第二話 役目
朝の静謐な空気に清められた、総本社の会所。
その下座で、俺は正座のまま床に手を着き深く一礼する。
「神兵七階位、石川小次郎にございます」
上座正面には宮司様。
その左右には権宮司様と神兵長殿。
上座から俺が座っている下座に掛けては禰宜たちや神兵たちが左右に一列
ずつ、壁に沿うように座っている。
そして俺の左後ろには巫女が一人、控えている。
「石川殿。 お主の事はよく聞いている。
此度の辞令には色々と思うところがあろうが、おそらくはお主にしか
できぬであろう役目だ。
若輩にして七階位を担うその才と力を私に貸してほしい」
「はっ」
俺は一礼しながら宮司様を観察する。
齢は五十手前といったところか。
声は穏やかながらも張りと力強さがある。
低い物言いだが、威厳を損ねていない。
これが、総本社の宮司。
あの若さでの就任は異例だろう。
秀でる才ゆえか。
「私は長話が好きではなくてな。
早速だが、本題に入らせてもらう」
宮司様は一度目を閉じ、笑みを消して言った。
「ある者を監視してもらいたい。
ただし内密に、だ。
ここにいる者以外に知られてはならぬ」
「監視でございますか」
「そうだ。 少々特殊な相手でな。
詳細は、すずから聞くと良い」
そう言って、宮司様は俺の後ろを見る。
この控えている巫女は、すずという名前らしい。
「すず。 石川殿に説明をしてやってくれ」
「はい」
すずが立ち上がり、会堂を出口へ向かう。
別室で説明があるようだ。
俺は宮司様に一礼し、すずに続いた。
「石川殿」
背後から宮司様に呼び止められ、振り向く。
「頼んだぞ」
念を押すように、宮司様が言った。
「・・・? はっ」
俺はその意を汲めぬまま返事だけ返して会堂を出た。
すずに付いて、廊下を歩く。
彼女は、ずっと黙ったままだ。
俺を見もせず、ただ付いてくるように促すだけだ。
だから、俺も黙って後ろを歩いている。
廊下の左側に壁はなく、霊山の息吹きを肌で感じることができた。
木々の葉擦れの音や遠く聞こえる滝の音が心地よく耳に届き、清浄な風が
頬を撫でて去っていく。
この総本社がある山は大いなる霊山とされ、我が宗派の神人にとって目指す
べき到達点である。
各地の宗派神社で各々が神への献身に努め、その貢献度や能力の習熟度が
認められた者が更に精進し、修行に励む場所だ。
とはいっても、完全に上位の者だけで占められるわけではない。
神人見習いである出仕が洗濯や掃除などの雑用をこなしているし、簡単な
役目であれば一時的に下位の神職を分社から呼ぶこともたまにある。
彼女はどうだろうか。
後ろから、すずを見る。
名は体を表すというのか。
長い後髪を腰の辺りで一つに束ね、左の横髪は鈴が付いた紐で束ねている。
右の横髪は何もしていないのが不思議だが、何かのまじないなのかもしれない。
年は俺より幾分若く、十五か六くらいだろう。
歩き方は澱みなく、身体が上下にほとんど揺れていない。
付けている鈴がまったく鳴らないほどだ。
巫女舞を担う八乙女である可能性が高いな。
八乙女なら、巫女の中では上位に入るだろう。
・・・そうか、鈴は舞のための鍛錬なのか?
・・・・・・ならばなぜ、両側につけないのだろうか。
俺が観察していると、不意にすずが歩みを止めた。
「何をジロジロ見ているんですか?」
ツリ目で俺を見上げてくる。
凛とした声ではあるが、言い方は不機嫌を隠そうともしていない。
「いや、どこまで連れて行かれるのかと思ってな」
周囲に人の気配は無いが、念のためすずに耳打ちする。
「監視するなら・・・・・・」
「ひゃっ!?」
俺の言葉は、意外と甲高い悲鳴で止められた。
「なな何するんですかっ!?」
チリン、と。
鈴の音とともに、すずは俺から距離を取る。
顔がりんごの様に真っ赤だ。
仏教と違い、神道は男女の接触を禁じていない。
子を成す行為は尊いとされているため、むしろ奨励しているくらいだ。
もちろん節度を持たせた上での話だが、我が宗派ではそれをいいことに
性的な悪戯をする男が割といる。
そのため男を嫌う巫女も少なくなく、彼女もそうなのかもしれない。
少し近すぎたか。
「周囲に聞かれないように、と思ったんだが・・・いや、悪かった」
すずの視線を受けた俺は、言い訳を止めて素直に謝った。
「ここは既に立ち入りが制限されている区域です。
普通に話しても問題はありません。
それで?」
突き刺さるような視線を変えず、すずが口を開く。
「何を言いかけたんですか?」
「いや、監視をするなら一刻も早く準備を終えて現地に向かった方がいいと
思ったのだ。
情報はすぐに古くなり、精度が落ちてしまう。
着いたらもういなかった、というのでは目も当てられない」
俺が言うと、すずの視線がわずかに落ちた。
「・・・問題はありません」
その声も、先程と打って変わって沈んでいる。
「既にそこへ向かっています。
それに、逃げ隠れもしませんから」
もう向かっている・・・?
