32,遥か彼方の千夜一夜【全編】
今回のお話は1話で完結します。
「さてと。君達の質問は、僕が何者か、だったよね」
お茶とお菓子まで勧められて、皆で椅子に座る。腹をくくったのか、語り手さんは笑みを浮かべて話を始めた。
「危険人物はやっていない。その言葉は、きっと嘘になってしまうだろう」
そしていきなり、顔を隠すフードに手を掛ける。藍色の長い髪が零れ落ちた。
場が静まりかえる。ボクも何も言えなかった。……語り手さんの瞳が、怖いぐらいに金色に輝いていたから。
「不気味だよね。ミツキ氏よりも、よっぽど」
語り手さんは口だけで微笑んだ。それから、顔はまたフードで隠されてしまう。
「こんな見た目で、しかも妙な力まで持っているから、故郷では神様として畏れられていた」
むかしむかしの話だ。〔童話世界〕の中東に、厳しい砂漠の国があった。人々は照り付ける日差しで肌も髪も瞳も黒い。そんな場所に、白い肌と、青い髪と、金色の瞳を持った男の子が生まれた。あまりに変わった姿に、神として祀り上げられることになったらしい。物心つく前のことだから、僕にはよく分からない。
数年が経つと、この子が変わっているのは見た目だけではない事が分かってくる。彼が口にした言葉は、皆現実になってしまった。「一度でいいから外に出てみたい」と言うと、宮殿は跡形もなく崩れ去る。「お日様もたまにはお休みすればいいのに」と言うと、次の日は太陽が昇らない。
いよいよ只者ではないとされて、ついには、彼を王様に仕立てあげようとする者達が出てきた。この国では王様は神とされる。だから、神であるその子が王になるべきだと。そして、正当な後継者--王子を支持する者達と、平民の『神様』を支持する者達の間に、争いが起こった。王の血筋が脈々と続いてきたこの国では、例のない事だったらしい。
しかしその争いはすぐに収まる。彼らは『神様』に、「王になりたい」と言わせたのだ。次の日、王子達は灰になっていた。
こうして、いつしか青年になった男の子は、この国の王様となった。すると王様の信者達は、彼そっくりの皇太子を求めてきた。沢山の綺麗な少女達が、一日ごとに王様の寝室へと送られてくる。だが、自分を神と崇めながら媚びへつらうくせに、その目に怯えと畏れをたたえる彼女達を、青年が好きになることはなかった。だから寝台の中で、「伴侶なんていらない」、そう呟いた。次の日の朝、少女は灰になっていた。
「お願いだ、人なんて殺したくない」「こんな力、なくなってしまえばいい」。青年はそう言ったが、その日の少女も灰になった。その次の日も、その次の日も、彼の寝床には灰だけがあった。太陽さえも思い通りにできる青年の力は、自分にだけは効かなかった。それでも少女はやってくる。青年の部屋は灰だらけになる。
「王様は、自らの伴侶となる女性の首を撥ねてしまうのだ」。いつしか、そう噂されるようになった。
しかしある日、シェエラという名の少女がやって来た。彼女は他の娘達とは違った。
「私は毎晩〔物語〕を話しましょう。明日も明後日も聞きたくなるような〔物語〕を。だから、私を殺さないでくださいね」と。口元に笑みを、目に決意を浮かべて言ったのだ。青年は「そうではないのだ」と……言おうとして、やめた。
寝台の中で聞いた、シェエラの〔物語〕は素晴らしいものだ。心躍る大冒険。かの人達の勇気、知恵、そして優しさ。愛。お淑やかに見える彼女の、くるくる変わる表情と、熱の入った語り口。こんな生まれで、お伽話など初めて聞いた青年は、すっかり夢中になってしまった。だからこそ、明日、彼女が灰となることに涙した。
だけど次の日、彼女は「おはようございます」と言った。清々しい朝の光の中で。
夢かと思ったけれど、泣き寝入りの寝不足で、頭の中で鐘がなるよう。目元は熱く、腫れていて、ろくに開く事もできない。大笑いされた。これは紛れもない現実なのだ。
