19,俺の知ってる怪盗と違う【中編】
光太さんが去った直後のこと。
「チビっ子! どっか隠れろ! 今すぐ!」
小さく鋭く上がった影人さんの声に、何も言わずに従うミツキ君。表道から警察官がやって来たのだ。
「そこのあなた方、どちらかと言うと職務質問をしたい所ですが……怪盗ライトラインを見かけませんでしたかな?」
警察手帳片手に上から目線で訊く彼らに、やはりあまりいい気はしない。
「そんなの、俺が見てみたいですよー!」
……正直、ぎょっとした。影人さんは涙目で、警察官に縋り付いている。
「俺達記者で、怪盗ライトラインの予告状が届いたっていうから張り込んでたのに……ぜんっぜん! これっぽっちも! ライトラインを見かけないんですよ! あああ、今月の給料が……!」
いつの間にやら、彼はデジタルカメラまで持っていた。
物凄い演技力だ。怪しまれかねない特異な目力を上手く隠し、ライトラインを撮り損ねた情けない記者を演じきっている。
警察官もすっかり騙されて、ミランダさんに「分かったからこいつを何とかしてくれ」と視線を送っている始末だ。
「まあまあ、しょうがないじゃないか。怪盗が狙った所に現れてくれるワケないんだから、さ」
ところでミランダさんの演技もなかなかのものだった。影人さんを慰める手つきなど、かなり手馴れている。
「そういう事で、あたし達はライトラインを見てないよ。他を当たっとくれ」
そこに飛び込んできた、新たな警察官。
「ライトラインが出たぞ!」
「何っ!?」
見ると……ボク達の居たビルの屋上に、ふわりと降り立つ彗星色が。
「待てー! ライトライーン!」
警察官達は、詫びも何もなく駆けていった。
「出てきていいぞチビっ子」
「チビっ子ではない……」
彼の言葉を否定しつつ、ミツキ君がひょっこり姿を表す。
「さて、と」
コートの裾を翻し、ボク達に背を向ける影人さん。
「じゃあなあんたら。これに懲りたら真夜中にうろつくのは止めろよ」
〈え、ちょっと! 帰っちゃうんですか!?〉
「……待っとくれ」
ボクの意図を汲んでか、ミランダさんが呼び止めてくれる。
「何だよ」
「えっと……その、だねぇ」
……しまった。なぜ呼び止めたいのかミランダさんに言っていなかった。
生じるタイムラグに、影人さんがため息をつく。
「伝達ぐらいきちんとしろよな……」
「……やっぱり、バレてたのかい」
今度はミランダさんがため息。
何だろう、嫌な予感がする。
「リーテ殿、貴方の存在が知られている」
ミツキ君がボクに直接呼びかけた事で、それは確信へと変わった。
〈あ、あはは……〉
今のボクに汗腺はないのに、冷や汗が滲んだような心地になる。
「面倒だ。通信者と直接話をさせろ」
影人さんは何でもお見通しのようで……
ミツキ君とミランダさんは顔を見合わせた。
「……なんか疚しい事でもあんのかよ」
途端に鋭くなる瞳に、ボク達は渋々、ミツキ君のイヤカフの片方を差し出す。
「何だよこれ……」
金と赤の精巧な装飾具を手に乗せ、影人さんは眉を顰めた。
「これでリーテ殿と話が出来る」
「はああ?」
……訳が分からない、とでも言うように答えられるとこちらも証明しづらいのだが、しかし黙っているわけにもいくまい。
〈どうも……リーテと申します〉
影人さんは目を僅かに見張った後……ボク達を、睨みつけた。
「あんたら、ナニモンだ? こんな技術見た事ねぇぞ」
刺し貫く鋭い視線。心なしか言葉遣いも悪くなっている気がする。
「あー、もう!」
ミランダさんが、頭を抱えた。
「だから渡したくなかったんだよ! あんたみたいなのには、1説明したら10まで喋らなきゃいけなくなるから!」
「ミランダ殿、10まで……とは? ……まさか」
途端に青くなるミツキ君の顔。
〈え、え!?〉
何だろう、非常にまずい状況ということしか分からない。
「やっぱりな……あんたら、何処の秘密組織の者だ?」
