再会する
「おーおー、囲まれてやんの、あのクソチビ」
ハンナは試験を妨害しないように、会場の二階の観戦室で様子を見ていた。
最初に視線が行ったのは、当然、首席合格を宣言したシェリルである。
目立ってしまった代償とでもいうのか、挑発と受けた数人がシェリルを打ち取ろうと近づいていた。
囲まれた状態ではあったが、シェリルの表情に焦りはなかった。
ハンナはシェリルの纏う空気を感じ、笑った。
「ほう、あいつ」
なかなかの殺気を放つじゃないか。
殺しを禁止した手前、褒められたことではない、が。
「そう、そう。わかってんじゃねェか、あのチビ。
試験であれ、訓練であれ、それは実践と変わらない。
殺すのを禁止されたからと言って、殺しにかからなきゃ、意識だって奪えねェ」
そう、殺しを禁止したのは建前だ。
騎士団の入団試験に危険が伴うとはいえ、殺しを許可してしまったらそれはただの殺人集団だ。
騎士団の殺しは、敵とみなしたもの以外に向けてはならない―――が、真剣勝負に、殺気すら出せない甘っちょろは、騎士団にはいらない。
一人、また一人。
殺す気で行かなかった者が、倒されていく。
開始前に垣間見た、シェリルの実力。見間違いではなかったようだ。
たった一人、小柄で細い少年であるが、一回も周囲の人間の攻撃が入らない。
ひらり、ひらりと軽く避けて、自分の一撃を食らわせる。
その一撃も、重い。
細い腕のどこにそんな力があるのかと思うほど、重く、強い。
「おい、カーシ、スエン」
「はい」
「んー、なんでしょう?」
ハンナは、隣で試合を観戦していた二人に声をかける。
こちらは二人とも黒の騎士団員、つまりはハンナの部下である。
基本的に入団試験の試験管は、団長一人とその部下二人、そして公正さを見るために他の三つの騎士団の人間が一人ずつ、全部合わせて六人で構成される。
「カーシは、あのチビをマークしておけ」
カーシと呼ばれた青年は、下で囲まれているシェリルに視線を落とした。
「…」
カーシは暫くシェリルと周囲の人間を見ていたが、ふと顔を上げてハンナを見た。
「…やばかったら、あの子を助けろってことですか」
どんどん倒していくシェリルを潰そうと、さらに人数が集まっている。
まずはあいつから、と、言っているように、集団の中に強者が一人いると、周囲は団結して倒そうとする。
別に、珍しいことではない。
カーシは、集まってきた人数とシェリルを見比べ、シェリルが危険だと判断したようだ。
ハンナは、"シェリルがやばいのではない"とはハッキリとは答えず「状況を見て割り込め」とだけ言った。事実、意図としては"やばかったら助ける"のはシェリルではなく、取り囲んでいる方なのだ。
「はい」
ハンナの言葉を、自分の言葉の工程に素直に頷いたカーシは、じっとシェリルを目を離さないように見下ろした。
「スエン」
「ほいほい」
「お前は、あっちをマークしておけ」
ハンナは、シェリルの向こう側の人だかりを指さした。
「んーー?」
スエンが目を凝らすと、その中心にはイシュラーン家の少年が立っていた。
「あー、あれってエマくんじゃなーい?エマ・イシュラーン、僕あの子と会ったことあるー」
「あ?」
目をキラキラさせて声を上げるスエン、ハンナは訝しげにスエンに視線を向けた。
スエンは、強い人間と弱い人間を雰囲気で嗅ぎ分ける。強い人間はいつまで経っても忘れないが、弱い人間は一日もしないうちに忘れてしまう。
強さを求め、記憶に留まらせることができるだけの人間を求め、スエンは騎士団に入団した。
「何年前かなあ、ルッセイの闘技会のとき、まだちっこかったエマくんが他の大人をなぎ倒して準優勝してたなあ。おっきくなったなー」
「準優勝?」
スエンが記憶に留めているということは、幼いころから相当強かったのだろう。が、引っかかったのは準優勝の言葉。
エマ・イシュラーンに土をつけた人物、気になるところだ。
優勝は誰だったんだろうか。
「それがねー、無名だったんだよねえ。身なりからして貴族の人間じゃなかったみたいだけど。まあ、飛び入り参加の人だったみたいからさあ。名前も明かさず、賞金だけ掻っ攫って、逃げるようにどっか行っちゃったんだよねえ…」
スエンは悔しそうに唸った。
「せめて、顔だけでも見たかったなぁ」
「顔も見れてないのか?」
「それがさ、ボロボロの布で口元を隠して、頭も帽子被ってた。唯一わかるのは、小さかったってことだけ。エマくんより小さかったよ。
