飼い主出来ました
ネジが1本飛んでる金持ち飼い主×平凡ペット
「唯」
男が唯の名前を呼ぶ。唯が振り向くとニッコリと笑って大きな掌を差し出した。
「お手」
「……」
一瞬脳内で葛藤が起きたが、その一瞬後には諦めて自分の手を乗せた。
「良くできました~いい子いい子」
ニコニコと笑いながら唯の頭や顎を撫でる男。その際唯の首にも触れてチリンと可愛く鈴が鳴った。
「唯、オヤツ食べる?」
「……食べる」
確か今日のオヤツは唯の好きな和菓子店の大福だと木村さんが昨日言っていた。「おいで」と手を引かれた先に待っていたのは予想通りの栗大福。思わず笑顔になる唯をやっぱりニコニコ見ながら男が促した先は男の膝。
ああ、羞恥心で真っ赤になっていた最初の頃が懐かしい……
そんな事を思いながら唯は普通にヨッコイショと男の膝に乗った。羞恥心で腹は膨れん。モゾモゾと動いて座り心地の良い場所を探す。うん、ここだ。フゥっと一息つくとお腹に腕を回されて更に安定感が増した。
戯れたいのか男が頭を撫でたりチュッチュしてくるが、私は今大福が食べたいのだ。唯は上を見上げて男の青い眼を見た。
「ご主人サマ、お腹すいた」
栗大福が目の前にあるのに食べれないとか拷問以外何ものでもない。男は蕩ける笑顔で「ごめんね」と謝ってきたが、そんな事よりも早く大福が食べたい!
「はい」
男に差し出された栗大福は相変わらずもっちりとしていて美味しそう。
「待て」
わかってますよー唯はいい子ですから待てなんて楽勝ですよー。早く早くとジーっと大福を見る唯に男は笑いながら「よし」と言った。やっと与えられたオヤツにアーンとかぶりつく。旨っ!流石は高級老舗和菓子店。変わらない美味しさである。
男はモグモグ口を動かす唯の口の回りに付いた粉をナフキンで拭うとまた大福を差し出した。あーん。
「美味しい?」
「ん、美味しい」
マジで旨~。
男は「よかったね」と唯の頭を撫でた後も、大福を差し出したりお茶を飲ませたりとそれはそれは甲斐甲斐しく唯の世話を焼いた。
「ご馳走様でした」
「じゃあお昼寝しようか」
再び手を引かれて着いた先はベットルーム。天蓋付のキングサイズのベットに2人して横になるといつものようにギュッと抱き込まれる。
「おやすみ、唯」
「おやすみなさい、ご主人サマ」
すぐにスースーっ聞こえてくる男の寝息。お疲れですねー。男に腕枕された頭の位置が悪かったのでモゾリと動く。首もとの鈴がチリンと鳴った。
鈴が付いているのは唯の首にある真っ赤な首輪。
唯が目の前の男の所有物である証である。
佐竹 唯、20歳。ただ今飼われてます。
ーー目を覚ましたら知らない天井、いや天蓋?だった。
垂れ下がっている白い重厚な布をしばらくボーッと見ていた唯は視線だけユックリと動かした。
「……ここ、どこ?」
明らかに高級感溢れるこの部屋が自分の狭いアパートではない、と言うことはまだ覚醒しきってない脳ミソでも理解できた。ただ、見覚えもない部屋に何故自分がいるのかはわからなかった。
「えっとーーっ痛ったぁ!!!」
取り敢えず起き上がろうと体を起こそうとした瞬間襲ってきた頭痛に唯は頭を押さえて再びベットに倒れ込む。
知ってる。この痛みは超知っている。普段は気を付けているけど調子に乗って飲み過ぎた時に出てくる所謂二日酔いの痛みである。
ヤバイ痛い気持ち悪い。
頭を抱えて枕に顔を埋めていると、がチャリと扉が開く音がした。
「あ、起きた?」
え、誰?
