37.ヒロイン信者との遭遇【前編】
今回の話、茶番劇です。
まず、ボクが女子トイレの個室から外へ出る。白のタートルネックにジーンズなので、変ではない、はすだ。人目がない事を確認し、〈ミツキ君、出てきて大丈夫ですよ〉と呼びかける。彼も鎧ではなく、シャツとベストを着ている。
このように慎重に振舞ったのは、世界を巡る経験で懲り……学習したからである。
そして、転移の場所があらかじめ決まっていたからでもあった。
『今回は、様々な世界のひしめく場所へ行ってもらう。
とても自由で、不安定な所でね。科学の世界の住人が、剣と魔法の世界へ飛ばされたりする。死んだ人が、生前の記憶を持ったまま、別の世界で産まれなおすこともある』
ああ、トリップや転生というやつか。
『君達を飛ばす時も、場所を指定しないといけない。いつものやり方じゃ、世界の狭間に閉じ込められて……』
「閉じ込め!?」
ぼんやりしていたボクは、その言葉に度肝を抜かれたのだった。
素早くトイレを出ると、駅の中だった。語り手さんから貰った、穴あき切符を使って改札を出る。ミツキ君は「おおお」と声を上げ、機械をじっと見つめる。
その後、3人で柱の傍へ寄った。ひとまず休憩だ。
「ミツキ君は、駅に来るのは初めてですよね」
「ああ。馴染みのない物が、広大な建物の中に散らばっている。人も多い……」
赤い瞳があちこちへ動く。
まあ、ボクにとっては慣れた景色である。違いは、人々の髪や目の色合いか。ボクもミツキ君も悪目立ちすることはないだろう。
「我々と同じく、柱の陰に立つ者が居るな。一休みしているのか?」
『いや、待ち合わせをしてるんじゃないかい?』
ちなみに、ミランダさんはいつもの鍵姿だ。アクセサリーの振りをして貰っている。
『ほら。あの子なんかは……』
「でえと、というものか? なるほどな」
可愛らしいワンピースとブーツを纏った少女の所に、少年が小走りでやって来た。一言二言話し、微妙な距離をとって歩きだす。
デート、か。
「そう、デート! 嬉し恥ずかしの初デートです……! ああ、ヒロインちゃんの精一杯のお洒落、プライスレスっ! 好きな人を前に緊張してるのも可愛いなあ!」
突然、興奮と狂気に満ちた囁き声が聞こえた。見れば、ボク達の傍に人が来ている。
ふわふわの茶髪にパーカー、黄色のロングスカート。やや背の低い、小動物のような女の子だ。まあるい青の目は、彼女曰く初デートの男女を熱を込めて見つめていた。……が、ボク達の方を向いた途端、顔色が悪くなる。
「あっ……いやその」
『リーテ、110番。ミツキはその子を見張っといてくれ』
「はい」
「分かった」
おじさんや野暮ったい青年が口にしていたら、完全にアウトだった。否、可愛い女の子であろうとアウトな発言だった。10円玉を取り出し、駅の公衆電話へと向かう。
「違うの、あの子に危害を加える気はないの! わたしの、わたしの生きがいなんです……!」
彼女は、ぽろぽろと涙をこぼし始めた。……女の子の涙に、ミツキ君がひるむ。
「通報はやめてください……何でもしますから……!」
そう懇願し、ボクに縋りついてくる。
……何でもすると言うのなら。
「なら……あなたの〔物語〕、聞かせてください」
護衛2人の「正気か?」という目線はさておき。詳しい説明――けっこう正直に話したが、何故か何も突っ込まれなかった――と、自己紹介をする。
「わたし、ノアです。ええと、リーテちゃん、ミツキくん、ミランダさん、よろしくお願いします……?」
女の子ことノアは、未だ涙目で震えながらも挨拶をしてくれた。イヤカフなしでも、ミランダさんの声が聞こえるようだ。
『……リーテがやる気なら、聞くけどさ。あんた、なんでストーカー行為なんか』
「いやいや違います。ヒロインちゃん達の幸せを願い、見守っているんです」
『ヒロインちゃん……?』
ミランダさんの言葉に……ノアの涙が一瞬で散る。
「良くぞ聞いてくれました! ヒロインちゃんとは、生きとし生ける恋する乙女! 好きな人と結ばれ幸せになる権利を持つ、この世の主人公なのです……!」
発言はともかく、ノアは可愛らしかった。輝き出した青い目も、紅潮した頬も、祈るように組んだ指先まで。
「リーテちゃん達は、物語のネタを探してるんだよね? ならわたしが、素敵なヒロインちゃん達を紹介しちゃいましょう……!」
うっかり見惚れた間に、ボクの手は握られ……ノアは猛然と走り出した。しかも、道行く人達を絶妙にかわしがら。
「いや、ボクが聞きたいのは貴女の〔物語〕であって……!」
息は上がるし、景色の移り変わりにくらくらする。ボクはそれ以上喋れなかった。
その走りが止まったのは、カフェの前だ。ボク達を連れ、店に入り、注文をする。テーブルではなく、奥まった場所にあるカウンター席に陣取った。
ボクは彼女の左隣に座り、頼んだお茶をがぶ飲みした。疲れた身体に染み渡る……
「ノア殿……私を置いて行かないでほしい」
