40,語り手の危機?【前編】
「〔世界調整機関〕の長として宣言するわ。〔語り手〕の存在は、当機関の掲げる規則に反する」
人形のような少女は、そう言ってボクを見つめた。
「よって、私は貴方を処分します」
時刻は、少し前まで遡る。
「オー、これは……新手の『悪霊退散』かな?」
迷惑精霊は、ようやくボクから手を離した。彼から距離を……取れないので、手を前後に振って追い払う動作をしておく。
「残念だが、違う」
ミツキ君が剣を取り、ミランダさんがボクに憑依する。
ボク達を形代が囲んでいた。何だか既視感のある光景。ストーカーに対処するうちにこうなっていた。
どちらもどうにかしなければ、〔物語〕が集められない。
〈ミツキ君、ミランダさん、お願いします!〉
護衛2人は力強く是と答えてくれる。
しかし、予想外の出来事が起きた。
形代から、大勢の声が聞こえ始めたのだ。全て同じ、低く抑揚のない少女の声。翻訳すらされない言葉は、お経か呪文のように響く。
足元が輝いた。まるく、幾何学模様と謎の文字が描かれる。
「っ、ここから出るよ!」
「分かっている!」
形代を魔法が燃やし、剣が切ったところで…………何も見えなくなった。
ボク達はミツキ君の上に落ちた。仰向けだったから、霧がかった空と、ふわふわ漂うヴェントが見える。
「ミランダ殿…………」
「あ! ごめんよミツキ」
ミランダさんが立ち、ミツキ君が立つ。
全てが白かった。にぶい光を放つタイルの床、所々に建つギリシャ風の柱、空間を覆う霧。
〈何ですか、ここ〉
「さあね。うーん、ミス・リード以外にレディは居なそうだなあ……」
レディの有無はどうでもいい。ため息の代わりに、他の2人にも心当たりがないか尋ねる。
「ここが何処かは分からないねぇ。でも、さっきの形代は、瞬間移動魔法を使ったんだと思うよ」
「魔法……前は魔法など発動しなかったが、何故……」
その時、カツカツと音が響いてきた。ヒールを鳴らす足音だ。
霧の向こうから、2つの人影が現れる。
1人は、金髪碧眼の青年。道化師の格好をしている。
もう1人は、赤い髪の少女だ。人形のような白い肌と硬い表情。ギリシャ服に似た奇妙な服装。……そして、黒い鞭。
彼らは未だ近づいてくる。
「その疑問にお答えするわ。形代は私が作ったもの。瞬間移動魔法は、ようやく、発動したの」
彼女の声は、先程の呪文と同じに思えた。低く抑揚のない少女の声。
「つまり、貴方達を呼んだのは私。カリストよ」
少女……カリストは鞭を取り、垂らした。
ミランダさんとミツキ君が構える。
「〔世界調整機関〕の長として宣言するわ。〔語り手〕の存在は、当機関の掲げる規則に反する」
人形のような少女は、そう言ってボクを見つめた。
ミランダさんではなく、ボクを見ている。
「よって、私は貴方を処分します」
様々な疑問を口にする前に、鞭が飛ぶ。ミツキ君が剣を振り、軌道を逸らした。
「機関か何か知らないが……リーテ殿を、殺すと言うことか?」
「そう捉えてもらって、構わないわ」
「なら、貴女を退けるまでだ!」
ミツキ君がカリストの懐に飛び込んだ。膝蹴りを繰り出す。が、素早く距離を取られてしまう。次いで振り下ろされる鞭。また剣で弾く。
剣が振られ、鞭が振られ、ミツキ君が舞い、カリストが跳ぶ。剣の赤と鞭の黒が軌道を描く。
……そのうち、ボク達から離れていってしまった。
「あーあ、行っちゃったね」
残った青年が、ミツキ君とカリストを見て言った。
〈行っちゃったねって……〉
彼はその言葉に振り向く。その顔にはただ薄い笑みが浮かんでいる。
「あたしが言うのも変だけどさ、心配しなくて良いのかい?」
「だって、ぼくは暇潰しに来ただけだし」
〈暇潰し、ですか〉
「そ。……あー、見えなくなっちゃった」
青年は、再びあちらを見、こちらへ向き直った。
「つまんないからさ、相手してよ」
その言葉と同時に、青年から大量の光が放たれる。ミランダさんが慌てて避ける。しかし、光は続けざまにボク達に向かってくる。
「〈ディフェンド〉!」
呪文。目の前にバリアが貼られた。光が弾かれ、あちこちに散らばる。白い霧が鮮やかに色づき、不覚にも綺麗である。