見知らぬ部屋に引続き見知らぬ声だ。
痛みと闘いながら脳ミソを揺らさないように殊更ユ~ックリと顔をずらしてみた。わぁん、やっぱり痛~(泣)
「大丈夫?昨日は沢山飲んだもんね」
目を瞑って痛みに耐えていると、クスクスと笑いながらベットに近付いてくる気配がした。声は男性だ。それも美声。ギシリとベットが軋む音と僅かに沈み混む感覚で男がベット脇に座ったのだとわかった。
サラリと髪を撫でられる。あ、やめて。今触らないで。ウプ。
「お水飲む?」
動きたくないけど喉も渇いたため極力小さくコクンと頷いた。
すぐにお水を持ってきてくれて、優しく起こされてから水の入ったコップを渡される。唯はそれを一気に飲んで、フゥと一息ついた。
……さて。
頭痛も少し収まった所で現状を把握しようか。唯はチラリとベット脇に座る人物を見た。ずっと見られていた為すぐに視線が合いニコリと笑顔を向けられる。つられて唯もニコリ(やや引き攣り気味)。
うん、全く見覚えがない。
歳は30歳位。黒髪だけど青い眼だし日本人離れした容姿だから純日本人ではないのかもしれない。戦隊モノなら確実に赤色担当の正統派イケメンで、何が楽しいのかさっきからニコニコ笑いっぱなしだから大変眩しい。
「お代わりいる?」
「大丈夫です。お水ありがとうございます」
「どういたしまして。所で昨日の事は覚えてる?」
ーー昨日。
えっと、仕事中に嫌なことがあって憂さ晴らしに帰りに一人で行き付けの居酒屋に飲みに行ったんだよね。で、気分が収まらなかったからその後も2~3軒飲み歩いて……あ、ヤバ。全く覚えてないわ。
「すいません、あまり覚えてません」
「じゃあ自己紹介からだね。俺は鳴海 誠也。誠也でいいよ。昨日君とはbarで会ったんだ」
イケメンーー誠也さんの話によると、飲みに行ったbarでカウンターに座ったら隣に座っていた私に話しかけられたらしい。しかもすでに出来上がっていた私はあろうことか誠也さんに絡んだらしい。さーせん。この一度見たら忘れられないインパクト特大級のイケメンを覚えてないんだから相当飲んだのだろう。
「で、最終的に酔い潰れちゃったからここに連れてきたんだ」
本当にすみません。ご迷惑をお掛けしました。所で服が変わっているんですけどまさかヤッーー
「タクシーに乗ってる時に途中で気持ち悪くなったみたいでね、ちょっとスーツが汚れちゃったんだ。今クリーニングに出してるから」
ーーマジで申し訳ありませんでしたぁぁ!!
私みたいな地味人間がアホなこと考えました。つまりアレですね。リバースしちゃったんですね。重ね重ねご迷惑をお掛けしました。初対面で絡んだ挙げ句吐くとかもうどうなの自分。しかもこんなイケメン相手に。ないわー。
「あの、本当に申し訳ありませんでした。謝罪は後日改めてさせて頂きますので、取り敢えず一旦帰らせて頂いてもよろしいですか?」
取り敢えず帰って寝よう。明日から連休で本当に助かった。
「え?何で?」
「え?」
当分禁酒だわと考えていたら、誠也さんが不思議そうな顔で聞いてきた。
「帰るって、ここが唯の家でしょ?」
「え?」
ここ?この家賃月数十万は軽くしそうなこの部屋?う~ん、お給料全部注ぎ込んでも玄関位しか借りれそうにありませんけど。唯が首をかしげると誠也はニッコリ。よく笑う人だ。
「初めての事だしちょっと迷ったけど飼うことにしたから。君の飼育部屋として急遽この部屋を用意したんだ。どう?気に入った?」
え、何?このイケメン何言ってるの?
飼うって何を?
私を?
この部屋で?
「………………はい?」
「いやーbarで人に飼われて生きたいって言ったあと僕に飼わない?って聞いてきた時は流石にビックリしたんだけどね。気持ち悪くなって吐いてる君を介抱している時にいきなり保護欲が湧いてきちゃって。そしたら涎垂れてる顔も可愛く見えてきてね、飼おっかなって」
……いや、飼おっかなの軽さで人間を飼う決断しないでほしいんですけど。つか吐く姿に保護欲湧くとか、涎垂れてて可愛いとか絶対可笑しいから。それ以前に飼われたいって何言っちゃってんの私!!
