河原にて
場所はどこがいいだろうか。ビルの屋上はどうだろうか。
ダメだ、下に誰かいたら危ないし、迷惑がかかる。
外れにある大木はどうだろう。
それもダメだ。用意している間に誰かに見つかるかもしれないし、時間がかかる。
やはり道路に飛び込むのか。
いいやダメだ。誰かに迷惑をかけてはダメだと言っているじゃないか。
それならばいっそ……
僕がそれを望んだのは、何も高校生活に疲れたわけじゃなかった。積み重ねだ。まるで長くもない16年の間に貯まりに貯まったこの現実世界への疑問。何で生きているんだろう。これから何をするんだろう。どうしてしなければならないんだろう。傍から見れば些細な事なのかもしれないが、日常のそれが積み重なって、僕は常にその事を考えるようになった。そして、それを止めるきっかけが欲しかった。
3年前の祖父の法事でお坊さんから聞かされた輪廻転生の話。生き物は死後、6つの道のどこかで生まれ変わる。いや、僕はどこでも良かった。この世界以外のどこかなら別に幸せじゃなくても退屈ではないかもしれない。その頃から僕はそんな生まれ変わりの話を読み始めた。仏教以外の話や人間以外の六道の話。ライトノベルの異世界転生の話でさえも読み漁った。
そんな風に3年が過ぎた今頃、僕は決心した。これだ。やはりこれしかない。僕がこの現実世界から離れるのは転生を望んで死ぬというのがいい。そういうことにしておいた。それ以外の都合のいい言い訳が見つからない。だからこれから死に場所を探さなくては。
そうやって、たどり着いたのは舞庭町で一番大きな川、来巣川の河原だった。夕暮れ時の河原なら人に見つかりづらいだろう。そもそもこの11月の冬の川に用がある奴の方が少ない。それに僕は一度もこの川で遊んでいるような影を見た事がないのだ。
靴を脱ぐかどうか迷ったが、なるべく証拠は残らない方がいい。僕は靴のままから川辺に足をつけ始める。
入水といえば、日本人ならばあの小説家を思い浮かべるかもしれない。彼は心中未遂になってしまったこともあったが、それほど難しいのだろうか。来巣川の川幅はおおよそ30メートル。その川の真ん中辺りまで行けば、僕の165cmの身長では足が届かなくなるはずだ。そのまま自然に溺れてしまえばいい。加えて冬の川の水は冷たい。冬だから当たり前だ。このまま寒さで死んでしまうのもいいかもしれない。
そう考えながら進もうとするその時だった。河原沿いの小道から声がしたのは。
「舞庭の冬は無駄に寒いぞ? 寒中水泳が健康にいいとは思えんのだがのう」
その声の方へ振り向くと、そこには1人の女性がいた。夕暮れ時のこの時間にまったく人が通らないとは思っていなかったが、間が悪い。しかし、その女性の姿はひときわ僕の足を止めるほど目を引いた。
腰辺りまである長い黒髪で、黒いローブに身を包んだ黒ずくめの女性。葬式の帰りでもない限りは、こんなに真っ黒な出で立ちの女性を僕は見た事がない。そして、それ以上に僕が違和感を感じるのは、こちらを鋭く見つめる真っ赤な瞳だ。カラーコンタクトでなければこんな瞳になるはずもない。夕日に照らされているにしても、そんな赤い輝きはしない。しかし、その目は、現実ではない何かを見ているようで……
「今日は日が悪い。転生するなら別の日にするんじゃな。最も宝くじを引くより効率が……」
「なんで……」
驚いているはずなのに、普段それほど話さないせいで大きな声が出ない。それでもその女性には聞こえたようで、小道から河原の方へと降りて来た。そして、僕もその言葉を確認するために、進みかけた川の中から河原に戻って行く。
「なんじゃ? よく聞こえんかった」
「な、なんで僕が……」
「転生しようとしたかわかったか? いや、なんとなくじゃ。というか死ぬヤツはだいたい来世に期待するもんじゃろう」
「それは……どうかわからないですけど……」
近くで見ると女性……ではあるのだが、僕とそれほど歳は変わらないように見える。身長は僕より5cmほど高いところから見れば、1つか2つ年上といったところだろうか。いや、僕は平均身長以下で、この女性がやや高いだけなので当てにはならないが。しかし、そのスレンダーな体型に、真っ黒な服装をしているのが余計に違和感を煽る。まるで魔女のような恰好はハロウィンの仮装には遅すぎる。
