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1:『恋人』からの手紙

 夏もそろそろ終わりを迎えようとしているとはいえ、太陽が顔を出すのは早い。

 エミーリアが目覚めると既に外は明るくなっていて、窓からふわりと風が入ってきた。その風の涼しさにほんのりと秋の気配を感じる。


 ベッドの上でふあ、と欠伸をしていると、ノックの音のあとでハンナが部屋に入ってきた。

「おはようございます、お嬢様。今日も陛下からお手紙が届いてますよ」

 にこにこと嬉しそうにハンナが差し出してきた手紙を受け取って、エミーリアはにやけそうになる頬をきゅっと引き締めた。

 ハンナがカーテンをあけて洗顔用のお湯を運んでいる間に、エミーリアはマティアスからの手紙の封を切る。最初は寝巻きのままで読むなんてだらしがない、きちんと着替えてから読まなくちゃなんて思っていたけれど、どうしても中身が気になって仕方がないのだ。

 マティアスからの手紙には、必ず花が一輪添えられている。今日はブルースターがちょこんとお行儀よく手紙を彩っていた。

(陛下はマメな方だけど、手紙は少し苦手みたいなのよね)

 くすくすと笑みを零しながらエミーリアはマティアスからの手紙を読んだ。

 生真面目そうな字で綴られているのは、彼の日常である。しかしこれが毎度内容に大きな変化がなく、最近では本人も手紙の内容に困ったのかヘンリックの観察日記のようなものになりつつあった。

 今回の手紙には、最近のヘンリックはどうも休みの日も忙しくしているらしい。まとまった休みをやるべきか悩んでいると書いてあった。

 マティアスからの手紙の最後には決まって「愛をこめて」の一言がある。それだけでエミーリアは胸がいっぱいになってしまう。

「お嬢様、今日は王立図書館に行くんでしたっけ?」

「ええ、その後はそのままデリアとお茶会ね」

 公爵令嬢として――マティアスの婚約者としてエミーリアも多忙な身だが、今日は比較的のんびりできる日だ。王立図書館に行って、その後デリアとお茶をするだけの一日なんてエミーリアにとっては贅沢な一日である。

(陛下と次にお会いできるのは明後日……)

 エミーリアとマティアスは変わらずに週に一度会うことになっている。姉のコリンナには義務みたいだと言われたが、必ず週に一度会えるという約束は二人にとって義務だろうがなんだろうが喜ばしいものだ。

(……早く陛下にお会いしたい)

 顔を見て話がしたい。なんてことないことで笑い合いたい。マティアスからの手紙は嬉しいけれど、会いたいという気持ちを強めてしまう。

 王立図書館に行くのだから会いに行けばいいと言われればそれまでなのだが、予定にもないのに突然訪問するというのはまだまだエミーリアには難しいことだ。マティアスは当然、エミーリアよりも遥かに忙しい人なのだから。

(それに、もしかしたら今日、偶然お会いできるかもしれないし)

 ちょっとだけ期待をしながらエミーリアは身支度を整えるのだった。




 王立図書館はいつも静けさに満ちていて、エミーリアはこの雰囲気がとても好きだ。

 借りていた本を返却して、少しだけ図書館のなかを見て回る。いつもは見ない系統の棚を眺めながらエミーリアは「うーん」と唸る。

(やっぱり王立図書館にはあまり蔵書はないのかしら?)

 エミーリアの探しているような本はどれだけ探しても見当たらないので、司書に聞いてみようかと思った時だった。


「子ども向けの本か?」

「はい、今度育児院に行くので……」


 ――その時に読み聞かせをしてあげようかと思っているんですけど、と突然の問いかけにエミーリアは素直に答える。

 そしてすぐに、はた、と声の主に気づいた。

「へ、陛下?」

「子ども向けの本はあまりないな。そもそも利用者のなかにそういったものを読む者がいない」

「やっぱりそうですよね……ではなく! えっと、あの、どうしてここに?」

「休憩代わりに来たら君がいた」

 マティアスが答えている内容は素っ気ないのに、その顔はとろりと蕩けそうなほどに甘く、エミーリアは息を呑む。

「そ、そうでしたか……」

 それならばそうなのだろう、とエミーリアは納得した。いや、納得するしかなかった。

 というのも、こうしてエミーリアが王立図書館にやってきた時にマティアスと偶然会うのは今日が初めてではないのだ。

 初夏の薔薇が咲き誇る庭園で、二人がついに互いを思い合う婚約者となってから二ヶ月ほどが経ったが、あれ以来こういう偶然はけっこう頻繁に起きている。おかげで司書たちも、突然現れる国王陛下に驚かなくなってきてしまったくらいだ。

 そうだ、とエミーリアはマティアスを見上げた。

「お手紙、ありがとうございます」

「……あまり、面白味のない内容だと思うが」

 少し眉間に皺を寄せ、マティアスは小さく答える。本人もヘンリックのことばかり書いた手紙に少なからず思うところがあるらしい。

「ふふ、わたくしは陛下からのお手紙ならどんな内容でもうれしいですよ」

「君が喜んでくれるならいいんだが……いつも執務ばかりで面白いことがないからな」

 エミーリアとマティアスが手紙のやり取りをするようになってからというもの、毎日ではないものの、およそ二日おきに手紙を書いている。

 マティアスはいつも夜に手紙を書いて、エミーリアが目覚めたらすぐに読めるようにと届けてくれる。そしてエミーリアはその日のうち、あるいは次の日には返事を書く。そしてマティアスも同様に二日とあけずに手紙を書く。その繰り返しだ。

 さらに週に一度は必ず顔を合わせているのだから、これといって手紙に書くような真新しい話題はない。

「手紙を書くようになって、君はいつも些細なことに気づくんだなと実感した」

 今日は雨上がりに、虹を見ることができました。夏の花がそろそろ終わりそうです。夜はすっかり涼しくなりましたね。そんなごく普通の、日常のことをエミーリアは手紙に書いている。マティアスはエミーリアからの手紙を読むたびに、そんな小さな季節の変化にも気づくようになったのだ。

「陛下の不得意なところをわたくしが補えるのなら、とても嬉しいですね」

 それがどんなに小さなことでも。

 エミーリアが微笑むと、マティアスは一瞬喉に何か詰まらせたような顔になった。

「……そういうところだな。ところで、このあと予定は?」

「友人とお茶会が……陛下は?」

「そろそろ戻らないとヘンリックがうるさいだろうな」

 マティアスが苦笑しながらそう言うので、エミーリアはつい小言を言うヘンリックを想像して笑ってしまった。

「無理はなさらないでくださいね。……明後日またお会いできるのを楽しみにしております」

「ああ、また」

 マティアスの手がするりとエミーリアの頬を撫でる。

 それは一瞬のことだったが、エミーリアの心臓は悲鳴を上げるように大きく跳ねた。


 王立図書館の入口でマティアスと別れ、エミーリアはゆっくりと息を吐き出す。


(『恋人』の陛下にはまだまだ慣れない……! 以前よりもずっとやさしくて表情が甘くて心臓に悪いわ……!)


 これでも慣れなくてはと思うのだが、果たしてそんな日がくるのだろうかとエミーリアは思うのだった。



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