「辛いことがあったんだってね。もう働きたくないって言ってたし、ここにいればもう大丈夫だからね」
唯はハッと誠也を見た。
唯はストレスは声に出して発散するタイプだ。そして昨日は超絶に嫌な事があり、酔って絡んだのならばきっと愚痴を言いまくったに違いない。挙げ句に現実逃避よろしく飼われたい発言……ぎゃぁぁ痛い!痛すぎる!酔いすぎだよ。
恥ずかしすぎてアウアウしていると誠也に慈愛に満ちた微笑みで頭を撫でられた。これはアレか。私のアホな発言に乗ってくれて元気づけようとしてくれているのだろうか。
……何ていい人!
「ほら、見て見て。もう首輪も用意したんだ」
もう絶対深酒は止めようと誓う唯に誠也は真っ赤な首輪を見せてきた。小さな鈴が付いており誠也が動かす度にチリンと鳴っている。ネームドッグには『YUI』の文字。
わお、ノリがいい上に用意早いな。
ーーチリン
……うん、見てない見てない。首輪の隅に某有名ブランドのロゴなんか見テナイヨー。服も仕草も上品だしこんな部屋を用意出来るんだからきっとお金は持ってるんだろうけど、冗談にソコまでするとか。金持ちって怖い。
しかし出会ったばかりの酔っぱらいの戯れ言にここまで付き合ってくれるなんてイケメンなのにお笑い好き?しかもボケ担当。え、そろそろ突っ込むべき?
「似合うと思って特注したんだー気に入った?」と言う誠也さんに「今?突っ込むの今?」と思っていると背後でガチャッと扉が開く音がした。
「遅くなって申し訳ありません、誠也様」
「本当だよ。驚かせたかったのに唯起きちゃったし。全部揃った?」
「大丈夫です」
まず入ってきたのはスーツ姿のインテリ眼鏡の男性。秘書の木村さん?どうも、初めまして。ペコリと頭を下げていると次いで眼鏡の背後から次々とスーツを着た男達が入ってきて頭を下げるのが忙しかった。皆両手に大量の袋を抱えていて木村さんの指示で男達は荷物を置いて出て行った。残ったのは木村さんと大量の荷物。大きさは大小様々だが有名ブランドの袋が目立っている。流石は金持ち、買い物も豪気なようだ。
「唯、見て見て」
誠也がブランドの袋の中から1枚のワンピースを取り出して見せてきた。新作らしく、大変可愛い服だ。そう伝えると誠也は満足そうに頷いた。
「唯に似合うと思って買っちゃった」
……は?え?私の?
意味がわからず首を傾けているとまあ出るわ出るわ。「他にもあるよー」と誠也さんが出してくる物の数々に唖然とする。大量のブランド物の服に靴、鞄に小物。アクセサリーに化粧品まであった。流石に下着の所で待ったを掛ける。黒の紐パンって誰の趣味だ。まさか木村さんか。
何コレ。え?私を飼うにあたっての必要品?
唯はチラリと大量の荷物に視線を走らせる。もはや冗談では済まない金額だ。
……飼うってまさかマジなの?
背中に流れる冷や汗を自覚しながら恐る恐る尋ねると、こともなく頷く誠也さん。何も言わない木村さん。全く変わらない人達に本気なのだと悟る。
うぉぉぉヤバイ、変な人達だった!
「……あ~え~っと、飼うならもっと小さくて可愛くてフワフワした生き物の方がいいんじゃないかなと。猫とか兎とか。物凄く癒してくれると思うんですけど」
私なんかよりは、とヤンワリ矛先を真っ当に戻してみる。
え?色んなペットを飼ってきたけど皆寿命が短いから今度は長生きする生き物を飼いたい?あーそうですよね。私も昔実家で犬を飼ってましたけど死んじゃった時は悲しかったです。辛いですよね。
でもだからって人間を飼うのはどうかなぁ?
