プルア村にて
それはフレイル・フィブルの時間で6年ほど前の話だ。彼女の住むプルア村に王都からの使者がやって来た。目的は村周辺のクリーチャー調査だ。今でこそ国土全体のクリーチャー数は減少傾向にあるが、それでも森の奥や地中深くに巣を残しているものも多い。そうなった場合、プルア村を含む普通の村では大型のクリーチャーに対抗できるほどの実力がある者がいないのがほとんどであった。そうしたクリーチャー事情への対策として、王都から村への使者が定期的に視察にやってくることになっていた。
この村に住むブローフ・フィブルは、元は王都の戦士として数々の戦で活躍をしてきていたが、怪我を負ったことで妻と共にこのプルア村で生活するようになった。王都からの退戦金を貰ってこの村の中ではそこそこの屋敷を建てた彼の仕事は、巻き割りと農作物の育成が主なものになっててしまったが、彼と彼の屋敷にはもう1つの仕事があった。それがこのような使者がやって来た時に、共に村周辺のクリーチャーの調査を行い、この屋敷をその使者たちの拠点として提供をすることであった。
「ようこそお越しくださった……な、なんと!」
屋敷の玄関先で使者たちを丁寧な口調で迎えたブローフが驚きの声を上げる。その使者の中にとても見覚えのある人物がいたからだ。まだ王都にいた事は幼い姿を、今では印刷紙の姿絵で見る男の子だ。王都レオニスの第二王子、レスカ・レオニス。王族の第二王子がクリーチャー調査に来るだなんて、そんな報告は伝えられていなかった。すっかり村人に染まった薄汚れた服装で出迎えてしまったブローフは思わず頭を下げる。
「れ、レスカ様! こ、こんな格好で出迎えとはご無礼を……」
「そんなにかしこまらなくてもいいんですよ、ブローフさん。あなたが王都で残した戦績に比べれば、僕はまだ何もできていない子どもなんですから」
「し、しかし……」
「おや? 可愛らしいお嬢さんですね。こんにちわ」
レスカがはにかみかけると、ブローフの後ろからひょっこりと除く金髪の女の子の姿があった。ブローフが挨拶をするように促すと、女の子は育ちのいい口調で話し始める。
「フレイル・フィブルと申します。ようこそおいでくださいました」
「フレイルさんか、よろしくね」
「は、はい! よろしく……お願いします」
再びはにかみかけるレスカを見て、フレイルは思わず顔を伏せてしまった。整った顔立ちに、きめ細やかで美しい銀髪、透き通るような翡翠色の瞳は、フレイルが見た印刷紙の彼よりも何十倍も綺麗でかっこいい人物だ。
一目惚れ。それがフレイル・フィブルの初恋だ。
「まさか第二王子まで一緒に来られるとは思っていませんでした」
「世間を見て回るのも経験だと王様に言われていてな。視察のついでに村に連れて来たのだ。まぁ、クリーチャーの調査には我々だけで行くことになるが……」
「その間はこの屋敷にいてもらう事になるかな。娘の相手をしてくださっているようで、何だか申し訳ない気分だ。王都に居た頃はあんなに小さかったのに、もう14か」
屋敷の中で歓談をするブローフと使者たちの声が響く。それをよそに、レスカとフレイルは屋敷の外に出ていた。綺麗に整えられた小さな庭からそのまま地続きで見えるのはプルア村の様子だ。農作物を育てるため、男性は畑に向かい、女性は家で薪を割ったり、持って帰られた野菜の生薬をする。子どもたちは元気に駆け回り、それを見る老人たちがゆったりとした時を過ごす。王都以外の村ではとてもよくある風景だ。
レスカはそれを眺めながら、外の空気を大きく吸った。さらにそんなレスカをフレイルは緊張しながら眺めている。話しかけたのはレスカの方からだった。
「ごめんね、君の家なのに追い出すような形になって……」
「い、いえ! いつものことだから平気です! わたしは外の遊ぶのは好きなので問題ないです!」
「そうかい? でも、こういう自然が感じられる場所で遊べるのはいいね。王都の近くにマニワの森っていう場所があるんだけど、そこには行くなってお目付役に言われていてさ。どうにもあそこには出るらしいんだよね……」
「で、出るって……!」
「何でも戦で亡くなった霊が……」
「…………」
「ははは、冗談だよ。ごめんね、怖がらせちゃって」
もう、と思わず脹れっ面になるが、慌ててフレイルはそれを止めた。それを見てレスカはまた笑った。王族の1人のはずなのに、気のいいお兄さんのように話しかけるレスカに、フレイルも思わず気さくに話してしまう。ますますフレイルはレスカから目を離せなくなってしまった。
「あっちの方はブローフさんの畑とかがあるのかな? 本当にいいね、こういう空気感」
