38.ヒロイン信者との遭遇【中編】
連れてこられたのは漫画コーナー。ここで、ノアがうろたえた理由を聞きたかった。……聞きたかった。
「……幼馴染を好きになって、でも素直になれないヒロインちゃんがいじらしくって……! いやヒーローはヒーローでヒロインちゃんのこと好きだから、男らしくさっさと告白してやれと……」
彼女の「ヒロインちゃん」愛は2次元にも及ぶようで、本を手に取っての少女漫画語りが始まったのである。
イラストも、ノアの話も、キラキラしていてクラクラする。ボクは少年漫画派なのだ。隣の棚へ行きたい。
もう意識を遠くへ飛ばすしかなかった。
「はー、ヒロインちゃんは最高です! ……あ、丁度いい時間ですね。次のヒロインちゃん見に行きましょっか」
「ええ、はい」
相槌を打って、それから意味が分かった。
ああ、ようやく解放される。疲れと安堵がどっと押し寄せる。この喜びを共有しようと振り返った。
だが、護衛2人は至って元気である。
「……あんな話聞かされて、疲れてないんですか?」
彼らに顔を近づけ、こっそり話しかける。
「馴染みのない世界の話だからな、興味深かった」
『まああたしも、少女漫画やハーレクインを読んだことがあるからねぇ』
あっさりと言われ、ボクは項垂れた。裏切られた気分だ。
「リーテ殿に、苦手な物語があったのだな……」
『そりゃあ災難だったね、お疲れさま』
鍵にトントン、と肩を叩かれる。その感触に顔を上げ、ふと、ノアの方を見た。
彼女は羨ましげにこちらを見ていた。キラキラ輝く青い目ではなく、下がった目元と寂しい笑みで。
「……ノアさん?」
「ああいえいえ! さあさあ行きましょ!」
ノアに手を繋がれ、ボクは走り出した。
次はカラオケにやって来た。……来たと言うのに、歌は禁止だ。「ヒロインちゃんが隣の部屋に来ますから!」とはノアの言葉。相変わらず、ストーカーも裸足で逃げ出す調査力である。
「あ、来ました!」
人影がドアの向こうを横切った。ノアはすかさず、壁に右耳を付ける。……ドアに嵌まるのは磨りガラスで、誰が来たかも分かりにくいのに。
「「『うわあ……』」」
ボク達がドン引きする中、独特なリズムを刻むベースが流れた。右隣からだ。そして一言歌い上げる。切なさや諦め、感謝のようなものまで込められた、引き込まれるような歌声。
「上手いでしょ!」
『いや、なんであんたが得意になるんだい』
頷きかけて、ミランダさんの発言に我に返った。だがノアの返答はない。
いつしか、ボク達は歌に聞き惚れていた。女性の声が滑らかに響く。すべてJPOPだ。知っているものも、そうでないものもあった。誰かへ語りかけるように、叫ぶように歌い上げている。しかし……
「失恋の歌、ばかりだな」
「そうですね……」
歌が途切れ始めた。しゃくりあげ、鼻をすすり、とうとう完全に止まってしまう。女性の泣き声が聞こえてくる。
ノアにどうするか聞こうとして、ぎょっとする。何故か、ノアも泣いていた。
「ううっ……この歌、心に、沁みます……」
『分かる……分かるよ……』
ミランダさんまで涙声である。
「の、ノア殿っ、ミランダ殿までっ」
ミツキ君は完全に「どうしたらいいか分からない」という顔だ。そんな顔をこちらに向けられ、ボクも首を振るしかない。
「仕方ないですよこれはっ……」
『色々と思い出すに決まってるっ……』
どうやら、心に来る名曲らしい。……ボクとミツキ君の心に来ていないのは何故だろう。
その理由も分からないまま対処に困っていたら、いきなり、ノアが立ち上がった。
「来ました!!」
鼻は赤いものの、涙はぱっと散った。
「さあさあ、飲み物を取りに行く……フリをして外の様子を伺いましょう!」
そう言ってボクの手を取り、ドアを開ける。
『えっ、ちょっと!?』
「ノア殿!?」
ミツキ君が、荷物や鍵を持って慌てて追いかけてくる。
廊下には店員が居た。若い男だ。隣の部屋の前で立ち尽くしている、ように見える。目が合うと、慌てて一礼して去っていった。