追いついたミツキ君も、右隣に座った。渋い顔は、ノアを真似て注文したブラックコーヒーのせいもあるだろう。
ミランダさんは、ボクが走らされるとともに大いに揺らされたらしい。時折うめくばかりだ。
ノアだけがすこぶる元気で、ブラックコーヒーを飲みながらワクワクしている。
「……あ、ヒロインちゃんです!」
その言葉通り、後ろのテーブル席に誰かがやって来た。ノアは手鏡を取り出す。……身だしなみを整える振りで、「ヒロインちゃん」の様子を覗き見るつもりらしい。もちろん、ボク達は覗き見などしていない。
「ねえ、またここ!?」
「……ごめん」
やはりカップルのようだ。怒る少女に、少年が謝り倒している。
「ここ1ヶ月、ずっとこのカフェじゃない! スタコみたいなオシャレなメニューもないし、安さだけが売り……むぐっ」
「ちょっ、店員に聞かれたらまずいって!」
「ぷはっ……手で口を塞がないでよ! そもそもアンタが……!」
やり取りと共に、カタカタと食器の揺れる音がする。「ヒロインちゃん」はたまに口を塞がれているようだ。
『やれやれ、騒ぎにならないと良いけどねぇ』
復活したミランダさんが、呆れ声を上げる。すると、ノアは彼女(つまり、ボクの胸元の鍵)を指差した。
「いやいや、ヒロインちゃんが怒り心頭と思ったら大間違いです。鏡をご覧ください!」
「いや、それは……」
「ご覧ください!」
ミツキ君の抵抗などなんのその。ノアはボク達の肩を掴み、引き寄せた。渋々鏡を覗く。
少女は文句を言いつつ、飲み物を口に含んでいた。……いや、注目すべきは表情の方か。
文句を言うのも、カップに口を付けるのも、緩む口元を誤魔化すためなんだろう。頬は、怒りではなく嬉しさで染まっているように思える。ようは、恋人と会えたことが嬉しくてたまらない様子なのだ。
そんな彼女を、幸せと申し訳なさの混ざった表情で見る彼氏。
『あー……』
「おおお……」
「ね、ね、可愛いでしょう!?」
何とも言いがたい空気が漂った。ノアだけが盛り上がり、「あの子の可愛さでご飯何杯でもいけますよね、ライスが欲しい……」と呟きつつコーヒーをがぶ飲みしている。
「あ、ちなみにですね」
カップを置き、またノアが話し出す。
「男はヒロインちゃんにアクセサリーを贈るつもりみたい! 安上がりなデートもそのせいだと思われます……!」
「胸焼けが……甘い物を頼まなくて良かった……リア充爆発……」
ボクの呟きに、ミツキ君が首を傾げつつも頷いてくれる。
『というか、なんでそんな事まで知ってるんだい……?』
「もちろん、尾行と追跡調査のたまものです」
『……』
追撃のように判明した事実に、遠い目になった。ミランダさんも黙ってしまう。
カフェを出る頃には満身創痍となっていた。だが急に、ミツキ君の背がぴんと伸びる。
『ミツキ、どうしたんだい?』
「……誰かが、じっとこちらを見ている気がする」
「えっ」
彼は視線だけで辺りを見渡した。さり気なく振り返り、後ろも確認する。
『居たかい?』
「人が多すぎて分からないな……」
「なら、早めに次の場所へ行っちゃいませんか?」
ノアだけが平然としている。またもやボクの手を取って、弾丸のように走り出す。
「あっ、待ってくれ!!」
『やれやれ、ミツキが追いつけないなんて……うわあっ!』
黒紫の鍵が宙を舞った。
辿り着いたのは書店だった。ノアに引きずられつつも、鍵をミツキ君の胸元にかける。このままでは、ミランダさんがうめくだけの不気味な鍵になりそうだったからだ。
「次のヒロインちゃんは、あの子です」
ノアは文庫本コーナーで立ち止まった。本棚の前面にあたる部分から、側面に見える真面目そうな少女を指差す。
静かな場所だからか、声は控えめだ。
「……普通の客にしか見えないが」
「まあまあ、しばらくお待ちくださいな」
近くの本を広げるノア。ページは捲らないし、本を持つ手に力が入っているし、向こうの様子を伺うためのカモフラージュだとすぐに解る。
その時、棚の奥から、書店員の男性が姿を見せた。
少女の肩が少し跳ねた。ページを捲る手が止まり、身動ぎもせずに立ちすくむ。
男性が通り過ぎてしまうと、身体から力が抜けた。だが、本を掴む手は緊張したままだ。そして、後ろ姿の彼をこっそりと見つめる。
男性がこちらに来るうえ、少女の視界にも入りそうになる。ボクとミツキ君は慌てて隠れた。
『はー、そういうことかい』
書店員が去り、ミランダさんが息を吐く。
隠れずに平然とやり過ごしたノアが、こちらを覗き込んできた。
「そう、あの子は憧れの人に会いにきたのです……!」
ヒロインちゃん可愛かったでしょ、と訊いてきた彼女に感想を述べる。
「『ヒロインちゃん』とノアさんの動作がそっくりで面白かったです」
「……え?」
ノアの顔が引きつった。それはすぐに、作り笑いに変わる。
「やだなーリーテちゃん。ヒロインちゃんのアレは恋。わたしのは……生きがい、ルーティン。全然違いますよー!」
そうして、ボクの手を取る。彼女の手は濡れて冷たかった。




