見習い騎士にて
わたしが目を覚ました時、そこはマニワの森の中ではなく、川の近くの地べたでした。そして、目の前にはうつぶせになったわたしを覗き込むように見ている黒い服の女性。世界に百人ほどしかいない、魔導士のような恰好をしたその人は、その赤い瞳でわたしを見つめます。気づくと申しわけ程度の防具は外れ、体は水で濡れていました。
そして、少し目を遠くにやると、そこには同じように水で濡れた、少年が立っていたのです。
「もう10分もしたらホームルームだから、その時一緒に教室へ行こう」
学校に着いたら職員室という所に行くようにウェイテリーさんに言われていたので、少し迷いつつもそこにたどり着いた。
昨日、ウェイテリーさんに外へ連れて行かれたけれど、結局わたしがしたのは制服やシューズのサイズ合わせをしていただけで、学校に入る手続きはいつの間にか終わっていた。こちらに来てからウェイテリーさんにはいろいろな事を教えて貰ってお世話になりっぱなしだ。もちろん、今日やるべき事についてもアドバイスをもらった。
「まずは俺が黒板に名前を書くから、その後、軽く自己紹介してくれ。まぁ、名前と出身を言うくらいでいいよ」
「は、はい! よろしくお願いします」
聞いていた通りの流れだったけど、わたしはこの世界に来て2度目の緊張の瞬間を迎える。1度目はアキコさんに会うためにウェイテリーさんと芝居をやった時だ。アキコさんを騙しているのは悪いと思ったせいか、わたしはカチカチに緊張してしまった。あの後ウェイテリーさんに「お前さんは女優には向かなさそうだ……」と残念そうな顔で言われてしまったけど、今日見せるのはほとんど普通のわたしだ。……ごめんなさい、1つだけ嘘があります。
「フレイル・フィブルと申します。ふらんす……から編入して参りました」
偽りの出身地はウェイテリーさんからの提案だ。というのも、わたしはこの世界にやって来てから言語で困っていることはなかった。2人と会った時点で話している言葉は理解できたし、お店に書いてあった文字も読むことができた。ウェイテリーさんもここに来た時、そうなったらしい。きっと転生する際に神様が配慮してくれたに違いない。
でも、それだとホームステイの説得力が薄れてしまうと言われたので、何となく「この国の人に馴染んでおらんじゃろう」という理由でこの国に決定した。わたしはイマイチわかっていないけど、部屋のみんなの反応はそれなりに驚いているようだ。
「狩口、一番後ろに机と椅子は持って来てくれたか? よし、フィブル。君はあそこに座ってくれ」
はい、とわたしは返事をして指差された席へと向かう。そこは部屋の中では窓際の一番後ろの席だ。こうやって机に向かうのは何だか久しぶりな気がして、また心が弾んだ。わたしは本当にこの世界で新しいスタートを切られるんだと。
最初の講義は国語だったおかげで、特に問題なく理解することができた。でも、本番はここからだ。わたしはこの世界で女の子の友達を作らなくてはならない。シノブくんに迷惑をかけないためにも。
休み時間が始まって、一番前の席の方を見るとシノブくんはそこにはいなかった。
「国語の授業はどうだった?」
「フレイル……あれ? 外国は苗字が後何だっけ?」
「フランスからなんてすごーい」
わたしがよそ見している間にわたしの席の周りには女子生徒たちが集まっていた。わたしがいた世界の女の子とそれほど変わったところはないみたいだ。華やかで、お喋り好きで、それでいて……
「みんな、いきなり質問責めはひどいぞ? 私は狩口菫。改めてようこそ1年A組へ、フレイル・フィブルさん」
その名前は確か先ほどスギモリ先生が口にしていた名前だった。名乗りながら声をかけてくれたカリグチさんはショートヘアで凛とした雰囲気のする女性で、この部屋の中でもまとめ役をしているようだ。わたしとしてはみんなが興味を持ってくれるのは嬉しいし、こんな風に心配してくれるのも嬉しかった。たぶん、わたしの顔は今、綻んでいる。
