第六話 それぞれの神
刃が煌めく。 血飛沫が舞う。
「が・・・はっ・・・」
肩口から斬撃を受けた男が呻きとともに倒れこむ。
「中々に多いな」
俺達は迫り来る賊から、行商の一団を保護していた。
中には女や幼子もいて、皆商人たちは頭を抱えて蹲り、体を震わせている。
「小次郎」
近くにいた靖虎が声を掛けてきた。
「報告よりも数が多い。
他にも伏兵がいる」
「そうだな。
まあ、鳥居の中へ入れなければ問題はないだろう」
言葉を返すと、靖虎が頷いた。
「同感だ。 ここで終わらせると、しよう!」
靖虎が振り向きざまに刃を交わし、背後に斬りつけた。
そこにいた商人が短刀を落とし、声も無く崩れ落ちる。
「挟み撃ちでもするつもりだったか?」
まだ痙攣している仲間の死体を見て、行商の一団が顔を青ざめさせた。
「もっと芸を磨いた方がよさそうだな」
俺も一歩踏み出す。
「くそっ!」
次々と短刀や仕込杖を抜いていく、商人を装った賊たち。
だが、それらを振るうよりも早く、俺達は切り込んでいく。
戦闘は保護から殲滅へと移行した。
十五ほど切り伏せたとき、安虎の標的が俺の目に入ってきた。
「靖虎!」
太刀を間に割り込ませ、靖虎の刃を受け止める。
「女子供まで殺す必要はない」
俺の後ろで震えているのは、数組の母子だった。
女達は短刀を構えているが、恐怖に捕らわれているのか動かない。
幼子たちは大声で泣続けている。
「神に刃を向けた罪人達だ。
捌きは下すべきだろう」
冷ややかな声で靖虎が言う。
「それは正しい。
だが、女子供にそれほどの力はない。
償いはさせるが、殺すのはやりすぎだ」
刃を交差させたまま、俺達は睨み合う。
「男も女も、大人も子供も関係はない。
神にとって利か害か。 大事なのはそれだけだ!」
靖虎が俺の太刀を受け流し、背後に回りこむ。
そのまま、太刀を振り下ろした。
血しぶきが舞う。
斬られた者達が虚ろな目で俺を見る。
「靖虎あああっ!」
俺は靖虎へと走りだし・・・・・・
「ん・・・?」
気が付くと、俺は自分の部屋に寝ていた。
柔らかな日差しが障子を照らし、小鳥の美しい囀りが響いている。
「随分と、懐かしい夢を見たものだな・・・・・・」
まだ、階位を授かっていない頃のことだ。
あの時はまた別の分社だったが・・・靖虎や芳次とは何度か一緒になった。
よほど縁があるのだろう。
身を退いた芳次はともかく、靖虎はいずれここに来るに違いない。
昔を懐かしみながら、むくりと上体を起こす。
「痛っ!?」
不意に体中に痛みが走った。
そこで、自分のほぼ全身が包帯まみれであることに気づき、同時に野島との
戦いが思い出されてきた。
最後はどうなったのか憶えていないが・・・
「とりあえず、生きているな」
手を握ったり開いたりを繰り返し、自分の存命を確認する。
「あ、気が付きましたか?」
障子を開けて、手桶を持った宗太が入ってきた。
「びっくりしました。
さっき来たらすず様がいるし、石川様は傷だらけだし」
宗太は手桶の水に手ぬぐいを浸し、絞って手渡してくる。
「すず殿が?」
俺は手ぬぐいを受け取り、顔を拭く。
「はい。 僕が来たら慌てて出て行きました。 何があったんですか?」
「む・・・」
宗太の問いに答えるのは憚られた。
すずにとってあまり吹聴していい話ではないし、子供には衝撃が強いかも
しれない。
どう答えたものか・・・
俺が考えていると、ドタバタと騒がしい足音が聞こえてきた。
「石川様!」
バンッ!と障子を開けて立っていたのは、千代だった。
息を荒げ、目を輝かせている。
「すず様、ここにいませんでした?」
じりじりと中に入ってくる千代。
「ちょっと、千代。 石川様は傷が・・・」
「宗太は黙ってて!」
諌めようとする宗太を言葉一つで牽制し、俺に近づいてきた。
後ずさりたいが、傷の痛みで布団から動けない。
「すず様が朝のお勤めに遅れて来たんです。
こんなこと、今まで無かったのに。 ・・・で!」
千代が顔を赤らめ、俺を指差した。
「さらに、その後も心ここにあらずって感じで!
さらにさらに、すず様から石川様の匂いがしたんです!」
「・・・なんという」
俺は呆れ返った。
すずが介抱してくれたとすれば、血の匂いは染み付いてもおかしくない。
だが、千代は血ではなく俺自身の匂いを嗅ぎ分けた。
こいつの嗅覚は犬並みか?
