河原にて2
「違う……世界?」
ウェイテリーの言葉を女の子はイマイチ掴めていないようだった。当然だ。僕も同じように聞き返すだろう。そして、転生者がどういう意味なのか。この女の子がいた世界とはなんなのか。そもそもこの黒ずくめの女性、ウェイテリーの用事とはこの子の事なのか。聞きたいことは山ほどある。
「まずは君の名前を聞かせてくれるかな? できれば君の役職や出身地とかも」
「わ、わたしは……フレイル・フィブルです。王都の騎士団に所属しています……といっても見習い騎士ですが。出身は田舎の……」
「王国……なるほど、そういう世界ねぇ」
僕と話していた時とは明らかに違う口調で話しかけるウェイテリーは、フレイルの言った事をおおよそ理解しているようだった。でも、僕にはさっぱりだ。そんなゲームの世界のような単語を、ひどく真剣に語るだなんて、どう考えてもおかしい。もしかして、僕はもう川に沈んていて、最後の走馬燈の代わりにこのような夢を見せられているのでは……
「おい、お前さん」
「は、はい!?」
「何をボーっとしておる。お前さんの名前じゃよ」
理解が追い付いていない僕に、ウェイテリーは急にそう振った。この場で僕が自己紹介をするのはおかしくないかと思いつつも、上体を起こして僕の方を見るフレイルの顔を見てわかった。鎧をひん剥かれている今、この場でただでさえ怪しい黒ずくめのウェイテリーと妙な表情をしている謎の男がいれば、安心できるわけがない。
「僕は……待山信夫」
「シノブ……さん」
「この男はたまたま通りかかって溺れかけていた君を助けてくれたんだよ。なに、怪しく見えるがフレイルを助けた時はそれなりにがんばっていたよ」
「そ、そうだったのですね……危ないところをありがとうございました」
ウェイテリーの言い方には引っかかる部分があるが、フレイルの素直な言葉に僕は赤面するしかなかった。こんな風に人から言われるのはいつぶりだろう。いつぶりのせいで、僕は会釈で返すことしかできない。
「ともかく、フレイル。君はその騎士団のあった王国からこの舞庭市の一般人に転生したんだ。おめでとうと言うべきかわからないが、そうなった以上、この世界で暮らすしかない」
「ま、マニワ……やはりマニワの森の言い伝えは本当だったのですね」
「それがどんな言い伝えかはわからないけど、ここは舞庭町というところだ。町ってわかるかな? その世界だと村みたいなものだと思うのだけど」
「はい、知っております。私も小さな村の出身ですので……どことなく同じ雰囲気を感じます」
それほどこの舞庭に愛着があるわけじゃないが、なんとなく田舎だと言わるのは気になってしまった。いや、そこじゃない。ウェイテリーの口調が僕と話している時と違う。丁寧ではないが、なるべくフレイルを緊張させまいと砕けた話し方をしている。やはり、フレイルがウェイテリーの用事だったのだ。彼女を助けるためにここに来たということなのだろうか。
「雰囲気が同じならちょうどいい。すぐに慣れてくれると助かる。」
「あの……ウェイテリーさんはいったい何者なのですか……? いきなりわからない世界に来たわたしに優しくしてくださって……」
「……まぁ、そこの信夫も気になっているだろうから教えておきましょう。私はあなたのような別世界から転生してきた者を導く仕事をしています。別世界から来た者が無残にもこの世界に適合できず、また死んでしまわないようにするためです。なので、別に恩を返そうだとか、遠慮をするだとか、そんなことは考える必要はありません。私はそういう役割として、この世界にいるのですから」
それの説明を聞いたフレイルは、それでもまだ理解できないという顔だ。ああ、僕もそう思う。そう思うけど、これは夢じゃない。僕の目の前で、知らない少女は別世界からの転生を終え、それを導く者と出会ったのだ。自分で言っていても馬鹿らしいが、そうとしか言えない。読んだことあるかわからないけど、まるで小説の世界のような話だ。そして、僕はその瞬間に立ち会っているけど、たぶん何もできない。この世界では僕はただの人間なのだ。
「そんな顔をするな。まずは服だな。そんな濡れた格好のままでは風邪を引く。それから今後の話をしようじゃないか、フレイル」
「は、はい……それではお世話になります。ウェイテリーさん、シノブさん」
