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20/82

19:ガーデンパーティー

 その日は朝から見事な快晴だった。


 エミーリアは目覚めるなりハンナに身体中を磨きあげられている。薄茶の髪はさらさらと柔らかく、爪のひとつひとつまで丁寧に磨かれる。

(陛下の婚約者として、少しの失敗も許されない。リンハルト公爵夫人は陛下の叔母様ですもの。……きちんと認められたい)

 今回のガーデンパーティーに姉のコリンナは参加しないそうだが、デリアはいる。必要そうならフォローはするわ、と言ってくれたデリアをエミーリアは頼もしく思っていた。

 リンハルト公爵夫人は最先端の流行をいく人だが、華美なものを好むわけではない。その人にあった装いが夫人には一番好感を持たれるらしい。

 しかしそれが、実のところエミーリアにとって一番難しい注文だった。

 自分の好みでドレスを選ぶことはある。しかしそれは似合っているかどうか、深く考えているわけではない。家族はとてもよく似合っている、と褒めてくれるが身内の評価は参考にするべきではないだろう。

 基本的に誰かに会う時はその人物に合わせる。だって、その方がうまくいくことが多いから。しかし今回はそれができない。パートナーであるマティアスの好みに合わせようにも、結局エミーリアはマティアスの好みを知らないままだ。

 悩んだ末に、エミーリアは自分でも気に入っているミントグリーンのドレスを選んだ。髪を飾るのは白い小さな薔薇の造花とレースのリボン。

 夏に相応しい爽やかな色だし、何よりエミーリアの瞳の色と似ている。そして、白がよく似合うドレスだ。


 白い薔薇。

 ミルクティー。


 その二つがあれば、エミーリアはどんなことでも頑張れる気がするのだ。

(……不思議ね。あのとき励ましてくれた人は陛下ではないはずなのに、やっぱり思い出す時は陛下とおんなじ顔をしているんだもの)

 記憶とは勝手なもので、その姿をマティアスに置き換えてしまっているのだろうか。


 ……エミーリアが、マティアスのことを好きだから?


 結局、その答えはまだぼんやりとしている。いや、はっきりしているものから、エミーリアは目を逸らしているのかもしれない。

 マティアスが好きだと認めてしまったら、エミーリアの夢はもう手の届かないところへいってしまうから。


 伝えた思いは届かないまま、どこへ落ちてしまったんだろう。




 エミーリアがマティアスと顔を合わせたのはリンハルト公爵家に着いてからだった。

 馬車から降りようとすると、先に到着していたマティアスがエミーリアに手を差し出してきた。

 既に集まり始めた参加者からの視線が集まる。

(笑いなさい、エミーリア。あなたは陛下の婚約者なのよ)

 無様な姿など晒すわけにはいかない。

 ふわりと微笑み、エミーリアはそっとマティアスの手を取った。

「ありがとうございます、陛下。お会い出来て嬉しいです」

「つい先日会ったばかりだが」

 まさにその通りだ。マティアスの言葉に、エミーリアはつい笑みを零す。

「ふふ、そうですね。本日はよろしくお願いいたします」

 人目があるからだろうか。エミーリアはマティアスと会っても、いつもよりずっと落ち着いていた。背筋を伸ばし、誰もが知るエミーリア・シュタルクに――完璧な令嬢になる。

「エミーリア」

 しかし、マティアスの低い声で名前を呼ばれた途端に大人しくしていたはずの心臓が早鐘を打つ。

 顔に出さないように、と心がけるのに頬が赤くなるのはどうにもできない。

「……今日は、名前で呼ばないでください」

「なぜ?」

 なぜ、なんて。

 そんなこと聞かなくとも今までのエミーリアの様子を思い出せばわかるだろうに。

「……陛下は意地悪ですね」

 む、と少し頬を膨らませるエミーリアに、マティアスはくすりと笑う。

「そうでもない。――だがパーティーが始まる前に君の機嫌が悪くなったら困るな。大人しく言う通りにするとしよう」

「……ぜひそうなさってくださいませ」

 そうでもしてもらわないと、エミーリアはとても平静を保てそうにない。


 リンハルト公爵夫人自慢の庭はそれはそれは見事だった。

 そろそろ開花のピークも終わりを迎えるはずの薔薇があちこちで咲き乱れている。その中でも特別なのは、リンハルト公爵家と王城にしかない品種の薔薇だ。

 数代前の国王が公爵家の娘にプロポーズする際にわざわざ品種改良で作った薔薇で、蕾から綻び始めた頃は白い薔薇のように見えるが、徐々に薄紅色に染まるという。ちょうど、その薔薇はまだ白いものが多く咲き始めたばかりなのだとわかった。

「我が家の薔薇もこのとおり咲き誇っております。今日はうつくしいお嬢さん方もたくさんいらっしゃいますが、ぜひ薔薇を愛でてくださいませ」

 茶目っ気あるリンハルト公爵夫人の言葉にくすりと笑う参加者たちは、あちこちに置かれたテーブルを囲みながら談笑している。

 大規模なパーティーではないが、公爵家主催ともなれば参加者はそれなりに多く、また名家の者ばかりだ。

「久しぶりね、陛下。ちゃんと婚約者を連れてきてくださったということは、私に紹介してくださるのかしら?」

 リンハルト公爵夫人は真っ先にマティアスとエミーリアのもとへ挨拶にやってきた。今回のガーデンパーティーの招待客のなかで最も地位が高いのは、当然国王であるマティアスだ。