シェエラが灰にならなかった理由は分からない。そして、この先灰になるかどうかも。なるとしたら、いつなのかも。
……シェエラは僕を見てくれる。沢山の〔物語〕を話してくれる。だから僕は不安になる。不安になればなるほど、〔物語〕にのめり込んでいった。
「ねえ、あなたはなにを恐れているの?」
「君が消えてしまうことだよ」
けれど彼女は、僕を笑い飛ばした。
「いやだわ。あなたを置いていくわけないじゃない」
その言葉に嘘はなかったんだ。彼女を置いていったのは僕のほうだったから。
シェエラが来てから千回目の夜に、声が聞こえたんだ。夢、だと思う。
「ようやく見つけた。今まで大変だったろう」
背筋が伸びるような低い声、なのに響きは優しかった。僕は知らない場所に立ち尽くして、「どちら様ですか」と尋ねた。
「我は何者でもない。でも、多くのことを知っている。……君を、迎えにきた」
心臓が音を立てた。それは、僕が夢見た展開の1つだった。
「君がここで、苦しみながら生きる必要はない」
都合のいい妄想でも見ているのかと思った。それともついに、僕の力が僕にまで及び始めたのか。
「我ならば、その力をなんとか抑えられるだろう。君は外へと出てもいい。そしてなんだって、好きな事が出来る」
望んでやまない言葉をいっぺんに投げかけられて、抵抗なんて出来るはずもなかった。例え嘘偽りだったとしても、ひどい目に遭わされるのだとしても、僕を取り巻く日々よりは良いのではないかと。あるいは、死んだって構わないと、そう思っていたのかもしれない。
……シェエラのことを、考えなかった訳ではない。1番大切だったから。でも、いいや、だからこそ、彼女から離れなければならない。あの子が居なくなるなんて絶対に嫌だった。
だから僕は、両腕を目一杯広げて、何者でもない何かを受け入れたんだ。
こうして僕は自分の故郷を捨てた。別れの言葉は誰にも言わなかった。国の行く末は知るところではない。僕を連れ去った何かが上手く辻褄を合わせた、とは聞いたけれど。
「それから、人であることも止めた。僕の力は、人の身には余るものであったらしいからね。何か、は僕の上司になって、そして今は僕の好きなことをやらせてもらってる、って訳だ」
沈黙、とはならなかった。
『あんた、馬鹿だね。大事な人に何にも返さないで、言い訳して、自己憐憫に浸ってさ』
そこで何故か、ミツキ君がびくりと肩を上げた。語り手さんは、顔の下半分で苦笑いする。
「うん。ずっと、後悔してる」
『……そうかい。ま、あたしも人の事は言えないんだけどね』
うん。ミランダさんの事情も大変気になったが、ボクはどうしても確かめたいことがある。
「あの結局、語り手さんの名前って、なんなんですか?」
すると、苦笑いは引きつった笑みに変わった。
「……それ、言わなきゃ駄目?」
「ダメですよこっちは貴方と会った時からずーっと誤魔化されてるんですよ! 気になって夜しか眠れません!」
「眠れてるじゃないか!」
それでも彼をじいっと見つめていると、観念したようにため息をついた。
「ナナシ」
「……え?」
「ナナシ! それが僕の名前!」
語り手さ……ナナシさんのやけくその大声が響いたあと、誰かが吹き出す音が聞こえた。
「はははははは!」
『ふははっ! ナナシ……!』
似合わない。というか厨二病じみている。ミツキ君は必死に笑いをこらえているようだが、ナナシさんから背を向けていては笑っていると宣言したようなものだ。
「ちが、違うんだよ! この名前にもきちんとした訳が……ああもう、だから言いたくなかったんだ……!」
彼は頭を抱えている。それでも、フードの下は晴れやかな笑顔である。
「話しても、良かったんだ。……ああ、僕は未だに馬鹿だったんだなあ」
遠慮のない笑い声に、呟きは掻き消されていった。