「秘密組織……みたいなものではあるけどねぇ……決して、悪い事をやってる訳じゃないんだよ?」
「私達は……異世界から来た、〔語り手〕とその護衛だ」
「…………は?」
ボクは、困惑に顔を歪めた影人さんを見てようやく……ミランダさんの言葉の意味を、理解する事となった。
「異世界……か。まあ確かに、あってもおかしくはないな」
影人さんはボク達の説明を信じてくれたらしく、むやみやたらと疑われる(そして、ノされる)事態は避けられた。
〈あ、あの!〉
「何だよ」
流石にイヤカフを耳に掛ける事は出来なかった――そもそもミツキ君用なのでやや小さい――影人さん、腕時計に引っ掛けたそれをピンと弾く。
〈この話はどうか内密に……! ばれると上司に怒られるので……!〉
「上司」のねちっこいお説教と笑っていないだろう目つきなど、もうごめんだ。
「ふーん。……脅す材料が、また増えたなあ?」
ニヤリと笑った影人さんに、ボク達はカタカタ震える羽目になった。もうやだこの人。
「んで結局、あんた俺を呼び止めて何がしたかったんだ?」
腕組みをし、ビルの壁に寄りかかる影人さん。
「あー、元はと言えばそういう話だったねぇ。どうしたんだい? リーテ」
「リーテ殿……そうなのか?」
恨めしげにボクを見るミツキ君に心の中で詫びつつ、言った。
〈貴方の任務の内容と、それを始めた切っ掛けについて、取材させていただきたいんです〉
「……それについては、あいつの許可もいるだろうよ」
意外にも、話す事自体には乗り気のような影人さん。
〈まずは話して下さるだけでもいいので! お願いします!〉
ここぞとばかりに頼み倒し畳み掛ける。色々痛手を負ってしまった今、もう聞くしかないだろう。このまま引き下がるのはあまりにももったいない。
「ま、脅してあるから大丈夫だよな? 折角の機会だ。俺の愚痴を聞かせてやるよ」
なるほど、愚痴を語る相手がいないのか……とは、もちろん言えなかった……
ボク達は、影人さんがバイトしている居酒屋にやって来た。
ただし、見た目少年のミツキ君は確実に怪しまれるので、外で隠れて待機してもらっている。正直非常に申し訳ない。
ここでも影人さんはかなり愛想良くニコニコして、「お疲れ様です先輩、ちょっとお借りします。勿論、注文はちゃんとしますよ! え、この人ですか? 違う所のバイト仲間で……」などと話していた。
……不気味だ。脅されている身からするとかなり不気味だ。
なにはともあれ、居酒屋の個室を確保。まずは腹ごしらえと、運ばれてきたおつまみに近い料理達をいくらか平らげた(流石にお酒は無かった)。
「メモの用意は出来たか? 〔語り手〕さんよ」
そうしてボク達は、彼曰くの「愚痴」を聞く事となったのだった。
「唐突だが俺にも、『怪盗』ってやつに憧れてた時期があった……何だよその面は」
ミランダさんは驚愕のあまりドン引きしているらしい。……うん。ボクだって、表情筋が動かせればそんな顔をしていたに違いなかった。
悪事が絶えず、また実質的な鎖国状態にあるこの国において、正々堂々たる義賊の怪盗は、まさしく正義の味方。影人さんのイメージとは対局をなすものである。
「……まあいい」
それもまた、俺がまだ何も知らない、何のしがらみもない子供だった頃の話か。
中学あたりからはグレて結果的に色々技術を身に付けるやら、恩人のお陰で道を踏み外さずに済んだのはいいが高校卒業後にはその日暮らしのバイト三昧やら。つまりは少年時代の夢なんてすっかり忘れてたワケだ……
『なあおまえ、おれと一緒に怪盗やってみないか?』
いつもの帰り道でいきなりあいつにそう言われるまでは、な。
何の面識もない奴にそんな突拍子もない事を言うなんて……俺は心底関わりたくないと思ったもんだ。