〈何ですかこれ! 光線? 弾幕?〉
「たぶん小さな隕石、文字通りの流れ星だよ……あんた何者、」
ミランダさんが軽く飛んだ。足元、バリアの隙間に撃たれた嫌らしい魔法。
「ぼく? ぼくはねえ、トリックスターだよ」
青年は明後日の方向を向き、片足をぶらつかせる。
〈それ、名前じゃなくて役回りですよね?〉
「おー、そうそう」
よく知ってるね、とでも言うように拍手する青年。
緊張感がまるで無い。なのに攻撃は止まない。ミランダさんが必死に受け止めている。
……何も出来ないボクは、祈るしかなかった。
ミランダさんの荒い息が聞こえる。大量の汗が流れ、視界が不安定に揺れる。
〈魔力切れですか……?〉
「というか、あんたの、体力切れ……」
それは……申し訳ない。〔物語〕のため駆け回って、少しは体力が付いたと思ったけれど。
対して、青年は全く疲れていない。魔力切れの様子もない。
軽く放たれた流れ星を、何とか弾いた。
その拍子に、足元からカツンと音が聞こえた。
ミランダさんが振り返る。ミツキ君と目が合った。彼もこちらに振り向いている。悔しそうに歪んだ顔。
ミツキ君の向こうから、少女がやって来る。
「あら、追い詰めたみたいね」
「みたいだね」
カリストは表情を変えず、事もなげに言った。
青年も攻撃を止め、含み笑いで彼女の方を見やる。
ミツキ君ともども挟み撃ちにされてしまったらしい。
「さあ覚悟しなさい。エド、やるわよ」
しかし、その言葉に青年……エドは、肩をすくめた。
「つまんないから、やーめた」
「……え、ちょっと!?」
顔色は変わらないが、カリストの額に汗が浮かぶ。
「こいつは何を言っているんだ……?」
青年を訝しげに見つめるミツキ君に、ミランダさんが首を傾げる。
「ねえねえヴェントー」
エドが呼んだのは、ずっと上空を漂っていた精霊。
「なんだい、ミスター・スター」
彼は気ままに漂いながら、エドのもとに近づく。
というか、この2人知り合いなのか。
「ちょっと貸して」
エドはヴェントの腰に巻かれた物を取り上げ、
床に思い切り叩きつけた。
皆して1歩下がった。ガラスの割れる音がやけに大きく響く。破片と中の液体が散って輝く。
……気付けば、ヴェントが青年の首を絞めていた。
「何やってんの? コレが、乙女の涙が、悍ましくも僕の希望だと知っているよな?」
ボクは夢でも見ているのだろうか。
あの風よりも軽薄な精霊が、額に青筋を浮かべ、暴力を振るっている。
「そもそもあんたが集めろって言ったんだろ? なあ、また集め直せと? ふざけんな……!」
首にかかる手に更なる力が入った。青年の顔がどす黒く染まる。
「エド!」
カリストの悲痛な叫びで我に返る。ミランダさんも後ろを向き、叫んだ。
「ミツキ!」
「っ、ああ!」
ミツキ君が走る。その勢いのまま札を貼り付ける。
「悪霊退散!」
ヴェントは掻き消えた。ただ、怒りに歪んだ表情が残像のように残った。
「エド、エド!」
カリストがエドに駆け寄る。突然解放された彼は、頭から床に落ちた。カリストが身体を揺らしても、何の反応もない。
〈えっと、どうしましょう……〉
突然の展開に頭が追いつかず、護衛2人に呼びかけてみる。
「救急車でも呼ぶかい? どうやって呼ぶかって話になるけど」
その言葉に、ミツキ君がキッとこちらを睨みつける。
「奴らはリーテ殿の命を狙ってきたのだぞ。それよりも、帰る方法を考えるべきだ」
「いや、あたしとしては、放っておきたくは……」
「しかしだな、ミランダ殿も、私が気絶させた者をそのままにしたことがあっただろう!?」
ミツキ君がミランダさんの両腕を掴んでガクガク揺さぶる。「ああ怪盗を取材した時の」「あれは緊急事態だったから」と、ミランダさんは途切れ途切れに言い訳をする。
ボクまで揺さぶられたようなもので、頭がくらくらしてきた。
そんな混沌とした状況の中で、聞こえてきた足音。
「お前達、何をやっているんだ……!?」
やって来たのは、つぎはぎの身体と、互い違いの瞳を持つフランケンシュタインのような青年。
魔王《ムォワン》……ではなく、アースだった。