それに、きったない服装でさあ、貴族は皆文句言ってたよ。
神聖なルッセイにあんな奴を入れるなんて、てさ。よっぽどイシュラーン家が負けたのが気に食わなかったらしいねえ。
でもでもー、その子の剣はすごかった。指導された剣じゃないね、あれは独学だった。
けれど、どこか芯の通った型破りな剣術を見極められる人間は、その場にはいなかった。
一言でいえば、速すぎたよ。
剣が、目で追えないんだ。
そのとき新人団員だった僕でも、目で追うのがやっとだった!」
興奮が返ってきたのか、いつものふざけて間延びした口調ではなく、戦場にいるときのようなはっきりとした口調。
あのスエンに、ここまで褒めさせる―――子供。
何か、引っかかる。
小さい体、汚い身なり、賞金を掻っ攫う図太さ。
さっき、似たような人間を、見た気が―――…
「ハンナさん!」
「どうした、カーシ」
「あの子…何者ですかッ…」
「!?」
シェリルを監視していたカーシが、目を見開いている。
武者震いだろうか、手が小刻みに震えていた。
予感のような何かが、頭を過っていた。
「あの、チビだ…」
シェリルを先ほどまで囲んで潰しにかかっていた多くの人間が、今は訓練場の土に横たわっている。
その中心で、シェリルは汗一つ流さずに堂々と立っていた。
汚れもない、無傷である。
「おい、スエン。あいつだろ、その優勝者…」
「え…」
スエンがシェリルに視線を向けた。
ちょうど、シェリルの背後に忍び寄っていた一人が、持っていた木刀を振り上げていた。
シェリルは顔を動かさなかった。
視線を、背後に向けなかった。にもかかわらず、シェリルはその攻撃に反応して軽々と避けた。と、同時に消えた。
正しくは、消えたように見えた。
「あ…」
スエンは目を丸くしながら、笑みを零す。
「あの、動き…」
スエンの目が輝きだすのを見て、ハンナは合致がいった気がした。
目にも留まらぬ速さで、ナイフの柄を使って相手を気絶させていく。
それは半端な実力では成し得ない技術だが、その動きはどこか荒削りで、シェリルの動きは習ったものではない独学なものということを感じさせる。
「…今回はおもしれェじゃねェの」
戦闘家系の貴族である、イシュラーン家のエマ。
そのエマを、ルッセイ闘技会で負かせた無名のシェリル。
―――だが、見るべき人材はそこだけではない。
先ほどシェリルと仲良くしていたジャンや、他数名―――なかなかいい人材がいるではないか。
「ま、この内何人が黒に入るかね」
「一人も入らないんじゃないですか」
ハンナの言葉に答えたのは、カーシだった。
「そんなあ、僕あのチビちゃんとエマくん欲しい、ほーしーいー」
「黙ってろ、スエン」
ハンナはスエンの頭を軽く殴ると、再び視線をシェリルたちに落とした。
―――確かに、欲しい気はする、が。
ハンナ率いる黒の騎士団が、エマとシェリルを手に入れることができる確率は、ほぼゼロに等しい。
エリアス騎士団は、さらに四つの騎士団に分かれている。
青の騎士団、緑の騎士団、黄の騎士団、そして黒の騎士団。
青、緑、黄、黒の順に、扱いや仕事が変わってくるのである。
合格者は、この4つの中でどこに入るのかを決める。
エリアス騎士団は入団試験時に、合格者には満点4から最低1までの得点をつけられる。
4をとった合格者は、全ての騎士団の入団権利が与えられる。
3をとった者は緑、黄、黒のどれか。
2は、黄と黒の二選択。
1をとると、選ぶ権利は与えられず自動的に黒になる。
得点の扱いが示すように、黒の騎士団はエリアスの中でも最弱の集団である。
騎士団内でも、黒は邪険に扱われるため、優秀な者は青に入ろうとするのだ。
「ま、無理だろうな」
あの調子で行くと、あれらは皆少なくとも2はとる。
すると、最弱の黒よりは、黄をとってしまうのだ。今見た感じでは、万が一、一人か二人は1をとってしまう人がいることがあっても、あれら全員が1になることはないだろう。
「…ほんとに、あいつら皆、うちに入ればおもしれェのに」
スエンの呟きは、誰に聞かれることもなく虚空に消えた。
立ち上がっている者の人数が半数を切ったころ、エマ・イシュラーンは不快そうに顔を歪めていた。
視線の先には、周囲の人間を軽くのしているシェリルがいた。
「あいつ…」
屈強な男がそろう入団志望者の中だと埋もれてしまうほどの身長、見れば見るほど子供にしか見えない。
開始早々誰かに狙われ、一瞬にして地にひれ伏すのだと。