「唯は飼われたい。俺は寿命が長い生き物を飼いたい。バッチリお互いの利害が一致してるから問題ないよね」
ありまくりだ。くっ昨日の自分の戯れ言が憎らしい。
尚も反論しようとしたが背後に回った木村さんに「失礼します」と言われてから両手と頭を押さえられて身体を拘束された。いまだ二日酔いの影響で身体が動かしずらく抵抗らしい抵抗が出来ない上に妙に手慣れた感のある木村さんにガッチリと押さえられてしまった。
「じゃあ取り敢えずはペットの証として首輪を付けておこうね」
同じくベットに乗り上がってきた誠也さんがニッコリ笑って首輪を近づけてくる。
ちょ、マジで!?待っ、止めーー
カチッ
抵抗空しく首輪がはめられてしまった。一応外そうと試みて見たが、鍵がないと外せないと教えられて断念。何あの特殊形状の鍵。特注品とかどんだけ昨日の今日で使い込んでるんだろう。金持ち怖い。
木村さんは「失礼しました」と拘束を解き優しくベットにもたれさせると布団を被せてくれた。思わず脱力。優しさを見せるポイントが激しく違うと言いたい。
「ふふ、思った通り似合うね」
嬉しそうな誠也さんがニコニコしながら首輪を触るものだからさっきから鈴がチリンチリンと忙しく鳴る。
「慣れるまでは鎖も付けておこうね」
……いかん。脱力している場合ではない。このままではこの人の言うがままにマジで飼われてしまう。
「あ、あの、酔ってアホな事を言った私も悪いんですけど、これは犯罪だと思うんですよ!私が警察に行ったら捕まりますよ?」
今ならまだお互い無かったことにしてですね、
「大丈夫だよ。あのbarは知り合いが経営してるから融通効くんだよね。席が違うとお互いの顔なんか識別出来ない位暗いし、密談にはもってこいの場所なんだよ」
……へぇ
「唯を乗せる時とこのマンションに運ぶ時もちゃんと防犯カメラは避けたし」
……ほぅ
「あと外に出さないし」
「ね、バレる心配ないから安心して?」と笑顔で締め括る誠也さん。
成る程~室内飼いオンリーな訳ですね。そうですよね、外で病気をもらってきたりしますからね。安心~っていやいやいや。全っっ然安心出来ないんですけど。それ監禁宣言ですよね?ヤバイ、マジだ。この人本気で飼う気だ!
おおお落ち着け自分。大丈夫。説得しよう。百歩譲って人間を飼うのは良しとしよう。飼う飼わないはその人の自由だ。ならば飼われるのも本人の自由のはず。探せばペット志望の人も必ずいると思うし!……や、酔っぱらい除いてね?で、その中かから更に可愛くて従順な子を選んだ方がより誠也さんも癒されてお互いにWin-Winな良き関係を築けるかと思うのですが!
「見てよ木村。キャンキャン鳴いて超可愛い」
「はい、そうですね」
唯の渾身の抗議は無視してデレデレの顔で「可愛い可愛い」と撫でてくる誠也と無表情で相槌を打つ木村により全て無駄に終わった。
どうしよう、全く聞いてくれない。
唯が更なる手を考えていたら誠也の携帯が鳴った。仕事の話らしくて唯の頭を一撫でしてから隣室へと消えていった。その後ろ姿は超仕事出来るイケメンにしか見えないのになー……
「あの、あの人いつもこんな……人、を飼ったりしてるんですか?」
逃げたいが木村さんがいるし、いまだ体調不良の身で逃げ切れる気がしない。ならばと本人のいない隙に木村さんに誠也さんについて聞いてみた。どうやら木村家は代々鳴海家に仕える家系で木村さんは小さい頃から誠也さんの世話役として仕えてきているらしい。うおー漫画みたいだ。この部屋の豪華さで予想は出来ていたけどお家の格も半端無かった。
「いえ、今回のケースは初めてです。元々人や物にあまり執着を持たない方でしたので私も少々驚いています」
と、全く驚いていない顔で答える木村さんが「ただ、」と付け加える。
「あの方は滅多に執着を持たない代わりに一度関心を持つとそれはそれは大事になさっていました。飼っていたペットなどは大変可愛がられて、たまにペットがストレスで禿げる位でしたから」
あ、それ嬉しくない情報です。ストレス性脱毛症になるほどの愛情なんて怖いんですけど。唯の頬が引き吊るが木村の話しはまだ続く。
「昨日誠也様からペットを飼うと連絡を頂いた時はまたお別れの時に悲しまれるのではと心配したのですが、貴女なら安心です。あんなに楽しそうな誠也様も久し振りに拝見しましたし是非よいペットとなって下さいね」
わぁ、無表情だった木村さんがうっすら微笑んでますよ。そうですか、仕える主人が嬉しいと下の者も嬉しいんですね。美クシイ主従愛デスコト~って、んな訳あるかーい!!