フレイルがそう言うと、ウェイテリーは僕の方を見た。そして、大きな声で笑った。フレイルはそれを不思議そうな顔でウェイテリーと僕を交互に見る。笑うのは当然だ。僕はその導く者とは何の関係もない。こんなところで自殺を試みたどうしようもない人間だ。僕がお世話できることは何もない。
「くふふっ……信夫、お前さんの家の家族構成は?」
笑いを堪えながらウェイテリーは突然、そんなことを聞いてくる。質問の意図はわからなかったが、僕にとっては嫌な質問だ。でも、答えない理由はない。
「……家にはおばあちゃんだけだよ」
「そうか、ならばちょうどいい。フレイルはお前さんの家に預けるとしよう」
「……はっ?」
「私がフレイルの服を選んでいる間、おばあさまに話をつけておいてくれ。なに、言い訳については私にはいい考えがある。その点は心配しないでいい」
当然のように話を続けるウェイテリーに、僕は久しぶりに他人に対して苛立ちを覚えた。ああ、今ならとても大きな声が出せるとも。
「な、何を言ってるんだ!預けるっていったい!」
「聞いてた通り、フレイルの今後を考えるならば、まず必要なのは住居だ。住む場所がないと人間は不便だからな。お前さんはこの状況を見ていることだし、フレイルもお前さんを頼っている。他を探して始めから説明するのは面倒だからお前さんちに任せようということだ。2人暮らしなら開いた部屋のスペースもあるだろう」
今、僕が怒るべきことは、この身勝手な理屈で僕の都合を無視したことを言っているところだ。二人暮らしだからって、急に女の子一人を住まわせられるなんて限らない。でも、今の僕はおかしかった。ほんの寸前まで、自殺を試みていた僕には……
「意味が分からないよ! 転生者って何だよ! 僕だって! 僕だって……」
別の世界に行きたかった。僕の方が転生したかった。確かに今は、退屈じゃない光景が目の前にあるかもしれない。それでも、僕はまたいつか目の前の現実に、何も感じなくなるだろう。だから、その前に死ぬんだ。ここじゃない別の世界に飛び立つんだ。
「シノブさん……?」
おびえながらそう呼ぶフレイルの方を見て、僕は我に返った。そうだ、今の話は全部彼女が聞いている。わけもわからず僕とこの女を頼ろうとしていたのに、仲間割れをし始めるなんて思っていなかったろう。どこまでの小心者の僕は、そこでもう勢いを無くしてしまった。
「ご、ごめんなさい……でも、僕は君も、ウェイテリーも、何が何だかわからないんだ……」
「そうかな? お前さんはなんとなくわかっているような感じだったんだがな。少なくともわかっていなくても、それを受け入れることができる。こんなわけのわからない状況で口を挟もうとしない。それまで口を出せなかった? 聞いてる間のお前の顔は、さっき宝くじを引こうとしていた時よりも良い表情だったぞ?」
「そんな……ことは……」
「まぁ、こちらも一気に言い過ぎたな。そこは謝ろう。だが、お前が断れば、この非現実もここまでだ。私は少しばかりまじないが使える。さっきフレイルを目覚めさせたようなものだ。それで、お前の記憶を消す。消す範囲はお前に決めさせてやろう。フレイルを助けるところからでも、宝くじを引こうと考え始めたところからでも」
こちらに言い訳をさせないような、そんな口調でウェイテリーはそう言った。フレイルを助けなければ、僕はこの非現実を持ち帰ることはできない。記憶を消されたら、また何の確信もなく、この現実の世界で迷い続けるのだ。
しかし、彼女を助けてしまえば、僕には責任が生まれる。彼女を放っておいて僕は死ぬことはできない。決して正義感ではない。正義感のあるやつが、自殺なんてするはずがない。
「あの……! シノブさんが迷惑なら、私はそんなことを望みません。ウェイテリーさんの申し出は嬉しいですけど、全部が全部、遠慮しないわけにもいきません。私もなるべく迷惑をかけるようなことはしたくありません。私なんかに、そんな価値はない……」
だから、シノブさんに無理をさせないでください、とフレイルは付け加えた。彼女も我慢ならなかったのだろう。そう言われた途端、ウェイテリーはなぜか僕の方を見つめる。ほうら、彼女はこう言っているぞ、お前さんはどうするんだ、とでも言わんばかりに。
フレイルの僕への信頼は、たった今、溺れかけていたのを助けただけだ。それも口頭で聞いただけの事実だ。それすら信じなければならないくらい、今の彼女は頼る人がいないのだろう。頼る人がいないことが、どれほど苦痛なものか。そして、彼女の最後の言葉は……