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13:急がば回れ

 エミーリアが恐れていても時間は無情にも流れていくし、週に一度マティアスと会うのは継続している。

 ついこの間まではこの週に一度やってくる日が楽しみで仕方なかったのに、その日が明日に迫っている今は胃がきりきりと痛んでいた。

 今も結婚式で着るドレスに使うレースを選んでいるのだが、エミーリアはそれどころではなかった。


「エミーリア? なんだか顔色がよくないわね?」


 うきうきとはしゃいでいる母とは違い、姉のコリンナはすぐにエミーリアの不調に気がついた。

 既に嫁いだ身だが、こうしてエミーリアの結婚の準備には顔を出して意見も出してくる。今日もわざわざやってきたのだ。

「ごめんなさいお姉様、少し疲れていて……」

「マリッジブルーには少し早いわよね。暑くなってくるといつもあなたは体調を崩していたし、今回もそれかしら」

 白い手が伸びてきて、エミーリアの額に触れる。熱はないわね、とうつくしい姉は心配そうにエミーリアの顔を覗き込んできた。

(……お姉様みたいに綺麗だったら良かったのに)

 コリンナはうつくしかった。

 白銀の髪はきらきらと輝いて、まるで繊細な銀細工のようにも見える。しみ一つない肌は滑らかで柔らかく、長い睫毛がその白い肌に影を作っている。

 地上に舞い降りた女神だと言われても信じる人間が出てきそうだ。社交界の華といわれるのも当然。

「……少し外の空気を吸いに行きましょうか。お母様、席を外しますわね? 一人で勝手に決めてしまってはダメよ?」

「はいはい」

 母親に釘を刺すと、コリンナはエミーリアの手を取り部屋から出る。

「お姉様?」

「そんな浮かない顔で選んでもいいものにはならないでしょう?」

 気分転換も必要よ、とコリンナは微笑む。

 けれど、わざわざ来てくれた姉にさえ気を遣わせてしまったと、エミーリアはますます自己嫌悪に陥った。

「……ごめんなさい」

「すぐ謝るのも悪い癖ね、エミーリア。王妃となるんだから堂々としていなさい」

(……王妃)

 マティアスと結婚すれば、エミーリアはアイゼンシュタット王国の王妃となる。そのための教育は受けてきたし、自分の立ち居振る舞いに不安はなかった。

 けれど今は、不安ばかりだ。

「……お父様からはエミーリアもこの婚約に乗り気だと聞いていたのだけど、違ったかしら?」

 厳しい顔のコリンナに、エミーリアは慌てた。妹に優しいこの姉は、きっと意に沿わない婚約をしたと思ったに違いない。

「陛下との婚約に不満なんてありません! ……ありませんけど、ただ少し不安で」

 本来ならコリンナの言葉を否定するだけでいいはずなのに、エミーリアはつい弱音を吐いてしまう。小さな頃から甘やかしてくれた姉だから、ついつい今も甘えてしまうのだ。

「不安?」

 コリンナが聞き返す。

 庭に出ると澄んだ空気に胸につかえていたものが少し軽くなった。

 シュタルク公爵家の庭園も王城のものと負けず劣らず素晴らしいものだ。慣れ親しんだその庭はエミーリアにとっても穏やかな気持ちになれる場所である。

「……わたくし、結婚をするなら夫となる方を愛したいと思いますし、愛されたいとも思います。……けど、どうしましょうお姉様」

 言葉にするとますます不安になる。

 胸が苦しくなって、足に力が入らなくなって、エミーリアはコリンナに縋りついた。

「わたくし、きっと、陛下に嫌われてしまって」

 声は震えた。

 どうしてだろう。

 初恋の彼がマティアスでなかったかもしれない。確かに突然知らない道に放り出されたかのような不安はあった。

 けれど、それよりも。

 エミーリアはマティアスに嫌われたかもしれない、その可能性のほうが怖かった。

「……このままじゃきっと、陛下に好きになってもらえない」

 ぎゅっと強く姉の手を握り、滲みかけた涙を堪える。

「大丈夫よ」

 コリンナは強い瞳でエミーリアを見つめ返した。その自身溢れる姿がエミーリアには眩しかったが、同時に沈みかけた心をすくいあげられる。

「私はエミーリア以上に素敵な女の子なんて、見たことないもの」

 やさしい手がエミーリアの髪を撫でる。

(それは……)

