39.ヒロイン信者との遭遇【後編】
「うーんしかし、ネタ切れなんですよね。あの子は好きな男と既にくっ付いてますし。今日は一人みたいですけど」
ファミレスにて、ノアがブラックコーヒーを吸い上げつつぼやく。視線は近くのテーブルに居る女の子に向いていた。ティータイムとディナーの間だからか、客は多くない。
ならば、今度こそノアの話を聞きたい。そう思ったボクが口を開いたところで、カランコロンと入口のベルが鳴った。最悪なことに、イチャラブするカップルの来店である。
近くには来るなと祈るボクのそばで、「嘘」という呟き。しかも2人分。
「嘘、なんであいつが。お姉さん……じゃないよねそもそも居ないよね。というか、どう見ても」
1人はノアだ。青い顔をしてつらつらと呟き始める。
「え、海くん、嘘でしょ……!」
もう1人は「ヒロインちゃん」だった。彼女が勢いよく立ち上がると……先程やって来たカップルの男の方が、顔を引き攣らせた。そして、踵を返して立ち去ってしまう。それを見た女の方も、慌てて男を追いかけていった。
これは……カップルがこの場に残ったら、修羅場となっていただろう。
「え、あ、ムリ、地雷……こんなトコで地雷……!?」
未だに何か呟いていたノアは、すっくと立ち上がった。
「ちょっと、ノアさん!?」
返事はない。そのまま、走って店を出ていってしまう。
「ノアさん待ってください……!」
彼女を追おうとしたところで、鍵に肩を叩かれる。ミランダさんが、ミツキ君からボクの所へ移動してきたのだ。
『いや、リーテこそ待っとくれ。会計もしないで出る訳にはいかないだろう?』
「あ」
流石、お金にはうるさ……しっかりしたミランダさんである。
『ミツキ、ノアを追いかけて、できたらこの辺りまで連れ戻してくれないかい?』
「分かった」
ミツキ君は頷くと、走って店を出ていった。
『あとリーテ、ちょっと身体を貸してほしい』
「あ、はい」
姿こそ変わらないものの、ミランダさんがボクの身体を動かした。そして、「ヒロインちゃん」のもとへ行く。彼女は顔色が悪いながらに、しっかりとこちらを見た。
「あんた、大丈夫かい?」
「はい。いきなり立ち上がったりして、すみませんでした」
「あんなことがあったら、仕方ないさ。自分を大切にね」
「ありがとうございます……」
泣き出した彼女にハンカチ……は無かったので、紙ナプキンを差し出した。
ミランダさんは、ボクの残したジュースを飲んでから会計をした。身体を返してもらい店を出る。すると見つけた、辺りを見渡し、樹木の陰から手招きをするミツキ君。近くの公園に居るようだ。
ノアはブランコに座っていた。陰った目と血の気のない顔で、指先を震わせている。それでも、哀れな小動物のようで可愛らしい。
「改めて聞くが、大丈夫か? 何かあったのか?」
ミツキ君の言葉に、ノアの肩が跳ねる。
「あの、良かったら、話してくれませんか? ボクは貴女の〔物語〕が聞きたいんです」
『話せば楽になるってことも、あるかもしれないよ』
ノアは目を閉じ、ため息をついた。
「お騒がせ、しちゃいましたものね。分かりました」
荒唐無稽な話、あるいは、よくある話ですが。わたし、何度も生まれ変わっているんです。
生まれる世界はいろいろ。霊力とか魔力とか持ってたこともありますから、不思議なあなた達のことも気にしていませんでした。年増呼ばわりも間違ってはいません。年増より年増ですけれど。それにしても失礼でしたけど。
そんな、わたしのいろいろな人生には共通点がありました。恋愛をして、酷い目に遭う所です。
恋い慕った婚約者に、公衆の面前で婚約破棄を言い渡されました。悪い男に引っかかって何百万も貢がされました。離婚の出来ない世界で、夫はわたしを一度も見てくれませんでした。ストーカーに刺されました。ようやっと愛と幸せを得たと思ったら、彼は殺されてしまいました。所詮当て馬でしかありませんでした。
いつも思い出せないんです。前世達の記憶。誰かを好きになって、愛して、傷ついて初めて思い出すんです。現世もそう。彼氏の浮気現場を目撃したところで、一気に記憶が流れ込んできました。
輪廻転生の証拠はありません。狂っているのかもしれません。でも、恨みつらみが、苦しみが、胸の痛みが、ただのわたしの妄想だなんて思えなかった。偽物だなんて思えなかった。
酷い目に遭った後のわたしが、どうなったかもいろいろです。どうにもならない事もありました。恋なんてしないと決めた事もありました。人生そこで終わったこともありました。
でも現世は、沢山読んだ少女マンガが、私の道を決めてくれました。女の子の可愛さを知ったわたしは……ヒロインちゃんの幸せを願い、見守ることにしたんです……!
