待山家にて
来巣川から歩いて30分。話を聞いている間に濡れていた衣服は生乾きになり、どうにか町を歩いていても不審者にならずにすみそうだ。そんな恰好の僕は舞庭町の西区の住宅地に戻って来ていた。舞庭では珍しくもない住宅密集地の1つに待山家は構えている。2階建ての一軒家で、濃い灰色の屋根に、薄い灰色の壁。小さな庭と今は車の入っていない車庫。どこにでもありそうなこの家には、僕がやってきた時には祖父と祖母の3人家族だった。3年前に祖父が亡くなったことで、2人で暮らすにはいささか広い家になってしまった。
そして、この住宅地から少し行けば、スーパーや雑貨屋が並ぶ区間がある。ウェイテリーとフレイルはその辺りで買い物を済ませてからこちらにやって来る予定だ。青いスウェットのままのフレイルを全身黒ずくめのウェイテリーが連れていたら、舞庭のような半都会では今の僕以上に不審者で普通に買い物なんてできなさそうだが、そんな細かい事は僕には関係ない。僕は今からこの家にフレイルを住まわせないといけない。そう返事をしてしまった。
ウェイテリーは、フレイルが家に泊まれるように言いくるめられる素晴らしい言い訳の案を僕に教えてくれた。
『……ホームステイだ』
『何が……』
『何って、外国人を泊めてやるあれだよ。今流行っているだろう。フレイルは見た目は外国人っぽいし、ホームステイってことにすればおばあさまも受け容れやすいだろう。私も無理にまじないを使って記憶をいじりたくはないからな』
最後に言った物騒なことは他の転生者の時にそうしたということだろうか。もちろん、そんなことは物騒なまじないはお断りだし、たぶんホームステイという言い訳をする必要もない。いや、話すときには、便宜上はそういうことにしておくが、僕の祖母はそんなことを気にすることはない。
……あの人はそういう人だ。
「……そういうわけで学校からのお願いで、うちに泊めてほしいらしい」
「……わかったわ。部屋を掃除しておかなくちゃね」
そんな短い会話で、僕の母方の祖母である待山晶子は了承した。このことについての会話はこれで終わりだ。祖母は僕のやることを否定しない。今だって、生乾きの服で、突拍子もないホームステイの話をしても何も文句は言わなかった。祖父が亡くなってからその傾向はより強くなった。孫バカと甘やかしてるとかじゃなく、祖母は僕を肯定するだけだ。それが8歳の時に両親を亡くした僕への憐みか、もしくは一番の理解者だった祖父との約束か、僕にはわからない。決して仲が悪いわけじゃない。普通に会話もする。だけど、僕と祖母の関係は、なんだか居心地が悪い。そう思っているのは僕だけだといいのだけど。
「だから嫌だったんだ」
衣服を着替えてからから1時間半ほど経ったころ、2時間ぶりに僕はあの2人に再会する。特に待っているわけでもなかったので、チャイムが鳴った時、普段通りにインターホンを眺めてしまった。そこには、金髪の三つ編みを右の肩に垂らしたフレイル・フィブルが映っていた。服は青のスウェットから水色のワンピースに代わっていて、もしフレイルが選んだならわかりやすい色の好みだ。そして、その隣には先ほどの黒のローブではなく、黒いダッフルコートを身に着けたウェイテリーがいた。……なぜこっちまで着替えているんだ。
「信夫さんはおられますでしょうか?」
おばあさま用に向けられたウェイテリーの口調を聞いて、僕は返事をする。客対応は家にいる間は僕の仕事だ。
「遅かったじゃないか。今、祖母を呼んでくる」
「なんじゃ、信夫か。早くしてくれ」
その口調は河原で声をかけられた時のものに戻っていた。フレイルの前でネコを被るのを止めたんだろうか。僕は未だに年上と思われるウェイテリーにどういう態度で接していいかわからない。わからないが、その命令には早く従った方が良さそうだ。