「でも、ここにはこれといって何かあるわけじゃありませんし……」
「……フレイルさんはこの村が好きではないのかい?」
「い、いえ……そういうわけではないんですが……レスカさんがせっかく来てくださっているのに、何も紹介できないのは心苦しくて……」
村の少女の悩みに、レスカは何かを考え始める。フレイルはその姿すらも何だか美しく見えて、それ以上言葉を続けることはできない。ひとしきり考えたレスカは、
「これは内緒なんだけどね……」
と言いつつひっそりと話すような仕草をしながらフレイルに近づく。フレイルは顔を赤くしつつ、その言葉に耳を傾けた。
「本当は僕、こういう村でのんびり暮らしたいんだ。この調査を勧められてすぐに付いていくのを決めたのも外に出られるって思ったからでさ。王都は確かにいいところなんだけど、こんな自然を感じられるような場所はまったくないんだ。小さい頃はお父様もそういう所に連れて行ってくれたんだけど……今では城の中で勉学をしているのがほとんどで……」
そう話すレスカの言葉はどれも本音のようにフレイルには思えた。父が元々いた王都の人や土地の話は、フレイルもよく聞かされているが、実際に会うのはこういった機会で訪れるクリーチャー調査の使者たちのような人ばかりだ。だから王族の人なんて、話が合うような人でないと勝手に想像していた。でも、レスカはその想像とは違った。確かに彼は美しいけど、その中身はフレイルより少しだけ大人で、それいて自分に悩む普通の少年だった。
「贅沢な話だよね。王都での暮らしがこの世界では一番いいものと言われているんだ。それを王族の僕がこんな風に言うのはきっと間違ってるんだろう」
「そんなことはないです! そんなことは……」
「ごめんね、難しいこと言って。あんまり開放的になり過ぎるのも良くないね」
「えっと……その……」
その時ほどフレイルは自分が子どもっぽいと思ったことはなかった。確かに今は10歳なのだけれども、この人に何か良い事を言ってあげられないのが悔しかった。フレイルがそれを恋と自覚しているかは別として、彼のために何かしてあげたかった。そうして、必死に考える。
「あっ、そうだ! この村の外れに小さいですけど花畑があるんです! きっとレスカさんも気に入ると思います!」
急なフレイルの提案は、自分のためを思っての事だろうと、レスカは察した。村の外れ。どうせ屋敷で待っていても新しい空気は感じられないだろう。レスカは好奇心と共にその気遣いを受けることにした。
「うん、いいね。せっかくだから案内してもらおう……お願いできるかな、フレイルさん」
フレイルはレスカと一緒に村の小道を歩いていく。村人は鎧を着た少年が誰だかわからず、気さくに声をかけ、レスカもそれににこやかに返事をした。フレイルは少年について村人から説明を求められるが、レスカはウィンクをして、それを止める。
「今日は普通のお客さんとしていたいんだ……まぁ、こんな格好ではあるんだけど」
「は、はい……!」
耳元で囁くレスカの声に、フレイルは耳を真っ赤にしながら、そのまま村人たちに適当な相槌をうって進んでいく。やがて、村の畑が並ぶ場所を抜けて、少しばかり林がある場所についた。フレイルのお気に入りの場所はこの林を抜けた先にある。フレイルは先陣を切って茂みの中に入っていく。
「す、すみません、服が汚れちゃうかもしれせまん……」
「ふふっ、僕は大丈夫だよ。フレイルさんこそ汚れて平気なのかい?」
「わたしはいつもの事です。畑を手伝ったり、薪を割ったり、こうやって林を抜けたりしてると、汚れるのなんてしょっちゅうですよ」
「へぇ、フレイルさんは見かけによらずやんちゃさんなんだね」
そう言われてフレイルはまた自分の子どもっぽさが恥ずかしくなった。王族の方はこんなやんちゃな女の子はお気に召さないのかもしれないのに。しばらくレスカの顔を見れないまま進んで数分ほどすると、目的の場所は目の前だった。林を抜けた先の小さな花畑。ここには特段珍しい花があるわけではないけれど、この村の近くでは最も華やかな場所だ。
「ほら、ここを抜けると……」
「フレイルさん……! 動かないで」
茂みを抜け切る前に、レスカはフレイルを静止した。レスカの目線は目前の花畑の花々ではなく、ある一点に注がれていた。フレイルも茂みの中からその方を見ると、いつもの小さな花畑の中央に、見慣れない大きな影があった。何をしているとも言えないそれは、屋敷でもよく見る小さなラットに似た生き物だった。しかし、その体は8歳のフレイルの体よりも大きく、毛並みはとげとげしく、普通のラットなら壁を齧る程度の大きさしかない歯は巻き割りの斧のよりも鋭く光っている。それがフレイルが今まで運よく出会ったことのなかったクリーチャーという生物の一種だった。
