34,魔王VS不良少女【中編】
スラム街と言うのだろうか。日の差さない道の両側に、建物がぎっしり詰め込まれている。
だが、饐えた匂いも、物乞いの声も無かった。小さな子供も、屈強な男も、服と口紅が真っ赤な女も、表通りに負けず劣らず生き生きしていて、リンファに満面の笑みで挨拶をする。
物語のスラム街とは、何もかもが違っていた。
「わりぃ、待たせたな。ここん中に入れ」
彼女は戸をぴしゃりと開ける。道場破りのような勢いの良さ。
「ああもう、竜花ですか!」
中からは、青年の声が聞こえてきた。回るテーブルや、調理場に置かれた大きな鍋。ここは食堂のようだ。昼食の時間が過ぎたためか、ボク達以外誰もいない。
青年は、扉を乱暴に開けるなだとか、勝手に鍛錬に行くなだとか、観光客を連れてくるなだとか、いくらか小言を言った後に、香ばしい湯気を立ち昇らせるパラパラのチャーハンと、油が黄金色に輝くスープを三人前用意してくれた。賄い飯、というリンファの言葉が思い出される。
『リーテ……最後の一口の時に、あたしに身体を貸してくれないかい』
真剣な口調で言われたので承諾した。
「……で、何を話しゃいいんだ?」
そこで〔物語〕の始まる気配を感じて、慌ててお皿を脇によける。仕方がない、後で食べよう。
この国には、誰からも見捨てられた場所があった。
知ってるか?国民は皆、呪術ってヤツが使えるらしいぜ。そうでない奴は非国民、前世では罪人だったんだと。それで、奴らは生まれてすぐにここーー猛撞に放りこまれた。どうやってそれが判断されてるかは分からねえがな。
だがオレは……もとは貴族の娘ってヤツだった。流行り病のせいで兄と姉が全員死んじまって、そこに生まれてきた子だったんだとよ。で、術が使えない事を隠し通したまま、後継ぎに据える予定だったらしい。
オレが罪人だってコトは散々聞かされたけどな。罵声と蔑みの視線も。誰からって、クソ親からも使用人からも。オレがそれでしおらしくなるような奴じゃなかったから、思いがけず呪術の使える男子が生まれた時、アイツ等はさぞ喜んだだろうよ。
想像通り、オレは捨てられた。猛撞の奴らにゃ、元貴族の小娘なんぞ絶好のカモだ。想像通り追いはぎをされて、鬱憤の捌け口にされるはずだった。
はずだったんだけどな。どうやらオレは喧嘩が強かったらしい。暴れまわってたら、男どもは一人残らず地に伏した。この世界は力で物事が決まる。そしてここは、特にその傾向が強い。……おっかない男どもが、全員オレの下に付いちまった。
それからというもの、オレに喧嘩をふっかける奴らが次々にやって来た。それで、そいつ等を叩きのめすうちに、猛撞を平定しちまった、んだよな。
その頃には、ここの奴らのコトも分かってた。生まれてすぐに捨てられる。親の顔も分からねぇ。弱い奴は強い奴に搾取される、そういう構造が出来上がっちまってる。皆、字の存在すら知らねぇ。分かってんのは、ここから出られないというコトだけ。いちばん酷ぇのは、この扱いに何の疑問も持てねえコトだろうな。なぜこんなトコに居るのかすら、分からねえんだ。
オレは知っていた。オレだけが知っていた。そんなの、放っとけるワケがないだろ?
