3-1 メイド編 彼女はご主人様に首ったけです
私の名前はオーバル。
元は国の諜報部として敵魔導士の情報を得る仕事をしていたが、長引く不況の煽りを受けて解雇された。
そんな私は現在メイドとして、トリアお嬢様の元で働いている。
まあ、私が本当に仕えているのは彼女ではなく、路頭に迷っていた私を拾ってくれた『ご主人様』になのだが。
私はいつものようにトリアお嬢様を起こしに行く。
「おはようございます、トリア様」
「……うん」
「あの、ひょっとして徹夜されたのですか?」
「アハハ……。ちょっと本が面白くて……」
そういう彼女の周りには、大量のぬいぐるみが置かれていた。
これは全部、トリアお嬢様の手作りだ。
……彼女の幼馴染にして想い人、ラウル殿を模して作ったものだ。
ラウル殿は平民の身でありながら魔力を持ち、また性格も明るく正義感が強いことから、私たち平民の間では大変評判がいい。
特に幼少期は、この国の有力貴族であるグロッサが、彼に熱をあげていたことをよく覚えている。……まあ、本人は貴族という立場もあり隠していたつもりだったようだが。
それにしてもトリアお嬢様のラウルへの愛情は異常だ。
私は少し呆れながらも、彼女を居間に案内する。
居間には、私が用意した黒パンにたっぷりのマーマレードを塗ってトリアお嬢様に渡した。
トライル家ははっきりいって貴族の中では貧しい。そのため、食事は質素なものですませることが多い。
だが、ラウル殿から譲っていただいたマーマレードとレタスが、食卓に花を咲かせている。
「いただきます。……うん、美味しい。ラウルにお礼言わなくっちゃ」
「ええ、そうですね」
「ところでお父様は?」
「旦那様は本日は朝から仕事なようです。恐らく帰りは遅いかと」
「そう」
……正直、私はトリアお嬢様のことは好きじゃない。
暗くて無口なくせに、本の話とラウル殿になると途端にこちらの反応を待てないほどの饒舌になる。
そもそも彼女は、ラウル殿以外の人間にあまり関心を持たないところに、私は内心で腹を立てることが多かった。
「ねえ、オーバル?」
「なんでしょうか」
「私さ……。もっとラウルに好かれたいんだけど……いい化粧品とか何か知らない?」
「いえ、私は……。そうですね、薄く緑色のベースメイクをされてはどうでしょう?」
「え?」
「お嬢様は少々顔が赤みがかっていますから、そうすれば肌がより美しく見えるかと……」
「そう? じゃあ、試してみるね!」
しかもトリアお嬢様は、女の私がドキリとするほどの美貌を持っている。
……その癖、自分をブスと思い込んでいるのが、彼女を嫌う二つ目の理由だ。
そう思いながら、私はトリアお嬢様に尋ねる。
これが、『ご主人様』に報告する最重要事項だからだ。
「トリアお嬢様は……まだ覚醒はされていませんか?」
彼女はサキュバスの血を引いているため、18になると牙が生えてくる。
その牙を相手に突き立てれば魔力を相手から永続的に奪う『レベルドレイン』が行えるようになる。
……だが、彼女はまだ満年齢で16だ。
念のため尋ねたが、彼女は首を振った。
「ううん。……まだしてないよ。ほら、牙も生えてない」
「そうですか……」
「だからさ、まだラウルと……せめて友達で居られるよね?」
そう、トリアお嬢様は少し泣きそうな顔をする。
「ラウル殿と? 別に覚醒しても一緒に居られるのではないですか?」
「うん。『まだ私はレベルドレインが出来ない、普通の女の子だ』って思ってくれたら……ラウルも安心してくれるじゃない? 覚醒したらきっと、魔力を奪われるのが怖くなって……今迄みたいに居てくれないよ……」
「……そうでしょうか……」
ラウル殿の人となりを察するに、そのような方ではないだろう。
仮に彼女が覚醒しても、関係は変わらないはずだ。
だがトリアお嬢様は『ラウル殿は自分を本当は嫌っている』と思い込んでいる。