「きゃあああああ!」
フレイルはその見慣れぬ姿に思わず叫んでしまった。巨大ラットはすぐさま茂みの方へ眼を向けた。探るように鼻を流しながらレスカとフレイルのいる方を近づいて来る。
「ご、ごめんなさい。わたし……」
「クリーチャーに会うのは初めてだった?」
「は、はい……」
巨大ラットに近づいているにも関わらず、レスカの声は冷静で優しいままだ。その間にも巨大ラットは少しずつフレイルたちのいる茂みに近づいて来る。そんな恐怖心で逃げたほうがいいと思っているのにフレイルの足は震えて動かなかった。それでも、レスカは変わらずフレイルに微笑みかける。
「それじゃあ、仕方ない。僕も初めて見た時は驚いたものだよ。さっき言った通り、ここを動かないでね。たぶん、アイツ一匹だけだから、ここに隠れていれば大丈夫」
そう言ってレスカは茂みから飛び出して花畑の方に出て行った。フレイルは止めようにも声を出すことはできない。巨大ラットは突然表れた目標物に一旦、立ち止まるが、姿を確認すると唸るような声を上げ始めた。それは次には襲い掛かるぞという合図だとフレイルにもわかった。
立ちふさがったレスカは身に着けていた鞘から剣を取り出す。といってもそれは小さな鞘に収まっていた短剣だ。巻き割りの斧くらいしか持ったことのないフレイルは、その武器だけではあの巨大ラットをどうにかできるとは思えなかった。短剣を見た巨大ラットは、それを危険なものと判断せずとうとう飛びかかって来た。
フレイルが再び叫び声を上げそうになったその時、彼の構える短剣に銀色の靄がかかった。そして、それに気づかぬまま飛びかかって来た巨大ラットをその靄を纏った短剣で切り裂いた。それは短剣だけで起こる衝撃ではない。明らかに剣の大きさ以上の威力で裂かれた巨大ラットは血しぶきをあげることなく灰になるように消えていった。
「す、すごい……」
本来このクリーチャーを駆除をする目的の使者たちや父であるブローフも、もちろん、このような技を使えるはずだ。しかし、フレイル自身はそのような現場に居合わせたことはなかった。フレイルは初めてこの世界で戦う者たちの力を目撃した。
「レスカさん、今のって……」
茂みから出て来たフレイルはさっきまで靄がかかっていた短剣を見つめながらレスカにそう声をかける。レスカはその目線から少し驚きの表情を見せながらもフレイルの言葉に答えた。
「……フレイルさんは見えていたみたいだね」
「み、見えました……銀色の靄が……」
「これは剣気というものだよ。普通の武器では対抗できないクリーチャーたちを倒すことができる力さ。もちろん、それ以外の戦いの時も、剣気を使えるものとそうでないものではまるで違ってくる」
「わたし、初めて見ました……」
「君には才能があるみたいだね。さすがブローフさんの娘さんだよ。剣気はそれを使える者にしか見えない。クリーチャーもそうとう強くないヤツじゃなければ、感じ取ることもできないんだ」
「わ、わたしに才能が!?」
まだイマイチその力を理解しきっていないものの、レスカに褒められたことがフレイルはそれが単純に嬉しかった。そんなフレイルの様子を見て、レスカは、少し迷いつつも、1つの提案をした。
「フレイルさん、君はいつか王都の騎士団に所属すべきだ。こんな小さなうちから剣気の才能があるなら、この村だけでそれを終わらせるのは勿体ないよ。ちゃんとした指導を受けて、その後、またこの村に戻ってくるのもいいだろうし……」
「本当ですか!? わたし、王都に行くことができるんですか!?」
「ああ……ブローフさんの娘さんならなおさら……」
フレイルに良い事実を伝えたはずのレスカの顔は、なぜか曇っていた。もし、この場所で彼女がクリーチャーと出会わなければ。僕の剣気を見なければ。しかし、それはレスカ自身が欲する望みだ。今、無邪気に喜んでいる少女が、彼と同じように望んでいるとは限らない。
「それにしても……本当にここはいい場所だね。できるならさっきのようなクリーチャーが二度現れないことを願うよ」
レスカはそう言いながらようやくフレイルのお気に入りの小さな花畑を目映すことができた。しかし、当のフレイルはそんな花畑も目に入らなかった。剣気を纏ったレスカの姿は今日見た中で最も美しく彼女の目には映っていた。そんな彼が自分にも才能があると言ってくれた。いつか王都に行けば彼の役に立つことができる。
それがフレイル・フィブルが騎士団を目指すきっかけになった。