カリグチさんに「よろしくお願いします」と返事をした後、何となく言えそうな範囲で周りの質問に答えて言った。ふらんすの事は、自分のいた世界に置き換えて……嘘じゃないけど心苦しい感じはしてしまう。でも、本当の事を言っても、それこそ嘘だと言われると、ウェイテリーさんに忠告されていた。わたしもそんなことで失敗はしたくない。
「……おい、白雲。せっかく近くの席なんだ。フレイルさんにいろいろ教えてやってやるといい」
「あの、フレイルで大丈夫ですよ」
「だ、そうだ。白雲?」
わたしが一通り質問に答え終えた頃、カリグチさんは私の前の席でいる女の子に話しかける。その女の子はぼーっと窓の外を眺めていたが、2度目の呼びかけでわたしの方へ顔を向けた。
こちらの世界で初めての授業だったせいか、わたしは前の席のこの女の子にまるで気付いていなかった。この国では黒髪が一般的だとウェイテリーさんは言っていたけど、彼女の髪は全て白髪で、毛先がクルクルとくせ毛のようになって、とても目を引く女の子だ。少し眠たそうな目でわたしを見る彼女は、
「白雲友愛だよ。友愛のことは友愛と呼ぶといいよ」
と言って、また外の方を見始めてしまった。カリグチさんは呆れた様子でユウアイさんの方を見る。
「こいつは少し……いや、かなりマイペースでね。まぁ、悪い奴ではないから仲良くしてやってくれ」
カリグチさんは呆れつつもその場を離れて行った。それを見て周りの女子生徒たちもそれぞれの席に戻って行く。もう休み時間は終わってしまうらしい。わたしとしては……良い感触だった。楽しく話すことができたと思う。
それを報告するつもりではないけど、もう1度前の席の方を見ると、シノブくんはいつの間にか帰って来ていた。
お昼休み、という時間はすなわち食事を取る時間だ。すると、わたしがどうするか悩む前に前の席のユウアイさんはわたしの制服の袖を引っ張りながら立ち上がる。
「ユウアイさん?」
「フレっち、お弁当がないようなら食堂へゴーだ。友愛はお昼が一番楽しみなんだよ」
「ふ、フレっち……?」
「ああ、友愛にさんはいらない。友愛ならちゃんの方がいいな」
その呼び方について聞く前に、有無を言わさずわたしは教室から引っ張られながら連れられた。どうやらカリグチさんのお願いはちゃんと聞いてくれていたらしく、ユウアイさ……ユウアイちゃんはわたしを食堂まで案内してくれるようだ。
「誘ってくれてありがとうございます。わたし、場所とかまったく知らなくて……」
「友愛は頼まれたことはそこそこやるタイプ。でないと後がめんどくさいだろうし」
「そ、そうなんですね」
「放課後は教室とか部活とか案内するよ。友愛は帰宅部のエースだけどね」
キタク部がどのような活動かはわからないけど、この世界の学校には勉学の他にそういった活動があるらしい。ウェイテリーさんはそれに入るのもいいだろうと言っていた。
「フレっち。昼食は戦争だ。早めの行動が命だよ」
「せ、戦争……!」
「うん。今日はフレっちは初めてだし、並びながらあそこのメニュー表を見てから食券を買うといい」
「は、はい! よろしくお願いします!」
戦争という言葉に少し警戒したけど、それはそのままの意味ではないらしい。一階の食堂ホールにはたくさんの人だかりができていた。20ほど置かれたテーブルには既に席に座って食事をしている人もいる。
ユウアイちゃんに付いて行くようにまだそれほど人のいない列に並ぶ。目的の機械の隣に食べ物と値段が書かれたメニュー表がある。わたしは文字は読めるけど、その料理がどういうものかは把握できない。お肉とかお魚とかが付いてくれているとわかりやすいのだけど、今のところこの世界で覚えられているのは晶子さんが毎日作るみそ汁だけだ。
わたしは食べることに関しては遠慮をしない方だ。幸いウェイテリーさんに頂いていた昼食代は充分にあった。そうなれば、この一番高い「ジャンボとんかつ定食 みそ汁付き 750円」にするしかない。高いということは量もそれなりに確保できるはずだ。
