30,現実……【後編】
「捨てる神あれば、拾う神ありじゃ。お前さんだって、決して独りではないんじゃぞ?」
彼は、そう言って話を締めくくる。
「……お説教は、止めて下さい」
目線を逸らすしかなかった。「拾う神」で思い浮かんだ顔を、消し去る。
「ああ、悪かったの! 歳をとると、口うるさくなっていかん!」
ヨシミさんは、視界の隅でからから笑った。しかしその表情が、真面目なものとなる。
「なら、りいて。わしの孫にならんか?」
「……え?」
どういう事だろう。養子縁組でもするのか。何故。
「孫と言っても、血が繋がっておらんし、何か手続きをする訳でもないんじゃが。わしにはそんな孫達が居ての。そして、あの子達も、お前さんと同じく、不思議な力を持っておる」
そこで、ヨシミさんと目を合わせた。澄み切った、まっすぐな目だ。これが嘘ならば、彼は世界一の役者になれるだろう。
「わしを、拾う神にせんか? お前さんの『現実』をもう少し、生きやすくしてやれると思うんじゃが」
その言い方は、偶然か。わざとか。
口の中が乾いて、声が出ない。それでも何とか言葉を絞り出す。
「結構、です」
言ってから、驚く。
何故、断った?どうせ思い通りにならない〔現実〕。反抗せず、考えず、流されてしまえばいいものを。……まさか、あの人達のせいだとでも言うのか?
「そうじゃろうな」
ボクの答えなど分かっていたように、ヨシミさんが息を吐いた。その反応は何なのか、と詰め寄ろうとしたところで、彼はもう1度口を開く。
「お前さんに、迎えが来ているようじゃぞ」
その言葉に重なって、水たまりの跳ねる音が聞こえてくる。縁側の向こう。雨はいつの間にか止んで、穏やかな陽の光の下。
『リーテ!』
「リーテ殿!」
そこに居たのは、胸元に鍵を下げた少年。先程思い出した顔ぶれが、あちこちを濡らして、立っていた。
「どうして」
頭の中が疑問符で溢れかえって、ヨシミさんの方を見た。彼は答えずに、「ご苦労」と呼びかける。晴れの空に舞う蝶を見つけ、納得した。
『この式神が、あたし達を導いてくれたんだよ』
「ミランダ殿が先へ先へ行こうとして、首が締まった……」
「それはその、悪かったけどさ。あんただってかなり飛ばしたじゃないか」
言い合う2人は明るく照らされる。見ているボクは家の影の中。どうにもならないコントラストで、何だか幻めいて見えた。
「ほら、何をしとる」
隣のヨシミさんが手を取って、縁側までボクを連れていく。
「りいてはもう、他の神を拾っておるんじゃ」
晴れやかな笑顔で放たれた言葉に、反論する気にはならなかった。
「あの」
立ちすくんだまま、声をかける。2人がすぐにこちらを向く。
『リーテ、あんたね……!』
ミランダさんがボクの所まで浮かんできた。強い口調に、怒りを受け止める覚悟で目をつぶり。
『傘を投げ捨てて、1人で走り出すんじゃないよ! 風邪ひいたり、誘拐されたらどうするんだい!』
思いがけない言葉に、目を見開いた。
『あたしが怒ってるのは、それだけさ。無事で良かった。……ほら、次はミツキ、あんたの番だよ』
声が優しく響いてから、彼女は元の位置へと戻る。それから、護衛の騎士が、綺麗な礼をした。
「私を知り、救ってくれたのはリーテ殿だ。だから、その、少しずつでも良い。私にも貴方の事を教えてくれないか」
彼は、ボクを見上げる。黒紫の鍵も、目がなくともこちらを見ている。
「ミランダさん……ミツキ君……」
3人で、色々な冒険をした。でも今、初めて、言葉の重さを感じた。これは決して〔妄想〕ではなく、ボクの上に乗っているものだ。
「勝手に居なくなって、すみません。それから、ありがとう」
近寄って、3人で抱き合う。
……ことは、出来なかった。何故か、ミランダさんとミツキ君が吹き飛ばされる。
流石のミツキ君は、空中で華麗に一回転。
『うええ……』
ちなみにミランダさんは無事ではない。
「何だこれは!」
その問いに答えたのは、部屋にいたヨシミさんであった。
