そうでしたか」と納得している。
城に入れて、応接間にでも通してやってくれ、と指示を出す。あとはギュンターがあれこれといいようにやってくれるだろう。
デリア・リーグルの婚約者になる男。
マティアス自身はそれほど気になることでもないが、エミーリアは気にしているようだった。それに、とマティアスはヘンリックをちらりと見た。親しいようだったから相手がどんな男か気にするかと思えば、ヘンリックはまったく反応していなかった。
その無反応がかえってわざとらしすぎるくらいだ。
なるほど、本気の相手はうまく口説けないらしい、とマティアスはこっそりと苦笑いを零すのだった。
フェルザー城でのエミーリアの過ごし方といえば、王都で過ごしているときよりもずっとのんびりとしたものだった。
朝起きてマティアスやデリアも含めて朝食をとり、その後は庭を軽く散歩する。災害対応で忙しないマティアスのもとには午前中に一度と午後に一度顔を出して、そっと休憩を促す。そのときに手伝えそうなことがあれば控えめに申し出る。それ以外の時間はデリアと話していたりしている。
「……あのね、デリア。実はずっと陛下を名前で呼べるように練習しているのだけど、全然うまくいかないの」
どうしたらいいかしら? と藁にも縋る思いでエミーリアはデリアに話しかけた。
「……名前を呼ぶのに練習が必要なのね……」
デリアは苦笑しながら小さく呟いている。
「わたくしだって、さすがにこのままではダメだと思うのよ!? だからがんばってみるんだけど、でも、その、陛下の名前を口にしようとするだけでどきどきしてしまって……!」
エミーリアは真っ赤になりながらそう告げる。うう、と恥ずかしそうなその様子を見つめながらデリアはため息を吐いた。
「呼べるようになるまでは、まず頭の中で名前で呼んでみるようにしたら?」
「頭の中で……」
「慣れるまでは口に出さないで……というか慣れたら自然と口からも出てるかもしれないし」
「さ、さすがだわデリア……!」
エミーリアはキラキラとした眼差しでデリアを見る。なるほど、確かにすぐに口に出して練習するよりも難易度は下がるし、エミーリアにもできそうだ。
早速あとでやってみよう、とエミーリアの悩みがひとまず解決したところで、コンコンとノックの音がした。
「どうぞ?」
「失礼いたします。実はリーグル嬢にお客様がいらっしゃっておりまして」
「私に? 誰かしら」
デリアは不審そうに眉を寄せた。
そもそもフェルザー城にデリアがいることを知る人物はほとんどいない。リーグル伯爵家と、ゼクレス伯爵家にしか連絡はしていないからだ。
エミーリアに会いに来た客人といわれるほうがよほど納得できる。
「オリヴァー・ゼクレス様です」
「まぁ……デリアが婚約する予定の方が?」
わざわざハインツェルまでやってきたらしい。デクレス伯爵家からハインツェルまでは馬車半日ほど、しかしそれは通常ならばの話なので、おそらくここに来るまでに倍以上の時間はかかったはずだ。
「それなら私は行かないといけないわね」
デリアに会いに来たのだからこのままエミーリアとのんびり話しているわけにもいかない。すっと立ち上がったデリアを追うようにエミーリアは腰を浮かせた。
「待ってデリア、よければわたくしも同席していいかしら?」
「え? かまわないけど……?」
でもどうして? と言いたげな顔をしながらもデリアはそれ以上何も言わなかった。
(デリアの相手に相応しい方なのかどうか、せっかくだから見極めたい……!)
