第2話 セルヴァン村にて。
「こんっっの、馬鹿アレク!! だから、あれほどドラゴンの肉を食うなんて無茶だって言っただろ!」
「……うぐ。セシ、ル。ほんと、マジで……、悪かった……」
――ここはセルヴァン村のとある宿屋の一室。僕が怒鳴りつけたのは、薄っぺらなベッドの上で腹痛に呻き声をあげている勇者アレクシスだ。とは言っても、そこに勇者の威厳なんてものは欠片ほども存在しないのだが。
「うふふ、アレクちゃんったらぁ。ドラゴンのお肉なんて劇物……。人間には耐えられないって言ったのに。せめて魔素抜きするべきだったわねぇ?」
「はんせい、してます。ぐ、また腹が……っ!」
アレクはドタバタと派手な音を立てたかと思うと、すぐさまトイレへと飛び込んでいった。それを見て、レーヌはゆるいウェーブがかった髪を揺らしながら、ころころと愉快そうに笑う。
「あらら、また籠っちゃったの。あの調子じゃあと半刻は出てこないかしら」
「……本当に馬鹿だ。というかレーヌも、気付いてたなら止めてやればよかったろ」
「あら? だって、ドラゴンのお肉を食べようとする人間なんて滅多にいなくて面白……、じゃなかった。私は魔術っていう学問を専攻する者なのよ? 他人の知的好奇心を邪魔することなんてできないわ」
建前の裏に本音を見え隠れさせながら、レーヌは食えない態度でそう語る。
そして、いつもこうやって適当なことばっかり、という僕の不満を見てとると、それじゃあ私はドラゴンの素材を見てくるから、と微笑んですぐに部屋から姿を消してしまった。
残されたのは、壁越しに聞こえるアレクの苦悶の声と、僕だけだ。
宿屋の薄い壁の向こうからは、ドラゴンが討伐されたことを祝う村民の明るい声が響いていて、僕はことさら大きくため息をつく。
「――ったく、こうやっていつも僕ばっかり。ドラゴンなんて魔力耐性高いんだから、神聖術も効きづらいんだぞ……」
誰に言うでもなくぼやきながらベッドに腰をおろし、壁に立てかけられた聖剣に視線を向ける。勇者の象徴である聖剣は、アイツの無頓着さを表すかのように無造作に置かれていた。
そんな様子におもわず、本当にアイツが勇者でいいんだろうか、なんて疑念が脳裏をよぎる。誰よりも「勇者」らしくない当代の勇者。
今思い返してみれば、四年前。僕が勇者一行の一員となった時から、――アイツはずっとそうだった。
◇◇◇
教会の本部で神官として従事していた僕は、その類まれなる優秀さから、齢十二歳にして勇者一行への同行を任命された。その命令自体に、異論なんてない。だって、僕以上に優秀な人間なんて他にいなかったし、仕方がない。
そう、割り切るしかなかったのだ。
「なんで。なんでこの僕が、勇者一行になんて……っ!」
僕が声を上げているここは、誰も来ない、教会の敷地内の寂れた東屋。草木に囲まれた静かなこの場所は、僕にとって、唯一本心をさらけ出せる場所だった。
「あんのハゲ司教、僕がアイツの魔術理論を訂正したこといつまでも根に持ちやがって! やることがいちいち陰湿なんだよ……っ!」
僕に司令を告げた時のあの司教の性根の歪み切った顔。今思い出しても腸が煮え繰り返りそうだ。司教への、そして教会への恨み言は、考えるまでもなくつらつらとこぼれ落ちてゆく。
「……何が教会最年少の『神の愛し子』だ。そんなの、教会にとってただ都合がいいってだけだろ……っ」
声が震えそうになる恐怖を、怒りで無理やり塗りつぶす。そうでもしないと、自分でも見たくない、自分の弱さが溢れ出してしまいそうだった。指先が、温度を失い小刻みに震える。
