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12:庭園での出会い

 デリアとヘンリックの言い合いをどうしたものかと眺める。割って入るようなタイミングがないほどの賑やかさだ。

「……エミーリア」

「はい? なんでしょうか陛下」

 名前を呼ばれて、エミーリアはマティアスを見る。すると予想以上にマティアスにまっすぐに見つめられていて思わずどきっとしてしまう。

「あ、あの……?」

 何か……? とエミーリアは問おうとするけれど唇がうまく動かない。

「ふと思ったんだが、名前で呼んではくれないのか?」

 マティアスの問いに、エミーリアは硬直した。ぱちぱち、と瞬きをして、マティアスの言葉を繰り返した。


 名前で。

 呼ぶ。

(……陛下を?)


「――む、無理です!」

「何が無理だ」

 エミーリアが悲鳴のような声をあげると、マティアスはむっとして眉を寄せた。

「だ、だってそんな……! な、名前って……!」

 首まで真っ赤になったエミーリアがもごもごと口籠もる。

「ヘンリックと彼女は名前で呼び合っているだろう?」

 マティアスは言い合いをしていたデリアとヘンリックを見てわずかに首を傾げている。

「あー……もしかして陛下、羨ましくなっちゃいましたか」

「……そういうわけではなく、婚約者なのだから名前で呼び合うくらいしてもいいんじゃないかと思っただけだ」

 ヘンリックがにやにやと笑っているのを見てくるので、マティアスは目を逸らしながら言い訳する。そんな言い訳もエミーリアの耳にはまったく届いていなかった。

(へ、陛下を名前で呼ぶなんて……! そ、そんなこと……!)

「ど、どきどきしすぎて死んでしまいます……!」

 半泣きになりながらエミーリアがそう訴えると、部屋の中に沈黙が下りる。

「……それは困るな」

「困りますねぇ」

 困惑した表情のマティアスと、笑いを噛み殺しているヘンリックに同じことを言われる。

「エミーリア、そろそろお暇しましょう」

 真っ赤になってあわあわと口籠もるエミーリアの肩に触れ、デリアが微笑む。それは「一旦離れて落ち着きなさい」と言外に告げている。

「そ、そうね。いつまでもいたら、ご迷惑ですよね……!」

 エミーリアとデリアは一休みしてもらおうとお茶を持ってきただけだ。あまり長居しては一休みではなくなってしまう。

「いや、君が迷惑になるなんてことはないが」

「陛下、今は黙っててください」

 トドメを刺すつもりですか、と呟くヘンリックにマティアスはよくわからないという顔をしていた。




 仮執務室となった部屋を出て、エミーリアはふぅ、と息を吐き出す。まだ心臓がどきどきとしていて簡単には落ち着きそうにない。

「それじゃあ、私は父やゼクレス伯爵家に手紙を書くから部屋に戻るけど……」

 大丈夫? とデリアが心配そうに見てくる。考えてみると、いつも相談に乗っていてもらったけれど、デリアがいる前でときめいてどうしようもなくなるというのは珍しい。

「わたくしはちょっと、庭を散歩してくるわ……」

 顔がすっかり火照ってしまっているので、外の空気を吸ってきたほうがいい気がする。

「それなら護衛の騎士を呼んだら?」

「私もお供いたしましょうか?」

「大丈夫よ、フェルザー城は王城と違って一般公開されているわけではないし。警備はしっかりしているもの」

 それにすぐに戻るから平気よ、と付け加えてエミーリアはデリアやハンナと別れた。仕事のある騎士をこんなことで呼び出すのは申し訳ないし、ハンナにも仕事はある。

 フェルザー城の中には、エミーリアがまだ知らない場所は多い。外へ出ようと思いつつ知らない廊下を歩いてみたところ、壁にはいくつもの絵が飾られていた。

「これ……」

 飾られている絵は、どれも同じ人物のようだった。金髪の男性と、男女の子どもが描かれている。おそらく年を重ねるごとに毎年描いていたのだろう。子どもたちは少しずつ成長していた。

「この絵……陛下、かしら?」

 一枚目の絵のときからもしかして、とは思ったのだが、描かれている子どもが十歳くらいになるとエミーリアは確信した。

 金の髪に、空のような青い瞳。幼い頃は少し無邪気な雰囲気があったが、十歳くらいの絵になると少しつまらなさそうな……今のマティアスが黙り込んでいる時と同じ顔をしている。

「それじゃあこの男性は、先王陛下……こちらは姉姫のレオノーラ様ね」

 マティアスと同じ金の髪の二人を見てエミーリアは呟く。

(まさか小さな頃の陛下を見ることができるなんて思わなかったわ……! 嬉しい……!)