駄目だ。人飼うって言った主人を喜ぶなんてこの主従揃ってあかん人種だ。
嫌な再確認をしただけで誠也さんが電話を終えて帰ってきた。遠い目になっていた私を不思議そうに見てから慰めるように顎下を撫でられる。その撫で方はまさにペットにするそれで、色的なモノは見当たらない。
この人は本気で、純粋に、ペットを愛でているんだーー人間の私を。唯は背中がゾワリとした。
「あ、あの!」
怖くなって咄嗟に声を上げた唯に誠也は優しげな瞳で「ん?」と甘い声で聞いてくる。異性なら赤面モノだが生憎それが小動物に対するものだと知っている唯はドン引きだ。いや確かに私も実家で犬飼ってた時はこんな感じで愛でまくっていたけれども。
取り敢えず貴方のペットではないと主張しよう。
……落ち着かせようと耳の後ろを優しく撫でてくるの止ーめーてー
「誠也さんあのですね、私は野良育ちなので外に出たがって暴れると思います。てか暴れます。もっと血統書がついて躾が行き届いたペットを飼った方が楽じゃないでしょうか」
普通に主張しても会話にならないと学んだので、不本意ながら自らを動物に例えてみた。ド庶民ですからね。野良です野良。誠也さんみたいな高貴な方はちゃんとした高級ペットの方がお似合いですよ!と力説する唯。
……何ですかその顔は。え?今までのペットも拾ってきた野良だった?懐かないのを懐かせて躾るのが好き?
「最初は毛並みを逆立てている子が徐々に懐いてくるのが堪らないよね。あ、勿論懐くのは俺だけだよ。他の奴に懐いたらお仕置きだからね」
相変わらず誠也は甘い笑顔と甘い口調で唯を撫でる。あれー?何だろう。何か怖いんですけど。目が!目が笑ってないんですけど!?
結局、顔を両手で挟まれおデコとおデコをくっ付けてきた誠也に笑顔(?)で「わかった?」と聞かれ、逃げることも視線を逸らすことも許されなかった唯に果たして頷く以外の選択肢があっただろうか。無いよ!超怖かったんだけど(泣)!
この人は逆らっちゃダメだ。
絶対笑顔で人を傷つけられる人だよ。
「あれ?唯さんよく分かりましたね。誠也様は基本笑顔なので中々気付く方少ないんですけど。流石は誠也様のペットですね、飼い主のことをよくわかっていらっしゃる」
後日木村さんに聞いた所お褒めの言葉を頂きました。やったね。全く嬉しくないケドね。なんでも幼少期に少し虐待に合っていたらしく、その時の影響で善悪の概念が人よりも少し少ないらしい。少し?無いんじゃなくて?