部屋から祖母を連れ出し、玄関へと向かう。正直、了承したとはいえ、彼女たちに祖母がどんな反応をするかは予想できない。今の恰好なら決して転生の導き手と見習い騎士には見えないが、鋭い目つきのウェイテリーと丸っきり外国人に見えるフレイルのような人たちと祖母はきちんと話せるだろうか。
「どうも、待山晶子さん。私、ウェイテリー・フィブルと申します。信夫さんからお話は聞いていると思いますが、今日から2人でこちらにお世話になります。当日の報告になって本当に申し訳ありません。……信夫さんにはだいぶ前から伝えていたはずなんですが……」
僕は本当に驚いた。それはウェイテリーがフレイルの姓を名乗っていたからではなく、丁寧な口調で対応していたわけでもなく、さらりとホームステイの言い訳を僕のせいにしていたからでもなく……2人でこちらの世話になると言ったことだ。
「あれまぁ……2人だったのかい。1人分の部屋しか用意していなかったよ……」
「ご心配には及びません。私の方は、テキトーに空いてる場所で眠りますので、部屋は妹の方にお譲りください。なぁ、フレイル」
「は、はい! 姉さん!」
やけに喋らなかったフレイルがぎこちない返事をしたのはこの瞬間のためか。どうやら服を買うついで彼女たちの関係の設定ができあがっていたらしい。準備に関しては祖母に悪いところはない。僕もこの展開は知らなかった。
「いいお姉さんだねぇ。とにかく、外は寒いから中にお入り」
「お、お邪魔します!」
フレイルが緊張しているのは台詞だけではないようだ。それに続いて何食わぬ顔で玄関に踏み入るウェイテリーに僕は耳打ちする。
「どういうことだ……」
「私もちょうど宿がなかったところでな。しばらく世話になることにしたんじゃ」
「導き手はどうするんだ」
「転生者なんてそう高頻度で来るもんじゃない。前回は1年半ほど前だった。その前も1年ほど前。つまりは私には1年くらい暇があるんじゃ。それにフレイルの面倒だって見るべきじゃろ。いくらおばあさまがいるとはいえ、思春期の男子の家に、女の子1人にするのは良くないと思ってな」
それはもっと初めの方に言うべきことだ、と言い返すのも馬鹿らしくなった。祖母とフレイルは居間の方まで行ってしまったので、ここで長居しても仕方がない。家の中に入れた時点で、僕はウェイテリーの要求に従うしかなかった。
祖母を交えて、ホームステイ(という設定)を長々とウェイテリーが話していると、時刻は夜の10時を回っていた。寝る時間になった祖母は自室に戻り、フレイルも旅の……転生の疲れを癒すために祖母が片付けてくれた部屋に行ってしまった。思えば、夕方からわけのわからないこと続きで、フレイルにとってはどんでもない世界だったに違いない。
「買い物の間にいろいろ聞いておいたし、その辺りは大丈夫じゃろう。この世界で前向きに生きていくようじゃ。まだ元の世界とかみ合わない部分もあるじゃろうが、それもそのうち慣れるじゃろう」
2人が持ち込んだ紙袋には、そんな話をしながら購入した衣類が詰められている。そのお金の出どころが気になるところではあるが、なにぶん僕も疲れていた。朝から考え詰めて死に場所を探し回っていたからだ。それはもう数日前の出来事に思えるが、実際はフレイルを助けるところを含めて数時間しか経っていない。
僕が休ませてもらえない理由はウェイテリーから話があると言ったからだ。ソファーを占拠してくつろぐウェイテリーは、黒いベストを着ており、この人もわかりやすい好みを……と、僕がありもしないセンスで服を見るほど退屈しているのは、ウェイテリーが話す内容がどうでもいい世間話ばかりなせいである。
「西区の雑貨屋はあんまりまけてくれないんじゃな。こんな美少女2人を見ても定価でしか売りつけぬ。東区の雑貨屋ならこんなことはない」
舞庭の風土が東西でそれほど違うとは思えない。だってそんなに広くないんだもの。だからたまたまその店が悪かっただけだし、この地区でそんな値切りをするやつがそもそもいないのだ。