内容については勿論鼻で笑って一蹴したんだが、あいつはとにかくしつこくてだな……1度軽くノしとこうかと考え始めた矢先に、怪盗稼業を手伝うなら給料がわりに住み込みさせてやる、もちろん食事付きで……なんて事を言いだした。
実を言うと、その時住んでた低家賃のアパートが火事になってだな。代わりの物件もないし、住民に対する保障なんてある訳ないしで、マトモに生きるのを諦めなきゃならないぐらいまで追い詰められてたんだよ。
俺は誘いに乗った。後々後悔する事になるなんて、思いもせずに。
そうさ。頼まれたのは、「怪盗」からは程遠い……「泥棒」と称されてもおかしくない、汚い真似だった。
説明しよう。あいつは「怪盗をやりたい」などとほざいているが、実はそれは土台無理な話だ。
この世界にたまに、特異な能力を持つ人間が生まれるってのは知ってるか?あいつもその1人でな。目印は髪や瞳の色。純日本人だがあの髪は地毛なんだよ。
そしてあいつの能力は……名を付けるならば〔カリスマ・インパクト〕。髪色とは無関係に、その場にいるだけで注目を集める。溢れる存在感にはスターさえ霞む。他の誰にも、間違わせる事なんてできやしない。頭の中に強烈にこびりついちまう。
……分かるだろ?怪盗としては致命的だ。
じゃあ抑えればいいじゃねーかって話だが……本人曰く、能力を押さえつけるとものすごく疲れて、全神経がまともに働かなくなるんだと。
俺の任務は……そんなあいつを「怪盗」として活躍させること。
あいつは陽動。存在感を全開にし、派手な服を着て暴れ回る。俺は陰動。あいつが警察以下厄介な奴らを引き付けてる間に、目的の物を掻っ攫う。
俺の存在を悟られないようにブツを受け渡せば、「いつの間にやら華麗に盗む、大怪盗ライトライン」の出来上がりってワケだ。
そんでもって、俺が何よりムカついてるのは……
「あいつがそれを、面白半分でやってるって事だ! 怪盗に必要な正義感なんて、これっぽっちも持ち合わせてねえんだよ!」
テーブルに当たる事はしなかったものの……影人さんは明らかに怒っていた。
それきり沈黙に満ちた個室。
しばらくして彼は頭を押さえ、こちらを睨めつけた。
「俺みたいなのが怪盗に幻想持ってちゃ悪いのかよ」
「いや、悪いとかじゃあなくてねぇ? ちょっと意外に思っただけさ」
ボクからしてみると、影人さんに普通の人のような一面があった事にほっとしたのだけれど。
〈あの、話はこれで以上ですか?〉
「ああ」
〈ありがとうございました!〉
「……そうかよ」
メモについてはミランダさんが取ってくれた。夜も遅いし、ミツキ君が待っているし、もうそろそろここを出て宿を探さなければならないだろう……
「リーテ」
……考えは、ミランダさんの暗い声色に遮られた。
「影人が……居なくなってる」
〈……へ?〉
見れば、いつの間にやら影も形もない。そしてテーブルの上には、空になった皿に紛れて一枚の書き置き。
『明日の夕方3時半頃、またここに来い。あいつに会わせてやる。まああいつの許可はすぐ取れるだろう、あんたらの取材は名を売る絶好の機会だからな。
追伸:ここの支払い、頼む』
「……あいつー!」
……怒りのミランダさんにより、しばらくして握り潰されてしまったが。
「ミランダ殿、落ち着いて……」
「これが落ち着いていられるかい! あたしは金にはうるさいんだよ!」
〈いやでも、話を聞けたんですし……〉
「あたしよりも多く食べたんだよあいつ! それなのに……! しかもこんな時だけ『頼む』なんてへりくだった言葉を……!」
ミランダさんは相当お冠らしく、深夜近くに吹く冷たい風も、彼女の頭を冷やしてはくれない。
ボクは合流したミツキ君と共に、ミランダさんを宥めながら今夜の宿を探す羽目になった。
おかげで、居酒屋から出てきた時……ミツキ君がナイフを出して肩を上下させていた訳も、その赤い瞳で虚空を睨んでいた訳も……
聞きそびれて、しまった。