順番が回ってきたユウアイちゃんのやり方を後ろから眺めた後、見よう見まねでその機械に紙幣を……この穴にこの紙幣がどうやったら入るのだろう。わたしの世界にも硬貨と紙幣はあったけど、こんな使い方はした事がない。
「あれ? フランスには食券機がないの?」
「えっ!? えっとその……」
「友愛は外国に詳しくない。困ったなら遠慮はいらないよ」
「は、はい……どこに入れればいいのでしょう」
わたしは少し恥ずかしくなりながらユウアイちゃんに券売機の指導を行ってもらう。後ろに並んでいる方がいらいらしていないか心配になったけど、無事に券売機からは食券なるものが出てきた。「ジャンボとんかつ定食 みそ汁付き」、間違いない。
「お釣りを取り忘れないよう……そ、それは……!」
言われた通り機械の下から出てきた硬貨を回収しようとしゃがんでいると、ユウアイちゃんはいきなりわたしの肩を掴む。突然の事にわたしは何か失敗をしたのか不安になった。まさか硬貨の回収の仕方が違う……
「友愛はソウルフレンドを見つけてしまった。女の子でも遠慮なく食べるのは良い事だ」
「わ、わたしはいいものを選んだということでしょうか?」
「ジャンボとんかつ定食を頼む女の子に悪い女の子はいない。量もおいしさも保証する」
「そんなにおいしいんですか……!」
「正直、学食のおいしさとボリュームではない」
「ごくり……」
ユウアイちゃんの手にも「ジャンボとんかつ定食 みそ汁付き」が握られていた。わたしはユウアイちゃんの肩を抱き寄せ、熱い抱擁を交わす。わたしも感じる。ユウアイちゃんは前世から繋がる存在だ……その時の周りの目はまるで気にならなかった。
放課後、予定通りユウアイちゃんが教室と部活案内をしてくれるそうだ。教室を出る前に他の女子生徒たちから見に来るように誘われたり、マネージャーも募集していると男性の方にも声をかけられた。でも、今日はとりあえずソウルフレンドのユウアイちゃんに案内してもらおう。昼休みから間の休み時間でわたしたちの友情は確かなものとなった。
1年A 組の教室がある3階から順番にわたしが他の講義で使うであろう教室を紹介されていく。わたしはいた学び舎はこんなに大きな建物じゃなかったし、騎士団の建物は学び舎としてはまったく違う雰囲気だった。わたしは1つ1つを忘れないように覚えていく。
「ここは3階の多目的教室。まず使わない」
「はい」
「ここは2階の音楽室。1階から遠くて不便」
「はい」
「ここは2階の美術室。1階から遠い」
「また……」
「ここは2階の職員室。遠いし使わない」
「遠い……」
「ここは1階の売店。友愛は食堂派」
「なるほど……」
「ここは1階の図書室。幽霊が出るらしい」
「また……じゃなくて幽霊!?」
あまり参考にならないと思ってしまったが最後だけは絶対に覚えておこう。あと、ユウアイちゃんは基本的に遠くへの移動は嫌いみたいだ。
1階まで来たので、下駄箱からグラウンドの方に出て行く。今日はとりあえず運動部の部活を見ていくと言われた。ユウアイちゃん自身はキタク部……つまりは家に帰ることを専門にする部活らしいので、特に他の部活に顔が広いわけではないらしい。でも、ユウアイちゃんの大物感は傍にいてくれるだけ心強い。幸い、グラウンドでのわたしは相当目立つようで、気付いた人は声をかけてくれた。テニス、野球、サッカー……どちらかといえば、男性の方が多かったけれど、わたしの世界にはない競技はとても興味深かった。
「フレイル、良かったら見て行かないか?」
しばらくうろうろしていると、カリグチさんがわたしに声をかける。彼女が所属するのは陸上部で、走りを主とする部活だ。グラウンドの端の方にある陸上用のレーンはそこだけ砂地ではなく赤い色のついた地面だった。ここを走ってタイムを競う,、という説明をユウアイちゃんから受けていると、
「……フランスって陸上競技がないことはないよな?」
「あっ……! い、いえ、一応、確認というか、何というか……」
