学校にて
「フレイル・フィブルと申します。ふらんす……から編入して参りました」
1限が始まる前のホームルーム。全校生徒数約600人の舞庭西高校の1年Aクラスに編入生がやってきた。ただでさえ珍しい編入で、さらにはこの11月の中頃という中途半端な時期にやって来たこの女の子はクラスの生徒にどんな目で見られているんだろうか。僕がまったく事情を知らなければ、「何もこんな時期に来ないでもいいのに」と思う。
そんな事を考えていると、1番前の真ん中の席を陣取る僕とフレイルの目が合う。……僕はすぐに目を逸らした。
時間は少し戻って同じ日の朝7時頃。日曜日のうちにフレイルが編入する手続きを済ませたと言ったウェイテリーはどうにも怪しかったが、証明書らしきものを見せられたので納得するしかなかった。日曜日まで学校の機関はこんなわけのわからないやつの相手をさせられるなんて可哀想なことだ。
そうして、急に今日から学校に通うことになってしまったフレイルは、意外にも乗り気で、現在も身に着けた制服を楽しそうに眺めていた。今日もその金髪を三つ編みにして右肩に垂らしたフレイルが着れば、学校の地味な制服もそれなりのものに見えなくはない。僕の真っ黒な制服とは大違いだ……そもそも男女の制服で比べるものではないが。
とにかく、この世界で前向きに生きていく、というのは本当らしい。そうなれば、僕も言っておかなければならないことがある。
「フレイル、学校での僕らについてなんだが……僕を頼るのは最小限にしてくれ。どうしても困った時は、話しかけてくれてもいいけど、そうじゃないなら僕以外の、できれば同性の子に聞くようにするんだ」
「はい。シノブくんの迷惑にならないように努力はします」
「それと、ホームステイの場所は、なるべくぼかすようにした方がいい。どうしても隠し切れないならそれは仕方ないけど」
「大丈夫です。シノブくんの困るようなことにはしません」
「ああ、うん……」
未だに『くん』付けには慣れないがフレイルは素直に従ってくれるようだ。後者については隠すのに限界はあるだろう。その時はその時だ。でも前者については、これはフレイルの今後を考えてのこともあったが、同時に学校での僕自身を防衛するためでもある。こんな金髪の女の子に事あるごとに話しかけられては、学校で目立ってしまうに違いない。本当に頼られれば最低限の手助けはするつもりだが、それ以外は特に干渉するつもりはない。
とは思いつつも、素直すぎるフレイルに僕は罪悪感を覚えた。結局、僕の存在は彼女を縛っているだけな気がする。
「……緊張とかしてないの?」
「少しはあります……でも、今は新しい世界で新しいスタートを切れる方が楽しみなんです」
「……そっか」
僕はそれだけ言って、先に家を出て行く。一緒に登校して学校のことを紹介するつもりなんてない。フレイルが新しい世界を楽しむつもりなら、例え同じ家にいようと僕にできることは何もないのだ。僕はこの世界を楽しいものだなんて思ったことはないのだから。
「狩口、一番後ろに机と椅子は持って来てくれたか? よし、フレイル。君はあそこに座ってくれ」
担任の杉森先生がそう指示すると、フレイルは後ろの方へと向かって行った。僕はまったく振り向きもしなかったけど、恐らく、窓際の一番端の席だろう。別に羨ましいとは思わない。僕はどこにいても同じだ。むしろ、フレイルと席が離れたのは都合が良かったかもしれない。
そのまま何事もなく1限を終えた休み時間、教室の後ろの方が騒がしくなった。僕はその様子を見ることなく、教室を後にする。
西高校は最上階の3階から順に1年、2年、3年の教室並んでいるどこにでもある校舎だ。その3階には自習ぐらいでしか使わない多目的教室しかないので、1年生は移動教室のある授業の際に一番手間を取らされる。それでも、僕はこの10分しかない休み時間を1階の図書室で過ごす。図書室に行くのはこの短い休み時間と気が向いた放課後の時だ。昼の長い休み時間は逆に図書室は人が多過ぎる。この短い休み時間なら他の人にほとんど会う事はない。この人は除いては。