「お久しぶりです叔母上」

「ええ、本当に久しぶりだわ。あなたあまりパーティーに参加しないんだもの」

「必要なものには顔を出してますが、執務を優先することもあります」

 マティアスはそもそも華やかな場が好きではないらしい。エミーリアも婚約してから、こうしてマティアスのパートナーとして呼ばれることはあまりなかった。

「……彼女が私の婚約者です」

 エミーリア、と小さくマティアスに名を呼ばれ、どくんと鳴る心臓を必死で落ち着かせる。

 エミーリアはドレスをそっと持ち上げ、慣れた仕草で優雅に挨拶をする。

「エミーリア・シュタルクと申します。本日はお招きいただきありがとうございます。リンハルト公爵夫人自慢の庭園を拝見するのを楽しみにしておりました」

 挨拶こそは緊張で少しかたくなってしまったが、ふわりと微笑む様はとても愛らしかった。

 夫人は「まぁ」とエミーリアに微笑みかける。

「お会いするのは初めてかしら。噂はよく耳にしておりましたの。こんなに可愛らしいお嬢さんが婚約者だなんて、あなたは幸せ者ね」

「そうですね」

 さらりと肯定するマティアスに、エミーリアは内心で悲鳴をあげるほど驚いていた。本心でないとしても、可愛いらしいと認められたことに有頂天になりそうだ。

「そ、そんな。幸福なのはわたくしのほうです」

 つい本音が飛び出してしまって、エミーリアは頬を赤らめた。恥ずかしがるその様子は初々しく微笑ましい。

 あらあら、とリンハルト公爵夫人はエミーリアの顔を見て何かを察したように笑みを深めた。


 主催者であるリンハルト公爵夫人は多忙だ。やってきた客人たちに声をかけ、必要があれば使用人に適宜指示を出す。

 夫人が去るとマティアスやエミーリアには自然と視線が集まる。国王とその婚約者なのだからそれも当然だ。

「……めんどうだな」

 早速疲れたようにマティアスが呟いていた。

 たかがガーデンパーティーといえど、立派な社交場だ。国王である彼はただ突っ立っているわけにはいかないし、未来の王妃であるエミーリアも同様に暇ではない。

「ご一緒した方がよろしいですか?」

 エミーリアは小さな声でマティアスに問いかける。

 婚約者としてマティアスの隣に立っているべきか、それともエミーリア自身も視線を投げかけてくるご婦人や令嬢方に声をかけてくるべきか。

 マティアスについて行けば、エミーリアはきっと男性たちの会話を笑顔を浮かべて聞いていることになるし、そのあとマティアスはエミーリアと一緒に女性に囲まれることになるだろう。

 エミーリアにとっては単身で女性たちに質問攻めにされるのも、男性たちの政治の話に耳を傾けるのも苦にならないが、マティアスは違うだろう。

「……あとで迎えに行く」

「かしこまりました。お待ちしておりますね」

 こういう場ではエミーリアも役に立てることが多いらしい、と嬉しくなる。

(――さて、陛下の負担を減らすためにも女性のお相手はわたくしがしなくてはね)


「ごきげんよう、カタリーナ様。先日のお茶会でお会いして以来かしら?」


 さっと招待されている女性たちを一瞥してから、エミーリアはすかさず顔見知りの伯爵令嬢に話しかける。

「ごきげんよう、エミーリア様。ええ、お茶会ではとても楽しい時間をありがとうございました」

 もちろん参加する令嬢のなかにはデリアもいたが、こういうところで選択を間違えてはいけない。

 カタリーナは伯爵家の中でも歴史ある名家の娘であり、かつ交友関係も広いので彼女の取り巻きは多い。

「本日は陛下とご一緒なんですのね! 陛下がエスコートなさる姿についドキドキしてしまいましたわ!」

 始まった、と思いながらエミーリアは完璧な笑顔を浮かべる。その様にはまったく隙がない。

 ――これからエミーリアとマティアスの仲について散々根掘り葉掘り聞かれることになるのだろう。


 たくさんの令嬢に囲まれながら、ちらりとエミーリアはマティアスへ視線を送る。

 たくさんの紳士に囲まれながら、マティアスはそっとエミーリアを見る。


 それはほんの一瞬で、互いの視線が交わることはなく、すぐにそれぞれ会話に集中してしまう。

「……まぁ、なんともじれったいこと」

 リンハルト公爵夫人はそんなすれ違う婚約者たちに気づき目を丸くした。

「あの子たちはずっとあんな調子なのかしら?」

「私も実際目にするのは初めてですけれど、エミーリアから話を聞いている限りはそのようですわ」

 ちょうど公爵夫人が話していたのはデリアだった。呆れたようにため息を零すデリアに夫人は「あらあら」と楽しげに笑う。

 デリアはもちろんエミーリアを囲う令嬢の一人にはならなかった。あの場に行っても邪魔になるか空気のようにいないものとなるか、そのどちらもか。

 そもそもデリアにはエミーリアとマティアスの仲を聞き出す必要などない。

「少しだけ、お節介が必要かしらね?」

 ふふ、と楽しげに笑う公爵夫人に、デリアは小さく「……お手柔らかにお願い致します」と言うことしかできなかった。


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