2-2 やっかいな化けもの「スノー・シルバーバック」
それから10分ほど歩いただろうか。
(だ、大丈夫かな……?)
嫌な予感は、時間が経つにつれて濃くなってくる。
噂で聞いている『スノー・シルバーバック』は、本来寒冷地に生息するモンスターで、その体がとても大きい。
また、魔法による攻撃に対する耐性も高く、多くの魔導士を屠ってきた強敵だ。
まして、今まで魔導士による、訓練という名目の乱獲を生き抜いてきたのだ。そうそう勝てる相手だとは思えない。
(僕と……レクター君、それとグロッサさんが力を合わせたら勝てるかもしれないけど……僕一人じゃ厳しいかな……)
そもそも、彼らは僕のことを嫌っていたし、トリアのことも疎ましく思っている。
協力するどころか、ここで死んでくれたほうが嬉しいと思っているだろうから、絶対に協力はしてくれないだろう。
(或いは……レベルドレインで彼らの魔力を奪ったトリアなら……僕と二人でも勝てるのかな?)
そうも考えたが、僕は考えを改めた。
魔力を持たない貴族は、廃嫡されることが僕の国では決まっている。
そして、廃嫡された貴族は平民としての待遇など期待してはいけない。彼らは貧困層の怒りを発散するスケープゴートとして、命すら危うい状況に置かれるのだ。
だから、レクター君やグロッサさんを憎みたくはないし、レベルドレインをされても構わないとも思わない。……少なくとも今の時点ではだが。
(とにかく、早く目的を達成してこの場を去らないと……)
そう考えながら、僕らは森の中を進んでいると、
「あれ、見て? ラウル?」
突然トリアが少し驚いたような表情で僕の肩を叩いて前方を指さした。
そこには薄暗い森の中でかすかに燐光を発する木の実があった。
……明かりの木の実だ。
「やった! よかった……!」
それを見たトリアは思わず安堵しながら僕の手を取った。
トリアの暖かい手に包まれて、僕は一瞬顔を赤らめた。
……やっぱり、トリアは本当に可愛い。本来僕とは釣り合わないのは分かっている。
「あ、ゴメン……」
「ううん。……けど、見つかってよかった……しかも凄い品質もよさそうだね!」
遠目でもわかる、あの木の実は今朝トリアが持参してきたものよりもずっと大きい。
これなら、実習でもいい結果が出せるだろうと思い、僕は思わず嬉しくなった。
「それじゃ、採ってくるね!」
そういってトリアはバスケットを手に、木の幹の方まで走っていく。
(良かった……。そもそも、明かりの木の実は目立つし味もいいからなあ……それは動物にとっても同様だ。この実が貴重品なのは、生息地が限られているからじゃない、動物がすぐに食べちゃうから、防除策を行う必要があるため……え、待って?)
猛烈に嫌な予感がした。
今そこにある『明かりの木の実』には、どう見ても防除策が敷かれていない。
……つまり、それが意味することは……!
「トリア、今すぐそこから離れるんだ!}
「え?」
僕はそう叫ぶと同時に全力でトリアに向かって駆け出す。
「はあ!」
そして僕は全力で魔力の障壁を張る。
……と同時に、反対側の藪ががさがさと揺れる音がした。
「グオオオオオ!」
そんな恐ろしい叫びとともに、真っ白な大猿が現れる。
……スノー・シルバーバックだ。
ここにある『明かりの木の実』が手付かずだった理由。
それは、ここが奴の縄張りだったからに他ならない。
奴は、血走った眼でこちらを睨みつけながら、突進してきた。
本来ゴリラは臆病で大人しい種族だ。
だが、魔導士による魔物狩りによる淘汰の結果、奴のような獰猛な種族ばかりが残るようになってしまった。
奴らが『魔物』と呼ばれるようになったのは、人間たちが原因でもある。
「ガアアアア!」
「危ない、トリア!」
僕は障壁を前面に展開しながらトリアの体を思い切り抱いて横に飛ぶ。
と同時に、スノー・シルバーバックの丸太のような腕が思いっきり振り下ろされる。
「キャア!」
「く……!」
僕が張った障壁が一瞬で叩き壊された。
……なるほど、障壁を力任せに破壊できるほどの力があるということか。
魔導士でも、彼には手を焼くわけだ。
それに、彼らの体毛には魔法を無効化する力がある。
「あ、木の実が……!」
「大丈夫、それは僕が持つから走って!」
この木の実は、トリアが必死で集めてくれたものだ。
僕の命に代えても、持って帰らないといけない。そう思いながら、僕はトリアの手を掴んで森の中に走る。
「はあ、はあ……」
「も、もう……限界……」
僕たちは必死で森を走る。
平坦な道を選んで走るが、スノー・シルバーバックは振り切れない。
奴の足は遅い。
……だが、それは『通常の動物と比べて』だ。人間がかけっこをした場合、勝てるわけがない。
徐々に僕たちは追い込まれているのを感じた。
トリアは僕のほうを思いつめたような表情で呟く。
「ねえ、ラウル? 私を置いて……」
「ダメ!」
トリアの表情から、どこか諦めの表情を感じた僕は何も言わせずに手をぎゅっと握る。
『もう逃げるのをやめよう』なんて、絶対に言わせない!
そう思ったが、
「ぐおおおおおお!」
ついに追いつかれたスノー・シルバーバックの一撃が僕達の背中に振り下ろされた。
「きゃあ!」
「うわ!」
幸いなことに直撃は免れたが、その衝撃で僕とトリアを繋いでいた手が外れる。
「ラウル……!」
「トリア!」
しかも、その先は崖だ。
……見たところ、頭を打たない限り落下しても命に関わるような崖ではないが、自力で降りることや這い上がることは出来ない。
「くそ! ……トリア、死なないで!」
「やめて、ラウル!」
僕は残った魔力を全て使い、トリアの体を魔法障壁で包む。
……これなら死ぬことはないはずだ、トリアなら。
そう思いながら僕は、スノー・シルバーバックに向き直り、足元の石を投げつける。
「グ……!」
「こっちだ化け物! お前の大事な餌は、僕が盗んだんだ! 悔しかったら追いかけてみろ!」
そう叫び、
「……グフフフ……」
なるほど、さすがは霊長類の化け物ということか、笑みを浮かべてきた。
幸いなのは、僕のほうがトリアよりも体が少しだけ大きいことだ。
奴は、僕のほうが『大きな餌』だと思ったのだろう、スノー・シルバーバックはこちらのほうにターゲットを移したようだ。
(トリア……ゴメンね、後で必ず助けに行く!)
トリアにとっては、僕は単なる魔力を得るための餌に過ぎないのかもしれない。
けど、だから何だ。
……仮に両手を失ってでも、『明かりの木の実』を持って、生きて戻ってこなければ。
そう思いながら、僕はスノー・シルバーバックを手で誘導しながら、地獄の鬼ごっこを再会した。