 身内の欲目だ、とエミーリアは思う。だってエミーリアには、このうつくしい姉に適うところなんてひとつも思いつかない。

「姉だから贔屓目に言っているんじゃないわよ? あなたほどやさしく賢く、努力を怠らない素敵な子は、私は他に知らないと言っているの」

 コリンナのやさしい声は、ささくれだったエミーリアの心に薬を塗り込んでいくようだ。

 姉に甘えるように、ぽつりぽつりとエミーリアはこれまでのことをかいつまんで話した。


 ふむ、とコリンナは一通りエミーリアから話を聞き終えると自信満々に告げた。

「今まで散々アピールしてきたっていうのなら、今度は何にもしなければいいのよ」

 姉の助言に、エミーリアは思わず口をぽかんと開けてしまった。

 だって、嫌われてしまったのだとしたら、どうやってマティアスとの関係を元に戻せばいいか尋ねたのに。

「そ、そんなことしたら陛下に忘れられてしまうじゃないですか……!?」

 ただでさえマティアスにとってはさほど興味もない決められた婚約者なのだ。会わずにいたら取り立てて綺麗でもない顔はすぐに忘れられてしまうだろうし、エミーリアのことを意識してもらえるはずがない。

「押してダメなら引いてみる。攻略法は変えてみないとね。一度手紙を出せなかったときは気にしてもらえたんでしょう?」

「……そういえば」

 体調を崩して日課だった手紙が途切れたとき、マティアスは珍しくエミーリアのことを気にかけてくれた。

 あれは風邪をひいたエミーリアを心配してくれたからだと思っていたのだが、考えてみれば『引いて』みたからマティアスの興味を引けたのでは……?

「エミーリアにも考えたいことがあるみたいだし、急がないで一度立ち止まってみなさい。せかせか動いてばかりじゃ、綺麗なものも大事なものも見落としてしまうわよ?」

 ほら、今はちょうど花も綺麗な季節だしね? とコリンナは微笑む。

 見渡せば丁寧に手入れされた庭には色とりどりの花が咲いている。空は青く澄んでいるし、風は気持ちがいい。

(……お姉様の言うとおりだわ)

 マティアスに好きになってほしいの一点張りで、エミーリアはここ数ヶ月一直線に進んでいた。けれど、そればかりで上手くいくわけがない。

 少し落ち着いて考える時間が必要なのかもしれない。

「……そうですね」

エミーリアが不器用に笑いながら答えると、コリンナはわざとらしいくらいに明るい声で笑った。

「しばらく会うのもやめちゃいましょう! だいたいね、そうやって会う日を決めてるのも義務みたいでダメだと思うわ。婚約者なんだから会いたいときに会いに行けばいいし、会いたくなきゃ顔を合わせなきゃいいのよ!」

「それは、わたくしと陛下は決められた婚約ですし……。でも、普通の婚約者なのに会いたくないときもあるんですか……?」

 現状は紛れもなく政略結婚なのだから、会う日を決めておくくらいでないと、それこそ何ヶ月も会わないことになりかねない。

 それにしても会わなくていい、という考えに驚かされた。

「あるに決まってるでしょう。夫婦になったって向こうの顔を見たくない日もあるわ」

 そういうものなのか、とエミーリアは雷に打たれたかのような衝撃だった。

(好きな人となら、いつでも会いたくなるし一緒にいたいと思うものとばかり……)

 今だって、エミーリアはマティアスに会うのが怖いけれど、それでも会いたいと思う気持ちもある。

「そうと決まればさっさと城に連絡して、明日は久々に私と一緒にゆっくり過ごしましょう!」

 どうやら姉は今日はこのまま泊まるつもりらしい。もちろん嫁いだ姉はシュタルク公爵家に住んでいるわけではない。

「ええと、お姉様。お義兄さまは……?」

 おずおずとエミーリアが問いかけると、コリンナはにっこりと笑った。有無を言わさぬその笑顔にエミーリアは続けかけた言葉を飲み込んだ。

「うちの旦那様ならここ数日研究所に篭もりっぱなしだからほっといていいのよ」

 心なしか怒っているような声にエミーリアは苦笑いを零す。

(……いいのかしら?)

 よくないとは思うけれど、婚約者としての心構えも怪しいエミーリアには夫婦のあれこれに口出しなんて出来るはずがなかった。



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