胸の前で拳を握って、僕は地面にしゃがみ込んだ。
死ぬのも傷付くのも痛いのも。本当は全部、全部怖くてたまらない。怖いから。嫌だからこそ、僕は神聖術の使い手としての道を選んだのだ。
それなのに、今までに誰も成し遂げたことのない魔王討伐のために死地へ向かうなんて。そんなこと――
「――……っ嫌だ。行きたくないに決まってんじゃん……!」
じわと目尻に涙が浮かぶ。その時だった。
「あ、えぇと。その……、悪い」
「………………は?」
おもわず、素っ頓狂な声が漏れる。僕だけの秘密の場所。誰もいないはずのそこに立っていたのは、間違いなく「勇者」だった。黒く短い髪に、蜂蜜色の瞳。日に焼けた彼は肩に付いた木の葉を払うと、気まずそうに頭を搔く。
「まさか、アンタ、『勇者アレクシス』!? な、なんでアンタがこんなところに……」
「あー……。なんつーか、仲間になってくれるっつー話の神官さんが見当たんなかったからさ、色んなとこ探し回ってたんだよ」
まさかこんなとこにいるとは、と困ったように笑う彼があまりにも普通の人間のように見えて、僕は毒気を抜かれてしまう。彼はそんな僕に笑いかけたまま、こちらへと歩いてくる。それでも、無理やりに冷たい態度をとって、僕は彼から顔を逸らした。
「……あっそ。どこから聞いてたかはわかんないけど……、その神官がこんなでガッカリしたでしょ。今からでも違う人を仲間にって頼んだ方がいいんじゃない?」
どうせなら、嫌ってくれればいいと思った。勇者一行にふさわしくないって、諦めてくれればいいと思ったんだ。
木漏れ日も差し込まないような寂れたこの場所で、彼は考え込むように顎に手をやった。そして次の瞬間、ふと僕を見る。その視線は真っ直ぐに僕を貫いていた。
「いや……、オレは誰かと組むっていうならお前がいいな」
勇者の雰囲気がさっきまでと全然違っていて、僕は自分の目を疑う。そして、すぐさま声を張り上げた。
「……は? 何言ってんの? 訳わかんない。アンタ馬鹿なんじゃないの!? 勇者サマがこんな怖がってる少年無理やり連れ出すとかありえないで……」
「オレは! 勇者なんかじゃない!」
思いつく限りの文句を並べ立てる僕の肩を、彼はがしと両手で固く掴む。その手には剣士特有のゴツゴツとした、努力の痕跡があった。
「オレは……、勇者なんかじゃない。ただ聖剣に選ばれたってだけの、普通の人間だよ。ただそれでも……、選ばれたからには役目を果たさなきゃならないって思ってる。だって、オレがやらなきゃもっと大勢の人間が傷付くことになる、から」
僕の肩の上で、彼の手は小さく震えていた。
「だからオレは……、どれだけ怖くても進まなきゃいけない。そして……、背中を預けるならオレと同じように、恐怖を感じられる人間がいい。だからオレは、誰かと組むなら、お前がいい」
「……なん、だよそれ。そんなの……、僕には関係ないじゃん」
彼の目があまりにも真っ直ぐで、僕はおもわず目を逸らす。心臓が、ばくばくうるさい。
認めてたまるか。神の愛し子としてじゃない、僕を必要とされたことが嬉しいなんて。
「いやまぁ、それはそうなんだよな……。あ、でもオレめちゃめちゃ強いし、これからも、もっっと強くなるから! お前がついてきても絶対に痛い思いはさせないって約束するよ。……これでどうだ!」
大真面目な顔で。彼は僕にそう告げる。馬鹿だ、と思った。誰がそんな安い誘い文句に乗るんだ、といつもの僕ならすぐに言っているはずだった。