「そういうことですよね!?
それってつまり、そういうことですよねっ!?」
頬を染め、ハァハァと息を荒げて千代は捲くし立てる。
「千代。 俺は全身に傷を負っているのだが・・・」
「でしょでしょ!
すず様って、ああ見えて結構激しいところもあるんですよ!
それで、どうでした? どうでした!?」
・・・ありえない。
俺の怪我すらも、己の妄想に取り込んでいるようだ。
子供にして、何と豊かな想像力だろう。
「宗太」
「は・・・はい!」
俺の目配せを受け、宗太が千代を連れ出す。
「ちょっと、宗太!」
「はいはい、言伝は後で伝えておくから」
じたばたと暴れる千代を引きずって宗太は部屋を出て行った。
「やれやれ・・・」
溜息をつくと、先程とは対照的に障子が音も無く開かれた。
「おお、生きておるな」
入ってきたのは、昨夜、拳を交えた一階位。
野島宗覚だった。
「野島殿!?」
「そう構えるな。 傷に響くぞ」
大柄な体躯に似合わず、澱みない足取りで俺の横に正座して腕を組む。
「昨夜は、なかなか楽しめる勝負であった。
久々に気が晴れたわ」
弾むような声で野島が言った。
「ご冗談を。 私ごときが一階位を満足させるなど」
「そう卑下するものではない。
ワシとまともにやりあおうとするものは、ここでも少ないのだ。
貴光や鶴丸も面倒くさがって相手しようとはせぬのだからな」
藤田貴光と桐川鶴丸。
他の一階位さえも、一目置いているというのか。
まあ、分かる気はする。
あの力。
防御ごと破壊する強大な攻撃力と、生半可な攻撃では損傷を与えられぬ
防御力は厄介どころの話ではない。
野島の言は世辞もあるのだろうが、本音でもあるのだろう。
「さて、後始末をするか」
唐突に、野島が懐から布包みを取り出した。
丁寧にそれを開いていき、中身が姿を表す。
冷や汗が背筋を伝う。
包まれていたのは、針だった。
細く、長い針。
「野島殿。 後始末というのは・・・」
まさか、俺を葬るつもりだろうか。
引きつった俺の顔を見た野島が、ニヤリと得意げに笑った。
「治療してやろうと言っておるのだ。
怪我を負わせたのはワシだからな。
明の新しい技術で治してやろう」
そう言って、ギラリと光る針を見せ付ける。
「針を・・・どうするので?」
「刺すにきまっておろう。 身体の然るべき場所に刺激を与え、治療する。
なかなかにいいものだぞ」
「そのような治療、聞いたこともございませぬが・・・」
「だから新しい技術だと言うたではないか。
明においても確立されたばかりなのだ。
なに、痛みは感じぬから安心せい。
おとなしくしておれば、な」
本当だろうか。
ただ俺を甚振るための口実ではないのだろうか。
「まあ、一度受ければ効果を実感するであろう。
つべこべ言わず、服を脱いでうつ伏せになれ」
「は・・・はあ」
言われるまま、褌一丁で布団に突っ伏す。
「力を入れるなよ。
違う経絡に刺さるとあらぬ作用をきたすからな」
野島の言葉が聞こえてから、肩甲骨にチクリと針が刺さる感覚があった。
だが、痛いというほどではない。
背中、腰、頭、脚・・・全身に掛けて針が刺さっていくのが分かる。
上から順に、というわけではない。
だが、手際よく刺していくあたり、あらかじめ決まった手順があるのだろう。
「昨夜は、随分と荒れておったな」
触診し、針を刺しながら野島が話しかける。
「まあ、あれが相手では荒むのも無理ないことか」
声に嫌悪が乗っている。
やはり、この男にとっても”神殺し”は忌むべき対象なのだろう。
いや・・・信仰心の高い一階位であればこそ、それは大きいはずだ。
「野島殿。 あなたにとって、神はどのようなお方でしょうか?」
銀の娘を思い浮かべ、俺は野島に尋ねてみた。
救いを与え、犠牲を求める我らの神を一階位はどのように捉えているのか。
それを知りたかったのだ。
「む・・・なんだ、急に?」
「私にとって、神は救済者・・・人を救うものです。
あなたは、すず殿を力ずくで襲おうとした。
すず殿からすれば、神の御手とはほど遠いでしょう。
無礼を承知で言ってみれば、神に仕える者が神に仕えるものに災厄を
齎されたのです。
ならば、神とは何なのか・・・」
「ふむ・・・」
野島は針を刺しながら少し考え、俺の問いに答えた。
「言うなれば支配者であろうな」
「支配者・・・?」
「さよう。 天下には八百万の神が存在する。