「で、その『ヒロインちゃん』が浮気されている事実が発覚。トラウマを抉られてしまった訳ですね」
「うぐっ」
顔を引きつらせたノア。ボクは彼女のブランコの鎖を掴み、覗き込むように覆いかぶさった。
「ノアさんはずっとずっと現実逃避をしている。ちょっと前のボクみたいに」
だから、苛々する。
「ボクにはあんまり分かりませんが、恋愛して、幸せになりたいんでしょう」
彼女は誤魔化し笑いでさらに顔を歪め、口を開こうとした。
なので、一度深呼吸をして、言い放つ。
「そりゃあ女の子は可愛いです。〔物語〕は素晴らしいものです。でも、貴女はあの『ヒロインちゃん』達の名前すら呼ばなかった。
貴女は、『ヒロインちゃん』に自分を投影して、恋している気になっているだけ。幸せな気になっているだけです」
ノアは、そっと息をついた。
「……えっと、ヒロインちゃん達を、一人一人尊重しろってことで合ってます? わたしの自己満足のための道具にするな、と」
「ええと……そうなんですかね?」
おかしいな、現実逃避の話をしたはずなのに。自分の言葉が分からなくなったみたいだ。お説教なんてした事がないから。
「もー、なんですかそれ」
彼女は笑った。笑って、何筋か流れた涙を拭った。
「正しいですよ、その通りです。わたしは誰かを愛したい。普通の幸せを感じたい。……それを、『ヒロインちゃん』達に押し付けてばっかりいちゃ駄目ですよね」
彼女はブランコから立ち上がった。ボクもブランコから手を離す事になる。
「新しい恋、出来るでしょうか」
「出来る、と思うぞ! ……私の通っていた酒場では、失恋話などしょっちゅうだった」
『この世に男は何人居るんだい? って歌やネタがあるじゃあないか』
今まで黙っていた2人の言葉に、ノアは……じとりと目を細めた。
「さては皆さん、恋愛経験はあまり無い方ですか?」
「うっ」
『うぐっ』
「いや、それは」
その言葉はボクにも刺さるからやめてほしい!
「そんな方にまであれこれ言われるなんて、わたしも落ちたものです。……なんてね。頑張らなきゃ、ですね」
ノアは決意をするように、ボク達に背を向け植え込みの方を向いた。
そこで、植え込みの中で何かが動いている事に気がついた。
「何をするつもりだ!」
ミツキ君が飛び出し、植え込みから「何か」を引っ張り出した。
それは男性だった。大学生か。黒髪で、お洒落な服を着た所謂イケメンである。……髪も服もぐしゃぐしゃで、葉っぱが至る所に付き、首根っこを掴まれているが。
不審者、と叫ぶ前にノアが口を開いた。
「柳くん!?」
『……知り合い、なのかい?』
ミランダさんの声も引き気味だ。
「知り合いも何も、さっき話した浮気した元カレです!」
「ちがっ、違うんだ! 浮気は誤解なんだ!!」
彼は、ミツキ君に掴まれ、引きずられたままもがいた。
いわく、その誤解を解くためにボク達を追いかけていたらしい。
「私が感じていた気配は此奴だったようだ。この公園に居るのも分かってはいたが……何というか……」
『意気地無し』
「これじゃストーカーじゃないですか」
「ハイ……その通りデスネ……」
不審者改め意気地無しのストーカーは、突っ伏した。
「ちょっと、言い訳はやめてよ……! したじゃない、浮気!!」
身体を引きながらも彼を指差すノア。柳は、何とか土下座の体制を取る。
「違うんだ千明! オタク趣味を隠して、君に不安を抱かせたのは悪かった! でも誤解だ、あの人は推してる絵師で!」
「オシテルエシだか何だか知らないけど! 年末! 変わった形の建物で! 何かのイベントで、女の人に手紙とプレゼント渡してたよね!?」
元カレと元カノの大声が飛び交う中、ミツキ君がこちらに戻って来た。
「浮気……なのか?」
『あたしには何とも……』
「チアキというのは、ノア殿?」
『偽名を名乗ってたのかもしれないねぇ……』
護衛2人と元恋人達、どちらの話も聞いていたボクは、元恋人達の間に入った。
「あのー、すいません」
柳とノアがこちらを見る。
「柳さんが言ってるのって、ようはコミケですよね」
「あ、ハイ」
「……コミケ!」
『ニュースとかでやってるアレかい?』
ノアが手を叩き、ミランダさんが得心した。ミツキ君だけが首を傾げている。
「浮気じゃないと思いますよ、ノアさん。神絵師とは、貴女にとっての『ヒロインちゃん』みたいなものです」
「…………なるほど!!?」
その後。
ノアと柳が夕暮れの公園で並んでいた。柳は身だしなみを整え、ミツキ君のイヤカフを借りた状態だ。オレンジの光の中で、見栄えの良いカップルとなっている。
「2人のことを、〔物語〕にしても良いですか?」
「「はい」」
『お互い、変な誤解と思い込みを生まないように気をつけるんだよ?』
「「はい」」
『特に柳、あんた。言うべきことはすぐハッキリ言う!』
「……ハイ」
「2人共、すとーかあ行為は駄目だからな。成敗されてしまうぞ」
「「はい」」
今回は滑稽な〔物語〕が出来そうである。
*世界乱立地帯*(≒ネット小説)
他の世界の要素が混ざり合い、数多くの世界を形作っている所。世界同士が絶えず触れ合っているため、トリップや転生という現象が起こる。その性質から、〔物語〕の制作が大変捗るとか。




