居間にて2
それからの2週間ほどの間は、学校でフレイルの話題を聞かない日はなかった。僕の情報源の8割は図書室の上一先生と売店の店員さんで、残りの2割は聞きたくなくても同じクラスにいる限り、何かの拍子に耳に入ってしまう。特に体育の授業での活躍がもてはやされ、運動部からの勧誘も多いことを聞く。フレイルの力はそちらの方へ開花していくのだろう。
「で、いつになったらそのフレイルチャンは来てくれるの~」
12月に入ったばかりの放課後、図書室にやって来ると上一先生は嘆いていた。上一先生が勝手に話すフレイルの情報は、上一先生が他の生徒から聞いた情報らしく、さらにその情報もまた別の……つまりは僕の元に来る情報は又聞きの繰り返しの結果なので信ぴょう性は確かではない。それに加えてフレイルは図書室に1度も訪れていないので、最近の上一先生の話は未知のフレイルチャン話とこの嘆きばかりだ。
「待山クンは一緒のクラスなのに何で何も知らないの! 連れてきてくれてもいいのよ?」
「先生、図書室では静かにしてください。 この2冊、お願いします」
「もう! ……あら、珍しく放課後に来たと思ったら、本も借りていくんだ? 今週末はいつもの図書館にはいかない予定なの?」
「はい。……もうすぐテストですし、しばらく図書室に来れなくなりそうですから」
「ざーんねん! お休みの日も待山クンとお喋りできると思ったのになー でも、テストは大事ね。2週間後だったかしら」
もちろん、その図書館も私語厳禁である。それはそれとしてテスト期間が近づいているのは本当だ。その時期になると効果もないだろうに図書室で勉強したがる生徒がたくさんいるので、短い休み時間でも油断できない。大人しく教室で読書するしかない。勉強は……それなりにだ。
「でも、フレイルチャンは大変だなー いきなりテストになっちゃうんだもん。その辺りは何か考慮されたりするの?」
「どうでしょう。先生の方が詳しいんじゃないですか?」
「わかんないよ~ 私、図書室の先生だもん」
それはその通りだ。だけど、フレイルなら何とかできてしまうと思う。彼女の道は明るいに違いない。だって、彼女の周りにはいつも誰かしらがついてくれているのだから。
「じゃあ、勉強もがんばってね~」
帰る前に先生らしい事を言われながら、僕は図書室を後にした。
家に帰ると玄関は開いているが、祖母の靴は見当たらなかった。それでも、僕は念のため、居間がある方に行き、部屋の中を確認する。いるのはもちろん、ウェイテリーだ。ソファーに仰向けで寝ころびながら、今日も本を読んでいる。本のタイトルは『初心者から始める将棋』だ。
「おお、信夫。ちょうどいいところに帰って来た」
「いいところ?」
「冷蔵庫からりんごジュース取ってきてくれんか。コップに入れて」
これが羨ましくないタイプの姉がいる気分なのだろうか。居間から冷蔵庫まではそんなに距離もないのに。そもそもウェイテリーはずっと家にいるのだから、家の中を動くくらいの体力は無駄にあるはずだ。
だけど、ウェイテリーの頼みは簡単に無視していいものでない。ウェイテリーはこの家にホームステイ料と題してそこそこのお金を入れてくれているらしく、それではもはやホームステイではなく家賃を払って宿を借りている人だが、その面でなんとなく逆らいづらい。それにウェイテリーはなぜか祖母と波長が合うようで、常に話し相手になってくれている。それらのことから祖母の好感度も高いので、あまり雑な扱いはできないのだ。
「ついでに話がある。ほら、はやく」
僕はしぶしぶ居間から続くキッチンにある冷蔵庫へ向かい、りんごジュースを取り出した。僕はあまりジュースを飲まないので、これはウェイテリーが祖母に頼んで買ってきてもらったのだろう。それをコップについでウェイテリーのいるソファーの傍のテーブルに置いた。しかし、ウェイテリーは仰向けで本を読んだままでジュースを飲もうとしない。そのまま僕の方を向くことなく話を始める。
「うーん……晶子さんに勝つにはどうしたらいいんじゃろう」
「何の話だ」
「将棋じゃよ。私も駒の動かし方くらいは知ってたんじゃが、実際やるとこれがなかなか……」
「世間話はいいから本題に入ってくれ」
「なんじゃ! これが本題かもしれんじゃろ」
そんな事なら僕を呼び止めずに勝手に言ってればいい。まさか本当にりんごジュースが飲みたかっただけじゃないだろうか、と思ったが、未だにコップを取ろうとせず寝ころんだままなので、よくわからない。
「……お前さんの家族の話、聞いたよ」
「…………」
「別に今日全部聞いたわけじゃなくて、将棋とかたわいもない世間話をしてる間に少しずつな」