それでもその震えが、恐怖が。僕によく似ているように思えたから。僕は――
「……なんだよそれ。なんも説得力ないし。前線に立つ以上痛い思いしないとか無理でしょ。考えなくてもわかるじゃん」
「……それは。それじゃあ他になんか……」
「――だから」
言葉を遮って、ちらと彼の目を見る。彼の太陽みたいにキラキラした瞳には、捻くれた顔の僕が映っていた。
自分でも馬鹿みたいだと思ったけど、コイツの進む道が見てみたいって、僕はそう思ってしまったんだ。
「だから……、僕がついてってやるよ。アンタだけだとすぐに死んじゃいそうだもん」
言ったそばから、耳が熱くなるのを肌で感じる。ただ、何か言いたげな彼の返答を聞く前に、僕はぽすと彼の胸板を拳で叩いた。
「っていうか、名前! 勧誘しようってのにお前呼びとかありえないでしょ。勇者サマの癖にマナーがなってなくない? 僕の名前、セシル・アルジャンって言うんですけど」
どこまでも素直になれない天邪鬼な僕。そんな僕の言葉に彼は目を瞬かせると、眩しいくらいの笑顔を見せたのだ。
「……おう、セシル! オレの名前は――」
◇◇◇
ガチャ、と鍵の開く音が響いて、僕はふと目を覚ます。どうやら、いつの間にか眠ってしまっていたようだ。
「……う、少しは、落ち着いた。あれ。なぁセシルー、レーヌは?」
「……ほんと、情けないよなぁ」
きょろきょろと不在の仲間を探すアレクを横目に、僕は大きくため息をつく。
「レーヌなら、とっくのとうに出てった。ほら、神聖術重ねがけするからこっち来なよ」
「……悪い」
殊勝な態度をとりながら、アレクはベッドの端に腰掛ける。そんな様子に鼻を鳴らしつつ、僕は聖杖を手に取った。
僕が神聖術をかけると、アレクの額から少しずつ汗が引いてゆく。
「ほんと、アレクは大馬鹿だよ。僕がいなかったら、どっかで絶対死んでた」
僕のそんなぼやきを聞くと、アイツはきょとんとした後で、笑顔を見せた。
「だけど、セシルはいるだろ? やっぱ、あの時お前を選んだのは英断だったよな」
「…………あほくさ。僕はこんな腹痛治すためじゃなくて、世界を救う勇者サマを助けるためにここにいるんですけど」
ぷいと、おもわず視線を逸らしながら僕は答える。そんな僕を笑うと、アレクはくしゃと僕の頭を撫でた。
「安心しとけって、オレはこのままもっと強くなって絶対無事に魔王倒してやるから。大船に乗ったつもりってやつな?」
本当は、子供扱いするな、とか、どの口が、とか色々と文句はあったんだけど。あまりにも自信満々にアイツが希望を語るから。
「あははっ、だから全然説得力ないってば。……やっぱアレクは馬鹿だなぁ」
僕はおもわず笑ってしまったのだ。なんでだよ、とアレクが言いかけた瞬間。バンと一際大きな音が響いて、部屋のドアが勢いよく開く。
「アレクシス、セシル! これを見てくれ! 村民のみなが腹痛に効くという薬草を教えてくれてな! レーヌが言うには、なかなかに貴重なものらしい!」
「そうそう、魔素酔いにも効果抜群なんだからぁ。……ね、レオちゃん? アレクちゃんは丈夫だし、やっぱり私に譲ってくれるってのは……」
「ダメだ。これはアレクシスのためのものだと何度も言っただろう!」
ぎゅうぎゅうと押し合うようにして、薬草を両手いっぱいに抱えた二人は部屋へと上がり込んでくる。そんな、いつも通りのうるさい光景が、とびっきりにうざったくてとびっきりに愛おしい。
――だから僕は、こんな日常がもう少し続けばいいと、柄にもなくそんなことを願ってしまったのだ。