……木村さん、無言で微笑むの止めて。怖いから。
「はい、あーん」
本日のオヤツは高級洋菓子店のチーズケーキです。美味。
唯は誠也の膝の上でケーキを食べさせられている。あの「飼う」宣言から半年。宣言通り飼われてますけど何か?。
いや、勿論逃げようと努力したよ?したんだよ!……無理でした★飼い主様は予想以上の地位と権力とお金をお持ちでした。うわーん。
「ここは鳴海が所有している高層マンションで地上30階の高さだから窓からは出られないし、そもそも窓ガラス嵌め殺しだから。」
これは首輪を付けられた翌日の夜。木村さんと一緒に仕事から帰って来てすぐの誠也さんの言葉である。最初は何の事かわからなくて首を傾げたが構わず誠也さんは言葉を続けた。
「あと玄関は内側からは開けられない仕様になってるし、出れたとしても外には常に護衛が二人いるからね」
徐々に顔色が悪くなる唯。誠也は知っているのだ。唯が一人になってから散々逃げ出そうと試みた事を。目を見開いた唯を誠也はニッコリと笑った。護衛って何!?誠也は「大切な唯の安全の為だよ」って言ってるけど絶対監視でしょソレ。ソコまでするの!?怖っ!金持ち怖いよ!
「このフロアに住んでるのも僕達だけだし壁は完全防音。叫んでも大丈夫だよ」
スルッと頬を撫でられて唯の身体がピクッと動く。反射的に逃げそうになったがソレはしてはいけないと頭の中で警報が出ていたので何とか我慢する。誠也はトロリと笑った。
木村さん曰く、素晴らしい危機回避能力らしい。野良の本能万歳。
金持ちの前に庶民は無力でした。
しかも。しかもですよ。背後に控えていた木村さんがまたもやブランド袋を数点抱えていて、こちらのやり取りには我関せずで荷物整理していたんだけどーーもうあの人に止めてもらおうなんて無駄な希望は持たない。見ちゃいました。チラリと見えちゃいました。アレはもしかしなくても鎖とお散歩用のリードではないでしようか。ブランド物なら喜ぶと思ったら大間違いなんですけど。
あっでも外に出られるのか?え?契約者限定の室内トレーニング室がある?ペットも運動しないとストレスたまるからって?貸し切って?鎖はその時に?
へぇー……にぎゃあぁぁあぁぁ本当に飼われる!社会と隔離決定!?無理無理無理無ぅ理ぃぃ(泣)!!!
木村さんは当てにならない。むしろ敵だ。頼れるのは自分だけ。頑張れ自分!!
「あ、あの、ごごご主人サマ」
誠也さんが驚いた顔でこちらを見て、すぐに嬉しそうに「何?」と聞いてきた。あ、木村さんも目をパチクリとしてる。そして恐らく私は真っ赤な筈だ。予想以上にご主人サマ呼びが恥ずかしい。でも頑張って私。
「あの、ここに住む……飼われるので、外には行かせてもらえませんか?」
おおぅ、誠也さんの顔が笑ってない笑顔になったよ。だがこっちも必死だ。完全に隔離されるのだけは避けたい。それに仕事に行けないのも大変困る。
私は野良だから、室内ばかりだとストレスで病気になる。
ちゃんとここに帰って来てきます。
いい子でご主人サマの帰りを待ってますから。
自らスリスリと誠也さんの手にスリよる。自分で鳥肌が立つ言動だが我慢だ。棒読みなのは勘弁して下さい。木村さんが感心したような視線を寄越したが無視だ。
頑張ったけど誠也さんはなかなか首を縦に振らない。ああ、やっぱり駄目かな。だって、ずっとこの部屋にいるのはーー
「日中1人だと寂しい……」
俯いて思わずポツリ。
「寂しいの?」
……お?おお?唯はコクコクと頷く。今まで笑顔でスルーしていた誠也さんが食い付いてきた!
上目遣いで誠也さんを見る。深く考えたら駄目。平凡がやってもキモいとか言っちゃ駄目。ほら、ご主人サマは困った顔になったよ!飼い主にはペットがどんなに不細工でも可愛く見えるという飼い主フィルターが掛かるもんね。
後で木村さんに教えてもらったんだけど、どうやらこの台詞は誠也さんにかなり有効だったらしい。
「昔野良兎を拾われて来たときにすぐ衰弱して死んでしまったことがありまして」
寂しくて死ぬ訳ではないが、ストレスが原因で弱って死ぬ事があるとのこと。流石に死にはしないけど。
ーーで。
やりました!めでたく仕事を勝ち取りました!ヤッフー羞恥心は壊死したけど頑張ったね私!!
