24,運命を変えたい!【前編】
人が隙間なく詰め込まれた酒場。料理のスパイス、鍋から出る湯気、アルコールの匂いなど、様々な空気がまとわりついてくる。
「うう……」
ボクは思わずうめいた。
「大丈夫か、リーテ殿? 一回外の空気を吸った方が……」
「いえ……ちょっとあのこれは、〔物語〕の題材が見つからない事にまいってるんです」
そう言うと、ミツキ君が眉間にしわを寄せる。
『こうも何も起きないんじゃあねぇ……』
ミランダさんの言葉も、ため息混じり。そのまま周りの喧騒の中へと、ふわり儚く溶けていく。
「全く、どうすればいいのか……」
この世界にやってきて何事もないまま、3日が経っていた。
ころころ。暇に任せ、氷の入ったグラス(中身はもちろんジュースだ)を揺らす。
情報収集なら酒場、というRPGのお約束に則って、赴いてはみたものの。最初こそ酒場に現れた子供2人にちらちら目線を向けたが、すぐに皆自分の世界へと戻っていってしまった。
ボク達に話しかけたのは、怪訝な顔の店主だけだ。
『だーっ! 止めだよ、止め! 〔語り手〕としての活動費も不安になってきたし、あいつの所へ戻った方がいい!』
確かにそれは事実である。ここの物価は、語り手さんの予想より高かった。ミランダさんに急かされるまま、ジュース代と昼食代を支払う。
「まいどあり……」
しかし。酒場の中で、すれ違いざま。
「あの……騎士様!」
ボク達を……いや、正確にはミツキ君を、呼び止める声がした。
そこにいたのは、背の高くてすらっとした、少し変わった女の子だった。
金とも銀とも言えない、不思議な髪色。恰好は……日本の、昔の女学生を想像してもらえればいい。しかし首にはもこもこの白いスカーフが巻かれていて、そして、いわゆる萌え袖であった。
その袖の皺が合わさってきゅっと寄って、手が祈るように組まされる。そして酒場のど真ん中で、膝をついてのこの一言。
「お願いします、騎士様! どうかわたしの頼みを聞いてくださいませ!」
青紫色の目がうるうる揺れて、自分より遥かに背の低いミツキ君に、上目遣いまでしてみせる。正直、ボクはあざとさと、不可解なほどの必死さを感じたのだけれど。
「ああ、勿論だ」
これはもう例えどんな事情であっても、引き受けるしかないだろうな。
「ありがとうございます……!」
酒場に響く大声。感極まった様子の女の子は……ごほごほ、と咳をした。
「申し遅れました。わたしの名は、かぐや」
女の子――かぐや、いわく。なんでも願いを叶えてくれる、妖精を探しているのだとか。ボク達への依頼は、妖精のいそうな場所までの護衛だった。
この頼みからも分かるように、ここは童話の世界である。
かぐや、童話、場違いな和装。ボクは連想してしまった。実は彼女はもしかして、あの〔物語〕の〔主人公〕……いや、それはないか。彼女は自分で旅をするのではなく、男に冒険させるのだから。
『それでどうするんだい、この状況……』
(しばらく、様子を見てみます。〔物語〕のネタになるかもしれませんし)
妖精探しの道中である。可愛さ効果か、ミツキ君は張り切って先頭に立って進んでいる。その後ろに続くかぐやを追いかけながら、ボクはこっそり頭を抱えた。
様子を見るとは言ったものの、この女の子はかなり怪しい。
まずその、あからさまなぶりっ子っぷり。
「皆様、お怪我なさらないよう、お気をつけて下さいまし!」
森の獣道にて。きゅるん、と効果音のつきそうな笑顔とともに、ミツキ君はもちろん、ボク達にまで愛想を振り撒いている。
世の中の、女子というものの定義が頭をよぎる。彼女の態度に何らかの意図がありそうで、怖くて仕方がない。
「ああ、大丈夫だ」
ミツキ君はいきいきとした声で答えている。なぜ、疑わないのだろう。可愛さ効果か。男のミツキ君には分からないのか。
……極めつけは、ボク達に襲いかかってきた動物を、ミツキ君が剣を使って華麗に追い払った時の事だ。
「凄いですわ、ミツキ様!」
かぐやが、ミツキ君に抱きついた。抱きついたのである。
「かぐや殿!あの、その……」
哀れかな、かぐやの身長に埋もれ、圧倒されるミツキ君。
その後、かぐやは紳士な(見た目)少年騎士に、「対して知りもしない男に抱きつくものではない」と、顔を赤くしながらお説教されたのだった。
ボクとミランダさん?……ミツキ君とは対照的な顔色で、ぶるぶる震えておりましたとも。ああ恐ろしい。
そうなるともう、なんでもかんでも疑いたくなってくる。
例をひとつ。彼女、やたらと咳き込む。
もうひとつ。雇用条件。宿代はすべてかぐや持ち。その出処はどこなのか?
さらにひとつ。かぐやには、ミランダさんの声が聞こえる。なぜか?
ただ単に、霊力やら魔力やらを持っている人間の可能性もあるのだが……ミツキ君のように、人間でない事も充分有り得る。その考えを裏づけるかのような、金とも銀とも言い難い不思議な髪の色……
妖精探しは続いていた。ミツキ君とかぐやからわざと遅れて、ミランダさんと話を交わす。
『リーテ。あたしは、とんでもない結論にたどり着いてしまったよ……』
(……なんですか?)