なんだ、そんな事か。別に僕から話そうと思わなかっただけで、知られたくなかったわけじゃない。誰だってそうだ。だけど、これだけ祖母と親しくしていれば知ってしまうのも仕方がない。僕は相槌すらしないが、ウェイテリーは構わず話を続ける。
「父母は8年前でお前さんが8歳の時、車同士の交通事故で死亡。そして、それから5年後のお前さんが13歳の時、祖父も同じく車同士による交通事故で死亡。いずれの事故も同乗していたお前さんだけが無事だった。祖父の時は少し怪我したようじゃが」
「……」
「こんな言葉で片づけるのは良くないが、どちらも間が悪かった。似たような事故なんて今の世じゃ日常的に怒っているし、お前さんはたまたまその2つが肉親で、お前さん自身も現場に居合わせてしまった」
何が言いたいんだ、というのも面倒だった。事実を繰り返して言われるのはもう何度も通って来た道だ。その度に僕は可哀想だとか、不運だったとか、言われた。そうでなければ、それを理由にして、気味悪がられたり、ひどい仕打ちをされた。だから、中学の時に1人でいる方が楽になってしまったんだ。
「信夫、お前さんは……」
「違う」
「まだ何も言ってないぞ」
「僕が死のうとしていたのは、それがあったからというわけじゃない。元からはみ出していただけだ。両親や祖父を追いかけようなんて、そんなものじゃない」
「それを私が蒸し返すために話し出したと?」
「じゃあ、なんなんだ」
「別に。世間話じゃよ。ホームステイ先の家族の話はするもんじゃろう」
それが亡くなった家族の話でもか。いや、数週間住んでいたらそんな話をすることもあるだろうし、そもそも住まわせる段階で自分の家族のことは話すものなのだろう。ウェイテリーとフレイルにはたまたま都合が良く聞く必要がなく、僕が話そうとしないから後回しになった話だ。ただ、そうだとしても僕に直接その話をするのは、僕が死のうとしていたことを言及する以外には何の意味もない話だ。
「だから、世間話のついでに言っておこう。私やフレイルが転生したのは異常な事だ。あの時は宝くじなんて言ったが、転生するなんてまずありえない」
「わかってるよ。君がどんなにまじないを使えても、それは君がこの世界の人間じゃないからできることなんだ。僕みたいに何もない人間じゃあ、この世界でそんな非現実は起こせない。例え、転生できたってそうだろうさ。だから僕はもう死ぬのは諦めたんだ。……それに僕には君とフレイルを家に招き入れた責任もあるし」
「よく言う。ここ数週間、フレイルとひと言も話していないじゃろうが。だからまた何か変な気を起こしているんじゃないかと……」
結局はその事だったけど、そのウェイテリーのいい方は何だか本当に心配しているようで意外だった。ウェイテリーは僕の事を宿のための人間くらいにしか考えていないのかと思っていた。話はするが、仲が良いというわけではない。祖母とウェイテリーの仲は深まっても、僕とウェイテリーの関係はまだ何なのか定かではない。
「一番悲しむのは晶子さんだぞ。だいたいお前さんはコミュニケーションというものをな……」
「ああ、覚えておくよ。宝くじは絶対に当たらないって。でも、誰と話すのかを決めるのは人の勝手だ。家にいるからって絶対に話さなきゃいけないルールなんてない。ましてや家族じゃなくて、赤の他人なんだ。本当のホームステイならそうもいかないかもしれないけど、これはあくまで、そういう設定だろう」
「……お前さんが携帯電話を持つ必要がないのがよくわかった。私もいらぬお節介じゃったな。謝ろう」
と言って、ウェイテリーはソファーから起き上がり、ようやくりんごジュースを飲み始めた。謝る態度ではないとわかっていた。ウェイテリーはそういう人間だ。
その時、玄関の開く音がした。そして、入って足音はそのまま階段の昇る音に続いていった。2階に部屋は僕とフレイルの部屋しかないので、帰って来たのは祖母ではなくフレイルだろう。しかし、ウェイテリーはそれに納得いかないような顔をしている。
「珍しいな……いつもなら私に挨拶して来るんじゃが……」
それは僕が居間にいるせいだろう。靴も玄関に置いてあったし、それでわかったのだ。朝、食卓を囲む時に挨拶くらいはするのだけれど、それ以外は僕から話すことはまずない。そんな僕に会いたくないのなんて当たり前だ。
僕は数週間前のフレイルとの最後の会話を思い出す。
『それと……やっぱり僕と話すのは困った時だけにしてくれないか。君が僕といてもいい事は何もないんだ。……もちろん、僕が得することだってない』
ああ、その意見は今も変わっていないとも。フレイルは今も幸せそうに学校生活をしているじゃないか。