ほら、まったくどうでもいい話だ。ウェイテリーが思ったより舞庭町の東区に馴染んだ人間であるのがわかっただけだ。その祖母以上におばあちゃんっぽい口調で退屈な話をされると、親戚一同が揃った際に、外れの席を引いてしまった時のようだ。……僕にはその経験があまりないけど。
「……で、話したいのはなんなんだ」
「……なんなんって、私が話してるのは東区の話じゃぞ?」
南南ではない。僕は、またムッとした表情になる。今日はどうにも怒りっぽい。
「僕はもう眠いんだ。今日は……疲れたから」
「……まぁ、自殺をしようとしたら疲れるだろうのう。おい、そんな顔をするな。本題に入ってやる。転生者の話を少ししてやろう。別にお前さんがこれからどうするかは知らないが、住まわせてもらうからには知っておいた方がいいじゃろう」
ウェイテリーは今日一番の真剣な表情を見せる。てっきりその事はうやむやにするつもりなのだと思っていた。僕の興味はそこにしかない。むざむざと自宅まで帰って来てしまって、今日1日が無駄に終わってしまうのは嫌だ。終わるならばあの時に終わってしまえば良かったんだ。
「ぶっちゃけると私にもよくわからない」
「……は?」
「私も数年前にこの町に落ちて来た。でも、何でこの町なのか。何があってここに来たのか。フレイルのようにはっきりと覚えておらんかった。1年前のやつは薄っすら覚えていたし、その前のやつまったく忘れていた。だから、転生者の共通点はあまりわからんのじゃ。あるとすれば、皆光の中からやって来るくらいか。そこはフレイルも私も他の転生者も覚えている」
「じゃあ……導き手になったのはどうしてだ」
「……私も同じように導き手に助けられてな。私も特にやることもなかったし、その縁で導き手をするようになったんじゃ」
「その助けたやつは」
「そこは企業秘密じゃ」
「なんで、転生者が来る場所がわかるんだ」
「そこも企業秘密じゃ」
ウェイテリーの話は半分以上嘘だと思った。内容が嘘みたいな話なのに、その上に嘘を塗りたくっている。それをわかっている僕のことをお見通しなのか、ウェイテリーの顔は飄々としていた。
「さて、それは置いといて……そんなフレイルの今後じゃが、まずは学校に通わせようと思う。聞けばあいつの年齢は16歳だそうだ。あちらの世界がどんな年の決め方でどんな日々の進み方をしているかは知らないが、この世界に来たからには、今は自己申告の16歳で、それ以降はグレゴリオ暦に従ってもらおう。ところで、信夫。お前さんはどこの学校に通っているんだ」
「……舞庭西高校」
そこはここから歩いて20分もしない場所にある高校だ。近かったからという理由だけではないのだが、この住宅地の周辺の子どもはだいたいこの高校に通うので、その言い分を使ってもいいだろう。そして、それを聞くという事は、フレイルの転入先はもう決まっているようなものだった。
「ほうほう、お前さんは年齢は?」
「……16歳」
「なんと、ちょうどいい。高1ってことでいいんじゃよな?」
「……僕が面倒を見るのか」
「別に。学校にさえ入ってしまえば、友達もできるじゃろう。そこがフレイルのこの世界の人間としてのスタートじゃ。まぁ、お前さんも同じ屋根の下で暮らすんだから、少しは気にかけてやれ。それ以上にクラスで話題になるかもしれんがのう」
既に同じクラスになるようにされているが、僕が話題になることはあるだろうか。これが言いたくて起こしていたのならまったくいい迷惑だ。思えば、こいつには迷惑をかけられてばかりだ。家に泊めさせ、女の子を助けさせ、自殺を止められ……おかげで、僕は明日のために寝なくちゃいけない。
僕が立ち上がると、ウェイテリーはまた口を開いた。
「ああ、最後に」
「なんだ、まだあるのか」
「……お前さん、前に私に会ったことはないか?」
「ないよ。こんなおかしなやつがいたら、忘れるはずがない」
僕はさらりと言い流して、2階の自室に戻って行った。どこでもいいとは言っていたが、ウェイテリーはこれからずっとソファーで寝るつもりなんだろうか。あのソファーは結構気に入っていたのに。