「え、仕事先を変えるんですか?」
「うん。新しい所は僕が用意するから」
全然OKです。新しい仕事先は鳴海系列の中小企業で、皆さん年配でいい人ばかりのアットホームな職場だった。大変楽しい。あと、予想はしてたけど仕事をするに当たって何個か条件が付けられた。
移動は鳴海家お抱えの車で送迎されて1人で出歩かないこと。
首輪は常に着けておくこと。
他人に懐かないこと、等々。
首まで隠すタイプの服を着れば付けっぱなしでも問題はないのだが、いつの間にかただの首輪が防水加工が施されてGPSと盗聴機能が付加されていてビックリした。だから怖いよ金持ち。
逃げられねー
片親が死に、残った親も蒸発してしまい1人きりになった唯は親戚に引き取られた。新しい家では厄介者でしかなく、躾に厳しかった叔父はお仕置きとしてよく唯を階段下の物置に閉じ込めた。暗いし狭いし1人きり。叫んだら余計に怒られたから口に手を当てて耐えていた。
誰も助けてくれなかった。
中学校から厄介払いとして全寮生の学校に入学させられたけど1人きりになるとあの時の恐怖が襲ってくるようになった。
独りは寂しい。
部屋に1人きりも怖い。
就職して一人暮らしを始めてからは無理矢理でも残業して出来るだけ遅く帰った。
だからこんな大きな部屋で1人きりなんて絶対無理。
誠也さんはまだ信用できない。
いつ飽きて捨てられるかわからないから。
懐いては駄目。
捨てられる前に逃げなきゃ。
……でも撫でられるのは結構好きかも。
◯月×日(火) 晴れ
本日のオヤツ モンブラン
少し仕事に慣れてきて、今日は上司に褒められた。ヤホー
今日もご主人サマにあーんされた。明日こそは自分で食べようと思う。
最近の懸念はペット扱いにも慣れてきて、撫でられるの割りと嬉しかったりする事。ヤバイよね?でも誰かと「おはよう」「おやすみ」って言う日常が思いの外心地いいし、ご飯は誰かと食べた方が美味しいし。たとえそれが「あーん」でもね!自分の順応力が怖い。
ぶっちゃけ飼われる事に別段困ったことがないのが一番の悩みかも。日中は仕事に行かせてもらってるし、夜は一緒にいてくれるし、ご主人サマの事結構好きになってるんだよね。でも流されてもいいものか……うーん、わからん。引き続き逃走手段は模索しながら考えよう。
取り敢えずはご主人サマが飽きるのを待つ方向で。
パラリと書類を捲る音が車内に響く。
私の上司であり生涯お仕えする誠也様はただいま本日分の唯さんに関する報告書をご覧になられています。監視カメラや監視員からも様子は常に把握していますが有り難い事に唯さんは日記を欠かさず書く性格のようで、心情までバッチリ把握できて大変助かってます。
「ーーふふ」
「どうされました?」
唯さんが来られてから誠也様が毎日楽しそうで喜ばしいことですね。
「まだ逃げ出すの諦めてないみたい。本当に可愛いよね」
半分以上流され掛けているのに頑張られているみたいですね。無駄だと思いますけど。
誠也様が関心を持つペットは野良ばかりです。初めて野良を拾ってこられた時の誠也様の笑顔の可愛さに鳴海家の方々がこぞって血統書付きの動物を買ってこられたのですが残念ながら見向きもされませんでした。お陰で由緒正しき歴史を持ち長年裏と表を仕切ってきた鳴海家は今や動物屋敷です。
誠也様が求められているのは自分と同じ一匹で生きている生き物です。飼う事で1人だった頃の自分を救い、自分だけに懐かせる事で得られなかった愛情を独占しようとされている。