幸い、オレには力があった。暴力だけじゃねえぜ。知識だって、立派な力ってヤツだろ。オレにやられた奴らも、ただ付き従った奴らも、たくさん手伝ってくれた。今では皆、オレの仲間だ。
そして、テメエらの見た通りになった。色んな施設や制度が出来上がった。オレと仲間とで作り上げた。
テメエらから見た猛撞はどうだ?オレは、この街が好きだよ。ちょっと狭くて暗いが、暖かいものが沢山詰まってる。
三日月のような目、染まった頬。弧を描く唇。リンファは、柔らかく笑んでいた。家族であり仲間である人達の事を、誇りに思っているのだ。……ちょっと悔しい。ボクも、仲間の事を自慢してやろうか。
そこで、ミツキ君が手を挙げた。
「ところでその、もわん殿は」
「ああ!?」
途端、彼女の目がかっと開いた。ボク達は思わずのけぞる。
「すみません! ボクもムォワンさんについて聞きたいです!」
のけぞりながらも頑張って言った。リンファはひとつ、ため息をついた後、また口を開いてくれた。
魔王……実はオレも、何者かは分かってねぇ。表街の闘技場に現れ、高らかに魔王と名乗った。そしてこう言った、らしいぜ。
『俺はこの国を支配する。止めたければ、力づくで止めてみせろ』
で、皇帝の護衛が束になってかかっても、太刀打ち出来なかったんだと。この国の奴らは呪術を使うって言ったな?あれが、ひとつ残らず打ち消されちまったらしい。
オレは鍛錬に行く途中で、その噂を聞いた。まあ信憑性なんぞ無し、もし本当だとしても、表街の奴らがどうなろうと良かったんだが……猛撞の仲間にも影響があるかも知れねえからな。ちょっくら倒してこようと思った。
皆、術が通用しねぇから負けたと思ったんだ。妙な技を使う、ただの軟弱野郎だろと。そりゃ大きな間違いだった。
『魔王、と言ったな。オレ達の猛撞も支配するつもりか?』
『モンツァン? 何だ、それは』
『……!』
『まあ何であれだ。その認識で良い』
『テメエ……!』
馬鹿にされて、飛びかかった。その時にもう分かっちまった。隙のない構え。油断ならない眼差し。アイツが強いってコトがな。
なのにアイツは……オレに、わざと負けた。かすっただけの拳に、吹き飛ばされたフリをして。覚えていろと、捨て台詞を吐いて去っていった。それを何度も、繰り返している。
最初は馬鹿にしてるのかと、オレらを手玉に取って愉しんでるのかと思ったが。あれは愉しむって顔じゃねぇ。いや、それすらアイツの術中なのか。
オレはアイツが分からない。だから、ムカつくんだろうよ。
「分からない、ですか」
「ああ」
謎は、解けないどころか増えてしまった。
「分かっているのは、もわん殿がとても強いという事だな!」
……そうのたまうミツキ君の目はきらきらと輝いている。
「ミツキ君! ストップ、ストップ!」
『リンファに負けてたあんたが適うわけないだろ!?』
彼は飛び上がるように背筋を伸ばした。
「わ、分かっている。私達と敵対している訳では無いしな」
そこで、上がったままのミツキ君の肩を、リンファが軽く叩く。
「言っただろ、首を突っ込まれる方が困るって。これはオレと魔王の問題だ」
「ああ、すまなかった……」
今度は背中を丸めた彼。
その時、小さな女の子が食堂へと駆け入ってきた。
「魔王がまた勝負をしかけてきたみたい! お願い、竜花姉! 魔王をやっつけて!」
「ちっ、噂をすればか……!」
リンファは、「ありがとうな」と言って女の子の頭を撫でる。そして、戸を乱暴に開けると、外へ飛び出して行ってしまう。
「竜花! だから扉は静かに開け閉め……!」
青年の届かない小言だけが響いた。
問題は、案内人に置いていかれたボク達である。そこに声を掛けてきたのは、先程の女の子だった。
「お姉さん達、竜花姉のお客さんだよね? せっかくだし、魔王との戦い、見に行かない!」
「是非!」
即答したのはミツキ君だ。ボクとしても、〔物語〕のために見てみたい。しかし、そこに2つ目の問題が持ち上がってくる。