威勢がいいだけのただの子供だと。
そう、侮っていた。
開始早々狙われたところまでは、予想通りだった。
邪魔者は少ないほうがいい。そこには、エマも同感だった。
しかし、シェリルは負けなかった。
それどころか、周囲は全く手も出せない。
「くそッ…」
エマの脳裏に、昔の記憶が過る。
ルッセイで、遊戯程度のさして大きくない闘技会があった。言葉通り、貴族のためのお遊び会のようなものだ。
貴族であるイシュラーン家も、もちろん毎回参加する。
そして、常に優勝するのはイシュラーン家の人間だった―――それが、エマの初参加の回で、優勝記録が止められてしまうとは。
エマにとっては屈辱的で、忘れられない日となった。
だが一方で、胸の高鳴りを感じた。
優勝を掻っ攫っていった、当時幼かった自分より小柄な子供の剣筋は、一言で言えば騒がしいものだった。
イシュラーン家で代々語り継がれる、格式のある気高いものではない。
ただただ騒がしく、危なっかしく、それでいて楽しそうなその動き。下手くそで汚い型であるのに、センスを感じさせるその子供に、エマは負けた屈辱を味わいながらも少なからず感動した。
感動、させられたのだ。
貴族としての誇り、秩序を守るための規則、積み上げた自信。
全てをあの子供は、嘲笑うように打ち砕いていった。
その子供は、顔を隠していて結局正体はわからなかったが―――妙に被る、微かな面影。
汚らしい服装も、ぼさぼさで手入れされていない黒髪も、ふてぶてしい仕草も。
そして何より、この心臓の高鳴りも。
「あいつだ…」
首席合格宣言をした、あいつ。
エマの視線は、シェリルに向けられた。大人数に囲まれているが、負ける気配は全くない。
シェリルの足元には、今までシェリルに向かっていって返り討ちにされた者たちが横たわっている。
あれだけの人数を、一人で。
エマは眉をひそめると、シェリルを囲む人だかりを突っ切っていった。
どかすように押し分けると、周囲の人間から口々に文句が降ってくる。だが、エマは注がれる声を無視し、ただ中心へと足を進めた。
そしてシェリルを見つけると、シェリルの目の前に、ずいっと割り込むように立った。
「やあ」
「あ?誰だテメェ」
シェリルは突然割り込んできたエマに、訝しげな表情を向ける。
「さっき会ったじゃあないか。僕の名前は、エマ・イシュラーン。イシュラーン家の者だ」
エマの言葉に、周囲は一気にざわついた。
「イシュラーンだって?」
「ほ、ほんとだ。ほんとに、目が蒼いぞ」
「それじゃ、あいつは…」
「悪魔の家の子…」
「悪魔?」
シェリルは首を傾げる。
「はは、ただの例えさ。僕は人間だ」
シェリルの問いかけに、エマはくすくすと笑う。
「じゃあ悪魔ってなんだよ」
「さあ、ね」
シェリルが尚更納得できない、という表情を浮かべると、エマは端正な顔で綺麗に笑った。
そして、剣を抜いた。
豪華な装飾が施され、一目見て高価な剣だということがわかった。
それに、よく手入れもされている。
シェリルは、瞬時に後ろへ跳んだ。
向けられた殺気に、反射的に体が動いたのだ。
「君、さぁ。昔、ルッセイの闘技会に出てなかった?」
「…?」
鋭く光る剣をシェリルに向けたエマは、笑顔のまま言った。
シェリルは、唐突に訊かれた問いが暫く理解できなかった。が、頭でもう一度考え、質問の意味を理解すると、記憶を巡らした。
「―――…あ?ああ、ものすごい大量の賞金が出たアレか」
シェリルの記憶は朧気ではあるが、確かにルッセイには行ったことがある。
そのときは賞金目当てで、手当たり次第に大会に出ていた。
「賞金、ね。やっぱり、僕を倒したのは、君か」
「は?」
「覚えてないかい?」
シェリルが首を傾げるのを見て、エマは片眉をぴくっと震わせると目を細めた。
自分には忘れられないほどの衝撃を与えておいて、こいつ自身は賞金以外全く印象に残らなかったということか。
なんとも言えない苛立ちを覚え、エマは剣を持つ拳を握りしめた。
「―――わかった」
こいつに、追いつこうとした。
こいつを、追い抜こうとした。
衝撃を受け、胸の高鳴りがやまず、こいつの動きを常に思い出しながら、毎日鍛錬した。
そうやって、いつか再び闘える日を思い浮かべ、次は勝利を掴みとれるように。
そして、再び巡り合った。
それならば―――
きょとんとするシェリルを睨み、エマは構えた。
「―――それなら、無理矢理でも思い出させてやる」