28日/ダガーバーにて
28日 ダガー工房にて あったかもしれない出来事です。
ENo.233ガク=ワンショット、及びENo.303 insanelyのお二人の日記に勝手にあわせてあります。
静かなバーには静かな空気が良く似合う。当然のことを繰り返したのは、その当然が失われつつあったからだ。硬質な常連客が集うどころか、常連客くらいしか集わないような店にとって、その男の来訪はちょっとした事件だった──と、サクラは塩水を舐めながらぼんやり(当然遅いが、ここではそれが許される)していた。
硬質バーには文字通り硬質な客が多い。細かな素性は知らないが、大隊のランキングで目にした顔も少なくなかった。格闘屋、制御屋、それにサクラのような反応屋まで。みなバラバラに見えるが、一つの共通点を持っている。即ち、硬質であること。
「邪魔するよ。…へえ、すごい顔ぶれだ」
ルールに照らし合わせれば、その客もまた硬質に違いない。リー・イン。彼は店をぐるりと眺め回すなり、つかつかとサクラに近づいてくる。何を考えているのか分からない男ではある。しかし、縁が無いわけでもない。先日など、彼は篠崎生研への依頼を無料で仲介してくれた。その後口座が凍結されて支払いが滞ってしまったことについては不幸な事故だったとしか言いようがない。
「強いのを一つもらえるかな。ああいや、二つだ。そこで豆と水だけ食ってるやつにも同じものを。」
どうも事実誤認の得意なライダーのようだ。これは水ではなく塩水で、それもホット。更に言えば、サクラはダガーバーのマスターの計らいでチェリーも手に入れていた。水と豆だけ食っているというのは完全に間違いだ。
「甘えさせてもらうよ、ミスター・リー。もうポケットには飴玉しか残ってないもんでね」
それでも、酒は魅力的だった。備蓄していた食料はとうに底を突き、今では飴玉しか残っていない。アルコールならば塩水よりはカロリーが取れるだろう。
先の件について訂正を求めるか否か悩んでいる(無論遅いがここでは例外的に許される)うちに、リー・インから強い酒が手渡された。貴重な栄養源をこぼさないよう、細心の注意を払って受け取る。酒の味が分かるほうではないが、美味いと言っておけば誰も損をしないというのは、彼が手に入れた処世術の一つで、大体の場合有効だった。
「強い酒か……だが、俺の方が強いな」
「そうだな」
用があったのはサクラにではないらしい。リー・インは苦笑すると、即座に強い酒を飲み干し(サクラの強さに対抗した強いアピールだろう)、踵を返して遠ざかっていった。カウンターに座る男、ダガーバーのマスターの元へ。間をおいて、リー・インはマスターの隣に腰かけた。そちらが本命なのだろう。名の知れた霊障屋がダガーの名手に何の相談があるのかとも思ったが、同業者への詮索は野暮天だ。特に気にすることも無く、サクラは天の恵みをちびりちびり(遅い行為だが今日は大丈夫)と味わった。
◆◇◆
「おいSB2S。このケーキを半分やるから、お前の持ってるブーステッド・マンを貸してくれ」
いい気分で塩水を飲み干し、グラスに残ったチェリーをスコッチへと慎重に移し替えていると、何故か首根っこを掴まれて引きずられた上、強い語勢で賃貸契約を迫られた。顔を上げる。声の主はリー・インだった。ダガーバーのマスターとの商談が取りまとまったのか、それとも決裂したのか。釈然としない表情のマスターと、リー・インの苦々しげな声色ですぐに(速い)分かる。後者だ。
用件が端的なのは速いので悪いことではないし、確かにブーステッド・マンは持っているが、それはこれからの交渉次第だろう。だがケーキが魅力的な栄養源であり嗜好品であることは多面的に論理を展開してみても否定できなかった。凍結された口座がどうなるのか、明日の食にも困る有様だ。くれると言うなら貰っておきたい。
「それは構わない。が、断ったら?」
「篠崎に居場所をチクる」
「それは…強いな」
切り札を切るのが速すぎる(速いに越したことはない)。どうやら問答無用らしい。篠崎の取立てロボに居留守を使って抜け出してきた身だ。ダガー工房に転がり込むことが出来たから良いものの、捕まっていれば何をされたか分かったものではない──実際、何をされるかは良く分からないのだが。
