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『塔の騎士と水の精霊』

作者: セキぴこ
掲載日:2025/11/10

 深い森の奥、静かな湖がありました。湖畔には、古びた高い塔が目印の小さなお城が立っています。その城には、四十路の中年騎士と、わずかな使用人たちが暮らしていました。


 ある嵐の翌日、騎士はいつものように馬で湖近くの森を駆けていました。


「タスケテ……」


 どこからか、微かな声が聞こえました。しかし、周りを見渡しても誰もいません。騎士は首をかしげました。


 すると、道端で何か光るものがピチピチと跳ねているのに気がつきました。それは、見たこともないほど美しい魚でした。宝石のように青く、光を反射する鱗がキラキラと輝いていました。


「嵐で湖から溢れた水に乗って、森の中に落ちてしまったのだろう。可哀想に」


 心優しい騎士は、その綺麗な青い魚をそっと拾い上げると、湖へと放してやりました。


 しばらくして、また湖の周りを乗馬している夕暮れ時のことでした。湖のほとりに、一人の美しい青い髪の女が佇んでいるのを見かけました。長い髪が風にそよいでいます。


「お嬢さん、もうすぐ日が暮れる。早く家に帰りなさい」


 騎士がそう声をかけると、青い髪の女は振り返り、騎士に微笑みかけました。それは、この世のものとは思えないほど、とても美しい若い女でした。


 騎士は思わず呆然と見惚れてしまいました。しかし、我に返ったとき、女の姿はいつの間にか消えていたのです。



 その夜、塔にある自室で休んでいた騎士の耳に、静かな女の声が聞こえてきました。


「こんばんわ、塔の騎士さん」


 驚いて窓際を見ると、そこには夕方近くに湖で見た女が立っていました。


「お前は何処から入って来た!」


 騎士はすぐさま剣に手を掛けましたが、女は優しく言いました。


「落ちついてください。わたしは水の精霊。貴方に助けてもらった恩返しをしに来ました」


 嵐の翌日に助けた綺麗な魚が、目の前にいる青い髪の美女だったのです。


 恩返しと言われても、特に何かしてほしいことのなかった騎士は、水の精霊に、就寝前の話し相手になってもらうことにしました。騎士は戦場での武勲や旅の話を、精霊は湖の底や森の静かな出来事を語り、毎夜、二人の楽しい時間は続きました。


 城の使用人たちは、主人の楽しそうな声が聞こえるのに、部屋には騎士しかいないことを不思議がりました。

 ただ、まだ七歳の幼い下女のアンだけは、主が美しい女と楽しそうに話している姿が見えていました。



 騎士の務めは、この国の王に仕え、命令があれば戦争に赴くことです。そして、塔の騎士にもついに出征の命令が下りました。


 出征の前日、精霊は騎士にこう申し出ました。


「わたしと結婚しませんか? 結婚していただければ、どんなに遠い戦場にいらしても、わたしは貴方をお守りすることができますから」


 騎士は微笑みました。


「自分を守ってくれるのかい? お前のように美しい人が守ってくれるのなら、もう怖い物などないな」


「それは、わたしを妻にして下さるというお返事ですね?」


「そうとも」


 精霊はとても嬉しそうに笑って、騎士を抱きしめました。


「けれど、一つだけお願いがございます。もし他の女の人と結婚しないでください。もし人間の婚姻を結ばれたならば、貴方は必ず死んでしまいます」


「他の女と結婚するなんて、考えられないよ」


 騎士がそう言うと、精霊はさらに喜び、湖の色のように深く静かな緑色の指輪を騎士の指にはめてくれました。



 それから騎士は何度も戦場へ赴きました。


 時々、命に関わるような危険な目に遭いましたが、その度に、不思議と水に関わる出来事で命を助けられました。


「我が妻よ、ありがとう」


 塔の騎士は、指輪に感謝のキスを捧げ、心の中で精霊に語りかけました。 

 戦果をあげる度に、有力者の娘との縁談を勧められましたが、騎士は愛する妻との誓いを守り、断り続けました。


 使用人たちは「早く身を固めればいいのに」と噂しましたが、下女のアンだけは違いました。彼女は水の精霊の姿が見えていたため、「ご主人様には、もうすでに素敵な奥方様がいらっしゃいます」と、二人の仲睦まじい姿を微笑ましく見守っていました。


 多くの功績をあげた騎士に対し、王様はたいそう感心していました。


 ある日、王様は騎士に言いました。


「塔の騎士よ、お前の活躍で多くの戦に勝つことができた。褒美を取らす。お前は独り者だったな。わしの姪と結婚させてやる。若くて良い娘だ。気に入ると思うぞ」


 騎士は真っ青になりました。彼には愛する妻がいます。しかし、その妻は人には見えない水の精霊。皆は彼が独身だと思っています。そして、王族からの縁談、まして王様からのご下命は、断るなど絶対にできません。


 塔の騎士は、王様のご下命を受けるしかありませんでした。



 塔のある城に帰還した騎士は、妻である精霊に泣いて謝罪しました。


「仕方ありません。人のことわりと、精霊の理は違いますから」


 水の精霊も、湖の底で泣くかのように、おいおいと涙を流しました。


 二人は一晩中、互いを抱きしめて泣き明かしました。


 翌日、騎士は重い足取りで王城へと旅立ちました。


 そして、騎士と王様の姪との婚礼の日がやって来ました。


 城の大広間には大勢の人が集まり、二人の結婚を祝福していました。隣に座る新しい妻となる王様の姪は、にこにこと微笑んでいます。


 しかし、騎士の顔は悲しみに曇っていました。


 彼の脳裏には、本当の妻である水の精霊の姿が見えていました。悲しそうな顔で、人々のざわめきから離れて佇む彼女の姿。


 騎士は静かに立ち上がり、集まった人々に聞こえるように叫びました。


「みなさん! 実は自分には、妻がおりました。心も姿も美しい妻です。ただ、人ではありません。水の精霊です。戦で武勲をあげられたのも、彼女の守りがあったからなのです。自分は、その愛する妻との約束を破ってしまいました。その約束とは、人間の女と結婚しない事。だから、その罰を受けなければなりません」


 王様の姪は、突然のことにきょとんとしていました。そんな彼女に、騎士はわずかに微笑みかけて「すまない」と呟くと、そのままバタリと倒れました。


 彼の指にはまっていた湖の色をした指輪は、砕けて水飛沫となり、静かにくうへと消えました。しかし、騎士が倒れた騒ぎで、指輪のことに気付いた者は誰もいませんでした。



 塔のお城では、幼かった下女のアンの前に、水の精霊が姿を現しました。


「アン。あなただけは、わたしたちのことを夫婦だとわかってくれていたわね。夫は先に逝かれました。わたしも、あの人の後を追います。だって、あの人のいない世界では、この湖にいる意味がないもの」


 水の精霊は涙を流して、アンの前から姿を消してしまいました。


 それから、湖の水位は下がり続けました。どれほど雨が降っても、しばらくすると水は減っていきました。

 そして、いつの間にか湖の水は跡形もなく消えてしまいました。


 今では、湖のあった場所は深い森に消え、ただ古びた塔のある城だけが、静かに佇んでいるだけです。


(おしまい)

元ネタはドイツの民話。

そして、あの姉弟達が子供の頃、ツッコミを入れまくった結果、なんやかんやで出来たお話。

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