大事な友人のことなのだ、黙って見ているだけなんてエミーリアには出来なかった。
オリヴァー・ゼクレスという青年は、噂通りの好青年だった。
身元の確認、そしてデリアとの関係の確認がなされるまで待たされていても嫌な顔ひとつせず、穏やかな笑顔を浮かべていたらしい。エミーリアとデリアがやってきても微笑みながら「はじめまして」と挨拶をした。
「……ええと、オリヴァー・ゼクレス様?」
その穏やかな雰囲気にデリアも戸惑っているらしい。目の前の青年を見ながら淑女らしく礼をすることも忘れて呼びかけた。
「はい、オリヴァー・ゼクレスと申します」
そんなデリアの様子に眉を顰めることもなく、オリヴァーは返事をする。
「先日の嵐があって、その上デリア嬢はお一人で当家に向かわれていたとのこと。きっと不安だろうと思いやってきたんですが……」
オリヴァーは立ち会っているエミーリアを見て、恥ずかしそうに笑った。くしゃりと笑ったその頬には笑窪ができていて、なんだか少し子どもっぽくなる。
「大丈夫だったみたいですね、早とちりというかなんというか、お恥ずかしい」
「いえ、わざわざ遠回りしてまで来てくださったのでしょう? 嬉しいです」
デリアがそう答えれば、オリヴァーは「それなら良かった」と照れながら笑う。
「改めまして、デリア・リーグルと申します」
「オリヴァー・ゼクレスです」
気を取り直して挨拶する二人を見つめながら、エミーリアはおや、と目を丸くした。
(これは……思ったよりもいい感じなんじゃないかしら……)
気の強いデリアと穏やかなオリヴァーは想像以上に相性がいいのかもしれない。
「わたくしはエミーリア・シュタルクと申します。デリアの友人です」
エミーリアは慣れた仕草でうつくしい礼をしながら挨拶をする。ここではマティアスの婚約者というよりもデリアの友人と名乗るべきだろう。
「シュタルク……というと、公爵家の?」
「はい、そうですね」
しかしオリヴァーはエミーリアの名前を聞いてわかったらしい。王都からは離れ領地で暮らしていると聞いていたのだが、さすがに国王の婚約者の名前は覚えていたのだろう。
「国王陛下がこちらにおられるとは聞いておりましたが、ご婚約者の貴女もいらっしゃるとは」
「王太后様へのご挨拶に伺ったのですけれど……来て早々、あの嵐で」
予定が崩れてしまって、と最後までは言わなかったが、エミーリアは困ったように笑う。王太后に会えないままで少々気まずい気持ちも芽生えていた。
「すごい嵐でしたからね。お二人とも、お怪我はなかったようで何よりです」
デリアだけではなくエミーリアの心配までしてくれる。それが国王の婚約者だから媚びを売っているという感じでもなく、心底そう思っているのだという雰囲気だ。
(……す、すごくいい方だわ……デリアが事前に聞いていたとおり、やさしくて誠実そうな……)
文句の付けようがない好青年だ。
デリアも初対面ながら、オリヴァーの人柄の良さを感じて表情が穏やかになっている気がする。残念ながらヘンリックといるときはこんな穏やかな顔はしていない。
「オリヴァー様も、ここまで来るのは大変だったでしょう?」
「遠回りになっただけですよ。途中の街道の倒木はもう撤去され始めていたところだったので。陛下がすぐに対処してくださったんですね」
さすがです、とマティアスが褒められて、エミーリアは「そうでしょう!」と強く頷きたくなった。そうでしょう、そうでしょう、陛下は素晴らしい方なんですよ! と。
しかしそれは完璧な令嬢と呼ばれるエミーリアにはあってはならない所業だ。デリアと二人きりならいくらでも飛び跳ねて喜ぶところだけど、そうはいかない。
「オリヴァー様はご宿泊はどちらに?」
もしも宿を決めていないのなら、フェルザー城に泊まれるか確認するべきだろうとエミーリアが問いかける。時刻は既に昼過ぎ。これからゼクレス伯爵家へ戻るということはないだろう。
「城下に既にとってあります、馬でここまで来たんですが、馬車での移動はまだ少し難しそうですね」
「……そうですか」
オリヴァーがやってきたのだ、デリアもゼクレス伯爵家へ向かうことになるだろうと思ったが、そう簡単にはいかないらしい。
残念とも安堵ともとれるような、微妙な表情でデリアは答えた。オリヴァーはそれを残念のほうだと受け取ったらしい。
「急がずとも我が家は逃げたりしませんから」
「まぁ」
オリヴァーの茶目っ気ある発言に、デリアはくすくすと笑う。
しばらく雑談は続いたが、オリヴァーが「そろそろお暇いたしますね」と立ち上がった。
無事を確認できて良かったです、と微笑むオリヴァーに、デリアは穏やかに微笑み返す。
これはやはり、いい感じ……なのだろうな、と二人を見ながらエミーリアは思うのだった。