ノアはそのまま、ドリンクバーへ向かう。
「ヒロインちゃんは多分、失恋したんです。だから、一人カラオケで失恋ソングばっかり歌ってる。で、あの店員はそんなヒロインちゃんに恋をしちゃった奴です。
可愛いでしょ、ヒロインちゃん! 歌も上手いし! 店員が恋に落ちるのも分かりますよね!? 今度こそ素敵な恋をして、幸せになって欲しいですよね……!?」
「そうですね」
ボクはカップにソフトクリームを入れながら答えた。……歌を聞いただけで、可愛いかと問われても。
『あの店員が恋をしてるって、あんたの妄想じゃないだろうね?』
「違いますよ、ほら!」
ノアはボクの手を引き、向こうの廊下を覗き込んだ。先程の店員が、やっぱり部屋の前に居る。彼はため息をつき、その場を去った。ノアがここへ来たのは、店員の様子を見るためだったのだろう。
『うーんなるほど……』
「じゃあじゃあ、ヒロインちゃんの歌をもう少し聞きましょっか!」
ノアはボクの手を取り、トンボ帰りするようだ。
「いや、待ってくれ、そふとくりいむ……ぐっ……」
ミツキ君は、その場で暫くウロウロしてから付いてきた。
しかし、ボク達は「ヒロインちゃん」の歌を聞くどころではなかった。部屋に戻ると、何故か先客が居たのである。
新緑色をした詩人風の服に、ふわふわ浮かぶ黄色のスカーフ。同じくふわふわと浮かぶ茶髪。
ボク達のストーカー、迷惑千万男のヴェントが、マイクを持って歌っていた。先程「ヒロインちゃん」とノアとミランダさんが号泣した曲だ。
しかも……無駄に上手い。普段の様子からは考えられないほど真剣に、一つ一つの言葉を放つ。低い声がゆったりと響く様は、「ヒロインちゃん」の歌とはまた違った魅力があった。
「だ、誰です……? うっうっ……」
『悔しいけど上手い……うう……』
ああ、ノアとミランダさんがまたもや泣き出してしまった。
だがそこで、ヴェントはいきなり検討はずれな音を出した。同時に肩に掛けていた楽器も鳴らす。すると、テレビの電源が切れてしまった。
「久しぶりだね、ミス・リード♪」
マイクを通して無神経かつ脳天気な声が響き、頭が痛くなった。思わず耳を押さえたボクに、ヴェントは「おっと、失礼」とのたまうと……僕の顔を覗き込んできた。近い近い近い!!
「レディは泣いていないようだね。オー、残念だ……」
そういえばこいつの目的はボクの涙なのだ。考えるだにゾッとする。
「残念ながら! ボクは! 泣いてませんからね!!」
大声で叫んで身体を引くと、彼はわざとらしくため息をついた。
「本当に残念だ、鍵と年増に泣かれても何の意味もないからね」
『は?』
「……は?」
とんでもなく失礼な発言に、氷点下の声が2つ上がった。ミランダさんとノアだ。鍵と年増呼ばわりされたらそれは怒る。……年増? ノアが年増?
ノアは無言で歩き、歌うヴェントやら女性2人の怒りやらで固まっていたミツキ君の所へ行った。そして、彼の持つお札を奪い取った。
「この、デリカシーのない最低男! 悪霊退散です!!」
「ノオオオオ!」
そして、そのお札でヴェントの頬を叩いたのだった。落ちるマイクはミツキ君が何とか受け取った。
まあ色々あったのでカラオケから出る。出口から少し進んだところで、ミツキ君がノアに頭を下げた。
「済まなかった、ノア殿。彼奴を退治してくれたこと、感謝する」
「いえいえ、最低男は成敗されるべきですから!」
ノアは首を振り、笑って答えた。
「……というか、なんなんですか、彼」
『乙女の涙を集める変態でストーカーだよ。見ての通り人外なもので、あたし達も手を焼いててねぇ……』
「うっわあ、リーテちゃんも災難ですね……次行きましょ、次!」
彼女は顔をしかめた後、グイグイとボクの手を引いた。人外という言葉にも、彼女は何も反応しない。
視界の隅では、ミツキ君が辺りを警戒している。
「我々に付きまとう気配は、彼奴のものではないのだがな」
『本当かい、それ? 参ったねぇ』
護衛2人の不穏な会話を聞きながらも、ボク達は走った。