断る理由は存在しなかった。ブーステッド・マンは確かに強力な格闘武器だが、どう頑張っても栄養として吸収することは出来ない。
「分かった。後で送る手配をする。が、着払いで頼む。それが嫌なら持って行ってくれ」
「それくらいは俺が持つさ……そんなに金が無いのか?」
どうも事実誤認の得意なライダーのようだ。状況判断能力が鈍っているのは強い酒を一気飲みしたのが悪手だったと言わざるを得ない。あるいは窮した人間に分かりきった答えを口に出させることを至上の快楽とするタイプの歪んだサディストか。
「あれば塩水は頼まない」
◆◇◆
迷惑な来訪者たるリー・インが去った後、バーには再び純度の高い硬質な静寂が満ちていた。手持ちのダガーは借金の──もといケーキのかたに消えていく。つまり、次回組み込む武器が無いことにサクラは気づき始めていた。腕で殴りつける手もあったが、前に試した際は思ったほど有効な打撃を与えることが出来なかった。
ひらめきは一瞬だった。ここはダガーバーだが、バーのマスターはダガー工房でダガー作製を受注している。全てを任せていた仲介人のリキティが死んだ直後ということもあり、マーケットへの連絡もおぼつかない。ならば、むしろ直接オーダーする方が安心だし楽なのではないか。金はちょっと待ってもらうよう交渉して。
上手くせしめた酒を一息に飲み干すダガーバーのマスターの元へ歩み寄る。彼には恩があった。塩水どころかチェリーまで付けてくれたのは、ひとえに彼の器の大きさを象徴する出来事だったとサクラは思っている。この器の大きさならば、金も待ってもらえるかもしれない。
「聞き耳を立てていたわけじゃないが、俺は耳も早い。ブーステッド・マン・ドライの発売日は何時になる?」
非礼を承知で切り出す。話は早いほうが速い。
不躾な問いにも、マスターは泰然自若としていた。サクラをつま先から頭までを眺め回すようなこともなく、それでいて無関心でもなさそうな、よく分からない反応。永遠に静かなまま時間が流れるのかと思いきや、マスターはブーステッド・マン・ドライの設計図を見せてきた。カウンターのテーブルに置き、ペンで指しながら、
「そいつはしばらく先の話だ。ヒーローが遅れて現れるように、ブーステッド・マンもすぐには並ばない。けれど、近いうちにきっと御目見えすることになるだろうさ。何故ならブーステッド・マンは″″″″″″速く″″、″″強い″″」
確かにブーステッド・マンは速い。それに強い。機動型ハイドラに積みやすい癖の無さ(あるいはそれ自体が癖とも言える)に加え、巷のダガーの中でも群を抜いた火力を持つ。だが、近いうちでは遅すぎる。
「待てない顔だ。速さが足りないかい?」
「割と困窮してはいるが、チェリーの恩に報いたい。ダガーを一つ頼めないだろうか……」
今度こそマスターは怪訝そうに小さく眉をひそめた──ように見えた。表情が変わっていないとすれば、サクラはそれを認識できない。変化を視認出来た気がしたということは、やはりマスターの顔には微細な動きがあったのだろう。それもそのはず、6cしか持たず酒場に駆け込んできた客が、その100倍もするようなダガーの依頼を切り出したのだ。逆の立場ならサクラも同じ顔をするだろう。あのリー・インならさらのその上を行くか。苦虫の何匹か噛み潰してみせるかもしれない。
とまれ、マスターの懸念事項は既に理解している。依頼料、作製費用。どう捻出するのか、そもそも捻出が可能なのか。答えは速い方がいい。沈黙の心中を察し、即答する。
「次回の戦場で稼いだ分を出す」
「そこまで待って欲しいと? ……わかった。そこまで言うなら受けよう。ああでも、踏み倒しは良くないな。他の客の手前、黙ってるわけにもいかなくなる。篠崎ほどじゃないけど」
「知っていたのか……」
「さっき彼が言ってたよ。あいつは無一文だって。老婆心だが、払うべきものは、払えるんなら払っておいたほうが良いと思うよ」
ブーステッド・マンは着払いで送りつけることにしよう。他に重石を入れて運賃を上げてもいい。ハイドラ整備に使ったガラクタが紛れ込んでしまっても不思議ではないだろう。