第二話 悪夢
Side...yukiya
あれから、五年の歳月が過ぎ、幾つもの季節が巡った。
大きな戦も終わり、時代はいつの間にか明治と呼ばれるようになっていた。
しかし戦があろうが無かろうが、殺し屋の仕事は変わらない。昼でも、夜でも、依頼された標的をただ殺すだけ。
時代の移り変わりなど、俺たちにとってはどうでもいいことだ。どうせ表舞台には出られない。
「───………」
夜中の仕事を終え、住処にしている長屋へ帰って来たのは黎明の刻だった。
戸を閉め、草履を脱ぎ捨てて囲炉裏に火をつける。体が温まるより早く、家に着いた安心感で眠気がこみ上げた。
ごろんと横になり、大きくなっていく火を見つめながら、気づけば目を閉じていた。
『───口の悪い小僧だ…』
久しぶりに、彼女の夢を見た。忘れもしない、あの夜の記憶。
俺の腕を斬り落とした、貿易商の娘。
(…いつか必ず)
俺の暗殺が失敗してすぐ、あいつは江戸へ立ったと聞いた。再び襲われることを恐れた父親が、江戸の知り合いに彼女を預けたらしい。
後にも先にも、俺が標的を逃したのはあの一度だけだ。
(殺してやる)
失ったはずの腕が痛む。そこにないのに、痛みだけが体を蝕んでいく。
あの女を殺せばきっと───
「───またユキちゃんうなされてる」
「最近減ってたのにな。うわ、汗すっご」
人の話し声が聞こえて、俺はゆっくり瞼を持ち上げた。
障子に遮られた朝日が、柔らかな光になって部屋に差し込んでいる。
「あっ、起きた」
人影がふたつ、どちらも俺の方を見ていた。
「……」
「おはよう」
見慣れた顔のこの二人は、俺と同じ雇い主の同業者。
「おら、汗拭け」
そう言って俺に手ぬぐいを放り投げてくる男は宗方 心紅朗。俺より年上で歴の長い殺し屋だ。昼間は近くの茶屋で働いている。
「大丈夫?」
「あぁ」
心配そうに俺の顔を覗き込んでくるのは多賀 七依。男装をし、髪も短く切っていて男にしか見えないが、俺より年下の女だ。
俺たち三人は、隣同士の長屋に住まう同業者。
「火、付けっ放しで寝たら危ないよ」
「……」
勝手に入ってきてその火で温まっている奴には言われたくない。
俺は心紅朗から受け取った手拭いで顔を拭きながら起き上がった。
「昨日の仕事はどうだった」
「殺した」
「そうか」
もう何度目か分からない会話を、心紅朗と交わす。俺が腕を失って以来、こいつは毎回この質問をしてくる。
「怪我は?」
「ない」
「よかった」
心紅朗は優しい奴だ。だから彼が純粋に俺を心配してくれているのは分かる。
でも、毎回しなくてもいいと思う。信用されていないような気分になる。
「さーて、そろそろ仕事行くかぁ」
心紅朗が立ち上がり、黒い羽織に腕を通す。深緑の着物によく似合う羽織だ。こうしていると、顔の造形が整っている彼はただの好青年に見える。
「行ってらっしゃーい」
七依がひらひらと手を振る。心紅朗が扉を開けると、強い日差しとともに冷たい風が部屋に吹き込んできた。
「……」
俺も立ち上がり、着ていた黒一色の装束を脱ぐ。
「ユキちゃんもどっか行くのー?」
七依の声を背中に受けながら、壁に掛けてあった薄青の着物に着替える。
「剣の稽古」
「そっかぁ」
その上から灰色の袴を履き、帯を締めて腰に刀を差した。着物はこれと仕事用の黒装束しか持っていない。
金銭的に困っているわけではないが、余ってもいないから節約するに越したことはない。
「じゃあ僕も遊びに行こー」
囲炉裏の火を消し、七依と二人で外へ出た。一気に外の空気が体温を奪っていく。毎年のことだが、函館の冬は寒い。
「じゃあね」
「あぁ」
俺たちはそれぞれ、別の方向へ歩き出した。七依がどこへ行くのかは知らないが、おそらく茶屋を巡りながら菓子を食べ歩くのだろう。だいたいいつもそうだ。一度だけ付き合ったことがあるが、甘味を食べすぎて胸焼けしたからもう二度と七依とは出かけないと決めた。
左袖が風に吹かれて大きく揺れて、襟巻きとともに翻る。
腕のない肩を押さえながら、足早に森の中へ踏み入った。日陰ばかりの木々の間を、凍てつくような風が抜けていく。背中を押されるように、俺も森の奥へ進んだ。
「……」
徐々に歩調を速め、腰の刀に手をかける。
「っ!」
息を殺しながら、刀身を抜き放った。空中を舞っていた枯葉を両断する。
(…遅い)
今の一撃、あの女ならきっと簡単に受け止める。
「…っ」
俺は何度も刀を振った。しかしあの女を仕留められる気がしない。あの日から、剣の稽古は毎日してきた。あの女を殺すために。
でも、俺はいつまで経ってもあの日のあいつに勝てない。
次会う日までに、俺はあいつを殺せるぐらい強くならなければいけないのに。
あの女の動きを、速さを、超えられない。
何度も、何度も、俺は空を斬った。