 思わず顔がにやけてしまう。子どもの頃のマティアスの姿なんて、もちろん見たことがない。

 王太后がこのフェルザー城で暮らすようになって六年ほどになるだろうか。城の主のために飾られているのかもしれない。

「姉姫様は小さな頃から本当にお綺麗な方だったのね……先王陛下に目元が似ていらっしゃるわ」

 じぃ、と食い入るように絵を見る。どの絵もおそらく同じ画家が描いたのだろう。絵の雰囲気やタッチが同じだ。

「そういえば、王太后様は絵にいらっしゃらないのね……」

 絵のモデルとなるとしばらくじっと動かずにいなければならなかったりするから、身体の弱い王太后には厳しかったのだろう。

(今度またじっくりと見に来ようかしら。あ、もしかして陛下も誘ったら来て下さる……?)

 それとも小さな頃の自分の絵なんてと嫌がるだろうか。できればマティアスの口から思い出話を聞いてみたいところなのだが。

 ふふ、と上機嫌でエミーリアは外に出た。

 嵐が去ったあとのハインツェルは青空が広がっている。まだ少し湿り気のある風がエミーリアの頬を撫でていく。

 王都より北に位置するハインツェルでは、既に夏の花は咲いていない。秋の花がちらほらと咲いているが、昨夜の嵐のせいか花びらが散っていたりと少し可哀想なことになっている。


「……あら?」


 庭の片隅に、人がいた。

 まだ濡れている地面に腰を下ろし、何やら絵を描いているようだ。

(ここにいるってことは、フェルザー城に滞在していらっしゃる方よね……? 王太后様お抱えの画家さんかしら?)

 エミーリアはゆっくりと歩み寄り、そしてその画家が女性であることに気がついた。髪をひとつにまとめ、服は男性のものを着ていたので遠目にはわからなかったのだ。

 画家の女性は庭の景色を写生しているらしい。

 エミーリアがぱきり、と枝を踏むと、女性が顔をあげた。

 見上げてきた女性と目が合う。

「あ……お邪魔してしまって、ごめんなさい」

 反射的に謝るエミーリアを見上げながら、女性はぱちぱちと瞬きをした。

 うつくしい女性だ。焦げ茶の髪は地味ともいえるほどなのに、その容姿のせいかまったく地味な印象がない。男性の服を着ているのにどこか華やかさが滲んできている。

 年は三十代くらいだろうか。もしかしたらマティアスと変わらないくらいの年齢かもしれない。

「……いえ、手慰みに花を描いていただけだから気にしないで」

「ダリアですか? 綺麗ですね」

 ちょうど近くで咲き誇っているのは赤いダリアだ。嵐にも負けずに、綺麗な花を咲かせている。

「普段から花などを描いていらっしゃるんですか?」

「いいえ……いろいろ、かしら」

 そうなんですね、とエミーリアは相槌を打つ。

「すごいですね。わたくし、絵は全然上手く描けないんです」

 それ以外のことは努力を重ねて、それなりにはできるのだが、絵に関してエミーリアの才能はまったくといっていいほどなかった。

 猫を描いたつもりだったのに「くまさんかしら?」と姉から悪気ない感想をもらったことさえある。

「小さな頃から絵ばかりを描いていたから……」

「それだけ絵を描くことがお好きなんですね」

(わたくしにとっての読書みたいなものかしら。あ、でもわたくしの読書はお仕事じゃないもの、比べては失礼ね)

 にこにことエミーリアが話しかけ続けていると、女性はじっとエミーリアを見つめてくる。

「……あなたは、おかしいとは思わないのかしら?」

「何をですか?」

「女がこんな格好をして、画家の真似事をしていることが、よ」

 ――画家の真似事。

 女性の画家というものは珍しい。珍しいどころか、エミーリアは初めて出会った。画家のほとんどは男性で、絵を描くことは貴族の令嬢が稀に習うことがあったとしてもそれを職業にすることはない。

 ――だが。

「何がおかしいんでしょうか? この国は女性が画家になることを禁じておりませんし、才能のある方がその道へ進むことは素晴らしいことだと思います」

 エミーリアは迷いない目で、思ったことを告げる。何一つおかしなことなどない。

「才能、なんて……」

 女性はそっと目を伏せた。

 その手に握られた筆はすっかり止まってしまって、描きかけのダリアは静かに完成を待ち望んでいる。

「才能なんてないわ。近頃は、何を描いていいのかわからずに、描いては破いての繰り返しばかりで」

 そのうつくしい唇からため息が零れた。

「人物画が特に描けない、描きたい気持ちはあっても、手が動かないの。……もうそろそろ辞め時なのかもしれないわ」

「……それでも描くことをやめないのは、ひとつの才能だとわたくしは思います」

 女性の目を見つめながらきっぱりと言い切ると、女性は青い目を丸くして驚いたような顔になる。表情の変化がわずかだが、驚いたのだとエミーリアは感じた。


「……あなたは少し、変わっているわね」


 そして、ふわりと笑った。雪が溶けてゆくような、そんな微笑みだった。

「ふふ、たまに言われます」


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