「いや、でも、チャーハンとスープが……っ!」
賄い飯は、一口も手を付けないまますっかり冷めてしまったのである。
「お客様方、すみません。ウチの竜花がご迷惑を。宜しければチャーハンはお握りに、スープは温め直しをいたしますが」
「あ、はい、お願いします! ありがとうございます……!」
……あなたが神か。
スープを急いで飲み、おにぎりを携えたボク達は、女の子の案内のもと、リンファを追いかける事となった。
「お姉さん、誰? 白髪の人はどこへ行ったの?」
「その、観光客の事情とでも思っとくれ。リーテならちゃんと居るよ」
ミツキ君に見つからないよう(見つかると叱られる)、おにぎりを食べ歩きしていたのだ。ミランダさんにも味わってもらったらこうなった。しょうもない事情である。
ボクの姿に戻ろうにも、すでに表街の大通り。隠れて変身術を解ける場所はない。
「へえ……あ、見えてきたよ!」
案内されたのは、なんとお城であった。そびえ立つ屋根付きの門には、大勢の人達が詰めかけている。そしてそこには、白地に達筆で書かれた横断幕が……
「ええと……魔王、对?、竜花?」
「……魔王?」
〈……ミツキ君! ミツキ君!〉
魔王は私が殺したはずだ。何故こんな所に。横断幕に顔を向けてブツブツと呟きはじめる。真っ赤な目は何処を見ているか分からない。
ミランダさんは焦ったように、彼の肩を揺らした。
「落ち着きなよ! ここはあんたの世界じゃない!」
「うん……あれは、まおうなんて読まないよ」
女の子の言葉で、ミツキ君はようやく正気に戻ったようだ。目の焦点が合い、彼女の方を向く。
「お姉さん達、外国の人なんだね。あれは、魔王对竜花って読むんだよ」
「もわん殿……まさか魔王と同じ文字だとは」
なんて事はない。あの横断幕は、ムォワンとリンファの対決を指していたのだ。
門をくぐり抜け、闘技場の席を確保したボク達は、その対決を待っている。
〈確かにここは、中国にあたる国でした。同じ文字でも、日本語……ジパング語とは読み方が違うんです〉
「ムォワンは名前と判断されて、翻訳魔法が効かなかったんだろうねぇ。あんたの世界の魔王とは、違うんだよ」
「しかし……この国を、乗っ取ろうとしているのだろう?」
何か反論をする前に、銅鑼の音が響きわたった。
客席の中から、リンファが立ち上がる。黒い上着を脱ぐと、橙色のチャイナドレスが現れた。ムォワンはなんと、空飛ぶ布から飛び降りてくる。服装は先程と変わらない、つまりはバンダナが外されていた。
闘技場の色とりどりの幕が、リンファの服の裾が、風に舞い上がる。
「侵攻の魔王と猛撞の竜花! 始め!」
司会の怒鳴り声とともに、再び銅鑼が響きわたった。
リンファから仕掛ける。素早く、猛然と、腕脚頭、手段を問わず。ボクたちの周りが、歓声であふれ返る。
「あの子、本当に元お嬢様なのかい……?」
〈ミランダさん、それ突っ込んじゃいけないやつです〉
その時、ミツキ君がすっと指を前に出した。
「いや、注目すべきはもわん殿だ。リンファ殿の攻撃を攻撃で相殺している。……相殺だぞ。力の向きと強さを正確に調節しなければ、身体が吹き飛ぶ」
「その相殺を、攻撃される度に?」
オレンジ色の裾が脚と共に上がる。腕が阻む。よく見れば少しだけ、ムォワンの方が動き始めるのが遅い。
〈……ムォワンさんが、それだけ強いって事ですね〉
「ああ」
ミツキ君が頷いたところで……ムォワンが攻撃を、わざと受けた。もう、そうとしか思えなかった。
ムォワンの腹に、リンファの拳がめりこむ。身体が宙に浮き、背中から地面に不時着する。立ったままの彼女が、手を下ろして痛いほどに握りしめる。
「大変、見栄えのする試合だったな」
彼の言葉とは裏腹に、歓声はさらに音量を増す。あちこちで両腕が上げられた。立ち上がる人までいる。
一種の狂乱の中で、何かキラキラ光るものが、客席から彼女達のところへと投げ込まれた。