全ては今は亡き先代の愛人であった母君からの虐待に起因します。常に笑顔なのも少しでも母君から身を守ろうとした結果です。幸い虐待に気付いた先代が幼少期に本家に引き取られ、本家の皆様にそれはそれは暑苦しi……失礼、溢れんばかりの愛情を注がれて健やかに成長されましたが。全く、誠也様の母君でなければとっくに殺s……失礼しました。2度とお目にかかる事はないのでご本人に直接確認は出来ませんが、今頃はタップリと後悔されていると思います。
生憎動物は寿命が短い。
拾ってこられたペットが亡くなる度に嘆かれる誠也様の荒れようは見ていて辛いものがありました。毎晩血で染まって帰ってこられては飼育部屋ーー小屋ではなく部屋(20畳)ーーに鍵をかけて引きこもられてしまい、食事も取られない日々。全て返り血でしたが普段なら衣服に血など付けるようなミスは犯されないのでやはりお心が乱れておられたのだと思います。
幸い弱っている時に限り動物全般にガードが下がるようで、扉の下に設置した動物用の小窓から鳴海家で飼っている他のペット(血統書付)にオニギリ等をくくりつけて放り込むことで何とか食べて頂けたので一安心でしたが。
その点唯さんはまさに誠也様の為のペットと言いましょうか。天涯孤独で友人もネット間のみ。仕事先も当たり障りなく地味に過ごされていましたので囲いやすくて助かりましたね。おまけに小柄で仕草がどこか小動物っぽい上に親しみやすい地味顔。最近ではペット扱いも普通に受け入れ始める図太い神経。何より長寿です。酔うと少々性格が変わるみたいですが、他は申し分なく誠也様の好みド真ん中。
唯さんを飼う宣言されてから半日で調べ上げた調書で初めてわかったこの事実を知る前に唯さんに関心を持たれるなんて流石です誠也様。誠也様曰く「匂いがする」とのこと。凡庸な私では全くわかりませんが孤独を抱える生き物特有の雰囲気があるようですね。
鳴海家のご当主からも誠也様の精神が安定するのと久しぶりに喜ばれているという理由から早い段階で了承の旨を頂いています。今や唯さんは立派な鳴海家公認ペットです。顔を見たいとご当主と奥様が言われているので近々お披露目があると思います。唯さんの服を新調しなければいけませんね。
「今日はクローゼットの裏まで調べて頑張ったみたいだからきっと汗をかいて汚れてると思うしお風呂に入れてあげないとね」
「誠也様、パリから取り寄せられたシャンプーを置いておきましたのでよろしければお使いください」
「あ、届いたんだ。ありがとう木村。あれ唯に似合いそうな香りなんだよね」
楽しそうで何よりです。
誠也様は滅多に関心を持たれない代わりに1度執着されるととても深い。
唯さんは誠也様が飽きるのを待たれているようだが生憎と私は今まで1度として誠也様が執着したモノを手放した所を見たことはありません。むしろ過去最高の執着度合いです。完全飼育24時間体制ですからね。
早くその事実に唯さんが気付いて下さるといいのですが、逃げ出そうと無駄に足掻く唯さんも誠也様には可愛いらしいので問題はありません。
「誠也様、唯さんの前の仕事先の上司の処理が終わったと加藤若頭補佐から連絡がありました」
「わかった。全くジジイが僕の唯にセクハラするとか有り得ないよね。やけ酒で二日酔いにまでなって可哀想な唯」
「先方も誠也様のお気持ちを汲んで念入りに処置して頂いたみたいです」
「あーあそこの組長もペットを飼っているからね。もし自分の可愛いペットだったらって考えちゃったのかも。料金上乗せしてお礼状出しておいて」
「畏まりました。あと、今度お互いのペットを見せ合いたいそうです。いかが致しましょう?」
「えー組長と若頭のペットって雄でしょ?無理」
「畏まりました。お断りしておきます」
「ん。あー今頃唯何してるかな。寝てるかな?トイレかな?逃げ道探してるのかな?(携帯操作中)……あ、お昼寝してる。可愛い。早く抱きしめたいな~」
誠也様が楽しそうで何よりです。
堕ちる手前(・∀・)ノ