「おおー、すまんのお! 孫たちが怖がらんように、幽霊と妖怪は入れんようになっとるんじゃ!」
『幽霊……』
「ヨウカイ……」
からから笑うヨシミさんとは裏腹に、2人はがっくりとうなだれた。こうもあっけらかんと言われては、怒る気力も沸くまい。仕方がないので、ボクが庭へ出ようとして……右の手首で引っかかった。
「ボンジュール、ミス・リード♪ 君が泣いていると、風の噂でリスニング! さあその涙を、ミーに!」
「ニセ情報です。帰ってください」
神出鬼没のエセ紳士の仕業である。
『迷惑精霊……!』
「何故あ奴が入れるのだ! おかしいだろう!」
まるでパントマイムのように、謎の壁を叩く2人。
「すまんのお! 精霊は入れるようにしとかんと、風通しが悪くなるのじゃ!」
またもや、ヨシミさんが明るく答える。ミランダさんとミツキ君の叫び声が響く。
「じゃから」
そこで彼は、懐から五芒星の書かれたお札を取り出した。
「わしが退治しておこう」
お札を背中へと貼り付ける、その手が、すり抜ける。精霊は居なくなっていた。
「女子にせくはらを働くとは、困った精霊もおったものじゃ……」
決め台詞にしては締まらない言葉だ。それでも、3人揃って歓声を上げたのは言うまでもない。
「かたじけない、ヨシミ殿」
『リーテが世話になりました』
庭に立ったボクの隣で、ミランダさんとミツキ君が頭を下げる。ボクは、それにぎこちなく倣うしかない。
「こちらこそ。雨の間の、よい話し相手が出来たわい」
ヨシミさんはからから笑う。迷惑をかけただけではなかったと、信じたいところだ。
『さてと! 改めて〔物語〕を探さなきゃねぇ』
その言葉で、気がついた。
「あ、ミランダさん! その事ですが」
ボクは、ヨシミさんのにこにこ笑顔を見やる。
「先程聞いたお話を、〔物語〕として語り継いでも良いですか? その、結構広い範囲での公開となるのですが」
彼はイタズラ好きな少年の笑みとなった。ボクの前に指を突きつける。
「色々な世界じゃろう?」
「え、知ってたんですか!?」
ヨシミさん、腕を組み、顔を上へと向ける。所謂ドヤ顔、ってやつだ。
「妖怪達に、噂だけは聞いた事があった。この世界の外側には、〔語り手〕なる者達がおると」
『流石だねぇ……』
「博識なのだな……」
3人で感嘆のため息を漏らしていると、ヨシミさんが親指を突き出してきた。
「わしのつまらん話で良ければ、いくらでも語ってくれてよいぞ!」
「わ、ありがとうございます!」
太っ腹だ。これが大人の余裕ということか。
ボクもいつか。今はそう、素直に思えた。
「では……語り手殿のもとに、帰るとするか」
「そう、ですね」
あの時思い浮かんだ、もう一つの顔。
『さて、あいつには、洗いざらい吐いてもらうよ!」
「はい!」
大丈夫だと判断して、真っ白なページの本を開いた。
「ではその、さようなら、ということで……」
「またね、じゃよ。喧嘩をしたときにでも、ここへ来なさい」
ヨシミさんは、軽くウインクした。ありがたい事を言ってくれる。
『あたしにも、お礼を言わせてください。ありがとうございました』
「私からも言おう。リーテの事、〔物語〕への協力、感謝する」
「なに、大した事はない!」
目元が熱くて、なのに頬は緩みそうで、下を向く。水たまりには青空と、みっともない顔のボクが映っている。
光が強くなる。優しいお爺さんも、日本屋敷も、段々と薄まっていく。
前を見た。全てが消える前に、ボクは言わなければならない。
「ヨシミさん、ありがとうございました。いつかまた、会いましょう」
「もちろんじゃよ! またの、りいて!」
ボクは、ヨシミさんのように笑えていただろうか。
*現実世界*(≒地球)
魔法や妖精が信じられていない、科学の発展した世界。問題山積み。
でも、魔法もあって、妖精もいて、世間に鬼はなくて、拾う神がいて。誰だって、誰かから愛されているのかもしれない。