「まぁ、日本のものだと少し違ったりするのかな? そうだ、せっかくだから走ってみないか?」
「えっ? わたしが……ですか?」
走る。その単語を聞いた時、わたしは少しだけ震えた。それはこの世界ではまったくやっていないことだ。わたしの世界にいる頃はよく走っていたのに。この世界ではみんな温かくて、そんなに急ぐ必要はなかった。だから少しだけ不安だ。あの世界でのわたしと今のわたしは同じなんだろうか。
「……やってみます!」
「よし、私も走るから……先輩、タイム計ってもらっていいですか?」
カリグチさんはそう言ってわたしをスタートラインのある方へ誘う。足元の白線からクラウチングスタートという体勢をとって向こうの白線まで走る。わたしはそのポーズも見よう見まねでやってみる。単純なかけっことは違う。これはあくまで陸上という戦いなんだろう。だったらわたしも形だけでも従おう。
「よーい……」
それ以外の詳しい説明はなかった。合図の音が響く。わたしは慣れない体勢から足を踏み出す。鎧を付けていない身体は思ったよりも軽い。でも、踏み出した足は力強く赤い地面を踏んでいる。良かった。わたしは走れる。速く、速く、速く……
わたしは100メートル先の白線を跨いで、そこで止まった。わたしがたどり着いて、少ししてからカリグチさんも白線までやって来た。カリグチさんは息が上がっている。でも、わたしの息は上がっていない。たぶん、わたしの身体はこの世界のものでないからだ。同じように見えても、わたしとこの世界に人たちは違っている。
「11秒44だって……!?」
「すごいわね、編入生さん! あなた何かスポーツやってたの?」
「スタートの形は怪しかったけど、力強い走りだったわ!」
「部活、決めたの? 興味があるならうちに……」
いつの間にかわたしは陸上部の先輩方に囲まれていた。わたしの走りはやはりこの世界ではすごいものらしい。でも、それも受け入れられていることに安心した。やっぱりこの世界の人たちは優しい。
「先輩方! 質問責めはやめてあげて……ください。彼女は編入したばかりなんですから」
息を整えながらカリグチさんはわたしに気を使ってそう言ってくれた。先輩方は少し残念そうにしながらもわたしを開放してくれた。こんな時でもカリグチさんはわたしによく気を使ってくれる。
「フレイルまた気が向いたら……来るといい」
カリグチさんはそう言いながらわたしに別れを告げた。そういえばユウアイちゃんはどうしていたんだろう……
「ふわぁ~ 終わった? 友愛はもうそろそろ帰るよ」
ユウアイちゃんとは帰り道が逆だったので、わたしは1人で帰ることになった。待山宅まで20分くらいで着く距離になる。走ればもっと早く着くことができそうだ。
そう、わたしは走れたんだ。この世界に来て不安だったことはいろいろあるけど、一番はこのわたしの身体が本当にわたしなのかということだ。転生ということはそれはもう前の自分ではない可能性だってある。
見た目や声は以前のわたしのままだ。
でも、この世界の知らないと思っていた言語はなぜか理解できた。
わたしの食欲はあの世界といた頃と変わらない。
でも、わたしがあの世界で受けた傷は綺麗になくなっていた。
だから、わたしは自分が違うものなんじゃないかと思っていた。
だけど、今日の走りでわかった。間違いなくわたしはわたしだ。わたしの足は騎士たるに必要な俊敏さを持ったままだった。剣を持てば、あの頃のようにまた気を纏わせることができるだろう。でも、そんな力はこの世界にはいらない。何より見習い騎士で終わったこんなわたしにはこれを使う資格なんてないんだ。
そんなことをしなくてもわたしはこの世界で生きていけるんだ。
前方を見ると、シノブくんが少し先にいた。てっきり先に帰っていると思っていた。周りに西高校の方は見当たらない。なるべく話しかけないでとは言われたけれど、誰もいないなら許して貰えるだろうか。でも。今のわたしは話したくて仕方がない。
「シノブくん……!」