……バカらしい、そのお綺麗なご面相をもってすれば、誰でも『真実の愛』とやらを語ってくれるだろうに。
お嬢様のそういうところも気に入らない。
まあ、トリアお嬢様はトライル家の一人娘で、他に子どもがいない。
さらに、この国は『世継ぎのうち、一人でも魔力を持つものが居なければ、貴族位を剥奪する』という掟がある。
そのため彼女には、レベルドレインでも何でもやって魔力を持ってもらわなければ、家が取りつぶしになる。
そういうプレッシャーを受けていることについては同情する。
そう思っていると、トリアお嬢様は続けた。
「ねえ……。いっそのことさ……ラウルから魔力を貰ってさ……その代わりに、ラウルをトライル家に婿入りさせて……一生大切にするっていうのはどうかな?」
「え?」
「そうすればさ、トライル家は存続するでしょ? それにラウルと結婚して、ラウルの子どもをたくさん産んで……っていうのは……ダメか、ラウルが嫌がるし、私に都合よすぎるよね! ……ゴメンね、オーバル! 変なこと言って」
「い、いえ……それより、そろそろ時間では?」
「あ、そうだね! それじゃ行ってくるね、オーバル!」
……まずい、と私は思った。
その結末は確か『ご主人様』が一番恐れていたことだ。
そう思った私はお嬢様を見送ったあと、ご主人様のもとに大急ぎで向かった。
ご主人様の部屋で、私は声をひそめてそっと語りかける。
……この時間だけはご主人様と二人っきりになれるのが嬉しいというのは秘密だ。
「なに、その『第二の選択肢』を考えはじめたのか、トリアは……」
「ええ……」
「それはまずい。奴に……ラウルの魔力を渡すわけにはいかないな」
ご主人様は兼ねてより、ラウルとトリアの動向を注視し、いくつかの結末を予測していた。
「第一の結末」は、トリアはレベルドレインを行わず、ラウルと別れること。
「第二の結末」は、トリアがラウルから魔力を受け取り、結婚すること。
……だが、このどちらもご主人様にとっては大変不都合なものだ。
そこで『第三の結末』を模索するべく、ご主人様はずっと動いていらっしゃる。
「ところで、なぜこの『第二の結末』がダメなのですか?」
「……俺の予感が的中した場合……最悪の自体が起きかねんからだ」
「最悪の、ですか……」
そういいながらご主人様は古文書を開いて見た。
これは、トライル家に安置されていた資料の写しだ。100年前に書かれたものなので、解読するのは難しい。
「ああ……やはり、俺の考えた『第三の結末』こそ正解ということだ。奴らに『第二の結末』を選ばせないための工夫も必要そうだな」
だが、私はそのご主人様の考えている『第三の結末』の残酷さは知っている。
そのため思わず私は尋ねた。
「ご主人様は……本当に『処分』するべきと思ってるんですか?」
「ああ……そうすれば、俺に代わって妹が当主になれるからな」
「ええ……そうでしょうね……」
ご主人様は、いつも自分のことを後回しにする。そして、特に妹君のことばかり考えていらっしゃる。
……私は、そんなご主人様を愛している。
「『第三の選択肢』が上手くいったら……俺は廃嫡されるだろう。その時には、妹のことを頼む」
「ええ……」
私はそう頭を下げた。
勿論、そのつもりではある。
だが私は、あなたが廃嫡されて平民になったら、そのまま首根っこをひっつかんで婚姻届けを出しに行く。その瞬間が楽しみでたまらない。
……だからこそ、私はあなたのご指示のもと、トリアに尽くしているのだから。
「……オーバル、お前にも協力を頼むことになるな。ちょっと、来い」
「はい」
ここから先は更に機密事項ということもあり、ご主人様は私に耳打ちする。
……嗚呼、なんというご褒美だ。ご主人様の吐息を感じられるのが嬉しい……という気持ちを私は必死に隠す。
「では、この手紙をグロッサに渡してくれ。それと、アサシンの衣服もな……」
「ええ……」
そして私はその指示を聴いて、その場を離れることにした。