それぞれが自然を司る神だ。
例えば、雨が降らねば水は干上がる。
だが雨が多すぎても洪水が起こってしまう。
ゆえに雨の神に祈って加護を受け、程よい雨が齎されるようにするのだ」
「それは、分かりますが・・・」
「ならば理解できるであろう。
神はその気になれば人を簡単に滅ぼせるし、簡単に救うこともできる。
まさに生殺与奪を握る支配者だ。
その支配者を怒らせず機嫌を取ることによって、人は神の加護を受け生きる
ことができるのだ」
針を刺し、時には捻ったり抜き差しを繰り返したりしながら、野島は淡々と
治療を進めていく。
その間、俺の耳には野島の言葉がずっと付いて離れなかった。
「ふむ・・・こんなところか」
施術が終わったらしい。
体中に刺された針が次々と抜かれていく。
「まだしばらく掛かるが、体が癒えたら修練場へ来い。
存分にやり合おうぞ」
針を仕舞いながら野島が恐ろしいことを言った。
「いえ、私如きが邪魔するわけには・・・」
「いや、お主がおれば退屈せずに済みそうだ。
昨夜のようなこともなくなるであろう」
昨夜の・・・あれか。
つまるところ、この中年は本当に体力を持て余しているらしい。
強者の胸を借りるのはいいことではある。
野島もそうだが、ここにいるのは俺より強い神兵ばかりだ。
覗いてみるのもいいだろう。
「・・・何卒、お手柔らかに」
俺の返事を聞いて、一階位は豪快に笑いながら出て行った。
静寂が戻る。
---支配者を怒らせず機嫌を取ることによって、人は神の加護を受け生きる
ことができるのだ
不意に野島の言葉が甦ってきた。
支配者の機嫌を取る。
それならば、理が通る。
救済をしながら、一方で犠牲を求める矛盾に。
それが生贄を出し、その代償として他の大勢を救うという等価交換の内で
あるならば・・・
だが、それは果たして俺が信じるべき神と言えるのか。
そんな神の為に、俺は動いてきたのか?
これから、動いていくのか?
「くっ・・・!」
いてもたってもいられなかった。
身体を起こす。
立ち上がり、服を纏う。
足を引き摺りながら部屋を出る。
治療の効果か、思ったよりも身体は動いてくれた。
それでも重く感じる身体に鞭を打ち、ひたすら封域を目指した。
娘の前に立つ。
何かをしようとしたわけではない。
ただ、ここに来なければ落ち着かなかったというだけ。
この三日、俺の中では激動の連続だった。
だが、現実は何も変わっていない。
俺の役目も、この娘の運命も。
それを表すように、目の前には相変わらずの光景がある。
力ない身体。 虚ろな目。
「俺は、備中の出身でな」
自然と。
俺の口が言葉を紡いだ。
「小さな村で生まれた。
だが年貢が高かった上に不作が続き、生活は苦しいものだった。
親が、次男の俺を間引こうとするくらいにな」
蝋燭の灯が揺らめく。
「首を絞める親の手を振り払って、俺は逃げた。
だが、四つの童が一人で生きていけるわけがない。
もともと、食うに食えぬ状況だったのだから、すぐに倒れた。
それでも、偶さか近くを通った神兵に拾われてな。
それ以来、俺は神の兵として生きてきたのだ」
娘は、何も変わらない。
「だから、俺にとって神とは救済者であった。
苦しむ罪なき人々を救う存在・・・そう思ってきた。
だが、その神は罪無き者たちを贄として求めている。
救済の糧として、有りもしない罪を被せて・・・」
いつものことだ。
「ある者は、神について支配者だと言った。
ならば、贄を捧げて加護を受けるというのは理が出てくる。
だが、それでは俺が信じてきたものはどうなるのだろう」
そう。
「同じ神でありながら・・・どうして、こうも違うのだろうな?」
いつもの---
灯が揺らめく。
ふと、違和感を感じた。
僅か。
ほんの僅か、指先が・・・
「動い・・・た?」
思わず、格子にしがみつく。
銀の娘を見つめる。
「お前・・・」
鼓動が高鳴る。
鬱屈していた精神が澄み渡っていく。
だが、そこにあるのはいつもの光景だ。
灯の揺らぎによる幻視だったのか?
そんなことなど一度もなかったのだが・・・
「ふっ・・・」
己を嗤う。
人は見たいものを見るという。
俺は、この娘に救いを求めていたのだろうか。
救われなければならない筈の、この娘に。
「長々と愚痴ってしまったな。 すまん。
また来る」
気持ちを少し軽くして、俺は身体を引き摺りながら地下を後にした。