外に出るなら、本殿を正面から出るはずだ。
だが今はそこから逸れ、裏手の方向へ歩いている。
だから、俺はてっきり別室で役目の説明や準備をすると思っていた。
特に準備もなく即向かうとなれば、俺の現場はおそらくこの総本社だ。
それは、つまり。
「内偵ということか?」
「違います」
違ったか。
「行けば分かります」
そう言って、すずは再び歩き出した。
相変わらず鈴の音はしないが、顔はうつ向き気味だ。
ひたすら廊下を歩き、ついには廊下が途切れた。
その先は短い階段となっており、雪駄が用意されている。
「・・・履物をお召しください」
雪駄を履いたすずは、沈んだままの声で俺にも雪駄を勧めた。
「まだ歩くのか。 随分と離れた所にいるんだな。
よほどの嫌われ者なのか?」
何の気も無しに言った、俺の言葉に。
「~~~~っ!」
チリリリ、と。 鈴の音が小刻みに鳴りだした。
すずが身体を震わせている。
「・・・すず殿?」
「・・・参りましょう!」
急にすずが早足で歩き出す。
怒っているようにも見えるし、動揺しているようにも見える。
監視で、現場が総本社で、内偵ではなくて、事前の説明も準備もなく現地に
赴く・・・か。
いまいち、役目が読めない。
「やれやれ・・・」
溜息を一つこぼすと、俺は雪駄を突っかけながらすずを追った。
---が、すずの足は速かった。
先ほどの歩法は見る影もなく、リンリンリンリンと鈴の音をけたたましく
響かせながら土の上を進んでいく。
早足で歩いているが、速度はもはや走っているのと大差ない。
俺はあわてて走り出し、ようやく追いつく。
---と思ったら、すずが止まった。
「うおおおっ!?」
あわてて足を止めるが、朝露で湿った土が滑って踏ん張っても止まらない。
俺の身体は、彼女の背中にぶつかり、強力な推進力を伝達した。
「きゃあああっ!?」
悲鳴をあげ、すずが前に押し出される。
そのまま眼前の小屋へ突っ込んだ。
二人分の体当たりを受けた戸が外れ、一緒に倒れていく。
「あ痛たた・・・」
身体が止まったのを確認し、俺は目を開けた。
「ん・・・? ここは・・・・・・」
納戸、だろうか?
十畳ほどの屋内に大量の木箱がところどころ積み上げられている。
箱の記述を見ると祭具などであるらしいが、しばらく運び出されたような
形跡は見られない。
木箱の壁はちょっとした通路を作り出しており、最奥部までは直進で
進めないようになっている。
乗り越えながら進めば別だろうが、それよりは道に沿って進んだ方がはるかに
早そうだ。
内部を観察していると、きれいな鈴の音がした。
俺のすぐ側から。
「ん・・・ぅ・・・・・・」
続いて、微かな呻き声が聞こえる。
「あ・・・・・・」
俺は、ようやく気づいた。
今の体勢は、すずに覆い被さっている状態だ。
離れなくては・・・と思ったと同時にすずがうっすらと目を開き、俺と目が
合った。
互いに硬直することしばし。
次の瞬間、俺の顎に強い衝撃が走った。
続いて左頬にも衝撃が襲い、さらに右のこめかみに鋭い突起を打ち込まれた。
俺の身体は1間(約2メートル)ほど転がって止まり、頭部が鈍い痛覚に
満たされた。
「ぐ・・・ぁ・・・・・・」
視界が揺れている。
全身が動かない。
(く・・・脳震盪でも起こしたか・・・・・・)
断続的に鳴る鈴の音に目だけ向けると、すずが座り込んだまま、拳を振り
抜いた状態で呼吸を荒げていた。
(ああ、そうか・・・)
先程の光景と感覚を思い出し、自分に何が起こったかが理解できた。
覆い被さる俺の下から、顎に向けて掌打。
俺が仰け反って広がった空隙を利用して上体を捻り、右腕で俺の左側頭部に
肘打ち。
さらに捻った上体を戻す勢いを利用して左の拳が右側頭部に打ち込まれた。
拳は人差し指と中指がそれぞれ第二関節を突き出すよう握られていて、力が
そこに集中して破壊力を増していたのだろう。
頭蓋を打ち抜かれたかと思う程の衝撃だった。
あれは、神兵術にはない技だ。
身体はまだ動かせない。
あの極至近距離から上体だけでこれだけの損傷を受けるとは・・・・・・
あの技は覚えておこう。
そう思った次の瞬間、顔に水を叩きつけられた。
「ん・・・?」
朦朧とした意識に、手桶を抱えたすずが写る。
・・・手桶を持っているということは、お清め場か井戸まで行ったのだろう。
・・・・・・気を失っていたらしいことに、俺はようやく気づいた。
