3:両思いの正しい距離感
古今東西、女に溺れた王が行く末は破滅である。
それは多くの歴史で既に証明されたものであり、東の国では皇帝が一人の妃に溺れたあまり国が荒れ一つの王朝が滅んだこともあるそうで。
(もちろん陛下は大丈夫だと信じているけど、このままじゃダメじゃないかしら!? 婚約者にかまってばかりで執務を放り出しているなんて言われたりしたら……!)
と、心の底から不安になった上でのデリアへの「とんでもない悪女になってしまうかもしれない」という発言だったのだが、デリアは「……は?」と言ったあとできっぱりとエミーリアの言葉を否定した。
「あなたに悪女の才能なんてないわよ。これっぽっちも心配いらないから安心しなさい」
悪女とやらには才能が必要なのか、と思いつつエミーリアは友人の言葉を素直に受け入れた。しかし日が経つにつれて、不安の種はむくむくと大きくなる。
もしも自分がマティアスの評判を下げていたら?
――そんなの、エミーリアには耐えられない。
*
そんな不安を抱えたまま、マティアスと会う日がやってくる。
(今日はもともと約束していた日なんだから、会ってもいいわよね? ……気にしなくてもいいわよね?)
国王とその婚約者が不仲と思われるわけにもいかないし、かといって恋にのぼせ上がっていると思われてもいけない。
婚約者として正しい距離とはなんなのだろう。
「両思いって、難しいのね……」
本音を言えば毎日だってマティアスに会いたい。でもそんなわけにはいかないから週に一度で我慢していたわけだけど、今は偶然も含めると週に二、三度会っていることになる。
(多すぎるかしら……? もう少し控えるべき?)
ううーん、とエミーリアが首を捻っていると馬車が止まる。王城に着いたのだ。
マティアスと会うと決まっている日は、たいてい馬車を降りてすぐにヘンリックか、他の近衛騎士がエミーリアを待っている。そしてそのまま応接間や、庭の東屋へと案内されるのだが。
「エミーリア」
「――へ、陛下!?」
今日は馬車の扉を開けてすぐ、マティアスが立っていた。マティアスの金の髪は太陽の下できらきらと輝いていてたいへん眩しい。
エミーリアは差し出されたマティアスの手に自分の手を重ねつつ、ゆっくりと馬車を降りる。
「きょ、今日はどうなさったんですか……?」
「たまには自分で君を迎えに行くのもいいかと思ったんだが」
――嫌だったか?
なんて聞かれて嫌だなんて思うはずもないし、言うはずもない。
エミーリアの胸はきゅうっと締め付けられているし、嬉しくて嬉しくて踊り出したいくらいだ。
「一分一秒でも早く陛下とお会いできるのに、嫌だなんて思うはずがありません」
心の底からしあわせだというように微笑むエミーリアに、マティアスも微笑み返す。
そんな二人のやり取りを騎士や門番、果ては女官にいたるまでがにこにこと見守るのが近頃の王城の日常になりつつあった。
今日は陽射しが強いから、と応接間に通される。晩夏といえど太陽の輝きは眩しいくらいで、昼間は外を歩いているとじっとりと汗をかく気温だ。
「そういえば、今度育児院に行くんだったか」
「はい、友人と一緒に」
用意されていた冷たい紅茶にはミントとレモンが添えられている。さっぱりとして飲みやすい、この時期に好まれる飲み方だ。
「友人……リーグル伯爵家の?」
「そうです。……あの蜂蜜の」
おそらくマティアスが思い浮かべたであろう騒動に、エミーリアは苦笑した。
リーグル伯爵令嬢であるデリアから惚れ薬をもらったエミーリアが、誤ってその薬を紅茶にいれて飲んでしまったけど、実はただの蜂蜜でした――というのは初夏の出来事である。その結果エミーリアとマティアスは無事に両思いになったわけなので、今となってはいい思い出だ。
(……わたくしは自分の失態を思い出して少し恥ずかしいけど)
冷静になってから思い返すと、かなり取り乱していたなと思う。
「仲が良いんだな」
「デリアは親友ですもの。陛下にとってのヘンリック様のようなものです」
デリアはエミーリアが唯一、自分を繕わなくてもいい友人だ。
「ヘンリックは……親友なのか?」
「え、そこ疑問形になります? 俺傷つきますよ?」
「それならそれで、もう少しそれらしい顔をしたらどうだ」
「陛下に言われたくないですねぇ!?」
首を傾げたマティアスに思わずヘンリックが口を挟んできていたが、そんな二人の遠慮のないやり取りはまさしく親友といっても過言ではないと思う。
(……そういえば、デリアとヘンリック様は結局どういう知り合いなのかしら?)
どうやら顔見知り以上の関係であることはエミーリアにもわかっているけど、デリアにはそれとなく聞いてみてもさらりとかわされてしまうし、ヘンリックには尋ねる機会がなかった。
今ヘンリックに聞いてみてもいいのだが、デリアが話してくれなかったことを詮索するようでどうにも気が引ける。
「いや~それにしても皆言ってますよ。陛下はすっかりシュタルク嬢にめろめろですねって」
「えっ」
――め、めろめろって!?
にやにやと笑うヘンリックの言葉に赤くなったエミーリアをよそに、マティアスは平然としている。
「婚約者との仲が良好なのはいいことだろう?」
何か問題でも? と言いたげなマティアスにヘンリックはつまらなさそうな顔をしていた。
しかし楽しげな二人と違って、エミーリアは赤くなったかと思えば青くなって、口をぱくぱくとさせている。
(待って!? 皆ってどういうこと!? どこからどこまでが皆なの!? もしかしてわたくしはもう悪女になっていたの!?)
それは由々しき事態だ。どうにかして誤解を解かなければならない。
マティアスは確かにエミーリアを大事にしてくれているし、以前よりも態度がびっくりするほど甘くなったけれど、だからといって執務を怠っているような人ではない。少なくともエミーリアはそう信じている。
(わたくしと会う時間が増えれば増えるほど、きっと誤解は広がる一方よね)
――それならばいっそ。
「あの、陛下。わたくしたち、少し会うのを控えたほうが良いのではないでしょうか?」
もともと約束している週に一度、それくらいで満足するべきなのではないだろうか、と。
エミーリアはそういう意味での発言だったのだが、マティアスの表情はピシリと凍り付いた。
ちなみにこの時、マティアスが持っていたグラスにヒビが入ったのをヘンリックは見逃さなかった。
「――それは」
理由を尋ねようとしたのだろう、マティアスが問おうと口を開くとタイミング悪く書記官が駆け込んでくる。
「申し訳ありません陛下、急ぎ確認していただきたいことが――」
マティアスとエミーリアが会っているときに、こうして書記官が割り込んでくることはあまりない。まして入室の許可なくやってくるなんてなかなかないことだ。
(やっぱり陛下はお忙しいわよね……)
両思いになったことですっかり浮かれていたけれど、マティアスはエミーリアが何時間も独占できる人ではない。改めてそれを再認識させられた。
「それなら、わたくしはそろそろ帰りますね。陛下も皆さんも、あまり無理はなさらないでください」
夏の終わり、季節の変わり目というものは誰しも体調を崩しやすいものだ。エミーリアは申し訳なさそうな顔の書記官に微笑みかけながらそう告げる。
「陛下、来週またお会いできるのを楽しみにしております」
エミーリアはふわりと微笑みそう告げる。マティアスは混乱しているようだったが、結局エミーリアの言葉の真意を聞く暇もないまま、愛しい婚約者は退室してしまったのだった。