「あら~ おはよう、待山クン。今日は取り置きの本はないわよね?」
扉開けてを入ってすぐに上一先生はそう声をかける。数年前からこの図書室の司書教師になったらしい上一先生は、客観的に見て学校の先生にしておくには勿体ない可愛さだと思うのは先生に対する偏見だろうか。ボブカットの黒髪に優しそうな雰囲気を出す垂れ目。それでいていつもニコニコしている。現に上一先生を見るためだけに図書室にやってくる男子生徒もいるらしく、そのせいで長い休み時間が混んでしまう。暇つぶしのためにだけ来る僕にとっては邪魔でしかない。
僕はテキトーに返事をしてから、受付の前に並べられたオススメ本を1つ手に取る。上一先生チョイスのオススメ本コーナーは僕以外が見ているのか怪しいほどラインナップが微妙なものだ。今日取ったのは『舞庭の森林形態の歴史』という本だ。こんな使うタイミングが限られる本を勧められても困るが、僕には暇を潰せればそれでいい。
「ねぇねぇ、待山クンのクラスに転校生が来たんでしょう? パツキンのアメリカ女の子! 先生も会ってみたいな~ 休み時間に来てくれないかな~」
この人に欠点があるとすれば、司書のくせにこうやって図書室でお喋りをしてしまうところだ。とにかく口を動かさないと作業ができないらしい。そういうお喋りがしやすいところも人気の1つなのかもしれないが、本を読もうとして来ている人達には致命的な欠点だ。それでも中学生から続くこの暇つぶしを邪険に扱わない先生をないがしろにするわけにもいかない。僕はアメリカでなくフランスです、ではなく、いつものように切り返す。
「先生、図書室では静かにしてください」
「もう! 待山クンは見て来たんでしょ? 可愛かった? 髪は綺麗だった?」
見てくるどころか一緒に住んでいるなんて言ったら、この先生なら1時間ほど話続けられそうだ。そうこうしているうちに10分休みはすぐに終わる時間になる。僕は先生に本を渡して、急ぎ足で教室へ戻る。
「次の休み時間はちゃんと聞かせてよ~」
この上一先生に本を預けて、次の休み時間に渡してもらう。それも今日を迎えなければ起こり得なかったことだ。先週は最後の本のつもりで、読み終わるまでここに残っていた。でも、またしばらくは、この生活を続けるのだ。少しくらいフレイルの話をしてあげてもいいかもしれない。
昼休みの過ごし方は特に決めていない。図書室に行けなくなった僕の行くところはほとんどなく、かといって教室に残るわけにはいかない。それでも決まってやらなければならないのは食事だ。祖母に弁当を頼むのは僕としては都合が悪いので、何かしら学校の食事で済まさなければならない。学校で食事を取る手段は2つだ。
1つ目の食堂で、例に違わず1階の食堂ホールが存在し、1年生には不便な位置にある。弁当のあるなしに関わらずここで昼食を取る生徒が多い。当然、図書室以上に食堂は人混みだ。食券を買ってからカウンターでそれを渡し、注文の品が出るまで待つシステムであり、食券機の前は長蛇の列になる。
食事を取るもう1つの手段は同じく1階にある売店だ。ここではおにぎりとパンしか売っておらず数もそれほど多くは売っていないが、食堂があるこの西高校ではそれほど多くの人が並ぶことはない。
よって、僕は校内を少しぶらついた後、あまり人がいない時間にこの売店で昼食を購入する。買い逃したことは今の所ない。その時に買うおにぎりやパンは売れ残りのような雰囲気もあるが、残っているだけマシと考えている。
「おー、待山くん。今日はラッキーだね、焼きそばパン残ってるよ」
焼きそばパンは僕の好物でも何でもないが、よくわからない惣菜パンよりはいいものだ。こんな時間に来るせいで、売店の店員には顔と名前を覚えられてしまった。僕は名前まで知らないけど、入学から今日まで顔見知りだ。「じゃあ、それで」とだけ返事をして、焼きそばパンを購入する。そして、売店の傍にある腰掛に座って黙々と食べ始めた。