「大丈夫ですか?」
落ち着いた様子で、すずが声を掛けてくる。
「あ・・・ああ」
俺は頷いて、身体を起こした。
「む、身体が動く」
ゆっくりと立ち上がる。
まだ少し力が入らないが、問題はなさそうだ。
「いや、効いたよ。 すず殿は強いな」
「破廉恥な殿方を撃退できるくらいには」
冷めた声で答えるすず。 その視線は同様に冷ややかだ。
「いや、まて! あれは、すず殿が急に止まるから・・・いや、申し訳ない」
視線に言い訳を止められて、俺は素直に謝った。
「早く参りましょう」
すずが服に付いた泥を払い、歩き出した。
そういえば、巫女服が泥だらけになっている。
・・・俺が突き飛ばしたせいか。
「申し訳ない」
俺はもう一度心から謝って、すずに付いていった。
木箱に挟まれた通路はコの字状になっており、最奥部にはすぐに付いた。
とはいっても、前には壁があるのみだ。
「すず殿。 道に迷ったのか?」
俺の言葉は、鋭い視線で返された。
うむ・・・口は災いの元、とはよく言ったものだ。 黙っていよう。
たじろぐ俺を見て気が落ち着いたのか、すずは目前に広がる壁・・・その
中央を見つめた。
「今後、ここに立ち入るのは石川様お一人です。
手順をよく憶えてください」
そう言って、手のひらで壁をゆっくり撫ぜる。
少し撫ぜた所で手を止め、そのまま押した。
すると手の周りの部分が動き、四角形の窪みが現われる。
さらに手を離すと広範囲の部分が音もなく凹み、そのまま素早く横にずれて
いった。
「隠し扉・・・」
人一人が屈んで通れるほどの入り口を見て、思わず呟いた。
積み上げていた木箱はこのためか。
万が一にも、入り口からこの仕掛けを見られないための遮蔽物。
「ここはすでに、限られた者しか知らぬ場所です。
くれぐれも、内密にお願いします」
確認事項を言って、すずは入り口をくぐっていった。
俺もそれに続く。
すると、その先は石畳になっていた。
三畳ほどの隠し部屋。
奥の横一畳分は下へ続く石段となっている。
壁には灯り用の手燭が一つ掛けてあった。
灯りが要るということは、採光が無いということか。
「地下か・・・。 地下通路なのか、現場が地下なのか・・・」
返答を期待して呟くが、すずは無言で蝋燭を手燭に挿していた。
火をつけ、手燭を壁から取ると、すずが階段を降りていく。
手燭は一つしかないため、彼女から離れない方が良さそうだ。
すぐさま俺も続いた。
ひたすら、浅い段差を降りていく。
手燭の蝋燭がが足元を照らしているが、行く先は闇に閉ざされていて全く
見えない。
階段は石でできており、苔がそこらじゅうに生えている。
足元に気をつけなければ滑って転げ落ちてしまいそうだ。
五十段は降りただろうか。
すずの歩みが止まった。
「下層に着きました。
右側へ、もうしばらく歩きます」
壁に燭台があったらしく、火を移しながらすずは右折して進んでいく。
それとともに、地下の様子が見えてきた。
大空洞とも思えるほど、広大な空間。
足元は見える限り土がむき出しになり、湿気が溜まって少々ぬかるんでいる。
細い通路の右側には燭台付きの石壁。
左側には格子に囲まれた十畳ほどの部屋が、ずらりと並んでいる。
そこは、まさに地下牢そのものだった。
檻の中には何も入っている様子はないが、格子には所狭しと退魔札が貼り
付けられて非常にものものしい。
「札か・・・」
嫌な予感がよぎる。
退魔札は悪霊や鬼といった”魔”に対して使うものだ。
だが、俺は”魔”というものを見たことがない。
いくつかの神社を周り、人や物などに祓いをかける所は何度も見た。
だが実際に”魔”自体を滅するところは一度も見ないままだ。
檻に退魔札を貼るということは、ここに”魔”がいた可能性がある。
その場合、俺には戦闘経験がない。
神兵の太刀は”魔”を祓い、断つという。
だが俺の太刀は人しか斬ったことがないから、それが真実であるかを確かめる
術はない。
もし本当に”魔”というものが存在し、監視の対象がそれであるというなら、今後は俺にとって未知の戦闘が起こるかもしれない。
燭台に火を点しながら、すずは黙って狭い通路を進んでいく。
百間くらいは歩いただろうか。
地下牢の最奥部。
通路の突き当たりにある檻の前で、すずは足を止めた。
一際、夥しく札が貼られた格子の奥。
すずの肩越しにそれを見た俺は、目を見開いた。
「”神殺し”・・・・・・」