15:はじめての手紙
エミーリアは自分の部屋にこもって自己嫌悪に陥っていた。
(いくらお姉様の助言があったからって、また陛下と会う予定をキャンセルしてしまった……)
これでもう三回目だ。
ここまでくると、婚約者としての責務を放棄していると言われても仕方ないのではないだろうか?
きっとマティアスも、エミーリアの行動に呆れているに違いない。こんな娘を婚約者にしてしまったことを後悔しているかもしれない。
(……このままじゃ婚約破棄なんてことも……ありえるのかしら……)
簡単に覆るような婚約ではない。だがそれはエミーリアからの婚約破棄などありえないだけで、マティアスの心ひとつで白紙に戻すことは可能だ。
彼は国王なのだから。
マティアスがエミーリアを王妃に相応しくないと判断すれば、ありえないことではない。
もちろんそのことで混乱も生まれるし再び婚約者を選び直すという手間もかかるわけだから、リスクはある。
マティアスは安易なことをする人ではないだろうけれど、それでもエミーリアの振る舞いが目に余ればそういう決断もありえるかもしれない。
(でも、陛下が初恋の彼でないのなら、わたくしは陛下に恋をしていないんだから……)
それなら、破棄されても嘆くことではないのでは?
破棄されてから初恋の彼を探すこともできるのでは?
そんな考えが浮かんできて、エミーリアは慌てて首を横に振った。
(初恋のあの人を見つけてどうするの? そもそも、もう手がかりはない。見つかったところで既婚者かもしれない)
そんなことを理由に婚約破棄されてもいい、なんて考えるなんてどうかしている。現実的じゃない。
エミーリアはロマンス小説が大好きだ。けれど、あんなものが現実で再現可能だとは思っていない。
だってエミーリアは物語のヒロインのように、隠された王女でもないし、庶民として育った貴族の娘でもなければ、絶世の美女でもない。
そもそもありえそうでありえない、非現実的なものだからこそ物語として楽しめるのだ。
「バカなことを考えるのはやめなさい、エミーリア。あなたは陛下の婚約者でしょう」
自分の望みよりも、婚約者としての責務を果たさねばならない。
(来週は怯えていないで、陛下にお会いしないと)
押してダメなら引いてみろ、というコリンナの助言も十分実行したと言える。
……結局マティアスからはなんの反応もなかったわけだが。
エミーリアは机の上に置かれた小さな小瓶を見下ろす。
「惚れ薬をもらうなんて、やっぱりどうかしていたわよね……」
しかしそうは思っても捨てられずにいる。
(陛下のことは尊敬しているし、もちろん嫌いなわけではないけど、これが恋かどうか……今はわからない)
それならいっそ、この惚れ薬をエミーリアが飲んでしまえばいいのではないだろうか?
好意的な感情はある。それなら、この薬を使えば紛れもなく『好き』になるかもしれない。
マティアスを好きになれたなら、たとえマティアスに愛されなくてもこの婚約に、この結婚に、幸福を見い出せる。
指先で、そっと小瓶に触れる。
次にマティアスに会うときに飲んでしまおうか。そうすればこんなことで悩まずにすむだろう。
コンコン、とノックの音に驚いてエミーリアは弾かれるように小瓶から手を離した。
「お嬢様、王城から手紙が届きましたよ!」
やってきたのはハンナだった、少し息を切らせて笑顔でエミーリアのもとへ駆け寄ってくる。
一刻も早くエミーリアに知らせようと急いでくれたのだろう。
「……手紙?」
「はい、陛下からですよ!」
以前なら大喜びしたであろうその知らせに、エミーリアは怯えた。
ついに愛想を尽かされたのだろうか。婚約破棄するという最終宣告だろうか。
今更、最後に出した手紙の返事がきたとは思えない。
(……陛下からはじめていただく手紙がそんな内容だったら、どうしよう……)
おずおずとハンナから手紙を受け取る。ハンナは気を利かせてすぐに部屋から出ていってしまった。
ハンナにいてもらえば良かった。いっそ、ハンナにあけて読んでもらえば良かったのかもしれない。
手紙を見下ろしてそんなことを考えつつ、きっと染みついてしまった公爵令嬢であるエミーリア・シュタルクはそんなことしない。