「私が見るのは来る側だけなんじゃが、目の前でそんなことをされたら止めないわけにもいかんじゃろう。詳しい事情は敢えて聞かんが、何もそんなに早まるな」
「あ、あなたに何が……」
「せめて、私の用事が終わってからやってくれ。無駄に溺れる様なんて見たくはない」
「…………」
その独特な口調で投げやりにそう言われるが、確かにこの人がいる前でそれをするのは酷だろう。普通の人ならば止めざるを得なくなる。だが、この人は逆にこの川に何の用があるのだろうか。まさかその格好で釣りでも始めるわけがあるまい。僕は事情が事情だけにもうこの場所から動くことができない。
「まぁ、そうじゃな……ちょっと待っておれ。もう少ししたら私の用事が来るころじゃ。それが終わったら思う存分、次の世に期待して行くがいいさ」
「あなたの用って……?」
「んー……ああ、ちょうどいい来るぞ」
そう言って指差す方向を見る。そこは何の変哲もない、舞庭の特に美しもない夕空だった。しかし、次の瞬間、その空に一本の白い光が、音もなく川の方へ降り注いだ。何かをそこに落とすように。女性はその光景に驚きもせず、むしろ見飽きたような表情で傍観していた。僕はもちろん、驚いていた。驚いてはいたのだが、半分だけ胸の高鳴りを感じていた。僕が望んでいた非現実が、途端にそこに起こり始めた。
「ほれ、ここはそこそこ深いんじゃろ? 助けてやらんとダメじゃないか」
「えっ?」
光の落ちた川の中ほどには、何かが浮いて……いや、少しずつ沈み始めていた。そしてよく見れば、さっきまでそこにいなかった人が、特に自分が溺れている自覚なく沈んでいくのだ。意外だった。それがわかった瞬間、すぐに助けに向かっていたのだ。さっきまで進むことを躊躇していた川の中へ。そう考えれば、僕のこの入水自殺は、泳げる時点で失敗していたのだろう。
「だ、大丈夫ですか!ぐっ!?……お、重い……!」
10メートルほど泳いで寄って声をかけつつも身体を引き上げようとするが、思いのほかその人が重かった。それは体重の話ではなく、むしろその人は金髪の女の子であったのだが、格好が黒ずくめの女性と同じレベルでおかしい。僕が本の読み過ぎて頭が馬鹿になっていないのであれば、甲冑のような装備を肩や胸の辺りにだけつけているのだ。
そして、非常に申し訳ないのだが、このままではある意味、当初の予定通り僕も沈んでしまいそうだったので、それを無理やり剥がすしかなかった。傍から見れば、女の子の服をひん剥いている状況だ。そしてその傍から見ているはずの黒ずくめの女は見ているだけで助けようとしない。水の中へ外し方もわからない女の子の装備を無理やり取って川底に沈めながら、僕は河原の方へと引きずって行った。
「よくやったのう。咄嗟の判断で鎧を剥くのはいい判断じゃった」
「な、なんで……助けてくれないんですか!」
「よく声が出てくるようになったじゃないか……私、濡れるの嫌じゃったし」
誰だって怒ればさすがに声も大きくなるものだ。何とかその女の子を引っ張って河原に戻れたが、この黒ずくめはあわや僕を見捨てて……これ以上言わないでおこう。さっきの自分が何をしようとしていたのかを考えると、怒る僕がおかしなやつみたいだ。
「息はあるようじゃな……」
青いスウェットのような服装だけになってしまった女の子は、無事なようである。だた、それでも疑問は残る。白い光から現れたように見えた女の子は、この黒いのが言うことが正しければ、鎧を身に着けていた。仮装パーティーが開かれるわけではないのに、騎士のような鎧を、コスプレにしてはしっかりとした装備を、普通の女の子がしているはずがない。
いろいろ聞きたい僕を横目に黒ずくめは、その子の胸の辺りに手をかざした。すると、視界に見えたわけではないが、まるで魔法でもかけたように女の子はむせつつも息を取り戻した。そして、次の衝撃的な言葉とともに、僕はようやくこの女の名前を知ることになる。
「ごほっごほっ! ……ここは?」
「おはよう転生者さん。私の名はウェイテリー……ここは恐らく君がいた世界と違う世界だ」