約束の時間、まだ開店していない居酒屋の前は閑散としている。
そんな中、レシート片手に仁王立ちする姿が1つ。
「さあせめて割り勘ぐらいはしてもらおうかねぇ」
言うまでもなくミランダさんだ。正義の味方活動をしていた際に金銭面でかなり苦労をしたらしく、「無駄な金は1銭たりとも出したくない」と公言してはばからない彼女だが……
これが語り手さんが用意してくれたお金(〔語り手〕活動費)で、更に1晩経っていて、ここまで怒るとは。
「俺だって、色々とだな……」
その迫力には影人さんさえも押され気味で、ボクはミランダさんの前で無駄な浪費はするまいと心に誓った。
「み、ミランダ殿……」
ミツキ君はさっきから、どうにもならないといった様子で彼女の周りをうろうろしている。
「OLさん許してやってよ、マジで! 影人はフリーターで生活が厳しいんだわ!」
そこに割り込んできた能天気な声。怪盗ライトラインこと、光太さんだ。
昨夜と違う黒い髪(これはかつらか、一時的に染めているのだろう)に学生服だが、怪盗姿の時と同じく、どこか瞬くオーラがあった。これなら確かに、怪盗の十八番である変装など到底出来ないだろう。
「はあ……」
ミランダさんはため息と共に、何だか脱力してしまった。
彼の声には、反発する気を削ぐような、確かにそうかと頷いてしまうような不思議な力がある。これもまた、〔カリスマ・インパクト〕の能力ゆえか。
「お前な、人が知られたくない事をつらつらと……!」
「痛って! 影人の蹴りって相変わらずマジぱねぇな……」
……その能力の効かない人が、約1名居るようではあるが。
〈あの! 光太さんに許可を……〉
「……そうだったな」
光太さんを足蹴にしていた影人さん、ふと我に返りこちらを向いた。
「チビっ子、イヤーカフをもう1個貸せ」
「駄目だ。リーテ殿の声が聞こえなくなるだろう」
「……」
見事なまでの拒絶に軽く舌打ちし、影人さんはイヤカフを取り出す。
「お前、こっち持て」
それの端をつまみ、もう片側を光太さんへと差し出した。
「これ触っとなんか起こんのか?」
「外国産の最新の通信機器だそうだ。海の向こうにいる奴が、お前と話がしたいんだと」
……影人さんは気を利かせてくれたようだが、すぐそばにいるボクは何とも言えない気持ちになる。
「マジか! すっげー!」
そんな事はつゆ知らず。光太さんは小さな子供のように目を輝かせ、イヤカフに触れた。
〈どうも初めまして、リーテと申します〉
すかさずボクは淀みなく、自己紹介をしたのだが。
「へぇー! まさかの女の子! ねぇねぇきみ、歳いくつ?」
〈……え?〉
これは所謂、ナンパ、だろうか。
……貴方のようなチャラチャライマドキリア充男は、こちらから願い下げなのですが。というか、実際にボクを見たらガッカリするでしょう、貴方。
というのが、ボクの正直な感想ではあるけれど。
どう答えようか迷っているうちに、ミツキ君が2人の手からイヤカフを奪い取ってしまった。
「光太殿! 話の腰を折らないで頂きたい!」
「いや、ジョーダン、ジョーダン! ほらあの、おっさんとかだと思ってたから意外でさ!」
真紅の目で睨まれ、慌てて弁解する光太さん。
「……リーテは、そんな事言って面白がってくれるタイプじゃあないよ?」
ミランダさん良くぞ言ってくれました!
「おい、妙な茶番やってねえでさっさと進めろ!」
そこに掛かった有無を言わさぬ命令、同時に影人さんがイヤカフを奪い返した。
場に流れる微妙な空気を払拭するがごとく、咳払い、1つ。……気を取り直して。
〈あなたと影人さんの怪盗としての活躍を、〔物語〕にしたいんです〉
ボクは本来の目的を口に出す。だが彼は、急に表情を無くし……
「嫌だ」
影人さんの予想を裏切りきっぱりと、そう告げたのだった。
結局居酒屋での食事はミランダの(語り手さんの)おごりとなりましたとさ。