手紙の封を切る。
手触りのよい紙は撫でていても心地よく、これが恋文であったのなら、きっとエミーリアは心踊らせていたに違いない。
あけてみるとそれは、もちろんエミーリアの手紙への返信でもなく、婚約破棄を伝えるものでもなかった。
「……ガーデンパーティー?」
近々リンハルト公爵夫人主催のガーデンパーティーがある。それに婚約者を連れてくるようにと言われているので、同行してほしい。
そんな内容が実に質素に書かれていた。
(……婚約者として連れて行くということは、わたくしはまだ陛下の婚約者なのね)
ほっと安堵した。そしてすぐに安堵したことに驚いた。
マティアスの婚約者でいたい、と心の底で思っているということなんだろうかと考えて、またぐるぐると終わらない思考の渦に落ちかけたがギリギリのところで踏みとどまった。
今は何より、
「準備をしなくちゃね」
たかがガーデンパーティーと侮るわけにはいかない。マティアスの婚約者として行くのだから、それに相応しい姿と振る舞いでなければ、マティアスの恥になる。
手紙に書かれていたガーデンパーティーの日付は十日後。ちょうど公爵夫人自慢の庭が最もうつくしいタイミングらしい。
リンハルト公爵夫人といえばマティアスの叔母にあたる方だ。
それこそエミーリアがガーデンパーティーで失態を見せれば「こんな娘は王妃に相応しくない!」と言われかねない。
(わたくしは、まだ陛下の婚約者だもの)
誰もが国王の婚約者にするのならばエミーリア・シュタルクの他に相応しい者はいないだろうと、そう言われて婚約が決まったのだ。
ならばその通りに振舞ってみせようではないか。
エミーリアが完璧な令嬢と呼ばれるのは、何もお世辞などではないのだから。
「ハンナ、いる?」
「はい! お嬢様!」
呼ばれてもすぐに応えられるように控えていたのだろう、ハンナがやってくるのは早かった。
「陛下と一緒にガーデンパーティーに参加することになったの。ドレスと小物の準備を手伝ってくれるかしら? あとお姉様に連絡してリンハルト公爵夫人がどんな方なのか教えていただかないと」
テキパキと動き始めたエミーリアに、ハンナは首を傾げた。
てっきりマティアスからの手紙で恋する乙女の気分が盛り上がっているかと思ったのだが、今のエミーリアはハンナのよく知る公爵令嬢のエミーリアである。
「えーと、陛下へのお返事は?」
「お姉様への手紙と一緒に書くわ」
答えながらエミーリアは便箋を取り出す。ただわかりました、とそれだけ書けばいいのにいざペンを握ると手が動かない。
あれほどたくさん手紙を書いていたのに、どうやってその内容を考えていたのだろうと不思議になるほどだ。
「お茶をお持ちしますね。お嬢様が手紙を書き終えたらドレスなどを決めましょうか」
「……ええ、そうね」
ハンナは本当に良い侍女だ。
お茶の用意を理由に部屋から出ていったハンナを見送り、エミーリアはそう思う。
先にコリンナへの手紙を書き始めた。公爵夫人のガーデンパーティーにマティアスと共に行くことになったこと、公爵夫人とはあまり面識がないので何か注意する点があれば教えてほしいということ。
社交的な姉ならばリンハルト公爵夫人についても知っているはずだし、ガーデンパーティーでこうしたほうが良いと助言をくれるだろう。
さらさらとペンはいつもと変わらぬ書き心地なのに、いざマティアスへの返信をと思うと動かなくなる。
「お元気ですか……ってそりゃお元気よね。陛下がご病気にでもなったら大騒ぎだもの……。ご無沙汰しております……散々逃げておいてそれを書くの? ああもう、どうしようかしら……」
唸りながら何枚も便箋を無駄にした結果、どうにか書き上がったのはとても事務的な手紙になってしまった。
ガーデンパーティーの件、かしこまりました。
パーティーの三日前は王城でお会いする予定でしたが、その時に詳しいお話をできたら嬉しく思います。
読み返してエミーリアは眉間に皺を寄せる。
(ものすごく可愛げがないけれど……でも、このくらいでいいのかもしれない)
あまりにしつこくしたことが、マティアスに嫌われてしまった原因なのだとしたら……淡白なくらいがちょうどいいのだろう。