「外国からの転校生が来たんだって? なんとも急な話だねぇ」
店員はいつものように質問をしてくる。僕は「はい」と「違います」だけで返事をするが、なんとなく会話は成立してしまうのは店員が喋り上手だからだろう。変な時間に利用する僕を可哀想なやつだと思ってのことか、それとも店員の暇つぶしか。ともかく5分もしない僕の食事は意外にもそれほど寂しいものではなかった。これも今日が来なければ、先週で最後のはずだった。
「ごちそうさまでした」
「はいよ、また明日ね」
当たり前の言葉が今日は何となく違うように聞こえる。それにしてもフレイルの噂はとんでもないスピードで広がっているようだ。
放課後、フレイルは部活見学に連れて行かれるらしい。聞きたくなくても教室に響く声がそれをわからせる。元々、一緒に帰ることなんてないと思っていたから、そのまま帰ろうとしたその時だった。
「待山、ちょっといいか? フレイルのことなんだが……」
杉森先生が僕を呼び止めた。忘れていたわけじゃないけど、そういえばホームステイについて先生からまだ何も言われてなかった。断る理由もないので、杉森先生に従って職員室へと向かう。
職員室は校舎の2階にある。自慢ではないが、僕は職員室に呼ばれる回数は多い方だ。別に悪い事をしているわけではない。この杉森先生が人並みにお人よしなせいだ。
「最近、どうだ? おばあさんは元気にしているか?」
「ええ、おかげさまで」
短く整えた髪型できっちりとスーツを着た杉森先生は国語の教師で1年A組の担任だ。歳は20代後半と聞いたような気がする。少し日焼けした肌に爽やかな顔立ちは、先生より良い兄貴分を思い起こさせる。僕はそれを1度も感じたことはないけど。
「驚いたよ。待山の家にホームステイだなんてな」
「はは……そう、ですよね」
この人は僕の家庭事情を知っていた。担任だからいつか家庭訪問なんかで知ってしまうものだし、最初に先生と面談した時もその事は話しておいた。でも、それが彼の熱い教師魂に火をつけたのか、度々、僕を職員室に呼んでは話させて、もとい話を聞いて貰っている。こればっかりは先週で終わってくれても良かったことだ。自分で言うのも何だが、僕のつまらない家庭状況を話すのは気が引ける。
先生の驚いたというのは、単純に1つの意味だけではないだろう。普段は教室で誰とも関わっていない僕が急にホームステイなんてものを了承したことも含んでいるはずだ。しかし、どう話せばいいのだろう。家族の浅い部分については、この会話のために話しきってしまっているので、フレイルを親戚なんていうのは無理がありそうだ。
「でも、安心したよ。フレイルは日本語めちゃくちゃ上手だし、いい子そうじゃないか。先生も困ることはなさそうだ」
「えっ?」
勝手に身構えていた僕は想定していた話と違う方に話題が行き始めて、少し戸惑った。これではいつもの世間話だ。先生との会話は最終的に先生の話を聞く方に回ることで終わる。今回もそのパターンで杉森先生の高校時代の英語教師が美人だかそうでないかという明日には忘れていそうな話が続いた。そして、部活動の時間が近いづいた辺りで、
「まぁ、また何かあったらいつでも相談してくれよ、待山」
最後にいつもの台詞を残して、先生は僕を帰してくれた。特に困った事態にはならなかったが、それは明らかにおかしい。フレイルがホームステイしていることについて、先生は何の疑問も言わなかった。いや、そもそもホームステイは先生側から見てどういうものに見えているのだ。普通に考えれば学校側を通してとか、そういう手続きを踏むものじゃないのか。
こんなに話が都合よく行っている理由は1つだけだ。昨日、たった1日でフレイルの編入を済ませてしまったあの黒ずくめ、ウェイテリーが何かをしたに違いない。