『実は、かぐやは魔物か何かで、あたし達を騙して酷い目に遭わせるつもりじゃあ……』
「ええっ!?」
ボクの叫びに、先を行く2人が揃って振り返った。
「……いえ、あの、狼の目を見たと思ったら、木の実でした!」
苦しい言い訳をしながら、小走りする。……ああ、顔もなにもない黒紫の鍵から、恨みがましい視線を確かに感じる。
(ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!)
もう何度も謝るしかない。
ほとぼりが冷めてから、再びの密談。
『……問題は、もしそうなった場合、ミツキに頼れないって事だ』
(どうしてですか?)
『そりゃあ、あの子に裏切られたショックで、使いものにならなくなるんじゃないかと』
(そんな……)
『ああ、まさか、あいつがあんなにウブだったとは……』
驚きと呆れを多分に含んで、ミランダさんがため息をつく。
『その時は、緊急帰還だねぇ。かぐやに目くらましの魔術でも掛けて、あの本を開く。リーテも、覚悟しといてくれよ?』
(は、はい……)
……かぐやに先制されるとか、魔法が効かないとか、そういう可能性は思考の彼方に放り投げた。
「リーテ殿! ミランダ殿! こちらだ!」
遠くから、ボク達を呼ぶミツキ君の声が聞こえる。目的の場所はすぐそこだった。
鬱蒼とした木々が開けて、空色の湖が現れる。
「まあ、素敵な場所! ここならば……」
そう言ったところで、咳をするかぐや。ミツキ君が手を前に出し、背中をさするか迷っている。
使いものにならなくなるんじゃないか、というミランダさんの言葉が、ボクの頭を駆け巡った。
「ここならば、妖精様もいそうですわね!」
湖に背を向け、妖精を探すふりをしながら、またもや密談。
(まさかあの声が擬態だから、よく咳をしているんじゃないですか? そして、とうとう仮の姿をやめて、恐ろしい本性を剥き出しに……)
『リーテ! 怖い事言わないどくれよ!』
恐怖と警戒心はクライマックス。そこに、かぐやの声が上がった。
「リーテ様、ミランダ様、どこにいらっしゃいますかー? 妖精らしき方を見つけましたの!」
また、咳き込む。
「良かった……! 本当に、良かったですわ……!」
島もなにもない湖の真ん中に、妖精が佇んでいた。……いつの間に現れたのだろう?
後ろ向きのため顔は分からないが、体格からして男性のようだ。薄青い服とスカーフと、木の幹色の長い髪の毛が、風もないのにゆらゆら揺れる。
それを見て、かぐやは喜びの涙を流した。ボク達も喜びの涙を流した。
『あたしの推測は、外れたんだろうねぇ。妖精は本当にいたし、さっきかぐやと行動していたミツキは無事だ』
(ただの、考えすぎだったんですね……!)
あのぶりっ子は、単なる保身なのかもしれない。あるいはあれが素であるか。今なら良かった良かったと、かぐやと手を繋いで踊れそうだ。
その彼女は口元に手を当て、精一杯呼びかけをする。
「妖精様、妖精様! わたしは、貴方様に頼みがあるのです!」
そしてもう、お約束のように咳をした。この後はお約束のように、めでたしめでたしであるはずだった。
「ホワット? この、鈴の音のような可愛らしい声はー……」
なのに……おかしいな。妖精の声に、話し方に、謎の既視感と悪寒を感じる。
彼が振り返った、瞬間。
「「『ああああああああ!』」」
ボク達は叫んでいた。そこにいたのは、妖精ではなかった。あのはた迷惑な風の精霊、ヴェントだったのである……
「ど、どうしたのですか、皆様? 妖精様が、何か……?」
『かぐや、逃げとくれ! あいつは願いを叶えてくれる妖精なんかじゃない! 変態で人騒がせな精霊だよ!』
「えっ、えっ!?」
「ミツキ君、例のアレを……!」
「分かっている! 悪霊退散!」
掛け声とともに、例のアレ……語り手さん製のお札が飛び、ヴェントにクリーンヒット、したと思ったのだが。
「うわっ!」
お札は湖の上で綺麗に逆U字を描き、ミツキ君の指に巻きついてしまった。あの誰にも止められない素早さで、ヴェントはかぐやの足元に跪いていたのだ。
「あ……!」
『しまった……!』
「ハーイ、レディ♪ ミス・ナゴヤと言ったかな?」
……酷い間違え方である。
「いえその、わたしは……」
「ああ、照れなくても良いんだよ、可憐なるミス・ナゴヤ……」
相変わらずの調子で、彼はかぐやの手を握る……待て、呑気に観察している場合ではなかった!
「失敗してすまない! オフダが取れたぞ!」
『今度はあたしが投げる! リーテ、身体を借りるよ!』
「分かりました!」
投げるのはミランダさんでも、ボクだって気持ちは同じ。
かぐやを、ただの女の子だったかぐやを、変態吟遊詩人の餌食にしてたまるか……!
「いけ! 悪霊退さ…………ん?」
しかしそこで、先程からヴェントが何も言っていない事に、ボク達は気づいた。それどころか手を握ったままで、油の切れた機械のごとく、ただ小刻みに震えている。
「お、お、お……」
口は同じ音を繰り返し、顔は今の彼の服装より青い。脂汗が額に滲みでている。
それからハッと気づいたように、エセ紳士らしくもなくかぐやの手を振り払う。ふらふら、ふらふら、ボク達の間をただよって、徐々に徐々に消えていった。
「男……男の手を握ってしまった……」
ショック死寸前の声色で、衝撃的な呟きを残して。
ネタバレを防ぐため、警告はしませんでした。がっかりした方すまない。




